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2.東京を観光した



 響は恐らく育ちが良い。

 そう思ったのは何も一度や二度の話じゃない。

 藍那が来てからさらに一週間経ち、響がこの家に泊まり始めて二週間目。より色々と分かったことがある。

 例えば夕食に焼き魚が並ぶと骨以外を丁寧に取り除いて食べてしまう。いただきますとご馳走様でしたも欠かさずに言う。食事以外でも、悪いことをすれば何だかんだ謝るし、家出中なのにちゃんと勉強すらしている。


 総合的に鑑みて、それら響の生活態度の良さは性格以上に親の躾の結果のように俺には思える。その証左が腹部にある青痣だ。どれだけの力を込めればああも酷い跡が残るのか想像もしたくない。響はきっと哀れまれたくないから自分の事情を話さないんだろうが、やはりどうしても女子中学生の痛ましい姿を見れば憐憫の情は湧いてしまう。だから一週間も経った今でも俺は響に事情を聞けていない。


 俺は視線を響に遣った。今はリビングのソファーで行儀良く座りながら持参した学校の問題集を解いている。一応自室もあるのだが、響はあんまり寝る時と着替え以外のタイミングはあまり居たがらないようだ。大抵の時間を響はこの広いリビングで過ごしている。


 ふと響と目が合った。


「咲花さん。この問題分かりますか?」


 響は俺を見て好都合とばかりに言った。少しニヤニヤしているのが気になるが、まあ良いだろう。


「数学はなぁ。俺文系だぞ。まあ見るけど」

「はあ、文系ってことは数学から逃げたんですね。それなのに経済学部とか恥ずかしくないんですか?」

「うっせ。俺だって昔は全教科それなりだったんだぞ。全ては高校数学という邪教科目のせいで文系にならざるを得なかっただけで、素養なら少しはある」


 本当ですか? と言いたげな瞳をしながら響がクルクルとシャーペンを指で回す。俺もそれ昔やったな。ソニックって技名だった気がする。


 所詮中学数学なんざ高校数学のための入門編でしかない。俺だって高校受験で数学を使ってるんだ、二次関数やら図形の角度やらの問題ならまだ身体で覚えているはずだ。

 約6年前の高校受験生時代の貯蓄を出し切るつもりで、俺は響の梃子摺っている問題を見てみた。


 見た瞬間解った。

 数学じゃなかった。

 数学Iだった。

 三角比がなんか問題文に出てるし、サインコサインタンジェントとかいう何処かで見た顔をした文字列が問題文には浮かび上がっている。


「……何年生だっけ、響お前」

「中学二年生ですよ」

「公立?」

「私立ですけど」


 不思議そうな視線をぶつけられて、俺は思わずうわと思った。育ちがいいとは前々から思っていたが、どうもこの少女学歴も大層良いらしい。中二で高校数学をやっている時点で学力偏重なカリキュラムを組んでいる全国屈指な超進学校に決まっている。


「分かった分かった俺の負け。辞めようぜ勉強の話」

「ちょっと? 見てくれるって言いましたよね?」

「高校数学以降の数学は専門外なの。文系は全員数学アレルギーを患ってんの。頭良いんだから頑張って自己努力で解決しろよな」

「そんな言い方ないですよね!? 何ですか何ですか頭が悪い女の子が好みなんですかそうなんですよね!」

「いやそれは冷静に考えて当たり前だろ。頭良いと扱いづらいじゃん」

「うわ……腐った蜜柑……」


 おい。それは俺が腐った蜜柑みたいな人間性って言いたいのかこの野郎。

 進学校の常識に染まってしまった響に俺は常識を説くことにした。


「はぁぁ。あのな、これ中学数学じゃないから。高校数学だから」

「知ってますよ? え、解けないんですか? だから二浪とかしたんじゃないですか?」

「それを抉るな秀才女子中学生。数学は関係ねえよ。私立文系は国語英語日本史の三科目で受験できるんだよ舐めるな」

「寧ろたった三教科でどうやって二浪も出来るんですか?」


 俺は黙った。

 高三の頃は結構真面目に受験生をやっていたのに、浪人一年目にめちゃめちゃゲームやってたら当然のように全落ちしたのだ。二年目は一年目の反省から、ゲームは程々に抑え一日六時間勉強をすることで都内の良いとこの私立大学に受かった。受サロ的には俺は負け組らしいが俺は可愛い女子中学生と同棲しているのでその点では大いに勝ち越しているといえる。


 黙りながら響を見て存在しない受サロ住民に勝ち誇っていると、何を勘違いしたのか申し訳なさそうに響は口を開けた。


「その……ごめんさい。そんなに傷ついているとは思わなくて……流石に言い過ぎました」

「いや別にそこまで深く捉えなくていいけども」

「いえ、反省して私咲花さんより馬鹿になります。咲花さんのストライクゾーンに入って見せます」


 おかしい。反省の方向性が手元でデッドボール並みに曲がってきた。

 しかし、そんなことを宣う時点で学力がどれだけ良くてもなぁ。

 将来のことを思って俺は素直に伝えることにする。


「なりますというか、響はある種馬鹿だよ」

「ということは頭が悪くなった責任を取って結婚してくれると?」

「しねえよ」


 やっぱり馬鹿だよこの子絶対に。

 そう思って見ていると、響は手を口に当てて人を煽る仕草をしながら口角を上げた。


「うわ咲花さんって大人なのに責任すら取らないクズですかそうですか、でもそんな咲花さんに付き合ってられるのは全世界で私だけなのでちゃんと大事にしてあげてくださいね」

