回想 (改)
春だった。
あまりにも長く一緒に居たので、幾つの春かは憶えていない。
記憶に残っているのは、ただ二人の間にあった事だけ。
何げなく訪れた美術館の階段の壁に、二階から降りてくる男の影が写っていた。
(なんて背の高い…)
カツカツという靴の音が止まり、姿を現したのは…まぎれもない、隆志だった。
何となくわかっていたような気がする。
影の主が彼である事に。
光を背に受けてはいたが、そのなりは私の目に焼き付いた。
濃紺の詰襟、私よりはるかに伸びた背丈。しなやかに伸びた手足。
久方の再開に、会釈することすら忘れていた私に、
「久しぶり」
とかける声は、以前よりちょっとかすれており、
その瞳には今まで感じられなかった影と焔が忍んでいるのだった。
「本当に、久しぶりね」
動揺を隠して、子供の頃のようにわがままなお姫様を装う。
「僕らにしては、ずいぶんと長い間離れていたね」
「そうだったかしら」
「ひどいな、忘れたの?
こんな事なら、親父に言われるまま、私立の中学なんて行かなきゃよかったな」
唇をゆがめて、全く知らない隆志が笑う。
「…なにがあったの」
「なにって?」
「私は、そんな隆志は知らない。そんな風に暗い眼で笑うあなたは、隆志じゃない」
一気に言い切った。
開いた窓から、すーっと風が花の香りを運んでくる。
「いい天気だ。散歩しよう」
私の言葉には答えず、勝手に歩いてゆく。ついていく義理も無いのだが、隆志の傍から離れがたくて、スカートの裾を翻して追いかけた。
しばらくの間、二人して言葉も交わさずに歩いてゆく。
つ、と長い腕を伸ばして、隆志は白い椿の枝を折ると
「ほら」
と言って差し出してきた。黙って受け取る私に
「好きだったろ」と畳みかける。
「今度、養女に入るって聞いたけど。」
「ええ。そう、その通りよ。両親が亡くなってからずいぶんお世話になったのに、
このうえ養女にして下さるなんて、申し訳なくて断れなかったの。
これから隆志の事はお兄さんと呼ばなきゃね」
お兄さん、と言った時に、胸を一条の痛みが貫いた。
「いや。今まで通りでいいよ。
ただ…君が養女に来ると困った事が、ひとつ、ある。」
ため息をついて続けた。
「ぼくたちは兄妹になってしまうから、一緒になれない」
ずっと、私を見つめながら話していた隆志が、ふと視線をそらした。
「…君を嫁さんに欲しい僕としては、それじゃ困るんだ」
「養女の件、やめておかないか?」
「わたしが隆志と結婚?何だか、今更って感じじゃない?
幾つの時から一緒だと思っているのよ」
言葉とは裏腹に、隆志の申し出に胸が躍った。
でも、大恩ある彼の父君の申し出を、どうして断れるだろう?
私は、あくまでもわがままなお姫様を演じた。
ふりかえるといつもそうだ。
隆志と話す時、どうしても高飛車になってしまう。
「わたしをからかおうなんて10年早いわよ。
そんな歯の浮くセリフは、相手を選んで言う事ね。
私は、隆志の手に余るわよ」
そう言って、持っていた椿を隆志の手に押し付ける。
「そうか、やっぱり駄目か。
ちょっとは自惚れてたんだけどね」
椿は、隆志の手で私の髪に戻された。
「桜子が変わって無くて良かった。正直、お父さんの事で落ち込んでるかと思ったけど」
隆志の指が触れた頬が、ひどく熱い。
「これからよろしく…妹君」
そう言うと、後ろ手に手を振って遠ざかって行った。
同じ家に帰るというのに、私は自分の熱い頬をどうする事も出来なかった。
(風が吹いてくれれば…)
そうすれば頬の熱も冷め、隆志の言葉を忘れられるのではないかと、佇んでひたすらに風を待った。
隆志の視線がいつも私を追っていたのは、十分承知していた。
それが何を意味するのかも。
そして、隆志とたびたび目が合うのは、私も彼を眼で追っていたからだ。
もう一度言ってくれれば、私は隆志のプロポーズにイエスと言っていたかもしれない。
いや…あの時隆志には、全てが分かっていたのだ。
本当の私の返事も、二人の運命も。
だからこそ一度きりの言葉だったのではないだろうか。
あの、暗い瞳が最初から物語っていたではないか。
わたしはいつも物事に気付くのが遅すぎる。
手遅れになってから、無い物ねだりをするのだ。
前回ともに、かなり書き直しております。
手をつけられなかった半年の間に、ストーリー変更などありましたもので…
申し訳ありません。