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名乗った伝令兵と思われる少女は、宿舎の扉から入ると何かを思ったかその場で立ち止まった。
見張りを交代すると先に入っていった同僚が、監視交代の準備が済んだのか扉から出て行こうとするのを少女が立ち止まらせるようになってしまう。
準備と言っても、脱いでいた革の防具を付けただけだったのだが。
「すまない。どうかしたのか?」
「いえ、あの飛竜に良ければ何か飲ませてあげたいのですが」
「ふむ。あいにくとここには飲み水を置いておくことが無くてな。あると言えば、果実酒か蜂蜜酒くらいしか」
「さすがに、飛竜に酒はなぁ」
酔われて暴れられてはかなわないと同僚の表情が言わなくても物語っていた。それに、水と言えば、馬用に水桶があるくらいだ。
「馬用の水桶ならあるが、それで良いのか?一度村に寄ってはどうだ?それほど急いでいるのか?」
朝日が昇り、村へと戻れば湯でも沐浴でも準備できると思うのだが。
「ありがとうございます。迷惑でなければ水桶を貸してください。……飛竜が休めれば直ぐにでも出発しようかと」
「そうか、それはどの位だ?」
「一刻くらい」
一刻(2時間)か、近くの自分達の済む村まで森の道を歩いて30分は掛かる。往復1時間としても、村へ行ってもほとんど休息にはなりそうにないだろう。
いや、飛竜ならばもう少し早いだろうが、今は丑の刻(午前2時)を過ぎたあたりだ、
やはり、少女の目的地が言うとおり首都だとすれば、翼竜でさえ半日はかかる。飛竜が飛行速度は早いと言っても、あと数時間は乗り続ける事になるだろう。
「わかった。とにかくだ。君も少し休め。そこのベッドの上の段が空いてるだろう?今日は使う者も居ないから使うと良い。あ、そうそう。飛竜には水だけで良いのか?食べ物とかは?」
「そこまで、お世話になる訳には。これを飲み水に入れてくれませんか?あと、火を焚いて頂ければ、外は少し冷えるので」
焚き火であれば、仮にも狼煙台のある監視所である。燃やす薪はいつも大目に蓄えてある。山火事をおこすほど不慣れた事でもないし、監視ついでに同僚に火の調整加減を頼んでおけば良いだろう。
そして、少女が取り出したのは、赤い液体が瓶に入った物だった。
「これは薬か?」
見た目がどうも人用の薬とは見えない。瓶の外からも分かるドロっとした粘度と上下に分離した淀み具合は、もし今体に良いから飲めと言われても躊躇ってしまうだろう。
「あの飛竜用の栄養剤です」
「分かった。使う量は任せた方が良いな?」
頷く少女を椅子に座らせ。ロフト状に備え付けられたベッドを教える。じゃあ、焚き火と水桶を用意してくると宿舎を出ようとすると、私も手伝いますと後を付いてきた。
「おい!飛竜のそばで焚き火を付けておくから、火加減を見ておいてくれ」
「ああ?わかった」
先程すれ違いに出て行った同僚は、すでに監視の櫓に上り上から返事を返してくる。まあ、夜の監視台と言っても遠く離れた場所の狼煙は夜間には見えない。森での不穏な気配や森林の火災が無いかを監視しておくのが自分達の主な役目だ。
数組にまとめられた薪を宿舎の倉庫から運ぶのを少女と二人で数回往復して運び出す。薪の組み方は普通に格子状に組み、中央には立てるように薪を並べていく。
「それは?」
「ん?初めて見るか?1刻って話だったからな。格子状に組む列数で時間調整ができるんだ。今回は、普通に4段だな」
「初めて見ます」
「そうか?中央に細木を建てる事で。中央から火が入り大体時間通りに全体に燃え広がって消えるはずだ」
「そうなんですね」
「でも、すまないな。藁も十分に無いからな、敷いてやることもできん」
「いえ、ここまでしてもらって申し訳ないです」
そういう少女は、ようやく疲労の表情からはにかむ笑顔が見える。その表情を見ると、たとえ伝令兵だとしても年頃の少女である事を思い出される。
「さあ、そこの水桶に入れてくれ」
「アルク、ここで少し休むから飲んでて」
キュイッ