「お前全然反省してないだろ」

「一緒の墓に入る方向性で反省してまーす」

「なんで老後まで一生連れ添う気なんだお前は」

「来世もまた恋人同士になりましょうね」

「死に際のカップルみたいなこと言うじゃん」


 にまにまと笑いながら再度問題集に向き合う響に俺は頭痛がした。正直響がどこまで本気で言っているのか分からない。ただ明確なのは女子中学生と付き合う成人男性はヤバい。社会的に不名誉だし、法律的にエロイことも出来ないわけで、俺にはとてもメリットが存在しないから普通に響と付き合うとかそんな現在は起こりえない。まあ響もその事実を分かったうえで会話のプロセスを楽しんでいるんだろうなと俺は思っている。


「そうだ、そろそろ行くか」


 ふと思い立ったように呟いた俺に対して、怪訝な視線を響は送る。


「何ですか? まだ式場の下見は気が早いと思いますけど?」

「アホか! 東京観光行きたいって言ってただろ、俺も来週には大学始まるしそろそろだろうと思ってだな」

「え、私外出ていいんですか?」


 余程意外だったのか、響は目を丸くして驚いたように声を上擦らせた。


「折角東京来てんだから家にいたままは勿体ないだろ。で、何処か行きたい場所はあるか?」

「そうですね……色々とありますけどいざ機会があるとなると別に行きたくなくなってきました」

「面倒くさいなお前」


 気持ちは分かるけど話が前に進まんだろ。


「だって私の予算そんなに無いんですよ? こう見えて中学生なので金銭的な余裕は貯蓄したお年玉の分しかありません」

「どう見ても中学生だけどな。別にいいよ、俺が出すから」

「そんなの申し訳ないじゃないですか」

「JC散歩と思えば安いもんだ」

「最悪な表現やめてくれませんか?」


 少しむくれるように響は頬を膨らませて抗議してきた。


「JC散歩は犯罪ワードですよ。そこはデートと言ってください」

「女子中学生とデートする成人男性も十分犯罪的だろ。俺は死ぬまで賞罰欄と無縁で行きたいの」

「賞罰欄ってなんですか?」


 そう言いながら不満な面を引っ込めて首を傾げた。優等生らしく好奇心旺盛みたいで俺とは真反対だ。

 まあ中学生じゃ知る機会も少ないだろうな。

 今まであまり大人ぶれる機会が無かったので、ここぞとばかりに俺は年上口調で語る。


「高校生になってバイトとかすりゃ分かるけど、履歴書とかにある項目だ。前科が付くと賞罰欄に前科の内容を書かなきゃならないんだよ」


 響は頷きながらペン回しを止めると、意味深な笑みを浮かべながらちらりと俺を目配せした。


「ふーん……私頑張りますね」

「はい? 何を?」

「今の状況って咲花目線犯罪ですよね。見知らぬ未成年者を家に泊めると誘拐になるってテレビで見たことがあります。でも私は何があって絶対に黙るので大丈夫です、安心してください!」

「ああーそうだな」


 響の言う通りだ。

 未成年者誘拐罪。

 響が話した罪の正式名称だ。

 女子中学生でしかない響を親の了承も無く家に泊めている今の現状は未成年者誘拐罪が成立する状況である。響を泊めた初日にググって知った。

 現状はすごいマズイ。

 でもそういった情報を知りながら未だ実感の無い俺はもっとヤバいのかもしれない。


 俺にだって分かるさ。

 女子中学生の響が黙ったところで問題は簡単には解決しやしない。


 真っ当な親なら子供が失踪すれば捜索願を出す。

 響の親は確かにDVをするかもしれないが、それでも子供を私立の良いとこに通わせる程度には教育熱心で、子供に対する愛情だって当然あるはずだ。それが歪んでいるかどうかは知らないが、ともあれ、捜索願が提出されれば警察は必ず動く。響は未成年者なので確実に動く。


 捜索願が出された人物の発見される確率は凡そ八割と言われているそうだ。事件性が露わになればより警察は捜査に本腰を入れるだろう。

 響は頭が良く器量も良いかも知れないが、ただの中学生だ。

 自分が何をやっているかの自覚なんて中学生にあるはずもない。


「どうしたんですか咲花さん? 強張ってますよ、顔」


 そこまで考えて俺は思考を打ち切った。

 自己保身する術を考えようとする俺、何だか嫌な奴みたいだ。


「別になんでもねえよ」

「何でもなくは無いですよね? 話してみてください、何かきっかけになるかもしれませんよ」

「ガキに大人の悩みを話したって仕方がないの、ほらガキはガキらしく勉強してら」

「人が心配してるのにその言い草はないんじゃないでしょうか! ないんじゃないでしょうか!?」


 俺が素知らぬ顔でスマホに視線を落としていると、諦めたようにぷいっと顔を背けて響は再度勉強に勤しみ始めた。


 ふと胸に虚無感が去来する。ミント味のアイスを直接肺にぶち込んだような、冷えた感情が五臓六腑に張り付いた。

 何してるんだろうな俺。

 ネットの友人とは言え女子中学生を唆して家に泊めて、これでめでたく犯罪者か。

 折角大学には入れたってのに俺も大概アホだな。二十歳なったからって酒ばっか飲むんじゃなかった。


 とにかく今は何もしたくない気分だ。一生ベッドに寝転がってはスマホに自分の面を映しながら寝落ちしたい気分。それでも生活が回れんなら俺ならそうする。しかし親だって学校に通わない俺に払う金なんて無いだろうし、それ以上に俺は一人暮らしだ。


