11
隣の席から木製の杯を当てる音が聞こえ、注意しなくても時には話している内容さえわかってしまうような所に、俺達は4人掛けのテーブルを2つ占拠しながらも微妙な雰囲気がその場をしめていた。
「あの、クリスさん?大丈夫ですか?」
「しょうがないじゃない。店員がどうぞこちらへって案内したんだから。それとも、今さら私だけ別の席で一人で食べろって言うの?今の時間じゃ席を空けてもらうのも迷惑よ。良いのよ、突然参加したのは私の無理を言ったのだから気にしないでも」
「おいおい、二人とも喧嘩はするなよ。兄ちゃんも綺麗な彼女をせっかく連れてきたんだ、楽しくいこうぜ」
「え、えぇ」
「彼女じゃないわ」
「おっ、おう。そうか」
綺麗なという部分は否定せずパルマの言葉にクリスが即答し、脚の付いたワイングラスの混酒を一口飲む。その一口飲む姿も、どこぞのお嬢様と言う感じで全く周囲の冒険者達の姿とはその場だけが違って見えた。
この世界に来て、初めて見たガラス製のグラスに対しても、クリスの印象が強く気付くのに遅れてしまい感動や感慨深いなど何もない。
彼女の耳は、髪飾りに付いた刺繍の入ったレースが後頭部まで覆い隠れていて見えない。紺色のイブニングドレス風の刺繍が施されたスラリとした服が、より一層に落ち着いた印象を強くしていた。
学術院での話の後、それほど急いで酒場へ向かおうとする姿勢を見せなかったはずなのに、彼女の好奇心にはそうは映らなかったのかも知れない。
「何?急いでどこかに行く用事でもあるの?」
そう言いながらこちらの用事にも興味も持たれてしまい。「ちょうど良いわね。私もご一緒していいかしら?」と暗くなりつつある外を眺めながら言われ、そのまま同伴する事になり、逆に首都を案内されながら来た結果が今の状況を作っていた。
パルマ達とは、別れる間際に教えられていた店名は、見つけるのにそう難しく無かった。到着した街の門から、真っ直ぐ道を進みその通りにあると聞いており特徴的な名前とデフォルメされた魚人がジョッキを煽っている看板の『酒に溺れる魚人亭』名前が通りの反対側からもすぐに目に入ったからだ。
皮肉った店名に魚人に憤慨する知能があれば、真っ先に襲撃されるかもなと思いながら店内に一歩入ると、連れて来たクリスの姿を見て2つ3つと客席から口笛を鳴らすのが聞こえる。
まさか、店員やシェフが魚人じゃないだろうかとドキドキしながら見渡したが、ちゃんとした人間のスタッフだった。
帆船の船室に見立てた飾りつけは、帆船の船室のように天井から吊るされた天板のテーブル板が下がっていた。同じく吊るされたランタンの灯が、店の暗さを感じさせない程に壁やテーブルにと掲げられている。
入口の床板は踏むとワザと軋む板が使われ。それに結ばれた鐘がリンッと音が鳴る仕掛けになっていた。さすが首都の酒場と言うか、妙な懐かしさを感じてしまう。どこの世界の人も考え工夫する事は似てくるものなのかなと思う。
直ぐに席数を確認に来たターバンとベストの格好をした案内役の女性店員に、パルマ達の冒険者のグループ名を伝えると、彼らの席へと通された後は知っての通りである。
『ふぁあ。おにぃちゃん?おはよ?』
『ミレイ?起きたのか、まだ夜だよ』
突然に起きたミレイにも、俺は驚くよりもよく寝てたなと言う感想を抱いてしまう。少しばかり安心した気分でもあった。何せ半日以上も寝ていたのは初めてだったからだ。もう、本当に具合でも悪いんではないかと心配になってきた所だ。
『なぁに?人が大勢いるの?』
『外に出たい?少し賑やかだけど』
『うん』
先ほどの冷えた雰囲気も次第にパルマ達は賑やかになり、何より首都まで元気の無かったミレイ自身が願うのならば止める事も考えなかった。それに、テーブルの隅にならミレイを出していても問題ないだろうと思い、腰のポシェットより瓶を取り出す。何か聞かれた際には説明すればいいだろうと思うことにした。
