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キアが言った言葉により、残された自分も含めたエカードやハント達もまた苦虫を食んだ様に表情をしかめていた。
静まった雰囲気は、話を再開するには難しく皆が顔を見合わせる。それぞれが重い空気を吸ったように吐き出すしかなかった様だ。
「タモトさん、キアの言った事を気にしないで下さい。後で話をしておきますので」
「え、ええ。でも、本当に良いんですか?」
何をとまで具体的に言う必要も無かった。本当に自分の神痣の力を必要としないのか?と聞いてみたかったのだ。
「本音を言えば、この首都にタモトさんが居てくれた幸運を喜ぶべきなんでしょう。ですが、タモトさんの力を借りて、それでもしダメだったら?誰が関わったのか。その場に誰が居たのか調査されるでしょう。そして最悪の事態の時にはもちろん、隣国の姫の体調の不良を知らなかったとは言え、行動を共にしていた我々一座も御咎めなしとなる理由にはならないでしょうね」
「ふむ、確かに任務の失敗だけでなく隣国との関係の悪化にもなるか」
「ええ、それに……」
その後の言葉を続けようとしたハントの視線がこちらを向き見つめられる。その表情からは、言って良いのかどうかを迷う困惑が浮かんでいた。
「それに、タモトさんもあまりにも前と変わられた様子ですし」
確かに、ミレイと融合した状態を認識して数時間しか経っていない。この状況で、体調は万全ですか?と聞かれて、大丈夫ですと言えるほど自分自身が万全で充足している感じはなかった。
「でも、助ける事ができるなら。自分は……」
不安と共に自分のこれからの事で精一杯の様な気も起きてくるが、そう思いつつも思い出すのは昔助ける事が出来なかった大切な妹の姿を思い浮かべていた。
しかし、ハントに止められてもなお、キアの事情を聞いた今は、自分に出来る事が有るのなら力になりたいという思いも心の片隅から徐々に大きくなりつつあった。
「タモト君、急に朝から来てもらいすまなかった。神痣と先日報告を聞いて私も浮き足立っていたようだ。ハント君達のおかげでまだ打つ手は有りそうだ。さすがにタモト君の名が公に出るのはリスクが大きすぎる」
エカードは、こちらの思いの変化に気付いたのか、明確な返答を聞く前に話を転換する。今はまだ、迷いを抱いたまま結論を急ぐ必要は無いとそれぞれが思ったのかも知れない。
「そうですか」
同席していたハントとエミルも同意見らしく頷いてエカードの意見に肯定する。確かに自分自身神痣を使えるからと、万能感を抱いた事は無い。
結局は、自分に有るのは神痣を織る事が出来る知識が有り、少しばかりの大きな魔力を保持しているだけだ。
魔陣自体の多様な知識については、目の前に居るエカードの方が熟知しているだろうし、自分は簡単な魔陣をアレンジしているに過ぎないと思う。
感じている事を言えば、今現在の魔力で細かく模様を縫えたとしても、糸自体は綿の糸の様に切れやすく粗い魔力であり、理想とする女神達の見せた蚕の糸の様に輝く魔力の糸にはなっていないのを実感している。
また、その変化は突然に起こるのか、それとも何年も掛かり魔力が熟練すれば上質にランクアップするものなのか今の時点では分らない事も多い。
エカードであれば知っているのかも知れないと思うが、今の話し合いの雰囲気では場違いな質問であり、また時間の空いた時にでも聞いてみたいと思ってしまう。
「長くなってしまいましたね。エカード様、妹を休ませて頂きありがとうございました。今日も一度シャーベ宰相の所へ伺おうと思いますが。戻るまで、今しばらく隣のお部屋をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、私の方は構いませんが。エミル君もハント殿とご一緒するのかな?」
「いえ、私は出発の準備が有りますので館へ戻ります」
「ケイル村か、気を付けて行ってくるといい。何か手伝えることが有れば遠慮しないで言ってくれ」
「はい、先生」
結局は何かを頼まれる事も無く、皆席を立ちエカードは自分の部屋から見送る形で自分達3人は部屋を後にした。
「早かったのね?」
この学術院で自分が戻る部屋と言えば一か所しかなく。クリスは部屋に入るなり、予想外だったのかすぐさま聞いてきた。
シャーリーの方は、チラッとこちらを見ただけで窓辺に置かれた鉢植えに水差しを傾け、こちらへの興味は既に無くなっている様子だ。
「ああ、確認したかっただけだったらしいから」
「確認って神痣?」
肯定の意味で頷いて返答する。
「ふーん、そう。ねえ、私も詳しくは聞いてないから分らないけれど、それ(神痣)って本当なの?」
クリスは自分の額を指さして、俺の神痣のある部分を示す。
「大した事は出来ないけれどね」
「本当そうなの?先生方も興味が有る事なのに?謙遜じゃないでしょうね?まさか、本気を出せば森を焼野原にしたり、山を吹き飛ばせるとか言わないでしょうね」
「クリス、何か変な本の影響受けてないか?」
「失礼ね!じゃあ何が出来るのよ!?」
クリスの見つめる目がキラっと輝きを反射している様に見える。その輝きを見つけた途端、昨日から幾度となく感じた悪い予感を感じ背中を汗が伝ってしまう。
あぁ、こんな所は女性になっても変わらないんだなと妙な安心感を感じてしまった。
その緊張感を解き安心感を感じたのがいけなかったのか、体の一部が急激にある欲求が増大する。
「くっ、ごめん、クリス。お願いが有るんだけど」
「え?何よ」
逆に頼まれるとは思っていなかったらしく、クリスの好奇心の瞳に驚きが混じる。女性の方が男性よりも我慢がし難いとは聞くけれど、これはそうかも。
「朝起きて、そろそろ行きたいんだけど……」
「何よ。お腹すいたの?意外と食いしん坊ね。買い置きなんて無いわよ?基本私は朝は食べないし」
「いや、違うくて!」
「何よ。他にどこに行きたいって言うのよ?」
好奇心を邪魔された為か、または、はっきりと言わない俺に苛立ったのか。若干クリスの尋ねる語尾が強くなる。
「いや、だから、と……れ」
「んっ!?取れ?」
すでに口調からはクリスの精神的な我慢も、俺のある一部の身体的な我慢も別の意味で限界に来そうだった。
「……といれ、行きたい……んだけど」
「といれ……ぷっ、ハハハハハ。トイレね。どうぞどうぞ。こっちよ」
クリスは爆笑しながら、目頭の涙を拭きつつ寝室側の扉を開いて案内する。
後ろでは、微かに聞こえるシャーリーのクスクス笑いが妙に耳に響いていた。




