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秋の風・私の町

作者: 塚越広治

先の春の遠足をテーマにした「はろー・はろー」に続いて、今度は秋の遠足の話です。

 「チョモランマ」という名前を、成美は『高い山』『寒そうな山』として覚えていた。どこで知ったのか記憶は定かじゃない。たぶん、テレビで見たのだろう、ということは『有名な山』という特徴を付け加えてもいい。でも、成美が思い描けるのはその程度のものだ。教室を見回してみても、友達はみんな首を傾げている。たぶん、みんなは成美と大して変わりがない。

 なぜ、そんな生活と関係がない名前を思いだしたのかというと、斉藤先生がチョモランマのビデオを見せてくれるというのだ。斉藤先生自身、学生の頃は、随分、山歩きをしたのだという。でも、今はお腹に肉が付いて、山歩きには向いていない。生徒たちもあまり乗り気ではなくて、アニメのビデオの方が良いなあなんてはしゃいでいる。

「静かに、今から始めるから。」

 ビデオが始まった。斉藤先生は自信満々だ。この雄大な光景と、この過酷な自然に挑む登山家の勇気は、生徒たちの心を揺さぶり、無垢な心に感動を呼び起こすのに違いない。

 ちょっと勇ましい感じがする音楽が始まった。ロープでお互いの体を繋ぎ合った人たちが、寒そうに厚着をして、日当たりのいい雪原の上を行進している。一歩ごとに、足が雪の中に膝の当たりまでめり込んで歩きにくそうだ。先頭を歩く人は、鼻の上までマスクで隠していて、マスク越しに漏れる呼吸が白く荒い。

 登山家の姿が小さく、画面の隅っこに移動して、登山家の前方、画面に大きく、てっぺんの尖った山が映し出された。登山家の姿はゴマ粒のように小さい。急な山の斜面を霧のように雪を舞わせて、冷たい風がかけ下ってちっぽけな登山家たちを包んでいる。勇敢な登山家たちは、これから、この偉大な山に挑むのだ。

「どうだ?すばらしいじゃないか。」

斉藤先生は同意を求めるみたいに生徒を指さした。

「山田。どんなことを感じた?」

「怖そう……」

「中島は?」

「寒いのは嫌よ」

「宇佐見、登山家になってみたいと思わないか?」

「この人たち、なぜ、こんなしんどいことをしてるの?」

「お前達……、自然に対する尊敬とか……、自然に挑む人間の勇気とか……、心揺さぶる感動ってもんを感じないのかなぁ?」

 先生のそんな言葉に生徒たちはちょっと反論したいことがある。成美は不満そうに手を挙げた。

「先生」

 でも、成美は口ごもって手を下げてしまった。成美たちにも言い分がある。でも、チョモランマがすごい山だと言う先生の意見は正しくって、先生に反論するような説明することが出来ないんだ。

 先生は生徒に失望したようにがっかりして、生徒にプリントを配った。朝の集合時間とか、週末の遠足のスケジュールについて書いてある。成美たちが住む町の裏山の頂上に、このあたりで知られた有名な神社がある。軽い登山を兼ねた参拝者が大勢いて、昔からこの小学校の遠足の目的地の1つだった。

(はっ、はぁーん?)

 生徒たちはプリントを見て、顔を見合わせながら、心の中で相づちを打った。斉藤先生は優しいし、教えることに熱心だし、成美たちは先生が嫌いじゃない。でも、斉藤先生は単純。週末の遠足と、自分が好きな登山のイメージを重ねているんだ。


 遠足の日、成美たちは山の麓でバスを降りた。ここの登山口から山に登る。走り去るバスに乗ったままの人を眺めて、生徒たちはいいなあって思った。あのバスはこの山の西側に回って山頂に向かう。目的地は成美たちと同じ。でも、成美たちが南の山道を歩いて登るのと比べたら、神社まであっという間だ。

「4年2組、頂上アタック隊しゅっぱぁーつ。」

 生徒がそろっていることを指で数えて確認した斉藤先生の号令がかかった。たぶん、斉藤先生は成美たち生徒に、この間見たチョモランマに登頂する登山隊のイメージを重ねている。

「えぇぇぇー!」

 斉藤先生の大げさな身ぶりに、成美たちはちょっと眉をひそめたり、嫌な顔したりした。だって、子供なら誰でも知っている。大人が勝手に張り切ると、ろくな事がない。

 登りのペースが早い。前のクラスを追い越しそうだ。斉藤先生が張り切ってるのは明らかだ。こうやって、汗をかきながら登っていると、考えるのは、楽をして登ればいいのに、なぜ、自分たちがこんなにしんどい思いをしているんだろうと言うことだ。