「何してるの?」
『誰?』
「あぁ、ちょっと待って」
急に何かを取り出し始めた俺に、クリスは興味が引かれ質問してくる。自分には気にしないでと言いながら、他人の事には興味があるらしい。
テーブルに置かれた、小瓶を見つめ軽くクリスは驚くような表情を見せる。
「貴方って、精霊と友達なのよね?」
そういえば、学術院で精霊が原因で呼び止められていた事を思い出す。クリス自身も経緯を聞き出す事の約束を思い出した様子だった。
「あ、あぁ。友達って言えばそうかな」
俺は、ミレイを入れた瓶のこぼれない様に密閉するための蓋の金具を外す。以前なら宙に飛び出すように出ていたミレイも、今は瓶の淵に腕を掛けるようにもたれ掛かる。
「どう?調子は?」
「んー?少し眠い。ねえ、この人は誰?」
「えーと。今日知り合った女性で、バオさんの知り合い、かな……」
バオの知り合いだと、言った時点でクリスに凄く睨まれ、今も彼女の眉間のシワが不愉快さを物語っていた。しかし、それ以外に説明のしようがなく言葉も尻すぼみになってしまう。
「クリスよ」
「ん?おにぃちゃん?大丈夫……?うん。うちはミレイだよ」
「え?名持ち(ネームド)なの?」
簡単な二人の自己紹介に、クリスは怪訝そうな表情を俺へ向ける。何か不思議に思う事があったのだろうか。ネームド?って何?
「ネームド?」
「知らないの?名前持ちの事よ。貴方が付けたんじゃないの?」
確かに、名前を付けたのは厳密にはユキアだろうけれど、その場に居て同意したこともあるし。名を付けたかと聞かれればそうだと言えるだろう。
「まあ、付けたけれど。ミレイも気に入ってくれたと思うし」
俺の返答にミレイもコクコクと頷いて、クリスに返答している。
「へえー、気に入ったねぇ……」
「ねえねえ、クリス。それって美味しい?」
クリスが続けて聞きたそうにしていたのを、ミレイが先に質問する。
ミレイがさっきから何を見つめていたかと思えば。クリスの飲む混酒に興味深々に見つめながら聞いていた様子だった。
あぁ、そう言えば、前からミレイはお酒に浸かるのが好きだった事を思い出す。
何よりも、水よりも青色に輝くお酒に興味が引かれた様子だった。
「まあまあかしら。エルフ(わたしたち)からすれば、単一酒を他と混ぜるって事自体が禁忌なんだけれどね。人間の知識から考えたにしては良いお酒かしら」
割と饒舌になりつつあるクリスは、ミレイのためにコップを店員を呼び止めて頼んでいる。
「混ぜるのはダメ?って?」
「私も実感したのは街に出て来てからよ。だって年月も経ってないお酒を皆美味しそうに飲むんだもの。確かに、仕込んだ年物は試飲はするわよ?」
クリスが言うには、半世紀以上寝かせてある酒蔵がエルフの村には幾つかあるという。それから比べれば、人間の街で数十年で高価に取引される銘柄に初めは驚いたらしい。
しかし、エルフからすれば数も多くない家族の楽しみを、わざわざ他人に売ってまで欲しい物も無いというのが、エルフの酒が一般に流通しない理由だった。
家庭で仕込まれる量ほどしかなく、味や種類も様々で決まった銘柄も無い。そんな家庭仕込みのお酒を混酒が禁忌視されているのは、家庭の味を侮辱しているのと同じ扱いになるからと発想自体なかったらしい。
「ンー!」
ミレイは、クリスが話しながらも自分の為に注いでもらったコップの中の青い液体を舐めると指を咥えたまま目を輝かせる。
ふぅ、だんだんとミレイがお酒好きになる事だけが心配になってきた。その内、『こんなただの水に浸かれないですぅ』とか言い出さないことを願おう。
「あっ、ああぁ。んっ!くぅっ……ふぃー」
