ヘイ・ジュード
友達の誕生日会に始めて招待されて行った時、「ヘイ・ジュード」を誰も歌わなかった。
みんなが「ハッピーバースデー・トゥーユー」を当たり前のように歌うから、自分のウチだけ特別なんだと始めて知った。家に帰って何故ウチは他の家とは違うのか、と母に聞いたところ、
「あなたには六つ違いのお兄ちゃんがいたのよ」
と教えられた。僕はずっと一人っ子で、友達のウチみたいに兄弟がいることを羨ましいと思っていたから、思い掛けず聞かされて嬉しかった。
「お兄ちゃんは生まれる前にお母さんのお腹の中でこの曲を聴くと、楽しそうに足を蹴ったりしたのよ」
「お兄ちゃんはどこにいるの?」
「でもね、お兄ちゃんはいないの。お母さん達には産めなかったの」
当時僕は七歳だった。まだ社会の諸々を理解できる年頃ではなかった。だから、母さんと父さんを子供勝手に許すことが出来なかった。
「どうしてお兄ちゃんを殺したの?」
と強く責め立てると、母は困ったような顔をして目を瞬かせて泣いた。父さんも言葉を失くした。僕はそれに驚いてもうそれ以上は訊いてはいけないと子供ながらに了承した。それ以来兄さんのことは聞けなかった。それには二人を愛していたから、また母を泣かせてしまうのが恐いと思っていたからだ。
十二歳の僕の誕生日が来た時、家族全員で「ヘイ・ジュード」を歌い終わると父は優しく教えてくれた。
「お兄ちゃんはね、お母さんの中で病気になってしまったんだよ。お医者さんが検査して分かったんだ。お兄ちゃんは産んでも身体に病気が残ったままになってしまい、長く生きられないかもしれないって。お母さんと二人で相談し合って、産まないことにしたんだよ。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんにとても悪いことをしてしまったと、ずっと悔やんでるんだよ。二人の愛の塊だったんだから。そして坊やがやっと生まれた。坊やの誕生日がくる度に、お兄さんのことを忘れないように、あの曲をかけて、お祈りしているんだよ」
「お祈り?」
「そう、お兄ちゃんが無事に天国で暮らせるようにね。石を永遠に積み重ねないように」
僕が二十二歳になった時、両親をフランス料理に招待した。始めて給料を両親のために使った。僕は緊張して、順番に運ばれてくる料理を、違いもよく分からない高めの赤ワインで押し込んだ。不慣れで場違いなところにいたことと、両親に言おうと思っていることが胸の中で膨脹していたからだ。
メインディッシュの鴨のソテーを食べ終わると、僕は両親に打ち明けた。
「ずっと言おうと思ってたことがあるんだけどさ」
僕は恥ずかしくて外のビル群の明かりに目を移した。両親の顔がガラスに映っていた。 「なんだい?」
そんな風に父が問い返したので、僕は益々あがってしまった。
「兄さんが生きてたら、もう二十八歳なんだよね」
「急に、どうしたのよ?」
「うん…、謝りたくて。ずっと言う機会がなかったんだけど。母さん覚えてる?子供の頃に何故兄さんを殺したのかってわがまま言って」
二人は黙って僕を見ていた。その表情の中には優しさが宿っていた。どう返答して良いのか二人は分からないようだったので、僕は話を付け加えた。
「あの時父さんと母さんを悲しませてしまって悪いことしたなって、ずっと思ってたんだよね」
「昔の話じゃないか。まだお前は子供だったんだし」
父さんは手の甲に顎を乗せて言った。母さんは目を赤くしていた。
僕等の間に沈黙が流れると、さっきまで流れていたクラシックのピアノの生演奏が終わりを迎え、店内のオレンジ色の照明が急に暗くなった。
「あら、何かしら」
二人は驚き、顔を相向けた。
すると突然ピアノがジャズのように砕けたリズムの伴奏を始め、テンポ良く激しく「ヘイ・ジュード」が店の中に鳴り響いた。二人が唖然としているので僕は言った。
「店の人に頼んでおいたんだよ」
「おお、すごいじゃないか」
父さんは笑った。
厨房からはパチパチと花火のついた大きなケーキが手押し車に乗って運ばれてきた。と同時に、どこからともなく拍手が巻き起こった。手押し車が僕達のテーブルわきに置かれると、音楽も拍手も最高潮に達した。
「もう、恥ずかしいわ。誰の誕生日でもないのに」
ポールが作りたての「ヘイ・ジュード」をジョンに聴かせると、これは僕だ、とジョンは叫び、これは僕だとポールが驚き返し、二人は譲らなかった。
気が小さくて、か弱いジュードは誰の心にも潜んでいる。
「僕も生まれる前は、母さんの中で『ヘイ・ジュード』を聞いてたの?」
「聞かせたけど、あんまり反応無かったわよ」
母さんは笑った。父さんも笑って繋いだ。
「試しにピンク・フロイドを聴かせたら、一番よく反応したけどな」
(完)