「あーヒモになりてえな」


 問題を解くことを中断した響が何か言いたそうに冷たい目を浴びせるのを無視して、俺はソファーで電子書籍を読みながら時間を空虚に潰した。






─── ─── ───






 翌日になって俺は響を東京の街に連れ出すことにした。響の住む岐阜とは違い東京は何かと色々なスポットがある。渋谷に行けば道玄坂沿いに並ぶ実態は良く分からないけど雰囲気だけはお洒落な小物ショップの数々、原宿に行けば先端の服を着こなした店員が闊歩する古服屋、押上に行けば東京の支配するスカイツリー。満面無く色々とある感じだ。


 その中で俺達は響の本日の希望により大手町に降りていた。ビジネスマン行き交うこの町に大学生と中学生が連れ添って歩く姿は少し目立っていて、自然と俺は響の兄貴みたいな空気感を醸し出して先導する。


 大手町は東京に数ある乗り換えポイントの一つ、或いは数多の企業が遍くオフィスビル街という印象が先行するが、実は駅から近くに皇居が存在する。渋いことに最初の目的地がここであった。


「本当に皇居でいいのか?」

「はい。ほら私、日本国民じゃないですか。だから一度くらい日本の王族の家は見ておきたいなって」

「瀟洒なことで」

「それに公園デートっぽくありませんか?」

「皇居をデートスポットと捉えているのはお前だけだよ」


 言いながら手が触れ合った。どうやら響は手を繋ぎたいらしい。普段なら絶対に了承しないが、ここは生存戦略的にアリな場面だ。手を繋ぐことで他人から仲良し兄妹として見られる可能性がある。打算を込めて俺も手を握り返した。響の表情をチラリと一瞥すると驚いたような表情で口をこちらに開けて、頬が夏の陽射しに照らされたように染まっている。


 皇居周辺を走り回っている右寄りな街宣車に背中を押されながらも、妙な空気感のまま俺達は皇居の庭園に足を踏み入れる。

 皇居は文字通り王族の家なので、平時は開放されていない。入れるのは桜田門駅から近い皇居外苑に、今いる皇居東御苑くらいなものらしい。俺もネットで調べただけだから詳しくは知らないけど。


 皇居東御苑とはつまり庭園だ。内部は日本庭園を始め、東京とは思えないほどの自然豊かな公園となっている。

 俺達は無言で非常に広大な庭園の一部を十分ほど歩いた。竹林やバラ園なんかもあって、教科書では象徴天皇とされている皇族であるがやはり皇族は皇族だなぁという陳腐な感想を抱いていると、響が言う。


「飽きました」

「おい」

「だって全部岐阜にありますよこれ。花も草も池も老人も全部ぜーんぶ岐阜にもあるものです。次行きませんか次」


 正直何となくこうなる気がしてたんだよな。都会の刺激を見学したい中学生にとってここはつまらない場所だろう。そもそも観光地じゃないしここ。

 でも俺は結構興味深かったけどな。響と違って自然をあまり見慣れていない東京出身だから俺。

 来た道とは反対方向に俺達は皇居付近のお堀を抜けると、有楽町まで歩いた。

 響からすれば有楽町はかなり珍しい場所のようで、仕切りに上を見上げては何の店があるのか確認している。


「都内って凄いですね……渋谷新宿池袋以外は大した街じゃないと思ってましたけど、ここまで店が犇めき合って人も沢山いるだなんて」

「都内の特に山手線沿いの街はどこもこんなもんだよ」

「凄い! え、高輪ゲートウェイもこんな感じなんですか!?」

「都内でも人が集まる場所と集まらない場所がある」


 良く高輪ゲートウェイなんて知ってるな。都民だって行ったことないような場所なのに。


「で、次はどこ行きたいんだ? ここからなら豊洲市場だったり、池袋も近いけど」

「決まってますよ、咲花さんが好きな街です」

「どこだよそれ」

「え? 秋葉原に決まってるじゃないですか」


 簡単な英単語を答えるみたいに響は一ミリも表情を動かさずに口を動かした。

 どうやら俺達の間には相当な誤解があるみたいだ。


「待て待て。それはもしかして俺をオタクと思っているってこと?」

「ですよね? だって深夜アニメとか好きじゃないですか。」

「いや好きだけどオタクって程じゃないし、最近は少年ジャンプのアニメだって深夜に放映されるような時代だぞ。別にアニメ見てるからオタクって時代は終焉を迎えてるっての」

「いやそうじゃなくて」


 皇居からずっと握り続けている左手を響はぱっと離した。


「咲花さん、言動が時折オタクじゃないですか」

「はあ? んなことないが?」

「いやいや、そうですって絶対に。例えツッコミする時とかアニメで培った語彙でツッコミしますよね。アレとか分かる人にはすごいオタク臭いなぁ~っと思われますからね」

「……普通にショックかもしれない」


 思い返せば確かにちょくちょくアニメから仕入れた言葉を会話に使っている気もする。俺の普段周りにいたのはオタクと言わずともアニメを見ている奴ばかりなので気にも留めなかったが、現役女子中学生である響がそういうのであればきっとそうなのだろう。流石に反省しくべきだな。

