彼女がコロナで亡くなった
墓地は、静かだった。
思っていたよりも、ずっと。
優しいわけじゃない。
風が木々を揺らす。
鳥が鳴く。
……それだけだ。
彼女は、もう笑わない。
『また明日ね』
あれが、最期だった。
夕暮れの校門。
何気ない帰り道。
彼女はいつも、少しだけ前を歩いて――ふと振り返る。
『大丈夫、大丈夫』
根拠もないのに、そう言って二人で笑いあった。
イヤホンを片方、無理やり押しつけられる。
『これ、絶対好きだと思う』
『いや、どうせまたしっとり系だろ』
『いいから』
少しだけ距離が近くなる。
肩が触れそうで、触れないまま。
流れてきたのは、静かな曲だった。
春の終わりみたいな、
少しだけ寂しくて、でもあたたかい――そんな曲。
『ほらね、合うでしょ』
『……まあ、悪くない』
『”好き”って言えばいいのに』
『言わねえよ』
彼女は笑う。
『じゃあさ、今度フルでちゃんと聴こ。ちゃんと並んで』
――その”今度”は、来なかった。
画面越しでも、ちゃんと生きていた。
声も、表情も、その笑い方も。
たしかに、そこにいたのに――。
『新型コロナ』で、世界は止まった。
「会えない」が当たり前になって。
……それでも、思っていた。
そのうち戻るって。
『落ち着いたら会おうね』
軽くて、あたたかくて。
だから疑わなかった。
返信が来なくなった日も。
『ちょっと遅いな』って、それだけで。
既読はついたまま。
最後の『うん、またね』が残っている。
何度も開いて、何度も閉じる。
通知なんて来ないのに、指だけが動く。
『忙しいだけだろ』
『疲れてるだけだろ』
『すぐ返ってくるだろ』
その『だろう』で、
未来を繋いでいた。
――なのに、もうどこにもいない。
今、彼は墓の前にいる。
風が強い。
なのに、涙だけが静かに落ちる。
桜が散る。
ひとひら、またひとひら。
「……遅いよ」
声が、かすれる。
「ほんとに……遅いよ……」
膝が折れる。
地面が冷たい。
彼女が好きだった飲み物を、そっと置く。
コンビニで、いつも選んでいたものだ。
『またそれ?』って笑いあったやつ。
「一回くらいさ……」
言葉が詰まる。
「一回くらい……会えたって、よかったじゃん……」
そこで、壊れる。
声が出ない。
泣いているのに、音にならない。
名前だけが、何度も崩れる。
額を墓石に押しつける。
冷たいのに、少しだけあたたかい気がした。
『今度さ、映画行こ』
彼女の声が、蘇る。
『泣けるやつが見たい。 めちゃくちゃ泣くやつ』
『どうせお前、途中で寝るだろ』
『寝ないって。たぶん』
『信用できねえ』
『じゃあ寝たらジュース奢る』
――二人で一緒に聴くはずだった曲。
――並んで観るはずだった映画。
――どうでもいい約束。
その全部が、未完成のまま。
終わっていないから、終われない。
涙が落ちるたび、桜が揺れる。
――ふいに、風が止んだ。
――音が消える。
その静寂の中で。
確かに、聞こえた。
——『また明日ね』
声じゃない。
記憶だ。
それでも、そこにいるみたいで、優しくて、
――どうしようもなく残酷だった。
消えないまま、残り続ける温度。
『来ない明日』じゃない。
『終わらない今日』だ。
彼は、泣いたまま笑う。
「……なんでだよ」
答えなんて、どこにもないのに。
桜が、落ちる。
彼の手の中には、一通の手紙があった。
少しだけ皺が寄っている。
何度も開いて、何度も閉じた跡。
白い封筒。
見慣れた、丸い字。
震える指で、もう一度だけ開く。
――――――――――
ねえ。
これを読んでるってことは、たぶん私、ちゃんと渡せなかったんだと思う。
ごめんね。
本当は、直接言いたかったんだけど……ちょっと、うまくいかなかったみたい。
まずは――ありがとう。
一緒に帰ったことも、
どうでもいいことで笑ったことも、
イヤホン半分こしたことも。
全部、ちゃんと覚えてる。
全部、ちゃんと楽しかった。
あの曲、覚えてる?
「春の終わりみたいだね」って言ったやつ。
私はあれ、好きだったな。
君と並んで聴いたから、たぶん余計に。
あとさ、映画行けなかったね。
絶対泣くやつ選ぼうって言ってたのに。
……まあ、たぶん私、途中で寝るけど。
でもね、そういう「どうでもいい約束」が、すごく好きだった。
「また明日ね」って言える毎日が、
ずっと続くって、思ってたから。
……ねえ。
もし、少しだけでもいいから……私のこと、覚えててくれたら嬉しい。
無理に忘れなくていいし、
無理に覚えてなくてもいいから。
ふとしたときに、ちょっと思い出すくらいで、ちょうどいい。
それでね。
もし、またあの曲をどこかで聴いたら――
そのときは、少しだけ笑ってほしい。
私はきっと、そのくらいの距離で、ずっとそこにいるから。
だから――
ちゃんと、生きてね。
さようなら。
追伸
あなたのことが大好きでした。
――――――――――
手紙が、震えていた。
いや、震えているのは自分の手だと気づくのに、少し時間がかかった。
「……無理だよ」
声が漏れる。
「そんなの……無理だろ……」
――笑えなんて。
――生きろなんて。
「簡単に……言うなよ……」
手紙を、胸に押しつける。
まるで――そこにまだ温度が残っているみたいに。
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それでは、また。