ミレイが変な声をあげながら、混酒へ身を沈ませていく。この『甘さがヤバィですぅ』『このピリピリって……ふはぁ』とか念話が伝わってくるが、きっとミレイも疲れてるんだなと苦笑しておく。
「ふふ、気に入った?」
「最高ですぅ」
「それにしても、随分貴方の精霊って変わってるわね」
「え?うちって変なの?」
「変わってるって、変って事じゃないわ。そうね、特別?とは違うわね。個性が強い?かしら」
「ふーん、そっかー」
「個性かぁ。俺はミレイしか知らないから。それらしい他の精霊と話したことも無いからなあ」
クリス自身も何か普通と違う事くらいしかわからないらしい。俺にとっては、首都キアーデまでの旅路で、他の精霊を見る機会もあるかなと思う位しか考えてなかったし、実際見かける事も無かった事で、精霊を連れているのは一般的ではない事は気付いていた。
しかし、最近よく眠る様になったのも個性として片付けれる事なのだろうか。
「……とにかく、なんで精霊が寝てたのかって、明日にしようと思ってたけれど。駄目ね、今晩は私が寝れそうにないわ」
「はっ?」
「まだ、彼女は研究室に居るかしら……」
何やら独り言を呟きながら、彼女の表情がお酒を飲む女性から研究者の表情へと変わっていくのが分かった。
『ミ、ミレイ。そろそろ帰ろうか』
「えっー!もうちょっとだけー」
そう言うミレイはヒシっとコップの淵にしがみ付いて、頬を膨らませ抵抗の意思表示を表す。
「……行き詰って忙しいって言ってたし。でも、全く違う方からの刺激って大事よね……」
『わかった!今度気に入ったお酒を買うから!今日はテイスティングってことで!』
向かい側の席でクリスの目が、爛々と好奇心の目の輝きに戻ってきながら、俺の背には冷や汗が一筋流れ落ちる。
ヤバい、ここでクリスの好奇心に捕まれば。俺がきっと今晩は寝れない!
『ほんと!やったー』
「おしっ。パルマさん。そろそろ俺、帰りますね」
「なんでぇ。せっかく水も差さずに話させてたのにダメだったのか?」
周囲の仲間もパルマの言葉にウンウンと頷いている。何がダメだったって?何を期待しているんだこの人達は……。
それよりも、早く席を立って店を出なければ。いくら払えば良いんだろう?
「次の約束はしたんですかい?」
「ほら、相手も次を待ってますぜ」
今だに独り言を言っているクリスの姿が、皆には大人しく誘いを待っているように見えるらしい。
いや、俺にとってはその次の事情の聴取がある事が怖いんだけれど。もうそろそろ疲労感は、本気で宿で休みたいと訴え始めていた。
「宿も探さないといけませんし」
「なんでえ、そっちか!お土産か!」
「はぁ?」
支払いは良いぞとパルマに背をバンバン叩かれ、ようやく席から立ち上がった時だった。
「待ちなさい」
ヒシっと細い手に手首を捕まれ、強く握られたわけではないが、振りほどく事は出来ない握り方だった。
「はいぃ!」
「もう用事は無いわよね?今から私に付き合いなさい」
「「「「オオオッ!」」」」
「パルマさんだったかしら?お邪魔したわね。美味しかったわ。彼、お借りするわね?」
「「「「どうぞ!どうぞ!」」」」
よく通るクリスの言葉に皆口をそろえて返答する。皆の表情を見るとニヤニヤとイヤラシイ笑みにしか見えなかった。
「持ち帰られるのか!?」
「「そうだな」」
「「「持ち帰られだ!」」」
「なっ!違う、助けてパルマさん!」
クリスに質問攻めに合うならば、食事をしていた方がマシである。視線を向けたパルマさんは暖かい目で、グッと親指を突き出しサムズアップしてくる。
俺は、クリスに手を握られながら店の出口へ引っ張られていき。パルマ達の姿も客の背に隠れてしまうのだった。
『おっ持ち帰りぃ~?』
パルマ達の真似をしたミレイの念話が、場所を移した左胸のポケットから見上げながらむなしく俺に響いてくるのだった。




