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「……ア?……おい、キア?大丈夫か?」
私の名を呼ぶ声に視線を上げると、驚きと心配の混じった表情をした兄ハントの顔があった。
見つめる顔にはいつになく困った表情を浮かべている。
「ん……兄ちゃん?」
「キア、大丈夫か?」
再度、確認し聞いてくる兄の声に、今自分が居る場所を確認するために周囲を見回す。
あれ?意識が抜け落ちている部分を自覚し自分が立ったまま寝落ちしていた事に気付く。
お兄ちゃんの後ろには、ここに案内してくれた衛兵の兵士。苦笑しながらも視線を向けて見つめてくる初老の男性。並ぶ椅子の向こうには立ち話をしている男女もこちらへ怪訝そうな視線を向けてきていた。
「ご、ごめんなさい」
「あぁ、大丈夫か?よっぽど疲れたのか」
「う、」
自分の居る所が、夢を見ていたのか思い出していた監視所では無かった事を思い出していた。それに、溜まっていたとはいえ疲労に不覚にも他の人の居る前で茫然としてしまっていた事を思い恥ずかしく顔が熱くなる。
この場に、ハントお兄ちゃんだけ居たのならば、緩んだ緊張の糸にヘナヘナと尻餅を付いていたかもしれない。しかし、周囲から見つめられる視線に、恥ずかしいながらも顔を俯かせるしかできなかった。
「キア、届けてくれた書簡のおかげで急いでこなければならなかった理由も大体はわかった。預かった書簡に書いてある事は誰かに話したかい?」
「ん……、い、いえ、話してないです!」
少し間をおいて考えた私の返事に対して、後ろにいた初老の男性の視線が険しくなったのを見て、兄に対してと言うよりも後ろのきっと王国の偉い人物に見える初老の男性に返答するつもりで答えた。
「そうか……。シャーヴェ様、他にお聞きしたい事はございますでしょうか?」
お兄ちゃんは自分の後ろにいた、初老の男性をシャーヴェと言い振り返る。案内してきた衛兵はすでに自分の持ち場に戻っていったので、兄以外に質問があるとすればこの男性だけらしい。
それに、着ている服も絹の様に滑らかに細やかな刺繍が赤や金糸などで縫製されているのが分かる。一介の高官ではなく、お兄ちゃんが対応している事からも高位の人物であることに気付いていた。
先程から向けてくる視線も、その雰囲気からアリシアを治療する医師の手配もこの人がやってくれるんだろうと思えるくらい、偉く権力を持つ人物であるようにも見えた。
「ああ、判断はまだ早々に出来ぬが、状況は分かった。この事は私から国王へお伝えしよう。ご苦労だった」
「え?はい……えっ?」
「キア?」
ご苦労だった?それだけ?医者の手配は?私も飛竜も疲れてすぐ戻る事は無理でも、お兄ちゃんならきっとアリシアの元へすぐにでも迎えるかもしれないのに。シャーヴェって人が偉い人かもと思ったのは、私の勘違いだったの?
お兄ちゃんも、すんなり頷いて。アリシアを知らない仲じゃないのに、何で?そんなに冷静でいられるの?
「お兄ちゃん?何で?ねえ、アリシアだよ?アリシアが苦しんでいるのに待たなきゃいけないの?」
言いようのない不安に、つい兄の袖を握ってしまう。
「キア、落ち着くんだ。シャーヴェ様はこの国の宰相をされている。最善に手を尽くすためにも、今は待つんだ」
「ハント、私はもう行く。妹君を介抱すると言い。疲れもあるだろう」
「ハッ!ありがとうございます」
宰相と言われたシャーヴェは、特に私に聞く事も無くなったように入ってきた奥の扉へ向かう。その姿を視線で追いながらも、私の頭の中は不意に希望の拠り所を失った喪失感で押し潰されそうになった。
ハントお兄ちゃんがそっと私の肩に手を置いてくれても、不安と喪失感は和らぐ事は無い。
ねえ、お父さんもお兄ちゃんも、シャーヴェって人も言う最善って何なの?待ってることが最善なの?それなら、もう私にできる事は無いってこと?
「さっ……最善っていつまで待たないといけないんですか!?私、医者を連れてこないといけないとかあれば、何でもしますから!でっ、でも、アリシア、せっかくの薬も吐いちゃうんです!シャーヴェ様、どうかお願いします!」
「キア!失礼だぞ!」
兄にしては珍しく厳しい口調で私を諌める。でも、宰相と言う人は本当に分かってくれたのか?