 心の中のクリップボードにデカデカと『オタク語彙禁止!!!!』という文字を掲揚していると、響は自分を指差すように両頬に人差し指を当てて、


「でも私はオタクに理解のある彼女だからそんなことは考えませんけどね!」

「俺の弱みにつけ込んで自分をアピールするのは止めろ。いいか、男なんて女にチョロいんだ。本気で好きになるぞ?」

「じゃあ結婚しますか。ご両親への挨拶は何時にします?」

「冗談だよ。藍那と別れたばっかだってのに子供連れて行ったら流石に俺が殺される」

「私は冗談じゃないので結婚しましょう」

「16歳になったらな」

「法律を盾にするのは禁止カードですよ!」


 むむむむむ! と可愛い生き物の唸り声を上げながら響は憤慨した。


「じゃあ俺が捕まるから結婚はしない」

「ああなるほど、それなら分かりました」

「はあ」


 自分でも分かる程度にクズ要素を濃くした回答だったつもりなんだけどこれなら分かるのか。

 少し戸惑っていれば、響は小学生相手に説明するようにゆっくりと言う。


「だって咲花さんが捕まっちゃったら私どこに行けばいいか分からないですから」

「そこかよ」


 意外に良い神経をしている。流石にそうなったら親元に帰れよと言いたくなったわ。


 有楽町から秋葉原までは山手線で6分ほどだ。

 平日昼時にも関わらず混みあった電車内の扉横で響と並んで立っていれば、直ぐに秋葉原に到着した。


「想像以上にカオスですね」


 秋葉原電気街口に面した大通りを見た響の一言目がそんな感想だった。

 ここ、秋葉原が電気とオタクと萌えの街とされていたのは過去の話である。まだ電気小物を売っている店はあるし、街を飾る広告は美少女ゲームや深夜アニメばかりであるが、それ以上に目を惹くのは大通り沿いに立ち並ぶ若い女の姿だろう。メイドやゴスロリ服を始めとした種々様々なコスチュームを着た若い女がこの通りには存在しており、彼女らはみんなコンカフェ嬢と呼ばれる人種だ。コンカフェとは即ちコンセプトカフェ、何かしらのコンセプトに沿った衣装を纏って接客する、いわばメイド喫茶の亜種だと思ってくれればいい。平日真っ昼間だというのにダレることなく全員が自身が所属する店に勧誘しようと甲高い声で通り行く人を呼び掛けている。

 正直教育には良くない光景だなぁと思いながらも俺は響に話しかける。


「ぶっちゃけ楽しい街じゃないと思うぞここ」

「いいんです。社会科見学のつもりで来ただけですから」

「何を学ぶ気だよ……」


 呆れてしまった。流石にこの欲望渦巻く街で見学しても得れる知識はコンカフェ嬢が着るゴスロリ服の豊富さとこの街を訪れる外国人観光客の国籍の多様さくらいだろう。


「どこかお勧めはありますか咲花さん?」

「女子中学生に勧められるお勧めスポットなんてアキバにねえよ。だってアニメとか見ないだろ?」

「ほぼ見ませんけど、そこは年上の甲斐性を見せてくださいよ」

「甲斐性って言うのかこれは」


 的外れな要望ではあるが一応考えてみる。


「ゲーミングデバイスとか興味あるか?」

「別に……買えるわけでもないですし……」

「だよなぁ」


 FPSをやってるから興味湧いたかと思ったが、やっぱり響が微妙そうな面持ちをした。響はゲーミング周辺機器に拘らないタイプで、一先ず不自由なくゲームが出来れば後は何でも良い派閥である。それ以前にCS勢でもあるので、ゲーミングパソコン勢とは違って周辺機器のカスタマイズ性が低い点も響の興味を引かない理由の一端となっている。


 更に考えてもいい案は思いつかない。

 ラジオ会館へ行くにせよ、同人ショップに行くにせよ、ここ秋葉原ではR-18が当然のように跋扈しているのがネックになる。ついでに俺自身あまりこの町に詳しくない。


「昼飯食べるか? 美味い油そば屋ならあるぞ」


 割と苦し紛れの発言だったが、油そばという言葉に聞き馴染みが無かったのか響は目を瞬かせた。


「何ですかそれ」

「あー説明すると難しいな。醤油とか塩とかで味が付いた油だれに太麺が絡まってる料理だ」

「健康に悪そうですね」

「でも美味いぞ」

「まあ百聞は一見に如かずとも言いますし、連れてってください」


 そう言う訳で電気街を少しだけ散策したのちに、少し歩いて昭和街口へと移動した。俺が二回ほど行ったことのある油そば屋に赴くと、店外には既に20人ほどの行列が形成されている。


「大人気店なんですね」

「東京の昼時はこれがデフォだぞ」

「え……? 毎回30分くらい並ぶってことですか?」

「或いは空いてる店を探すか諦めて時間をずらすかだな」

「何だか面倒ですね」


 それは俺も思うことだ。

 結局40分くらい並んだ末に、俺と響は油そばにありつくことが出来た。俺は特大を頼んだのに対して響は普通サイズを注文して、食べ終えてからというものの苦しそうにお腹を擦っている。どうも多かったみたいだ。


