12
俺は今日中にまたこの屋敷(学術院)に戻ってくるとは思ってもいなかった。俺が手を引かれるままに、他の街を行く人にぶつからなかったのは、彼女の威圧感に顔をひきつらせた道行く通行人が道を開けて通したからだ。
夕方に出てきたはずの入口の扉には鍵が掛かるでもなく、館の廊下では他の学院生ともすれ違わない。ほんのりと灯る壁に掛かった燭台だけが、研究する学生が居る事を感じさせていた。
「クリスさん、どっ、どこに行くんですか?」
「私の研究室よ」
「部屋ぁっ!?」
「そうよ。ゆっくり話ができる場所なんてそうそう無いもの。先生も既に帰られたみたいだし。許可は明日でも構わないわよね。どうせ今日の宿も決まってないんでしょう?夜も遅くなるでしょうし、泊まっていっても良いんじゃないかしら?」
パルマ達との先程の酒場での話を聞いていたのか、確かに宿はまだ決めていなかった。
既に日も暮れており寝るだけに宿を探すのも大変だろうと思う。できれば、安い宿で済む方が良いというのも自分の懐具合を考えると甘えたくもなってくるが……。
それでも、さすがに、遅くなったからと泊まると言うのは、色々とマズイ気がする。
「いや、さすがに泊まるのは……ちょっと」
「そう?そこら辺の安宿よりは綺麗だとは思うわよ。好きな部屋があれば空いてるなら構わないと思うわ」
「あぁ……空き部屋ね」
それはそうだ。これだけ大きい屋敷を使っていて空き部屋が無い方がおかしい。
「あっ!ベッドが無いと寝れない人なの?ごめんなさいね、仮眠のベッドは人数分で埋まっているのよ。でも、安心してソファーで寝るのも案外悪くないわよ?」
ドレスを着たクリス(エルフ)がソファーで寝る姿を想像して、何か大切な神々しい妄想が色々と崩れていく気がするが、彼女の言葉からするに時々そうやってますという風にしか聞こえなかった。
「ここよ」
「ここがクリスの部屋?」
「そうよ、ミレイちゃん」
何も言わない俺の代わりにミレイの質問にそう答えると、クリスはコンコンとノックをして扉を開ける。ん?誰か中にルームメイトでもいるんだろうか?しかし、彼女が開いた扉の向こうは薄暗く、誰か居るようには見えなかった。
「あら、もう寝たのかしら?さあ、入って。今明かりを点けるから、腰かけて待ってて」
昼間に案内された応接室のような室内ではなく、大きめの机が2台並びその上には、何に使うのかガラス製の器具や書籍が積まれていて。窓から入る薄明りにぼんやりとだけ輪郭を浮かび上がらせていた。
クリスは慣れた様子に積まれた書籍の間を縫うように奥へと入っていく。
クリスに言われた通り、俺は明かりがつくのをソファーの背を手で確認し腰かける。
「グぇっ!」
「「えっ!?」」
俺がソファーに腰かけると同時に、妙な抵抗感を座った所に感じてしまう。綿の反発とは違った妙な柔さと温もり。ヒーターの入ったクッションなどこの世界にあるのだろうか。
いや、今のうめき声は流石に自分の下から聞こえて来たものだった。ミレイにも聞こえたらしいので空耳ではない。
「早くどけ。この蛆虫がっ。捻り潰しますよ」
「はっ?うじむし?」
今度は間違いない。先程のうめき声とは違う響く鈴の音のような声が、物凄い罵倒を投げかけてくる。
その時に丁度クリスが明かりを点け、その明るさで自分が何に腰かけたのかを知る事になった。
「あら、シャーリーそんなとこにいたの?」
「ひぃっ!」
「お人形さん?」
もちろん軽い悲鳴は俺のものだ。毛布から覗かせた色白と言うよりも白い顔だけをこちらに向け、ランタンの灯にゆらゆらと反射する蒼色のガラスの様な瞳で睨まれれば、すでにホラーの世界である。
ミレイが人形と見間違えるのにも理由があった。ウェーブのかかった金髪に色白と言うよりも血色の無い肌色に蒼眼、毛布に隠れているが、身長は120㎝も無い。
