16
ユキア(ユルキイア)は、自分(彼女)の部屋に入ると周囲を見渡し壁に掛けられていた革袋を開いた。
『ユルキイア様?何かあったのですか?』
「突然ごめんなさいユキアさん。硬くならないで気軽に話しかけてくれていいわ。ちょっと心配な事があって様子を見に行くだけだから……。この袋を使わせてもらうわね」
体を動かす主導権をユキアは完全にユルキイアへと任せていた。動かそうとする意志や感覚は共有している為、完全に隔離された精神思考の檻に捕らわれた状態では無く、女神が思考の中にあるという実感は有りながらも、袋を準備しなければという思いに違和感が無く受け入れることが出来ていた。
たぶん、ユキア自身も動かそうと思えば動かすことが出来るのだろうが、きっと女神ユルキイアの意思と自分の意思とで行動に躊躇うという程度の違和感が生じるだろうと思ったのだ。
『ええ、構いませんが。心配な事って、それは、タカさんの事に関係が?』
「そうではないと良いんだけど」
数着の普段着を折り畳み、替えの下着も含め袋へと詰めていく。
本来の旅路であれば、袋一つでは心もとないのだが、準備している量からすれば軽装と隣町に行くほどの準備量しかなかった。
『ユルキイア様は準備に慣れておられるんですね』
「今まで話したことが無かったのに、突然色々な事をしてごめんなさい。そうね、私も前には貴方と同じようにこの村に住んでいたのよ」
『そうなんですか?』
「前にね。それにしても、お母様には気付かれたかしらね」
『どうなんでしょう。よく最近は隣町への買い出しも頼まれますし、この前のゴブリンや盗賊の事があってから、心配させることも減ったのかも知れません』
「そう……そうね」
そう返事を言いながら、荷物を準備するユキア(ユルキイア)の手が木机の上に並べられた本の前で止まる。
「本が好きなのね」
ユルキイアは、そう言いながら本の端から、背表紙をなぞっていく。
【怪盗ビーストと精霊の指輪】
【怪盗ビースト危機一髪】
【鏡姫と吸血鬼の恋】
【7人の村人と鬼退治】
『すみません、お伽話ばっかりで恥ずかしいんですけど』
「ふふ、昔の話には、きっと何か伝えたい大事な事があると思うわ。楽しみ、愛情、友情、励まし、時には復讐や憎しみもね。ねえ、この本持って行って良いかしら?読んでみたいの」
『は、はい。構いませんけど……?』
そう言いながら取り出した本は【風の恋人たち】と言うタイトルの本だった。
本自体はまだ新しく、ページは活版で両面に印刷され、手書きの物と比べると薄さは半分以下であり、確かに重さも持ち運びしやすい。値段も3銀程と安かったため買った本だ。
ユキア自身、まだ途中までしかまだ読めていない本のため、続きが楽しみな内容だった。。
『ワゥ!!』
「あら、もうスノウたら着いてしまったのね」
『えっ?スノウさんですか?』
「ええ、私に気付いてから急いで来たみたい」
着替えと、15㎝程のナイフや傷薬瓶などの雑貨を数点皮袋に入れ込んだ後、少しの余裕を残して口紐を縛って準備を終える。
「えーと、どうしようかしら」
『どうかしましたか?』
「スカートだと、ちょっとね……」
ユルキイアは、ワンピースのスカートをつまむとヒラヒラとして呟く。
『あぁ、作業用の服がありますので、そこの箱の中に』
「じゃあ、それに着替えたらいいかしら」
ユキアの持っていた作業着は、白色のズボンとひざ丈までの緩いフリルが繋がったチュニックだった。地面に座っても痛くないよう、革張りで繕ってある物だった。
「良さそうね」
『すみません、こんな服しか無くて』
実はもう一つ、父親のお下がりであるダブレットのピッタリとした服があったのだが、ユキアはあまり好きでは無かった。
ユルキイアはそれに気付いた訳では無いと思うが、ユルキイアがチュニックを選んでくれてホッとしていた。
準備を終えて家の外に出てきた所で、一番に目を引いたのは、ブンブンと風を起こしながらお座りしながら尻尾を振るスノウの姿だった。
『うあぁ、すごい嬉しそう……』
「ふふ、ですね」
ユキアの近くには隣接して住んでいる人も居ないため、注目を浴びて村人が集まって来てなかったのが幸いだった。
しかし、あまりに長時間この状態だと気付かれると思うが。
『巫女?女神サマ?モドッテキタ?』
スノウは懐かしむように、頬を足へすり寄せてくる。
「確認したいことがあって、巫女の体を借りる事にしたんですよ」
『スノウ、ナンデモ手伝ウ』
「ありがとう」
『スノウさんに、乗っていくんですか?』
以前、ユキアはタモトにスノウに乗ったことを聞いていた。また、村の子供の何人かも子守りと言う名の玩具にされているようなしがみ付かれた状態で乗っているのを見た事があった。
「んー、今日は先約があるのよね。もうすぐ来てくれる頃だと思うのだけれど」
『そうなんですね?』
『クゥ……』
大事な人の為に活躍できないらしいと知ったスノウは、明らかに落ち込んでいた。
『イッショハムリ?』
『スノウさんは、大きいですもんね』
「あら、私も久しぶりに一緒に居たいわ。大きいのは問題じゃないのだと思うのだけれど?」
『イッショデキル?』
「スノウは忘れちゃったのかしら?昔は大きくも、逆に小さくもなれたでしょう?」
『……スノウ……忘レテタ』
スノウが言うには、ユルキイアと離れて過ごしていくうち、狼の群れの中で力を示すために大きい体でいることがほとんどになったそうだった。
小さくなる必要性を感じる事も無く、大きい体のままが楽になり染みついていたらしい。
『えぇぇ!嘘ぉ!』
ユキアは目の前で縮んで小さくなり、20㎝程の小型犬というより、子犬サイズになった事に驚きを隠せなかった。
出会った頃は、目が合うと一時期は恐ろしかった目を塞ぎ潰れた傷も、今はちょっと可哀想という印象の傷跡になってしまっていた。
『デキタ!ムカシト同ジ』
「そうね」
ユルキイアはスノウを抱きかかえると、毛並みを思い出す様に撫で始め。その感覚を共有するユキアもまた、癒されていた。
『迎えが来るんですか?』
「そのはず、なのだけど……。体を借りているこちらでは、連絡の方法も限られているから」
そう言いながら、ユルキイアは周囲を見回しているが、視覚を共有しているユキアにも迎らしい者は何も見えない。
ふいに、周囲がやや暗くなり、ユキアは雲が太陽を隠したのかと思ったほどだった。
「あっ。来たわね」
『良かったですね……』
ユキアは何故か見上げた視線を向けるユルキイアと共に、視線の先に迎らしい者が来たらしい事を知る事が出来た。
どうも日の光を遮っていたのは、まだ小さい飛竜の影だったようだ。
『あぁ……飛竜ですか……空かあ、怖いなあ』
「速いんですよ」
『でも、上から見ると遠くまで見れて、綺麗……なの……か……な……ぁ』
ユキアの目の前で徐々に大きくなっていく、飛竜の陰を見ながら、ユキアは一つ思い違いをしていた事に気付いた。
『……ド……竜』
「あらあら」
ユキアはユルキイアに預けていた体の支配を奇跡的に取り戻し、人生初で突然の竜との遭遇と驚きからペタンと腰が抜けて地面に座り込むのだった。