「油過ぎませんかあれ……いや美味しいんですけどね?」

「油そばを食べるときは健康について考えちゃダメなんだよ。美味いものを食うという感情だけを研ぎ澄ませて向き合うのが健康に悪い飯を食べる時の礼儀ってもんだ」

「馬鹿じゃないですか?」


 何でこの子はこうも簡単に人を蔑む視線を作れるのだろうか。将来が末恐ろしい。

 ふぅ、と一息ついて響は駅の路線図に目を遣った。


「秋葉原、意外とつまらない街でした。どこか東京に面白い場所は無いんですか咲花さん?」

「気付くの早かったな。それが実際のとこねえの。東京っていう場所は何でもあって何かが無い。物質的に満ち足りてるが本質的なものは欠けている街なんだよ」

「それってどういう意味です?」

「消費社会の象徴都市ってことだよ。東京にはその街を象ったシンボル的な建物が何かしらある。例えば渋谷ヒカリエだの池袋サンシャインだの。でもその多くは十年後には別の何かに代替される。それが一定のサイクルで繰り返されるから本質的な、東京特有の文化って奴は殆ど残らない。流行りが入れ替わる度に習熟した文化が壊されて、また別の形になって再構築される。ほら、何も無いだろ」

「私には良く分かりませんけどね」

「住めば分かる。わざわざ住む価値があるかは知らんが」

「住む価値なら咲花さんがいるってだけでありますが!」

「近い近い、離れろ」


 ずいっと顔同士が触れ合いそうな距離に俺は響の顔を退けながら半歩下がった。むぅ~~~~という不満表明顔を俺は手でと掴むことにする。

 触った瞬間もちっとした感触が指を走る。気にせず俺はそれを上下左右に引き延ばしてムニムニとした。

 むにむにむにむに。


「止めてください本気で惚れますよ!?」


 俺は手を退けた。本気で惚れられるのは困る。

 頬を解放されたというのに響は過去一機嫌が悪そうにこちらを睨むと、両親の仇を見る顔付きの手を強く握った。


「すぐに手を退けるとはどういう了見ですか……!」

「だって本気で惚れられたら困るし」

「相変わらずクズですね仕方がない人です」

「正直者と言ってくれ」


 実際どう思われているのかは知らないが、本気で惚れられても俺は響には何も返せんわけで。付き合うは俺のポリシー的に無理だし、一緒にゲームするくらいが関の山だ。


「それはどうでもいいとして他にどっか行きたい場所あるか?」

「それは後でじっくり会話するとして……そうですね。後は東京といえばっていう主要駅回りたいです」


 年頃の女子中学生ならファッションとか興味あるだろうに、響は原宿とかには興味ないんだな本当に。




─── ─── ───




 主要駅と言われたので一先ず新宿、渋谷、池袋の三駅を軽く散策した。池袋では東口を店にも入らず適当にぶらぶらして、渋谷では坂が多かったので早々メイン通りだけでギブアップ、新宿では新南改札付近で響が10分ほど迷子になって発見後「お願いしますから私の目の届く場所に居てください!」とポカポカと叩かれた。どちらかと言えば保護者はこっちなんだけどな。

 その後は同様に新宿の歌舞伎町周辺を散策していたら午後三時になったので適当にお茶でもしようかと喫茶店を探したが見つからず、しょうがないのでそのまま山手線とメトロを乗り継いで自宅まで帰ってきた。


「いやー楽しかったですね。何だか高層ビルがあそこまで群生していると新鮮な気持ちになります」


 個人的には非常に渋い東京ツアーになってしまった気がしたが、東京にこれまで出たことがなかった響からすれば都会の面白みのない灰色のビル群な景色も新鮮だったのだろう。でも次はもっと大型商業施設とかに行った方がいいかもしれない。


「そこまで楽しめるのは響だけだよ」

「咲花さんは楽しめなかったんですか?」

「まあな」

「そこは嘘でも否定するとこじゃないんですか!?」

「俺、嘘とか嫌いだから」

「それが嘘だと思います!」


 でも新鮮と言えば新鮮だった。女子中学生と一緒に都内をぶらぶらする経験なんて今後の人生で娘でも持たない限りは有り得ないだろうからな。

 やれやれと言いたげな顔をしている響に俺はレジ袋を取り出す。


「まあこれでも食べて機嫌直せって」

「それ、駅前で買ったシュークリームですよね。これくらいで機嫌が直るほど安い女じゃありませんよ私は」


 と言いつつも五分後には笑顔で頬張っている響を見て、やっぱり女子なんだなと思う。チョロいぜ。


「…………私、本当はここまで勉強をしたいとは思わないんです」


 シュークリームを食べ終えてコーヒー(響には砂糖とミルクをたっぷり注いでいる)を飲んでいると、ぽつりと響は言葉を零した。


「好きだからあんなやってるんじゃないのか?」

「嫌いでは無いですよ勿論。知らないことを知るのは楽しいです。でも程度の問題とか、目指す先の問題とかあるんですよ」


 いつになく真剣な顔をした響に、猫背気味にスマホを見ていた俺の背中が自然と正される。


「私の親は開業医なんですよ。凄くないですか?」

「金持ちじゃん」

「最初に抱く感想として間違っている気がしますが……でも多分持ってると思います。それでお母さんが響も医者になりなさいって勉強させてくるんですよ」

「勉強ママってやつか」


 高校時代に身の回りにもいた。そいつも放課後や土日は常に束縛されて勉強をさせられ、超難関と呼ばれるような大学や医学部を強制的に受験させられていた。見事合格はしたものの、今じゃそいつはその反動から勉強など一切せずこの四月から三回目の一年生をプレイしている。結果的に俺と同級生になったわけだ。