飛竜を撫でる少女を見ながら、自分は薪を組んだ焚き木に火を付けていく。
今日は少し肌寒いが、飛竜にとってもこれで無いよりも少しはましだろう。飛竜を囲むように左右に2組づつ置いた焚き木が燃え始める。これで風向きが変わったとしても、ある程度ならば一定に温まるはずだ。
「ありがとうございます」
「ん?気にするな、次は君も休まないとな」
休みなさいと言っても、宿舎にはそれほど食料も無く体を拭けるような余分な水も無い。できる事と言えば、少しばかり体を温め眠るくらいしかできないだろう。
そう思いつつも宿舎に戻った自分たちは、少女はベッドに横になるように勧める。休めと言ったそばから何か手伝おうとする様子を押しとどめ、今少女はしぶしぶながらベッドに腰かけながらキョロキョロと周囲を見ている様子だった。
「まあ、待ってろ。すぐできる」
室内の暖房の為に灯る暖炉に鍋を置き、中に果実酒と蜂蜜酒を混ぜながら熱していく。他に入れる調味などはここには殆どない。渋みを出す乾燥ハーブが壁に干してあるくらいだ。
「あ、甘い匂い」
「だろう?」
少女であり、任務中?である兵士を酔わせる訳にはいかない。火に掛けながら酒の成分を飛ばすため沸騰近くまで熱していく。その為、室内に甘い匂いが充満するのも仕方のない事だった。
「酒を飲むやつで悪いが、これを飲むといい」
「お酒ですか?でも、飲むわけには……」
「安心しろ、元お酒だったものだ」
監視所の自分たちがお酒を飲むために置いてある木製のコップに、熱したお酒だったものを注ぎ渡す。自分たちは熱して酒成分を飛ばすまではやらない。寒さの厳しい日に温めるくらいである。しかし、味は保証付きで勧める事ができる。
少女は両手で持つコップの暖かさと漂う甘い匂いに、おずおずとコップに口に付ける様子を見せる。
「どうだ?」
「……ン!ンンッ!!!」
その表情は、疲れた表情を掻き消す年相応の少女としか思えない輝いた目を、自分へ向ける少女の姿があった。
味はその表情を見ればわかる。それから、普通ならやや多いと思う量を注いだにも関わらず、数口で少女は飲み干してしまう。
「はは、おかわりは?」
「んくっ、いえ……大丈夫……です」
コップを逆さまになるようにして飲み干したコップを見ながら、返事をした少女は、そう言いながらも視線はコップに注がれたままだった。
「遠慮するな?」
「すみません……あと少しだけ」
言葉では遠慮しながらも、視線は本心を物語っていた。そして、わずかな時間ではあるが、少女の人となりを少しは分かってきた様に思える。
それから、おかわりをゆっくりと味わいながら飲むようにして、わずかな時間に首都までの簡単な道のりを説明する。自分も首都へ行ったことは数回しかないが、朝日が昇る前には森を抜けれるはずである。
首都までどこかで休憩したほうが良い事を伝えるが、少女は悩むような表情を見せながら、あまり時間を掛けられない様な事を伝えてくる。
「そうか、とにかく無理だと思ったら休め」
「……はい」
休むことに躊躇う表情を見せ、任務には休息も必要だと言うことを言い聞かせる。1刻たったら起こす事を約束し壁に掛けられた時計を見る。
宿舎にある時計は、街にあるような機械仕掛けの円盤時計ではない。半刻用の砂時計と砂時計が回転する際に刻を記す絵がパタンと切り替わるタイプの細工時計である。
「これを返しておく」
「え?」
後で返すと約束していた短剣を、横になろうとした少女へ返す。
まさか、今返されるとは思っても居なかっただろう。驚いた表情で見つめ返し、俺が渡そうとする短剣に手を伸ばすのをわずかに躊躇う様子を見せる。しかし、今返したいと思ったのは少女を俺が信用した証を行動で示したかったからだ。
「ありがとうございます……」
「ゆっくり……いや少しでも休め、やらなくてはいけない事があるのなら」
「……はい」
剣を受け取り、それを抱える様に少女は横になる。ベッドに掛かる梯子を降りようとした際に、もう一度少女の顔を見る。すると、その少女の顔には疲労感や涙の跡は薄れ、閉じた瞼には微かに輝く涙がたまっていた。




