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西へ!早く!もっと!早く!お願い、飛竜頑張って!
飛竜は私を背に乗せすでに1時間以上飛んでいた。眼下には森林が海原の波の様に闇に浮かび上がっては流れていく。
まだなの?まだ深夜と言える時間だが、遠くに首都に近づいた証の大きな街灯りが見えやしないかと正面を向くが、視界に入るのは山肌と遠くに見える農家の明かりがポツポツと見えるだけだった。
「間違えてない……こっちであってるはず、間違ってない……グスッ」
いつまでも眼下の景色は同じままに変化が無く、ついに堰を切った様に進路を間違えたのでは?という不安がこみ上げわずかな自信を乱してくる。
微かな自分を信じる思いを拠り所にしながら、防寒を着込みながらも体温が奪われつつある手綱を握る手を再確認した。
キュウ?
アルクがわずかな手綱の張り具合に、上げる声も「こちらで良いのか?」と聞いてくる様に聞こえてしまう。
変温動物の飛竜に夜間を飛ばせる距離にも限界がある。体力と共に体温も奪われるためだ。
「うん、もうすぐ。もうすぐだから」
自分に言い聞かせるように、飛竜の首を撫でる。
戻す手で、頬に流れた涙を拭う。シス姉に習い覚えた星の座標を確認するために空を見上げる。もう今では、闇に眼が慣れており、星の配置を追うのに苦労は無かった。
でも、今見上げた空は、切れ雲に覆われ部分的な星座の一部しか見る事は出来ない。そして、雲の上に出ようにも冷えた風に飛竜の奪われていく体力とを考えると、何度も上昇と下降とを繰り返すだけの余裕は無いように思えた。
一際、明るく輝く青と赤の兄弟星が右手側に見える。他の星座が見えなくてもそれだけで、西じゃなくても北西か南西には向かっているはず。
「うぅ、シス姉の話、まじめに聞いてればよかった」
視覚も、地形も当てにならない。大体の体感時間も分からない。
どこかで休憩したほうが良いだろうか?でも、もうすぐどこか砦の明かりが見えるんじゃないか?様々な不安と考えが浮かびながら、遥か前に通り過ぎたラソル国とアブロニアス王国との国境の監視兵の言葉を思い出していた。
「いいか?必ず砦には、月の出ている反対の方角から近づくようにしろ」
「わかりました!でも、今日みたいに曇りの日はどすれば?」
「まったく。こんな幼い子供に伝達をお願いしようと思った一座はどこなんだ……しかも、飛竜とか無茶苦茶すぎる。危うく射殺すとこだぞ」
シス姉に肝心な事を聞き忘れていた結果が、弓を射られそうになった先程の事を思い出し、困った表情を浮かべていた兵士の顔を思い出す。
「月が見えない状況の時は、一定以上砦に近づくな。カンテラに灯を灯してその場を旋回しろ。弓で射られた後に文句を言っても聞く耳は持たんぞ」
「でも、気付いてくれなかったら?」
「気付くまでだ……。気付かない間抜けが当番じゃない事を願うんだな」
そう言いながら。30代前半に見える砦の監視兵は苦笑を浮かべて、横で椅子に眠りこけているもう一人の見張りの当番である同僚を見つめる。
「まあ、了解した。一座の病人が通るんだな?あいにく、容態も分からない伝染病かも知れないものを宿舎へ入れるわけにはいかない。近隣の村へ部屋を空けるようにこいつを向かわせる」
そういう兵士は、寝ている相棒を指さしやっと笑顔を見せた。
一度、一座に戻るのか?と聞かれた時には、医者を連れてくるようにも頼まれている事を話し、「そうか気をつけろよ」と心配されたのだ。
まさか、アブロニアス王国の首都まで医者と伝令の為に飛んで行く事などは、話がややこしくなるので言わなかった。その兵士も、近くのケイル村の近くにある街にでも、呼びに行くのだろうと勘違いしたみたいだった。
「ありがとうございます」
「ああ、気を付けてな」
最後の方には、医者も相棒に呼んでこさせようか?と心配され、さすがに丁寧に断り再び飛竜に跨り、首都を目指したのだ。
キュィイ!