 響はコーヒーを飲みながらしんみりとした声音で言う。


「はい。多分他の子たちより私はかなり徹底管理されてる方だと思うんです。例えば毎日必ず勉強帳簿を提出するよう言われています」

「勉強帳簿?」

「朝に予定を記帳してお母さんに渡します。参考書の何ページから何ページ、この単元の理解度はこのくらいまで上げるみたいなタスク表ですね。で、夜になったら実績を記載してお母さんに渡すんです。それでもし達成していなかったら怒られます。テストがあった時にはお母さんが選んだ志望校がA判定じゃなかったらもっと怒られます」


 なるほど……あの痣もきっとこういう教育の一環で作られたものなんだろう。これはド級の教育ママだ。

 結局、響の母親は子供の為とか言って本当は自分のために子供を強いているだけなんだと俺は思う。

 事情は知らないが、子供は親の二度目の人生じゃない。子供は子供なりにやりたいことがあって、親とは違う道を歩むことだってある。その理解が響の親には足りていないんだ、きっと。


「毒親ってことか?」

「ち、違います! そうじゃないです!」


 俺の言葉に強く反駁して、響は言い過ぎたかと思ったのか口を慌てて抑えた。


「大丈夫だ。気にしてない。で、ならどう違うと思うんだ?」

「……お母さんが私に立派になって欲しいって気持ちも分かるんです。私の事を怒りたくて怒ってる訳じゃないことも。きっと分からないんですよお母さんにも、私がどうなれば幸せかって。でもそんなの私にも分からなくて。何か言おうにも理路整然と言い返せる言い分なんてなくて……」

「さあな」


 響は顔を上げて俺を見た。いつもみたいな人を食ったような、ポジティブな感情はそこに無く、表情は沈んで瞳が涙ぐんでいる。

 響は頭が良い。この後に及んでも

 ただ、こんな顔は響には似合わねえと思う。

 俺は隣に座って、ぽんぽんと響の頭を優しく叩いた。


「どうすりゃ幸せだなんて俺は知らねえよ。幸せの定義は自分で決めるもんだよ。親じゃなくて自分だ。医学部に行くかどうかも自分で決めろ。響の人生だ、教師だろうが親だろうが神様だって介入する権利はねえよ。そう言えばいいじゃん」

「……分からないんですよ、私。ギターが好きだからミュージシャンになりたいとか、ITエンジニアとして最先端分野に関わりたいとか、そういう夢みたいなものがないんです。それなのに意見なんか言えません」

「いや言えばいいじゃんって」

「適当なことを! 大した目的も無く二浪した咲花さんにはどうせ分かりませんよ!」


 響は激昂しながら目を見開いた。

 本当のことだから言い返すことはしない。俺が出来るのは目を反らさないことだけだ。


「酷い言い草だな」


 沈黙の末に俺が言葉を発すると、響は項垂れるように視線を床に落とした。


「……言い過ぎました。ごめんなさい」

「気にしてない。事実だしな」


 更に響は首を深く曲げた。まるで罪悪感から俺のことすら見るのも辛いと言いたげに。

 響は考え過ぎだ。

 俺の中学の頃なんてもっとバカだった。その手の親からの束縛なんて一切無かったから適当に過ごして、高校は何となく自分が行ける偏差値ギリギリの高校を選んで、そこでも適当に過ごしていたら二回も浪人生になってしまった。将来にについて悩めるだけ頭が良い。自分の人生に当事者意識を持っている証だ。


 大した人生を送れていない俺には響に金言ぶった事は言えない。

 それでも、まだそんな人生終わったみたいな表情をしながら俺の言葉に耳を傾ける段階じゃないだろお前は。

 俺は無理矢理に響の顎を持ち上げて、目を直視した。響の赤い虹彩はサーモンピンクみたいに濡れていて、今にも雨が降り出しそうだった。

 俺は無責任に語り掛ける。


「別に今後やりたいことは見つけりゃいいさ。今見つけなくたって何れは就職して何者かにはなっているんだ。ガキならガキらしく今はやりたいこと、やりたくないことだけを考えてれば良いだろ」

「……そんな自分勝手、お母さんが許すはずがないですよ」

「響は賢いよ。未成年だけど精神的にはとっくに親の庇護下から出れるくらいには立派だよ。許す許すじゃなくて、もう親離れする資格が響にはあると俺は思う。今は自分の心に素直になる時期だよ」


 響は俺の目を見ると、そこで涙が出掛けていることに気付いたのか、自分の両目を袖でごしごしと拭った。


「やっぱりクズですね、咲花さん。そこまで言っても責任取らないんですよね」

「まあね。何時もなら卑下しないけど俺はクズだからね」

「そう言われると罵倒しづらいんですが……」

「今更気にすんなって。ほら、何とでも良いぞ。怒らないし俺は何も思わないから」


 カモンカモンとばかりに手を広げてみたが、響は何も言わない。その代わりにそっと頭を胸元に押し付けられる。腕を回されて抱きしめられた。ぐりぐりと押し付けられる頭に俺はまたぽんぽんと頭を撫でる。


