ひだりてとこんぺいとう
玄関で、新しく下ろした白い靴をはいた。
早く目が覚めたから、制服にもアイロンをかけてある。
ドアに右手を伸ばしかけ、少し考える。
今日は左手で開けよう。
外に出ると、教科書を詰めたリュックもなんだか軽やかで、今日は特別な一日になると予感した。
わたしのそんな予感とは反対に、授業はいつもと同じ。
先生の話は退屈だった。
酸化銀は熱で分解するというけれど、私はあの綺麗な銀を持っていない。
もし手元に銀の指輪があったって、火にかけたりなんかしないに決まってる。
大切に、大切にみがくのだ。
そんなことを考えながら窓の外を見た。
窓ガラスに隔てられた校庭は、12月の寒さを感じさせない。
けれど、どこか澄み切った空気は、これから雪が降るのだと教えてくれているみたいだった。
前の席に座る愛美ちゃんは、せっせとノートを取っていて、わたしとは違って真面目だ。
でも、好きなものは似ているし、毎日一緒に帰るほど仲がいい。
友達ってふしぎだ。
どうして仲良くなったのか、きっかけは思い出せないけれど、一緒にいたいという気持ちだけは、ずっと持ち続けていられる。
昼休み、愛美ちゃんがわたしのお弁当を覗き込んで言った。
「たまご焼き、美味しそうだね」
わたしはえへへと笑った。
愛美ちゃんは、月曜日のお弁当はわたしが自分でつくっていることを知っている。
だからだろう。月曜日は必ずほめてくれる。
それでも、嬉しかった。
彼女が心の底から美味しそうだと思っているのは伝わってきたし、それに、そんな優しい彼女とお昼を過ごすことができて、とても嬉しかった。
放課後になると、日はもう落ち始めていた。
冷たい空気が服の間から吹き込んでくる。
わたしも愛美ちゃんも、厚手のダウンジャケットをはおり、マフラーで首元を覆った。
「朝は着てなかったけど、さすがに夕方はね」
わたしがそう言うと、愛美ちゃんは、
「どうして? 朝も寒かったのに」
と首をかしげた。
「せっかくアイロンかけた制服を着ているんだもの、できるだけみんなに見せたいじゃない」
愛美ちゃんが微笑む。
「いつも綺麗にしてるから気づかなかった。でも、言われてみればそうかも」
それを聞いて、わたしも笑った。
こんな楽しい気持ちになれただけでも、アイロンをかけた甲斐があったと思った。
帰り道、愛美ちゃんが、寄り道をしてみようと言った。
それはわたしも考えていたことだから、大きく頷いた。
「でも、どこに行くの?」
そうわたしが訊くと、
「普段は通らない道を歩いてみようよ」
と、愛美ちゃん。
わたしは、今朝左手でドアを開けたことを思い出した。
いつもと違う手に、いつもと違う道だ。
それはとてもわくわくする響きだった。
しばらくして、わたしたちは海岸沿いの通りを歩いていた。
細い道で、歩道がなかったので、車に注意しながら進んだ。
道を挟むように連なった樹木に遮られ、海は見えなかった。
けれど、潮の香りはした。波の音もかすかに聞こえた。
見えなくても、海の感触はすぐ近くにあった。
歩いて行くと愛美ちゃんが、
「もうすぐだよ」
と言った。
その頃には陽も落ちていた。
辺りは暗い。
少しして、愛美ちゃんが立ち止まる。
「ここだよ」
彼女が指差す方に目をやると、そこだけ樹木が開けていた。
海が見える。
灯台が、水面に灯りを落としていて、それが波に合わせてゆらゆらと揺れている。
「綺麗」
わたしは思わず呟いた。
「残念ながら星は見えないけどね」
そう言った愛美ちゃんの顔はなぜだか得意げだ。
だからわたしは訊いてみる。
「なにか考えてるでしょ」
愛美ちゃんは頷くと、黙って右手を差し出した。
それはグーになっていて、中身は見えない。
愛美ちゃんが手を開く。
こんぺいとうが握られていたのだと分かる。
「今日はこれが星の代わり!」
一粒受け取って口に入れた。
舌の上で転がすとかすかに甘い。
「まだあるよ」
愛美ちゃんがそう言うのでもう一つもらう。
左手でドアを開けた日は確かに特別だった。
ふと空を見上げると、愛美ちゃんの言った通り、曇っていて星は見えなかった。
けれど、月は光が強いから、雲を透けていた。
わたしはこんぺいとうを2本の指でつまみ、目の前にかざした。
月の光が、こんぺいとうと重なる。
それは、きらきらと光り輝いているように見えた。




