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我々(ラソル)の国から隣国の国境まではそう遠くは無い。途中2日程は休まないと行けなかったが、先に向かったとされる姫様とその一座に追いつくには自分一人の足ででも追いつくには十分に余裕があると思っていた。
そして、姫様方には二日遅れだが、先程アブロニアスの国境を越えた所だ。
峠の丘陵の隙間に延びる街道を、城壁と言うよりも石壁と見張り台のみがその場所が国境である事を示していた。
自然と人が留まる場所には、簡易のテント店や宿泊所らしい建物が数件立ち並び、それを左右に眺めながら私は歩いていた。
「やはり、まだ尾行されている?」
まず、考えたのは宰相へ無理を通して出立してきた、自分への伝令か何かだと思っていた。しかし、後方から感じていた気配は、一向に私へ近づく様子が無い事に疑問は警戒へと変えるには十分な理由だった。
確信へと変わったのは、2国の国境を越えた後だ。このままアブロニアスの首都へ向かう旅馬車に同乗させてもらっても良かったが、相手の出方が分からない。
ただ行動を監視されているだけか?それとも何かの接触がされるのか?もし後者の場合には、少なからず抵抗しなければならないし、他の旅人を危険にさらすわけにもいかない。
そして、流石に先に出発した姫様方に急いで合流したいと思ってはいても、先日の負傷した傷は完全には治癒していない。いや、完治するまで治療を優先させようとする面々を説得し出立してきたのだ。
その治癒をもっと重傷な部下達に使ってくれと依頼してきた。
しかし、悪い事ばかりではない。姫様方一座の情報もわずかながら手に入れる事が出来た。国境を警備する衛兵に、それとなく一座の見世物の事を話題に聞いたのだ。
「へえ、それは良かったな。俺達でさえ兵役の無い時期でも来なきゃあ、ゆっくり見に行く事も出来ないぜ。そんな一座がここを通るとあって、こいつがキアちゃん、キアちゃんって五月蠅くて昨日は仕方なかったからな」
「ふん、それは悪かったな!あぁ、でもよ。俺の方の担当じゃなかったんだぜ?お前の方だったんじゃないか?」
「そんな事隠すかよ。大方、お前の気持ち悪さを敏感に感じて他の奴の担当になったんだろ?」
「確かに可愛い娘でしたね。人気も凄かったです」
「だろ?あぁ、すまないな。里帰りか?にしては、身軽だな」
「ええ、一人旅だと大きい荷物はきついですし。それに、急な休みをもらったもので」
「そうか、雨は降らないと思うが、寒くなってきた季節だ。気を付けて行きな」
衛兵に見せた身分証は、ラソルにある商隊の身分証を見せていた。正直、里帰りではもちろんないし、近衛騎士隊長である自分の正体が露呈すれば、軍事侵攻と思われても仕方ない状況ではある。
しかし、国境で時間をとってしまった事が、私を追跡する者に気付けた理由でもあった。いつから尾行されていたのか?ラソル国内ですれ違った商いの馬車の商人ともほとんど会話らしい会話はしていない。まさか、二日前の出立した時からなのか?だとしたら、今さらながらに自分の未熟さに歯噛みして悔やんでしまう。
せっかく見世物一座に紛れて首都へ向かっていると聞いた姫様方への警戒を向けるべきではないからだ。
「いらっしゃい」
「あ、あぁ」
周囲を伺いつつ、お土産物に興味を示す素振りをして微かに後方へ視線を向け確認する。
5人か……子供連れの夫婦、そして、男女?その二人はフードを被り、距離は50m以上離れているため、様相は見えず背の高低差からの推測にすぎなかった。
盗賊の荒々しさとは違う、首筋にまとわりつくジリジリとした威圧を感じ、視線を店先へ戻した。
「くっ……」
太陽は傾きかけ、一刻もしないうちに夜の時間となる。
このままやり過ごしてみるか?気付いていない振りをして宿へ泊る事で興味を失わせる事が出来るだろうか?