「クズ。ゴミ。二浪。無責任男……でも今の私にはそれくらいが丁度いいのかもしれません。これは私がどうにかしないといけない問題です」

「言いすぎだろ、ああ言った手前別に良いけどさ」

「……また相談して良いですか?」

「嫌だよ。重いのは勘弁だ」

「ですよね、咲花さんらしいです」


 そう言ってほんの少し悩みが氷塊したような面持ちで微笑んだ響の顔を見て、俺は徐々に言葉と裏腹に胸が熱くなる。体温が上がって思考が浮わつく。

 何かしてやりたい。

 俺は確かに勇気を出すのが苦手なちっぽけな人間でしかないけど、それでも何か出来ることがあるなら手伝い。本気でそう思う。


 そう思っていると携帯が鳴った。響はここに来るに当たってスマホを持っていないから、俺のスマホである。

 相手は……藍那?


「ごめん、ちょっと向こうで話してくる」

「はい。私は食器とか片付けておきますね」

「ありがと」


 俺はスマホの通話表示をスワイプしながら開きっぱなしのベランダに出た。複雑な感情が渦巻く俺の内心とは違って空はいいな、単調で能天気でただ世界を照らしているだけだ。


『あ、出た。もしもし彰』


 スピーカーから相変わらず妙に明るい藍那の声が響いた。 


「何の用だよ。暇だし俺これから寝る気なんだけど」

『えー嘘だ。さっきまで外出してたよね。』

「してねえけど。いや、正確にはコンビニを外出に含めるのは俺的に微妙だな」

『もう相変わらずだなー。適当言ってるの私は分かってるんだよ。ほら、黒髪の背丈が小さい女の子と一緒に歩いてたでしょ。駅前で見かけたよ』


 一瞬思考が止まった。

 見られた。コイツに見られてしまったか。

 心臓の鼓動が早まる。宜しくない予感に背筋がピクリと震えた。最悪だ。


「何のことだよ。さっぱり分かんねえ。人違いじゃないか」

『無駄だって彰、私が彰のこと間違える訳無いじゃん』

「はあ……だよなぁ。で、それがどうしたの」

『流石彰だね、開き直った!』


 藍那は控えめに面白い冗談でも聞いたかのように笑い声を立てた。


『いやさ、やるなーって思って。響ちゃんっていうんだっけ。彰が匿ってる女の子の名前。あの年で凛としてて、睫毛長くて可愛いね。あ、今度私お話しに行っていい?』

「誰が会わせるか、お前にだけは会わせないっての」

『残念だなぁ。すっごい残念だ。』


 全く残念じゃない風に言いやがる。てか容姿はともかく名前をどこで知ったんだよ。


『あ、知りたい? どうやって私が彰の隠している女の子に気付いたかって』


 藍那はそんな俺の心を読むと、軽やかにピアノの弦を弾くみたいに言葉を連ねる。


『最初に疑ったのは一週間前初めて彰の家に行った時なんだ。家政婦どうこうって言い訳が気になってさあ、だって彰って多少なら汚い部屋を許容できる感性持ちじゃん。家政婦に頼むにしても散らかって足場が消えてそろそろ人間的生活が出来なくなるなぁっていう、末期になってからだと思うし、それに引っ越して間もないあのタイミングでそこまで汚れないよね。』

「んなことないって。俺だって散らかれば不快感は覚える」

『まあそこはどうでもいいんだ。確信したのは洗面所を覗いた時だよ。歯ブラシ二つあったじゃん。しかも大人用と子供用。大人用は彰として、子供用って誰なのかなーって思ってたんだ。彰には兄妹もいなければ親戚の子を預かったなんて話も聞かなかったし』


 思わず歯噛みする。

 こいつの観察能力を見縊っていた……!

 ストーキング能力は異常に高いんだったこの女……!


『でさ、思うんだけど私、響ちゃんって未成年だよね』

「それがどうしたんだよ」

『だからさ、つい情報提供しちゃったんだ私』


 ………………は?


『ほら、捜索願出されると警視庁のホームページで顔写真公開されるじゃん。響ちゃん、いや、鳴見河響(なるみがわひびき)ちゃんの顔写真あったよ。写真写りも良い将来有望な可愛い子だね。きっと保護者の人はそんな愛娘が何日も帰ってこないから心配して出したんだろうね』

「何を……言ってるんだお前」

『だってどう考えても犯罪じゃん。彰がどう考えてるか分からないけど未成年の、しかも女の子を一人暮らしの家に泊めるなんて駄目に決まってるよね? それくらい常識的に理解できるでしょ?』


 変わらぬ口調ながら、何処か俺を脅すような口車で淡々と言葉を紡ぐ。

 情報提供をした……か。

 思わず俺は眼下を見る。張り付いてこの部屋を見張る警察官の姿はまだ見えない。パトカーの音も聞こえない。

 でも、本当なら時間の問題だった。

 響とは何の所縁も無いこの東京の地で、未成年者が生活するには誰かの協力が必要だ。そしてその誰かは世の中の大半の人間ならば邪な目的を持った成人と考える。従って状況的に危険と判断して警察がより捜査に力を入れる。具体的には更なる人員を投入する。そうなれば俺はお縄だ。


