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恋人  作者: 森田 恭
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はじまり(改)

長い間温めていたものを、ようやく文章にする決心がつきました。

が…気まぐれなところのある私なので、いつ次を書くのか、いつ終了するのかは自分でもわかりません。

ただ、最後のシーンだけは決まっています。

もし、気に入って頂けましたら末長くお付き合いください。

          

『…山荘の夜は一時を過ぎた。

 雨がひどく降っている。

 私達は長い道を歩いたので濡れそばちながら最後のいとなみをしている。森厳だとか悲壮だとか言えば 言える光景だが、実際私達は戯れつつある二人の小児に等しい…』


若い頃傾倒していた、有島の遺書が頭から離れない。

メビウスの輪のようにぐるぐると、執着に占領された私の脳内をただ回っている。

私はもう、長い時を生きてきた。

たった一人の男への思いに引きずられて。

人は、愚かだと言うだろう。夫も子供も捨てて別の男の所へ、この年になって駆け込むなんてと。

そう言う人々には、決してわかるまい。

今だからこそ、全て捨てていけるのだ。

若い頃は、多少なりとも美しいと言われた顔立ちが、有島氏と波多野女史のように朽ち果てて発見されようとも、なんの悔いも無い。

白骨となって発見されたなら、それは本望というものだ。


私の前には、たった一つの灯りも無い真っ暗な闇が広がっている。

見知った道だ。目をつぶっていようとも辿りつける。

傘一つで防ぎきれぬような雨の中、私は、ひたすら足を進める。

腕の中のくろねこが濡れぬようにしっかりと懐に抱き、唯一人愛した夫すら残して…



あの人と出会ったのは、まだ私がほんの物心ついた頃の事だった。

つ、と振り向いたその人の面をみたとき

「あっ!」と声をあげそうになり、慌てて口元を押さえた。

まるで、全身に雷が落ちたようだった。

この人は、私の人生に大きく関わってくるだろう…

「恋」も「愛」も言葉としてすら知らなかった無垢な私にそう感じさせたのは、今考えると神だったのだろうか。

そうしてわたし達は恋に落ちた。


病気がちだった私は同窓の子達よりはるかに小さく、二十歳までは生きられないと、両親も兄弟も思っていたそうだ。

まさか、家族で一番長生きするとは思いもしなかったが…

今にして思えば、

「あの子は弱いから、気をつけておあげ」とでも言われていたのか、私が咳込んで苦しげにしていると、

「どうした、大丈夫か?」と、その人は必ず声をかけてくれたものだった。

短命だと思えばこそだろう。両親は何でも私の自由にさせてくれた。

そんな私は、あの人にわがままを言い放題のお姫様気取り。

「あの花が欲しい」と危険な川べりに行かせたり、「あの高いところの真っ赤なカラスウリが欲しい」とねだってみたり…

その人は何でも言う事を聞いてくれた。

どこへ行く時も、必ずと言っていいほど私の後ろに居たような気がする。

「二人でずっと一緒にいよう」

まだ15の頃だったけれど、私達はそう誓った。



間もなく時代は高度成長期に入っていった。

その人の家は、格式も高かったが、何より父君の持つ商売の才覚により次第に地元では権力を持つ人間の一人となっていった。

転じて我が家はと言えば…

父は事故で片足を失い、母が働き手となって家族を養っていた。

そんなある日、古びた服を着た私をあわれと思ったのか、その人の父上が、「家の仕事を手伝ってくれないか」と持ちかけてきた。

当時、ちょっと裕福な家ではお手伝いさんを雇っていたのだ。

使うものと、使われるもの。あの人とは世界が違ってしまう。

そうは思っても、一人でがむしゃらに働く母を思いだし、うつ向きがちに頷いたのだった。


現実には…

何も変わらなかった。

使用人である私を、彼は相変わらず女王様扱いする。