 バスに乗っている人たちは、今頃、景色のいい道路を、空調の利いた涼しい柔らかなシートに座って頂上をめざしている。

 成美は汗を拭きながら、恨めしそうに先生を見た。さっきから先生の声が聞こえ無いなあって思った。先生は口を大きく開けて苦しそうだ。当然だ、先生のお腹周りの贅肉は登山に向いてない。もう先生からチョモランマの名前は出ない。ひょっとしたら、チョモランマに登る登山家より、いまの先生の方が疲れているかもしれない。でも、今度は成美が雪のチョモランマを思いだした。

(涼しそうでいいなあ)

 一面の雪や、その表面を吹き荒れる冷たい風に吹かれてみたいと思ったんだ。

「こんにちわ。」

 涼しい風の代わりに、疲れてぽかんと口を開いた成美たちの頭の上から、明るく軽やかな挨拶が降ってきた。山を下りてきたハイカーの男の人だ。こういう場合は、返事の挨拶をしなければならない。

「こんにちわ」

「こんにちは」

「こんにちわ」

 先生も、佐々木クンも、成美も、お義理で挨拶を返したが、本当は苦しくってしゃべりたくない。成美は道ばたに小さな祠があって、お地蔵さんがいるのに気付いた。

(いいなぁ)って成美は思った。

 お地蔵さんは汗もかかないし山を登らなくていい。成美は立ち止まった。もう歩くのが嫌だ。他のクラスメートから遅れたのに気付いた先生が尋ねた。

「成美、どうしたんだ?」

「私は、ただの、旅のお地蔵さん、です。」

 とぎれとぎれの言葉に、疲れた、もう歩きたくない、情けない、と言う気持ちが溢れている。先生も疲れた表情を笑顔に変えた。成美もその笑顔につられて笑った。立ちつくしているわけにもいかないことは成美にも分かっている。しかたなく、成美はまた歩き始めた。

 道はつづら折りに続いていて、前方に空が見えない。次の角を曲がったら、頂上が見えるかもしれないという期待は、曲がり角の度に裏切られて、失望のため息ばかりだ。

 成美たちは少しづつ登っているつもりだけれど、左右を見回しても木々の様子に大した変化はなく、左右の視界をさえぎって空気が重くよどんでいるようだ。遠い先の頂上より、ただ、今、苦しいし暑い。もう秋だと思っていたけれど、夏は終わっていなかった。

 先生も生徒たちも、随分、苦労したつもりだ。でも、最後はあっけなかった。突然に、成美が登っていた山道が舗装された林道に合流して、林道の広さだけ視界が開けて、山を下って行くバスとすれ違った。すると、すぐそこに頂上の標識があった。

 標識によると、この頂上は標高470メートルだという。チョモランマに比べたら、いったい、何分の一の高さだろう?

 見晴らしのいい頂上から麓に見える道路を指で辿っていくと、運動場を備えた建物があって、あれは成美たちの小学校に間違いがない。山に囲まれた小さな町だ。この町で、成美たちは生まれ育った。成美たちはそんな町の全景を眺めた。田で稲の刈り入れをする人たちの姿が見える。あの中に成美たちの家族がいるはずだ。

「あっ、赤とんぼ。」

 誰かが、頂上に広がった秋の空を指さした。赤とんぼが生徒たちの間をすり抜けていくように何匹も飛び交っている。目に見えないはずの秋の風が、とんぼに姿を変えて、みんなを包んでいた。

 そんな山頂の涼しい風が、小さな登山をやり遂げてほっと力を抜いた全身を、通り抜けていくようで心地がいい。まるで体がこの自然に溶け込んで行くみたいな感触だ。同じ秋の風が、大きな自然をかけ下りて、成美たちの町を優しく包んでもいる。ふもとで、さわさわ稲穂を撫でるのは、同じ風に違いない。

 先生もほっと力を抜いて、そんな感触に浸っているみたいだ。成美はそんな先生を見て思った。

(チョモランマもいいけれど、この景色も素敵でしょう?)

 たぶん、先生もそう感じたと思う。


以前、トレッキングで通りかかった鳳来山を下っているときに地元の小学生の遠足とすれ違いました。その小学生のイメージが膨らんでこんな物語になりました。

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