「本気か?」

『嘘じゃないよ。どうしよっか。彰、刑務所入っちゃうよ。私嫌だなぁそれは』

「いやお前が告げ口したんだろ」

『そうだけどまだその時は彰が匿ってる女の子と響ちゃんが同一人物だとは思ってなかったんだよ』


 そう言って本気で困ったような口調をする。

 勿論、態とに違いない。

 これが響には説明しなかった下紙藍那(しもがみあいな)の本性で、俺がこの幼馴染と別れた最も大きな理由だ。


 藍那は俺が困っている顔を見るのが好きらしい。


 俺は小学生二年生の頃クラスの生物係で、毎日放課後にクラスで飼っているメダカの餌遣りをやっていた。面倒だったがその頃はまだ怠いしサボろうだなんて選択肢が簡単に浮かぶクズじゃなかったから、毎日役割を全うしていたのだが、或る日からメダカの個数が増えていることに気付いた。一週間もすれば明らかで、誰かがメダカの水槽に新しい別のメダカを投入していたのだ。それが藍那だった。

 

 高学年になると俺はいっちょ前に思春期を拗らせて藍那と距離を置こうとした。そこに可能性を感じたのだろう。藍那は俺が嫌がっているのも無視して教室でキスしてきて、中学に上がるまでは男子の集団からはずっとそのことで揶揄われた。当時から藍那は美少女だったから役得だったという思いが無かったかと言われれば否定はできない。でも知り合いしかいない教室なんかで恋人感を出してキスされるのは心底嫌だった記憶がある。


 中学生になると更にあの手この手で俺を小さな問題の中心人物に仕立て上げては、その様子を嬉しそうに見つつ俺の隣で解決を手伝った。自分の欲求を解消しながら俺の好感度を上げるマッチポンプだったんだろう。恋人になってからは響にも言った通りの過激な行為も増えて行って、すっかりその頃には藍那のことは彼女として見れなくなった。それが別れるに至った概ねの事情である。

 メンヘラとかヤンデレならまだ受け入れられた。

 珍しいことに俺には一片の瑕疵もなく、あいつの性癖がきつ過ぎるのだ。

 

 とはいえだ。ここまでのことをされたことは一度も無かった。

 俺が発端とはいえ、今回は本気で弱っている。


「ったく……お前はどうしょうもないな」

『てへっ。ごめん。謝罪代わりにどうかな、私の家に避難しない? 多分さっきの外出で監視カメラから彰と響ちゃんの帰宅ルートが洗い出されると思うんだよね。だからその家はもう危険だと思う。一旦私の家に逃げ込んでみない? 私の家、知っての通り誰もいないしさ。そこからまた逃走方法を考えようよ。今の生活は出来ないだろうけどきっと手段はあると思う』


 確かに藍那の家は両親どちらも出張族だから基本藍那しかいない。高校になってからはそれが顕著で、ウチの親も俺の恋人だったこともあって藍那のことは自分の娘みたいな感情を抱いているのだろう。だとしても合鍵はやりすぎだと思うが、ともかく藍那の行っていることは合理的だ。姿がバレないようにして藍那の家に避難するのは一時回避策としては無くも無い。恒久的な解決策にはなり得ないだろうが時間は稼げる。


 ───が。

 俺の胸に熱が灯った。

 ダサいな、俺は。

 本気で追い詰められないと正面から物事向き合えない性格らしい。

 右も左も塞がれて、漸く吹っ切れた。


「───いや、良いわ。そろそろ三月も終わる。丁度良い頃合いだろうしな」

『……? どういう意味かな?』

「俺さ、響の問題を解決……は無理かもしんねえけど多少マシにしてやりたいんだ。初めてのネットの友人だしさ。藍那の言うように逃げても解決するかもしれないけど、真正面から行きたい気分なんだ」

『………………本当に捕まるかもしれないよ?』

「何言ってんだよ。情報が警察に行ったんだからこうしてても警察が来たら捕まるだろ。何も成さずに捕まるくらいなら友人の人助けをしてから捕まりたい」

『折角受かった大学とかパァーになっちゃうんだよ? それでいいの彰は』

「良かないが、友人を見捨てるよりはマシだ。じゃあな」

『ちょっとそれなら』


 俺は一方的に藍那との電話を切った。あいつは俺に対する感情が心底歪んでいるが、それでも根っこから悪い奴じゃない。それに美少女だ。うん、許そう。今回も今までと一緒だ。飯でも奢らせてやる。


 俺は部屋に戻ると、キッチンで響が食器洗いをしていた。俺が戻ったことに気付くと、少し口をモゴモゴさせてから言う。


「お電話、終わったんですか」


 その言葉に頷きながら、俺は敢えて話を叩き切って言う。


「響。今からお前んち行くぞ」

「………………はい??」


 唐突な言葉に理解が追い付いていなさそうな響に対してスマホの画面を見せた。

 東京発岐阜行き新幹線、自由席。

 ネットで予約して二人分、約二万円。

 高かったが、どうせ捕まるんなら金なんて幾ら使っても変わらない。


 未だに唖然として口をあけっぱなしにする響の顔を眺めては「確かにこういう美少女の驚いた顔は可愛いな」と藍那みたいな感想を俺は抱いた。

 




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