父君からは、自分の部屋を貰い、新しい服を貰い、月々の手当を貰い(ほとんどは母に送った)、ほんの少しの雑用のほかは、彼と一緒に登校し、帰れば二人で遊んでいた。

体こそ弱かったけれど、その分プライドの高い私はもっとちゃんとした仕事をくれるようにと再三申し出たが、それは却下された。

「昔、君のお父さんに助けられた事がある。そのおかげで私は商売に成功もし、こうして生きている。

 恩人の娘さんにその礼をしてはならないという決まりはないだろう。

 ましてや君の体を考えたなら今の仕事だけで精いっぱいのはずだ」

と。

本来なら進学さえ無理だった私が人並みの教育を受けられたのも、きちんと医師にかかれたのも、この父君のおかげだった。

本当に父が彼を助けたかどうかすら定かではない。ただの憐みから実の子同様に扱われたのかもしれない。

そんな事はどうでも良かった。

あの人のそばに居られるのなら。



幼い頃から周りの大人たちはこう言った。

「まー、なんて綺麗な子なんだろう」

「今に、玉の輿に乗るよ。」

私は、何と返事をしたらよいのかもわからず、顔を赤らめて黙々と通り過ぎるだけだった。

きれい?

それはどういう顔を言うのか自分でもわからないのだから、からかわれているとしか思えなくても仕方がなかっただろう。


二十歳の誕生日だった。

「ま白い肌に、カラスの濡れ羽色の髪。大きな瞳には長いまつ毛。

 それだけの器量ならば、引く手あまただ。さて、どこに嫁がせよう」

彼の父君は真珠のネックレスとともにそんな言葉を贈ってくれた。

思わず隆志を振り向く…

あの人はただ、戸惑うように私から目をそらしていた。

こちらを見たら、石になってしまうかのように…私を見ようとせず部屋を出ていった。


「ちょっといいかな」

その夜の事、あの人…隆志が私の部屋をノックした。何も言わず、部屋着のまま彼についていった私のいつもとは違う反応に、隆志は戸惑いを隠さなかった。

仕方がない。何か口にしようものなら声の震えを隠しようもなかったのだから。

どうしてあの時何も言ってくれなかったの?

ずっと一緒にいると言ってくれた言葉は、偽りだったの?

問いただしたい事はいくつもあった。

わたしは、なぜ何も聞かなかったのだろう

怖かったのだろうか…

彼を失うことと、今の暮らしを失うこととを天秤にかけているのかもしれないと知る事が。


庭の中央付近の大木の前で、彼は立ち止った。

ひとり言のように話し始める。

「…すまない。

 …君を娶る事が、できなくなった…僕は父の決めた

 女性を妻にすることになってしまったんだ。会社のために…

 気持ちは今でも君にあるのに…」 

 

声が震えているのは、寒さのせいだろうか?

「でも…。僕には…今の僕には父に従うしかないんだ」

隆志は、空を仰ぎ見た。 

「…だからといって、君は意に染まぬ結婚などする事は無いよ。

 俺のように、政略結婚なんて決してさせない。

 俺の目にかなった男にだけ、君を譲る」

隆志は天に向かって、一気に言い切った。

そして、足早に立ち去ってしまった。

振り向いてくれれば、ほほを滂沱に流れる涙に気付いたはず。

涙の原因を聞いてくれれば、わたしが両手で押さえた胸の痛みも伝わったのに。

先ほどまで隆志が立っていた樹のそばにゆき、彼が触れていた辺りに掌をそっと合わせる。

はっきりとした理由も無い約束の反故に、私はただ呆然としていた。

どのくらいそうしていただろう。体がすっかり冷え切った頃、ぼんやりと思った。

(誰でもいい。隆志の見えない所なら、どこへ嫁いだって同じ事だもの)

最期の涙とともに決心して、梢をみあげた。

隆志も見たであろう、真冬の寒さに光り輝く星のもと、私の決心は氷のように固まっていった。


隆志の婚約が発表されたのは、その数日後のことだった。







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