クリスに大きな西洋人形だと言われても俺は信じただろう。
「クリス。この虫は何?」
「虫って……」
「ちょっと話を聞きたいと思って連れてきたのよ。起こしてごめんなさい。暗かったし居ないと思ったのよ」
クリスさん、虫って呼ぶのはせめて否定して欲しいんだけれど。二人の会話では、理解してもらうのは無理そうだ。シャーリーと呼ばれた少女は、モソモソと毛布から出るとちょこんとソファーに腰かける。そうすると、シャーリーが膝丈の白いドレススカートを着ているのに気づく。揺らめく明るさによく見るとソファーの足元に同じデザインの皮靴がそろえて置いてある事に気付く。
さすがに、シャーリーの横に座るのは、彼女の虫を見る様な視線が許してくれそうにないので立ったまま彼女達の様子を見守るしかなった。そう、この部屋には、クリスの腰かけている机用の椅子とシャーリーの腰かけているソファーしか無いのだ。
「そう、じゃあ好きに虫の生態でも研究するといいわ」
シャーリーはもう俺には、関心が無くなったのか靴を履こうとする。
「それがね、シャーリーにもお土産があるのよ。彼じゃなくてね」
お土産?何か買ってきただろうか。酒場では有無を言わせず、手を引かれて店を出たため何も買っていない。しかし、クリスは微笑を浮かべているだけだ。
そんなクリスから俺の方へシャーリーは視線を向けると、足元から虫を見る視線で見られているのに気づく。いや、もう良いよ。確かにその細い体に腰かけたのは、俺が悪かった。
「ぁっ!」
「へ?」
上がってきたシャーリーの視線が一点で凝視される。シャーリーと見つめ合ったミレイから間の抜けた声が聞こえてくる。
ミレイを見た瞬間、無表情だったシャーリーの顔が、満面の笑みに変わる。
「キャァー!精霊だわっ!」
「はぁ?」
何?シャーリーのこの変わり様は、靴を履くのも忘れて飛びついて来たと言った方が近いだろうか。瞳をキラキラと輝かせてミレイを見つめてくる。
「ちょ近い、近ぃ」
「黙れ等脚目!動くな!もぐぞ!」
いや、動くなと言われても。もぐって……?手?足だよね?
「怖いよぉ、おにぃちゃん」
当のミレイは、シャーリーの視線に半泣きでポケットにしがみ付いている。
「ちょっと、クリスさん!どうにかして」
「ふふ、思い通り。良い刺激になったわね」
俺に詰め寄るシャーリーの様子を見て、クリスはクスクスと笑みを作っていた。
「クリスさん?」
「あーはいはい。大丈夫よ。彼女は調子が乗ってくるといつもそうだから。ミレイちゃん、大丈夫だから姿を見せてあげて頂戴」
「ほんとぅ?」
大丈夫、大丈夫とクリスに言われ、そろっとポケットから顔を覗かせるミレイ。
「かわいぃぃ!クリス!可愛いぃわっ!」
「シャーリーに会わせたくて来たのよ。ちょっと体調が悪いみたいなの」
「えっ?そうなの?」
体調が悪いとクリスの言葉を聞いて、ミレイを見つつ愕然とした表情に泣きそうな表情をするシャーリー。
「そうなの?」
「……うん。少し」
そのままシャーリーに見つめられ、怖さもありつつ恐る恐る返事をするミレイ。
それを聞いたシャーリーの瞳からハラリと涙が零れ落ちる。
「こっちへいらっしゃい。診てあげるわ」
「おにぃちゃん?」
手を差し出すシャーリーに、どうしようか戸惑いを見せるミレイ。クリスがなぜシャーリーに会わせたのか薄々分かり始めていた。
きっと探していた精霊に詳しい人物が、この人形のような少女のシャーリーなのだろう。
「ミレイ、具合が良くなるなら一度診てもらおうか?」
「う、うん」
「黙れ、可憐な華(精霊)に付く芋虫が、刺して飾るぞ?」
ミレイに向けた笑みを浮かべつつ、俺へ毒を呟くシャーリー。
どうやら、俺の認識は蛆虫から芋虫まで進化したようだった。でも、結局は、俺は死ぬみたいだ。
でも、ひとつだけ分かった事がある。シャーリーは虫が嫌いだって事だ。




