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日常では感じる事のない浮遊感、胃や腸が重力に反して持ち上げられる不快感は得てしてジェットコースターやバイキングの揺れに似ている。
「お兄ちゃん!ひゃほー楽しぃー、はははははっ!」
「ぎょえええええぇぇ」
俺の絶叫の声に負けないほど、隣ではしゃぐ妹の麻里の声は歓喜しか聞こえなかった。
あぁ、これって俺が高所恐怖症になった原因の一つの記憶だ。
妹にせがまれ、テーマパークへ行き、スリル満点を売り文句にしたジェットコースターに乗った時が、俺の無意識に高い所は怖いと体に刻み込まれた思い出だった。
「来るよ、来るよ、お兄ちゃん、おお!おぉ!!キタァー!!!」
「……ぎゃー!!」
ジェットコースターにありがちな、平坦と落下、急上昇の組み合わせに歓喜する妹の麻里の姿が横にはあった。
ノースリーブとショートパンツの遊ぶ態勢に準備された洋服の14歳になる妹の姿がそこにあった。そう言う自分も、17歳の高校2年生だった事を思い出す。
そうだ、この記憶は3年前の夏の記憶。遅めの梅雨が明け、夏休み初旬に妹にせがまれて行ったテーマパークでの記憶だった。
「ふはー終わったぁー」
「終わった?ほんとに、終わった?」
ジェットコースターが止まっても、妙な浮遊感が残る身体に体を固定するバーが上に上がっても手先が妙に痺れ、腰から下が脱力していた。
「ま、まって、腰が。腰が……」
「へ?もーしょうがないなあ、ほら、手」
14歳の妹に手を借りながら、ようやく立ち上がる情けない自分を感じながら。妹の手の温もりを今も思い出す事が出来る。
「お兄ぃ、情けないなあ。そんなんじゃ、彼女出来てもジェットコースター乗れないじゃん」
「そん時は、そん時」
「どうだかねー。さてとー次はどこに行こうー」
少し休憩したい思いもあったが、次も同じようなアトラクションに乗せられたら、もう立って歩いて帰れる自信が無かった。
それに、妙な汗もかいてしまって、ゆっくりしながらそれでいて自分の得意な方が麻里への兄の威厳ってものを回復したかったからだ。
「麻里、あそこにしよ」
俺は、少し先にある廃屋をイメージしたアトラクションを指さす。確か某体感型シューティングゲーム『バイオ・テロ』というシリーズをリアルに再現したアトラクションだったはず。
「うげっ、ホラーって苦手」
「ホラーじゃなくて、ゾンビだって。それに少し日も暑いしさ建物の中は涼しいと思うよ」
だいたい、こういうアトラクションは、あえて室内温度を下げてある場合が多い。時には地下や牢獄の場合の例外では湿気が調整してある事が多いが、今は何よりジェットコースターやバイキング等の連続での乗車を回避しなければならなかった。
「だいたい、死体が動くわけないじゃん」
「それが良いんじゃね?ありえないーってやつ」
「でた!ゲームマニア……。ほんと、こんなお兄ぃに彼女が出来るか心配だわ」
ゾンビなんて嫌だ矛盾してると拒みつつも、渋々アトラクションに入っていく俺達。
進むごとに、ビクッビクッと縮こまる麻里の姿を楽しみながら、ジェットコースターでの汚名を返上出来た気分でいた。
『懐かしいな。これが麻里との一番楽しかった最後の思い出だっけ』
それにしても、何故今になってこんな夢を見るのか。
結局、妹が亡くなり。自分の進路に悩みつつも大学進学を決め。ようやく落ち着いた頃には、夢を見る事も少なくなってきていた。
だが、時々は、今この場所に妹が居たらと感じてしまう事は多い。
あぁ、そうか。身体に感じている浮遊感。風を感じる肌の感覚が、昔の記憶を呼び覚ましたのだと思いいたった。
徐々に思考が内側から外側へ発していく感覚。夢から覚める感じに似ていた。
キュイ!
