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大切な物を無くしてしまった……。
薄々分ってはいた現実を目の当たりにして、横の明かりの射し込む窓が照らす光だけでは心の中に空いた寂しさを紛らわせる程では無く、逆に薄暗い室内を浮き上がらせ哀愁を漂わせてしまっていた。
決して、尿意を我慢していたから体調が悪くなった事が原因では無い。
有った存在が急に無くなった喪失感と何故か沸き起こる悲しさは、文字通り体の一部として過ごしてきた20数年感覚が不意に無くなっていた為に起こった事だった。
「何?そんなに我慢してたわけなの?顔色悪いわよ」
トイレを終え、部屋に戻って一番初めにクリスに言われたのがその言葉だった。
「いや、ちょっと、ねっ……」
『大事なのものが無くなってたからねークスクス』
『ミレイ……見えてたのか?』
『あれだけ、声に出してたら聞こえちゃうさー、「あぁ、やっぱり、俺のむす……」』
『言わなくていいから!』
『キャハハハ』
「何なのよ……?」
ミレイが俺の口調を真似して、先程俺が個室で呟いていた言葉を言おうとするのを止める。決して、クリスには聞こえない会話のやり取りなのだが、まさか先程の独り言をミレイに聞かれているとは思わなかった。
向かい側ではクリスがこちらを怪訝そうに見つめながら、机の上の書類を集めている最中だ。
あぁ、そう言えば神痣の事について聞かれている途中だった事を思い出したが、興味が反れたのかクリスは別の作業の準備を始めたみたいだ。
「仕事の準備?」
「仕事って程じゃないわ。結局研究なんて個人作業と記録と調査の繰り返しよ?今日は本腰を入れて記録をまとめなきゃ」
「へえ」
「でね、シャーリーと一緒に朝食でも食べて来たら?私はしばらく部屋に居るから」
そうクリスは、助かるわと告げる。クリスの真似をしてシャーリーがなかなか朝の食事を食べない。その為。お菓子を食べる事が多くなってきたことを心配していたようだった。
「ね、シャーリー、一緒に朝食に行ってきて」
「食べなくていい」
「ね?こうなのよ」
クリスの話にシャーリー即答して返事をした。その返事にクリスはふぅと溜息をつき半分諦めている様子でもあった。
『シャーリー、ご飯食べないの?』
『あぁ、クリスに付き合っている内に朝を食べない事が多いらしい』
「……ん?」
何か俺からも言われるかと思ったのか、シャーリーはこちらを向いたまま見つめられ。
「ミレイも、心配してるけど、やっぱりご飯行かないのか?」
「えっ、ミレイちゃん?」
『そだよーシャーリー』
おそらく聞こえて無いはずだが、ミレイの声が頭の中に響く。
シャーリーはこちらへ向き直り、キラッと緑色に変化し輝く瞳が彼女の異能を思い出させる。
ダッとシャーリーに目の前に駆け寄ってこられる間に避ける事も出来ず、30㎝程の距離で彼女の緑に輝く瞳に覗きこまれる。
何故か、緊張を感じるよりも目をそらす事も出来ず、その瞳の輝きに吸い込まれる感覚を感じてしまった。
「ちょっ、っと……近」
「虫、うるさい」
「ぐっ」
シャーリーに脛を蹴られながらも、瞳から目を離せず蹲る事も出来なかった。
『シャーリーちゃん!分かる!?』
『分かるよ!!ミレイちゃん!あぁ、ミレイちゃん!』
ブハッ!何だこのシャーリーのテンションの違いは。虫だの蛹だの潰すぞと俺へ言ってきた同一人物とは思えない少女の声が頭の中で響く。
そう言えば、朝の一件以来ミレイが覚醒していた事を二人に伝えていなかった事を思いだす。
『良かった、もうしばらく会えないかと思ったの……』
『うん、ミレイも頑張るからね!』
『うん、うん、寂しいよミレイちゃん!』
「ちょっと、二人とも頭の中で話すのはやめ、痛ぁっ!」
勝手に頭の中で話し出した二人に講義を言う事も出来ず、シャーリーの無言の脛蹴りで騙らせられる。
涙目を浮かべながらも、二人のやり取りを終えるのを待つしかないのかと思った時だった。
『シャーリー、朝ご飯きちんと食べないと駄目だよ?大きく成らないよ?』
『おっ、良いこと言ったなミレイ』
『えへへっ』
ミレイが照れながら頭を掻いているイメージが湧いてくる。
『虫、入ってくるな』
『くっ』
何だろう。今に始まった事では無いが、先程の脛の痛みとは別の涙が浮かんでくる。
大丈夫……確か、シャーリー、許してくれたんだよな。
微かに自信を失いつつも、二人との間と俺との間に距離を感じずにはおれなかった。
『ね?シャーリーご飯にいこ?』
『う、うん……』
何だろう、結局はミレイがシャーリーを説得した事になりそうだが、引率は俺がしないといけないって事だろう。
クリスは既に、机で作業に入っているのか俺達3人のやり取りに興味は無い様子だった。
「シャーリー、さん?行こうか?」
「……」
再び見つめられた瞳は既に緑の輝きも消え失せ、先程まで魅入られていた体も自由に動かせる様になる。しかし、俺の促しの言葉には、無言のままだが後ろを付いてくる様子だった。
「行くんだよね?」
『レッツゴー!行きましょー!』
ミレイの声が元気に頭の中に響くが、シャーリーはそれを聞こえたのかどうかコクンと頷くのみだった。
そして、俺とシャーリーの二人はクリスを残して部屋を出る。うん、きちんと後ろはついて来てくれているのを確認する。
「出てきたのは良いものの、何処に行こう……」
首都の地理に詳しい訳でも無い。この学術院に食堂なんてあるのか?給仕の様な人達も昨日から見かける事も無い。
クリスの話していた内容からも、研究生個人で調理するか食事に行くかと対策をどうにかしているのだろう。
無難に外に行ってみるか?
「……ミヤ爺の気まぐれパンケーキ」
「はっ?」
「パンケーキ、絞りたてのミルク」
「何っ?ミルク?」
「パンケーキ、ミルク、イチゴの乗ったプディング」
何だ?呪文の様に後ろからシャーリーの声が聞こえる。しかも、どんどん内容が増えていく。
「もしかして、食べたいの?」
言葉での返事の代わりに、コクンと頷いた後、呪文の詠唱は終わったようだった。
俺とシャーリーは前後に並びながら廊下を歩いていく。傍から見れば兄妹には、見れないだろうな。
「トカゲの匂い」
ん?トカゲ?廊下を歩いている途中に不意に後ろを歩くシャーリーが変な事を言いだす。
振り返ると、シャーリーは外に面した窓から外を眺めていたようだ。その視線を追って外を見ると、後姿だが見知った印象の少女の姿があった。
「あれは……キア?」
何だろう、駆け足かと思える程に近い速さで学術院の門扉へ駆けていく少女の姿が見える。確かに間違いない。先ほどエカードの部屋で会った格好のままのキアの後姿を思い出す。
まだ、エカードの部屋に居ると思っていたキアの姿に驚き、彼女が持っていた荷物にまで認識する事が出来なかった。シャーリーに言われなければキアに気付けるはずも無かった。