相手が二人だけとは限らないが、今以上には確認のしようが無かった。
ひとまずは、一人に孤立しない方が良いだろうと思い。店先から、人の多そうな場所を探して見回すも、街道には停車している商人の馬車も無く酒場といっても腰かけ椅子の並ぶ露店の食堂の域を出ていない様子だった。
「どうかしたかい?」
「いえ、ここら辺で人が集まる場所はどこですか?」
「ここはさ、見ての通りお土産物屋しかないからねえ。夜になったら少しは人が集まるとは思うけど」
店員の中年の女性も、商売気も乏しく話を返してくれる。
「宿屋や酒場は?」
「ああ、休憩する所をお探しかい?確かに、あんたみたいな娘が峠の宿を使うのはお勧めできないねえ」
「ええ、出来ればそうしたいなと、近くにありますか?」
「私達の村が近くに有るっちゃあるけれど、そんな良い所でもないよ?まあ、ここよりはましだけどさ」
適度に勘違いをしてくれた店員の返事に耳を傾けつつ。背後への注意も最大限に向ける。防寒と武器を隠すための外套の上から長剣の位置を手で触れて確認する。
あえて、気付いていない様子を見せる事で、相手の出方を見るしかないと判断したのだ。
いつから追跡されていたか分からない故に、変に身構えない方が相手の警戒心を高めない事を
優先した。そう、考えるうちにアブロニアスの首都までは姫様方に追いつかない方が良いという選択肢も考えるようになった。
「その村は遠いの?」
「遠くなんてないさ、歩いて半刻って所かね。若いあんたならそんなに掛からないだろうさ」
そうする間、後ろを子供と夫婦、二人の男女が通り過ぎていく。
威圧感の強まる様子も無く、どうやら、街道で仕掛けてくるつもりは無い様子に息を軽く吐く。
ドサッ
「リリ!」
「ふ、ふぇええええっ!」
歩いていた女の子が、小石に足がもつれたのか転んだあと、突然に泣き出した。
その出来事に不意に男女の二人連れも視線を向けていた。
男性の方は顔立ちも分からないが、女性と思っていた方はフードからこぼれる蒼い髪……。
「どこかで……」
「あらま、大丈夫かしらね」
「ええ」
転倒した女の子を父親らしい男性が抱え上げ、宥めている様子だった。
「ありがとうございました。あ、地図はありません、よね」
国境の、しかも露店に地図が売ってあるはずもなく思考の中で自問自答したが一応聞いてみる。
それに話を聞いて解決方法もボンヤリと選択する事が出来たのだ。何かしら商売の利益になるものを買っておいても良いだろうと思ったからだ。
対外交として、詳細な地図と言うのはそこらへんの店に売ってある事は無い。地形や村の場所、川の位置など重要な配置を示した価値は金貨数枚にも価値がある。
「ちょっと待ちな。道を書いてやるよ。何なら、私と一緒に帰るかい?人通りも少ないし、もう店閉めしようとしてた頃合いだしね」
「いえ、そこまでご迷惑をおかけできませんし。あ、商隊がもうすぐここを通ると思いますよ」
「あら、そうかい?それならもう少し待つかね」
商人が通る情報も確かな事だった。少しは遅い足取りだったが、後ろより来ていた商人達も野宿よりも国境までは何とか到着するだろう。
店の利益があがるかは、店員の腕次第だが、私が提供できるのは情報くらいしかない。
笑みで簡単な地図を描いた紙切れを手渡され、私は再び街道を歩きだした。
男女らしい二人組を視線の端にとらえつつ、相手が何者かを考えてみた。
自国ラソル内の反勢力では無い事は、すぐにわかった。自分一人を追ってきたにしては、観察しているのみで何かの挑発をしてくる様子が見受けられなかったためだ。
それに、周辺領主に反抗する余裕は無いと言うのが実情でもあった。隣国からの小規模ながらの攻勢に怯え、いざとなれば国王に助力を求めなければいけない立場にある者達は、国と教会に逆らう事の愚かさだけは、徹底して学んできたからだ。
「二人……」
隠れている仲間が居るかもしれないが、今自分が気付けたのは二人。
そして、外套を頭より被っている身長に差のある男女と思われる姿。
「まさかな……」
つい先日、私の小隊を全滅に追いやった二人組を思い出す。いや、正確には少女と思われる一人に全滅させられたのだ。
今でも、両手で振り下ろした長剣ロングソードに伝わってきた鈍い衝撃を思い出す事が出来る。あの意識を失った後、よく命があった物だと自分ながら不思議でしょうがなかった。
それに、石商邸での事は、最後の方は自分でもよく覚えていない。相手の魔装具らしいものに阻まれた事、そして、魔陣で反撃された事は報告している以上に伝えれる事は無かった。
相手の顔も……結局は夜の闇と外套に阻まれ見えなかった訳だが……そう、あの時、最後に見上げた時に……。
「蒼い、髪の……少女」
急に思考の中で結び付くものがあった。それと同時に、意識せず不意に立ち止まってしまう。