「ん?タモトさん!起きましたか!?」
自分の背中で起きた気配に気付いたのか、キアが声をかけてくる。
この鳴き声も、飛竜のアルクだったっけ。
まだ、覚醒もいまいちで瞼もボンヤリとだけで視点があっていなかった。
「う、ぅん。寝てた?」
「んー寝てたというか。気を失ってたと言うか、ごめんなさい」
キアは何と言っていいものか、苦笑いをしつつ教えてくれる。飛竜で飛び上がった事で意識を失ってたって恥ずかしいな。
あっ、まあ、今は女性の姿だから良いのか?あれ、中身は男だし。本当に良いのか?
でも、意識を失うって、こっちの世界に来る時や、ゴブリンとの戦闘時以来だ。
格段に元居た世界では、意識を失うってお酒を飲みすぎる等でしか無いからな。
「あの、大丈夫ですか?」
キアもアルクと飛翔する高さをわずかばかり下げてくれる。山間の峰の高さ数十mから、木々の先端すれすれに届くかどうかの高さ十数mくらいだ。
そのわずかな違いでも、森がすぐ見える分で足元の喪失感はいくぶんと和らいだ。
キアに腰ひもとタスキ掛けで身体を固定されているとはいえ。腰に回す手にいくぶんと力が入ってしまう。
「んぅ、タモトさん、ちょっとくすぐったいです」
「あぁ、ごめん。これなら何とか大丈夫。」
わずかに身をよじるキアに、手の力を緩める。
「キアちゃん、まだ結構かかるの?」
「えーと、日が落ちる前には着けるかと思います。今なら方角も気力もバッチリなので」
「そっか、日が落ちるとなると。あと1刻と半くらいか……」
飛翔する横に見える山々から日の昇っている角度を見つつ、夕刻になる時間を計算する。この世界に来てから、腕時計を持ってきていない事に気付いてから体感で1日の時間の流れは主に太陽の傾きと、アロテアの街に滞在した時の時報で修正する事が出来ていた。
夜間は完全に体感時間となってしまうが、最近は時計の有った頃を懐かしく思ってしまう。
「どうかしました?」
「いや、割と早くつけるのかなって思って」
「ハイ、昼間ならアルクの目もありますし、気温も暖かいですから。夜だとどうしても周りも分らないし、体温も下がっちゃって」
「あぁ、変温動物なのね」
「ヘン、おん?」
「ごめんごめん、寒さに弱いんだねアルクって」
「そうなんです、雨が降る日なんて最悪でしかなくて」
そういうキアが、どういった経緯で首都まで飛翔してきたのかの説明を聞きながら、今向かっている場所も国境近くの村なのだと説明を受けながら飛翔していった。
「でも、アルクと一緒に乗せて連れてくることも難しかったんだ?」
「私もそうしたかったんですけど、皆が雨も降っててアリシア……病人の体力が心配だって」
「そっか……」
キアから聞いた話では、専属の治療師が処方した薬も吐き出してしまい飲めない状況だという。それに熱も上がり、すでに3日が経つらしい。
アリシアという少女の話を聞くと、キアには明確には言えないがかなり状況は厳しいと思ってしまう。
そう言えば、妙に静かだ。いつもなら、キアに会えた事でミレイが何かしら言っても良いようなものだが。
『ミレイ?寝てるのか?』
『……』
意思でのコミュニケーションにも返事が無く、身体の魔力路の治癒を任せているミレイも疲れているのだろうと思ってしまう。
特に身体に怪我をしている訳でも無く、昨日から徐々に倦怠感も和らいできた様子だった。やはり、魔力が少しずつ漏れ出ていたのだろうか。
「あっ、あそこが最後の見張りの砦です」
「へえ」
キアが少し喜んだ声色で説明してくる。先程まで気を失って居た為、最後と言われても俺にとっては初めて見る砦だった。
砦と言っても、物見櫓のついた関所兼警備兵の詰所の様だと感じてしまう。木造に組まれた櫓の上には今も一人警備兵が居るのが見える。
キアは右手をアルクの手綱より離し、左右に手を振っていた。
「知り合い?」
「ええ、ちょっとお世話になりまして」
そう言いながらも、視線を櫓へ向けると、あちらも気付いたのか手を振り返してくれていた。
「さあ、もう少しです」
キアの指さす方角には、今は霞んで白く見える国境の山々を遠くに眺めながら、今はただ自分に出来る事が有ればいい。間に合って欲しいと思う事しか出来なかった。