「何?アルク?」
先程出会った兵士の事を思い出しながら、その明りの存在に気付くのが遅れてしまった。飛竜が気付き声を上げたのだ。
気付いた先には、微かに明かりが連なっているのが見える。関所では無いが、緊急時の合図である狼煙を上げる為の監視所の明かりだ。
「あ、あれ!」
首都から国境へ、そして国境から首都への伝達手段である狼煙を上げる為の石造りの建物である事に気付く。
明るい時間であれば、30m程の石造りの土台に木造で組まれた櫓が見えるはずだが、遠目ではその輪郭も分からず、灯された均等な縦の灯りだけが見て取れた。
「良かった!間違ってなかった、良かったよお」
シス姉が言っていた、地平線の距離がどうとか、狼煙の上がる高さがどうのと言う距離の話は、微かに聞いたかな?くらいにしか覚えていない。とにかく、首都までの一定の距離25Km?間隔で建てられているらしいが、なかなか見つける事が出来なかったのもどこかで数か所ほど見落としてしまっていたみたいだ。
団長であるお父さんならば、どこの地域に狼煙台があるかを知っているとは思うが、位置を示した地図は一座には持たされていなかった。
そのため、飛竜が気付いて声を上げなければ、また、見落としてしまい迷っていたかもしれない事に恐怖心がこみ上げてくる。
「半分は来たかな?アルク少し休もう。ちょっとだけ」
キュイ
もし迷っていたらという恐怖心にたとえ様のない肌寒さを感じながら、暖かさを求めるように淡い灯火を目指していく。
国境の兵士に言われていた通り、まずは月の位置を確認しながらカンテラに灯を灯す。一定の距離を保ちながら灯の付いたカンテラを大きく回すと、数十秒の遅れは有ったものの同じく灯火を回しての返答があるのを確認できた。
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狼煙台の監視をしていた兵士は、初めは見間違いか、もしくは亡霊の類かと目を疑った。
微かな灯りが、水平に空を飛んでいたからだ。
そして、その灯りが月とは反対の方へ流れ、大きく回されている事に気付いてからは恐怖心もどこかへと無くなっていた。
「右に1、左に3、右に1左に3。間違いない正式な合図か!しかし、なんでまたこんな時間に?」
そして、こんな辺鄙な田舎に?と、心の中だけで呟いた。
櫓の下の建物で休憩している仲間への緊急連絡を知らせる為の紐から手を離し、こちらも合図のために合図用のカンテラに灯を点ける。
特別に伝令の接近を拒む理由は無く、許可をするために蒼く灯るカンテラを円を描き右へと回す。すると、相手も理解したのか同じように了解の意思を伝えてくる。
あとは、一応の用心の為に傍らに置いていた武器である弓を確認し。緊急の呼び出し用の紐を握りなおした。
「……ませんー。あのぉー!……すみませんー!」
近づくにつれて、思いがけず少女の声が響く。てっきり小柄な男性かと思えば、その声の主は確かにこちらへと顔を向けた少女からだった。
しかも、翼竜では無く、飛竜である。この少女がただの伝令でない事は、乗っている騎獣からも想像できた。
「とにかく!いいから降りろ!」
聞こえてはいるだろうが、自然と声も大きくなる。さすがに飛竜の尾の一撃でも木造の櫓は容易に破壊される事が想像できた。
一瞬どこに下りればいいのか悩む少女に、しょうがなく宿舎の前の広場に降りるように伝える。降りろと言っても、この周囲にはそこくらいしか降りれる場所がないのだ。
「くそっ、なんだってんだ」
さすがに、この状況で皆に知らせない訳にはいかない。俺は、躊躇いなく先程から握っていた紐を引いた。
その間にも、指定された広場に着陸しようとする少女と飛竜。
その騒ぎに、早々に寝ていた森の鳥達が飛び立って離れていく姿が見えた。
「すみません。私はキアと言います。灯りが見えて……」
「待て、待ってくれ!」
3段に分かれた櫓の梯子を下りてくると、その少女は飛竜から降り自分が来るのを待っていた。さっそくと、説明しようとする少女を落ち着かせ宿舎から人が来るのを待つ。
さすがに、このような少女に剣を向けるのは気が引けるが、剣の柄に手を置かない訳にはいかない。どうする?用件だけでも聞くかと逡巡する。
「どうした?何かあったか?」
悩む間に櫓の横に建つ宿舎から同僚の監視兵の一人が出てくる。主な任務が伝達と監視のため防具も外してはいるが、武器となる長剣だけは帯剣していた。
「それが、この女の子が……」
「あぁ?女の子ってこんな所に……ってなんじゃこりゃ」