見間違いなのか?蒼い髪を持った人は少なくは無い。大陸の西方では、珍しいかもしれないが、北方では約半数に行かないまでも似た色を持つ人種は多いと聞いた事がある。
大陸の中央に位置するラソル国には四方から様々な人種が交易に来るが、ましてや追跡されていると気付いた相手も蒼い髪をたまたましてただけなのか。
もし、同一人物だった場合、先の戦闘の事を考えると、傷の完治していない自分に勝ち目は無い。いや、完治していたとしても、次は勝てるという対策は何も思い浮かばなかった。
「お父様、お母様……姫様」
最悪な状況の場合、自分は再び故国うまれたくにの土を踏めないかもしれないと自覚し、再び外套の上から長剣ロングソードを確かめる。もし、襲われた場合には自衛以外の使い方も考えなくてはいけなかった。
「ん?気付きましたか」
「……」
気付いたと言う相手も、どうでも良い。命令が有れば動く、ただそれだけだ。
横を歩く上官は、何が楽しいのかクククと笑いながら呟く。
先程もそうだ、道で転んだ少女を見ては、同じ様に笑うのだ。そんな頭のどこか違う上官と行動を命じられてそろそろ一月が経つ。
未だに、この上司が何を考えているか理解できないし、理解しようとする努力はしない。
私は無駄な事はしたくないのだ。
命令され私が実行する、その関係以上に必要はない。
「賭けは、私の負けですね?」
「賭けなんてしてない」
上官の頭の中では、勝手に賭け事になっていたらしい。勝ったらしい私は何か貰えるのかな?いや、きっと意味のない賭けなのだ。
ただ、こちらから何かを出せと言われるのは無理な話だ。勝利条件も報酬も何も知らないからだ。
『ルミさん、大目蜂ビッグアイズビーの巣を退治する方法は分かりますか?』
『……』
ルミが誰の事を言うのか考えるまでも無く、いつの間にかルミと愛称が決められていた事に突っ込む事もなく、先日突然聞かれたことがあった。
突然何を言い出すかと思えば、大目蜂ビッグアイズビーとは一般的な事しか知らない。体長30㎝程の獰猛な肉食で、一つの巣に数百匹いると言う位しか思い出せなかった。
もちろん、返答するでもなく無言で返した。
返答する無駄も省きたいからだ。
『一匹一匹退治しますか?冒険者ギルドみたいに?ならば、どこかにおびき寄せて一網打尽ってのも良いですが面倒ですよね?』
『……』
『それに、次から次に生まれてくるんではどうしようもありません。ククク』
上官が何を言いたいか分からないのはその時だけではない。しかし、質問だけして回答をはぐらかす上司よりはよっぽど良い。
私に一問一答を求められるならば、それに勝る精神的苦痛は無いからだ。
『そうそう、生まれてこなくすれば良いんですよ。女王蜂や候補を潰せばね』
『候補?』
『大目蜂ビッグアイズビーは王台といって、一つの巣に女王蜂一匹ですがね。生まれた女王蜂候補は巣立つか古い女王を喰うか、まあ、蜂の世も文字通り弱肉強食ですね。ククク』
『……』
まあ、蜂の話で何を言いたいのか全く分からない。まあ、私には分からなくて良い事だと思う。
珍しく私が聞き返したことに調子が乗ったのか、上司の再びクククという笑いが続く。
何がそれほど楽しいのか。
『それで、ラソルの巣から女王候補を見失いましてね。どうも、こちらが忙しく目を離した隙に飛んで行ったのかもしれませんが。運良く巣から出てきた働き蜂を見つけれたのは僥倖でした』
上司の言う働き蜂が誰の事なのかは、初め聞いたときは分からなかったが、今では後ろを歩く騎士を指している事は次第に分かってきていた。
先日ラソル国から奪った武器を、仲間に手渡す為に離れた時の事を悔やんでいる様子でも無かった。逆に騎士を見つけたその時から、先程の笑いを何度聞いたか知れない。
騎士がどこへ向かっていても私には関係が無い。行く先に、上司の言う女王候補が居なくても良いのだろうかという疑問も口に出すことは無かった。
言ったら最後、上司が不機嫌になり夕食のおかずを減らされる事になるのは困る。
「襲うの?」
「まだですよ。さて、どう動くんでしょう?何が出てきますかね?ククク」
上司は、今はまだ襲わないと言う。逆に楽しいお土産の箱を開けるように嬉しげにも見えた。
私にとっては、騎士を襲わないなら。それ以上でも、それ以下でもない。
それよりも、上司には、そろそろ夕食の方を考えてほしい。
私は生まれた月日も分からず、おそらく15か16歳位だと思っている。若く育ちざかりでもあり、魔陣を使う自分は、すこぶる燃費が悪いのだ。
「……お腹すいた」
「そうですねえ。蜂蜜が食べれると良いですねぇ」
クククッと返事を返す上司の返答からは、あと数刻以上は食事を取る様子は無さそうだと諦めるしかなかった。
私は、外套ローブから零れ落ちた髪をかきあげ、再び外套の中に収めると、立ち並ぶ屋台の焼き鳥の刺さった串に目線を向けながら上司の横を歩いて行った。