アリシアが普通の薬では体が受け付けない状況だと言う事を知っているのか。
普通の医者よりも腕が立つと言う、一座の薬師の飲み薬でさえ受け付けないアリシアの体には、巫女であるレーネの治癒の魔法でも痛みを和らげるしかできないのに。
「……ハントよ、良い。キアだったか、事は重要な案件故に慎重に対応するまで、約束は出来ぬが迅速に対処しよう」
一度歩を止めると振り返りそう言い残すと、宰相は再び会議室の扉から出て行った。
「さっ、キア疲れているんだ。少し休もう。あとは、シャーヴェ様にお任せすれば大丈夫だ」
「でも、でも!お兄ちゃん。普通のお医者じゃダメだって。魔陣の治療師でも……、ねえ?お兄ちゃん……私、ダル君に聞いたんだよ?凄く怪我してもう駄目だって思って動けないでいたダル君をタモトお兄ちゃんがあの夜に治したって。ねえ、ハントお兄ちゃん?お兄ちゃんもその時そばに居たんだよね?本当なら、私、今すぐにでもキイア村に飛んで行って……」
「待て!待つんだキア。これ以上無理はさせられない。必要だと思えれば自分が向かう。キアは自分の役割を立派にやり遂げた!次にやらなくてはいけない事の為に今は休む事が必要だ!」
ハントお兄ちゃんは、いつになく厳しい口調で、両肩を掴むように説得してくる。
やり遂げたと言われたのにこの達成感の無さは何?
休む時だと言われるその言葉に、限界に来ていた私の緊張の糸もついには耐えれなくなった。今まで気力だけで体を支えていたのだ。
兄に役割をやり遂げたと伝えられたとたん、蓄積した疲労感と睡魔から全身の力が抜け兄へ体を預けるように私の体は倒れこんだ。
「取り込み中、すみませんが」
「はい?」
「タモトさんのご友人の方々ですか?彼なら、今首都へ来てますが?よければ……」
その時、不意に横から声を掛けられたのが聞こえてくる。しかし、最後まで聞く前に私の意識は暗闇の中に落ちて行ったのだった。
ここはどこだ?
地上にはありえない程の空の高さを見上げ、そこには雲一つない青空が広がっていた。
最近では見慣れてしまった双子月や一番星さえ無い。
『でも、どこかで見た気が……』
懐かしいと感じる程昔ではない。でも、この青空はどこかで見た覚えのある景色だった。
踏みしめる大地の代わりに、大理石と思える光沢をもった白地の石が敷き詰められ。それが目の前にすり鉢状に段を作り、中央にある小ステージを見下ろす様な構造になっていた。
今自分が居る場所は、その段差の一つに立ち空を見上げていたのだ。そして、見下ろす小ステージには誰もおらず、白地の石が陽の光を反射していた。
「……のお、水のお嬢さん。噂では、人の世にちょっかいを出したらしいの?」
「……」
小音量から徐々に大きくしていくように、誰かの声が耳に聞こえだす。それと同時に自分の周囲に幾人かの影が浮かび上がり、自分の立っていた真横にも誰かが腰かけているに気付いた。
今聞こえた声の主も霞の掛かるような影ながら、背は1m半ば程の老人であるように見える。そして、その老人が話すお嬢さんという人物が自分の横に座っている女性を言っている事が何故か分かった。
『ユルキイア?』
「まあまあ、ノーベ。ちょっかいって程でも無いんじゃない?直接には何もしてないんだしさ」
『フレイラ?』
沈黙するユルキイアの代わりに少し離れた所から、聞いたことのある声がノーベと呼ばれた老人の意見を訂正する。彼女は以前見た鮮やかな衣装は微かにしか見えず。彼女自身も、俺自身がここに居る事も見えていない様子だった。
「あら、フレイラお姉様にしては珍しいですわね。前は細かい事でもお二人は争われていたのに」
「そうだの、まあ、直接では無いに関係なくあの世界に関心を寄せるのはどうかと言う話なんじゃが」
「そうですわ、私達も大人にならなくては。もう、昔の世界(遊び場)に戻ってもあるのはどうせ思い出だけですわよ?」
大人になれとユルキイアとフレイラに呼びかける人物自体が、影の様子からはっきりと見えないまでも幼女の様な小柄な女の子に見える。
実際、女神や神々達の年齢が外見に見合っているとは思えないが、3人女神達の間で何かしらの関係がある話し方に引っかかる所があった。
「……その思い出を、無くしたくなかったのよ」
不意に黙っていたユルキイアがぽつりと言葉を漏らす。
「それで、神痣を与えたという理由ですか?確かに、直接的ではないにしろ我々がこちらの世界へ来たのは、その神痣が原因であった事を忘れたわけではないでしょう?」
「わかってるわ……」
「何が有ったか詳細も興味ありませんが、我々は今後も前の世界に関わりを持つべきではないのです」
「良く言うよ。先頭きって力を振りまいていた男が」
「何か?フレイラさん」
「なんでもねーよ」
「しかしのお、光の者は時の流れも違うしの連絡してもすぐに来れる場所ではないにしても、これ程集まる人数が少ないとはの……」
そういう老人は、周囲の席を見回すと、確かに不規則に皆座りながらも所々に空の空間が目立つように思える。
神様達って言ってもこれ程少ないはずがないだろうと思える程で、今見回しても3人の女神と2人の老人と男性の神が居るだけだった。