同僚が驚くのも無理はない。数歩先に小柄ローブをまとった少女とその後ろには、闇の中でも鈍く黒光りする鱗を持つ飛竜が翼を休めていたからだ。
「あのー良いですか?」
「ああ、良いぞ。待て、待ってくれ、そこで用件を言ってくれ」
そう言われ、近づこうとした少女を止め、掛けた言葉に疑問な表情を浮かべる少女だったが、俺達二人の真剣な表情に了解した様子だった。
「?えーと、突然ごめんなさい。監視台の灯りが見えて。ここは首都まであとどのくらいですか?」
「首都?かなり離れているが、馬車だと二日ってところか?なあ、おい」
「ああ、そのくらいだな。伝令の奴ら、ああ、すまない嬢ちゃんの事じゃねえからな。そいつらの話だと、半日くらいらしいな」
「半日……」
思いつめた表情の少女から少しホッとした表情が浮かぶ。何に安心したのかわからないが、少女の目的がここでは無かった様子に自分も少しばかり緊張を緩める。
「ちょっと良いか?ここが監視台と分かって来たんだな?」
近づいて見れば、伝令に見えなくもない。防寒の外套に隙間からは皮製の防具も付けている様子に見える。年齢と騎獣が飛竜でなければ伝令だと言われれば納得していたはずだ。
俺の質問に頷きと共に返答する。
「すみません、少し休ませてもらえませんか?夜通し飛んできて、この竜も私も疲れてて」
少女の言うことが本当であれば、休ませない訳にはいかない。姉の子供である姪っ子と同じくらいの年頃である。そんな少女が夜通し飛竜に乗らなくてはならない理由とは何なのだろうかと疑問が浮かんでこないはずがない。
「分かった。しかし、素性の分からない者の言う事を鵜呑みにも出来ない。見たところ、どこぞの部隊の一員のようだが?証明するものはあるか?」
「……そうですよね」
そう言いながらも、外套をまくり腰に付けた小鞄より何かを探そうとする。その間にも、外套の隙間から胸の部隊紋章が見える。
その紋章に描かれているのは、微かに見える剣と竜。見慣れている訳ではないが、普通の伝令の者が付けている紋章とは違う事に気付く。伝令の者達は剣と鷹であったと思い出す。
「あっ、これ。これを届けるように言われてるんです」
少女が取り出したのは、部隊の蝋印の押され封印された筒状の書簡だった。
「おい。あれって」
「ああ、わかってる」
俺自身も10年務める監視兵としては初めて見る。封印された蝋印の詳細もそうだが、それを封じるのは書簡に巻きつけられた帯の色も重要である。
その帯の色は、赤地に金糸の刺繍。その意味するところは、国家級の緊急事態と王国宛の書簡である事を示していた。一般的な書簡は無地や緊急だとしても黄色地の帯が付く。
この少女が持つ物が本物だとして、この書簡の重要性を理解しているんだろうか?いや、少女の疲労した表情と飛竜、彼女の目的地と夜間の飛行とすべての状況が、その書簡が本物であることを物語ってるではないか。それに、たとえ偽ってこのような田舎の監視所を襲撃したとしても何が得なのか俺が聞きたいくらいだ。
「わ、わかった。飛竜は、馬屋はまずいか。とにかく、何処かで休ませてくれ」
「この竜、馬は食べませんよ?」
キョトンとした表情で、書簡を見せただけで俺達に納得されたことに理解が追い付いていないのか聞いてくる。
「そうなのか?」
「おい、まあ、とにかく頼む」
たとえ馬が食材では無いにしても、馬の方が今度は休めないだろう。同僚は、警戒をすでに解いたように宿舎へ戻っていこうとする。
「すまない、帯剣していたら外してこちらへ渡してくれないか?」
「良いですけど。返してくれますか?」
「ああ、休むのにここなら警戒も必要ないだろう?それとも、俺たちが信用できないか?」
「いえ、そういう訳では……」
「なら、頼む」
素直に帯剣を外し渡してくる少女から、短剣を受け取る。ちらりと剣の装飾を見ると、こちらにも先程と同じ部隊紋章が彫金されているのが分かる。
これで、この少女は間違いなくどこかの部隊の伝令である事に納得する。余計に、どこの部隊なのだろうかと疑問が大きくもなるが、一介の監視台の兵士には関わりあう事の無い部隊なのだろう。今日出会ったのも偶然であり、自分が知る必要のない事柄なのだと溜息をつく。
「どうしたんですか?」
「いや、何でもない。あぁ、名前を聞いておいても良いか?」
「あっ、そうでした。キアです。キア・アークと言います」
「そうか、俺はダスタだ」
夜明けまでまだ時間のある宵闇の中、キアという少女にはくつろげる時間は無いのかもしれない。しかし、そんなわずかな時間の中にも、俺は何か温かい料理でも作れそうかと悩むのだった。




