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1.家出少女を泊めた

三話完結、毎日上げます。

一話平均一万文字超あるためご了承ください。



咲花(さくばな)さん、朝ごはん出来ましたよ」

「……う、ああ。ありがとう」


 寝ぼけた頭に熱が籠るのも感じつつ俺はベッドから身を起こした。

 朝だった。

 カーテンの隙間から線状に日差しが伸びていて、それが俺の足に当たってじんわり暖かい。

 そして、身を起こしてまず感じたのが気怠さ。頭痛。若干の吐き気。

 ……二日酔いだこれ。

 昨日も相当飲んだもんな。うん。


「あー、もしかして私が寝た後も飲んでたんですか?」


 体を動かすことすら鬱陶しく感じていると、女の子が俺の顔を覗き込んだ。

 一瞬誰だか分からなかった。

 俺よりも一回りは年下に見える、義務教育すら修了していないだろうまだ幼さが多分に残った顔立ち。髪は黒曜石みたいに艶がかっていて、それが鎖骨辺りまで伸びている。顔は面長で、双眸を見れば綺麗なワインレッドの瞳、肌に出来物はなくどこまでも白く四肢がすらっと生えており、よく見れば微かに胸も膨らんでいるように見えた。将来はモデルタイプの美人になるだろう。今日は割烹着を着ていた。どこから持ってきたんだろうと考えて、そう言えば俺が酔った勢いでこの少女に似合うんじゃないかと思って買ったやつで、それをどういう意図なのか着用しているみたいだ。なんだか非常に宜しくないままごと行為をしている気分になってまた気持ち悪くなってきた。

 ぼんやりとした頭のまま男子大学生としては不味いほどじろじろと見ていると、名前を漸く思い出した。


 鳴見河響(なるみがわひびき)。岐阜県在住の中学二年生で、ひょんなことから、というか俺が原因でこの家で同居して一週間になる。

 元はといえばゲームを通じて知り合ったSNSの相互フォロワーだった。

 それが家出をしたいという話を聞いて、じゃあ俺の家にくればと酒精も相まった冗談半分で俺が誘ったら本当に東京までやってきたのがこの鳴見河響という少女だった。


「先に顔洗ってきてください、しゃんとしてきてくださいしゃんと。酒臭いですよ」

「ごめん……」

「全く、どうやって一人暮らししようと思ったんですか咲花さんって」


 返す言葉も無かった。でも俺にも言い訳はある。俺の大学は実家から通える距離なのに、親から「もう高校も二年前に卒業したんだからお前も明日から家を出て一人で暮らせ。社会に出る前に一人で生きることを覚えろ」と強制的に一人暮らしを強いられてしまったもんだから、一人暮らしの覚悟とか事前知識とかないまま野に放たれたわけで。俺だって一人暮らしがしたかったわけじゃない。しかしそれを昨日響に言ったら「咲花さんって子供みたいですね」と言われてしまった。今思えば良く知らない女子中学生に愚痴るべき事柄じゃなかったかもしれない。


 軽く洗顔しても内心で渦巻くグルグルとした不快感は収まらない。二日酔いの薬にでも手を出すか……まだあっただろうか。


「多少見れた顔になりましたね」

「どんな言い回しだよ……」

「さっきの顔、写真に撮っておけばよかったです。渋谷のハロウィンに現れるゾンビみたいでしたよ」

 

 二日酔いするだけでハロウィンに参加するための仮装要らずってか。全然要らん才能だ。

 俺は響が作ってくれた料理を食べる。トーストに餡子が添えられていて、小皿にはレタス主体のミニサラダが盛られていた。さながら名古屋の喫茶店みたいだと思うし、実際に響の出身は岐阜だ。岐阜と名古屋は電車で20分ほどと聞いたことがある。どうも名古屋の喫茶店文化は岐阜にも伝来しているようだった。その調子で昼にスイーツパスタとか作ってこないことを願うばかりだ。


「渋谷のハロウィンかなんて行かねえよ。面白くもない」

「そうなんですか?」

「少し前は軽トラひっくり返したり酒を浴びてワイワイしてたみたいだけど今じゃ取り締まり厳しくて、その癖人通りは凄いから疲れるだけだ」

「詳しいですね? もしかして行ったことあるんですか咲花さんって」

「無いが? 俺が行くと思うか?」

「よかった、私の知ってるさっくんだ。解釈一致です」


 絶対に俺が行かないと決めつける顔でうんうんと響は頷いた。なんだか失礼だな。


「でもそっちこそ意外だな。渋谷のハロウィンに興味あるなんて」

「馬鹿と関わるのは大変ですけど傍から見てる分には楽しいじゃないですか。常識じゃ考えられない行動とかしますし」

「物見遊山気分かよ」


 響はとても素敵な笑顔で言い切っている。女子中学生にして品川駅二階のカフェから平日朝の通勤ラッシュを見下す外国人観光客と同じ楽しみ方を見出してしまっているのは非常に心配だが、まあ実際にやるわけじゃないだろうからノーコメントで。一応言っておくが俺は止めんし着いて行かないからな。もしやるにしても趣味が悪い観光は一人でやっていてくれ。


 俺が餡子をトーストに塗っていると響はコーヒーを一口飲んでから口を開いた。


「私、それよりも上野動物園とか行きたいです。あと池袋とか新宿とか渋谷とか秋葉原とか、底辺観光よりも首都満喫旅行の方が興味あります」

「図々しいな。居候の癖に」

「私たちの仲じゃないですか」

「FPSのフレンドってだけだろうが」

「修羅場を潜り抜けた戦友じゃないですか」

 

 とまあ、口を開けば悪態か調子の良いことを言う響に俺もぞんざいに返す。何だかんだボイスチャット越しなら一年来の付き合いのため、この少女との付き合い方は分かっている。


「まあ別にいいが今度な。大学の入学前課題が終わってねえから」

「大変そうですね大学生って」

「どうだろうな」


 特段思いつかなかったので、適当にそう返事をした。

 都内でもそこそこ名の通った私立大学の文系経済学部経済学科にこの四月から入学予定の俺であるが、インターネット掲示板による事前調査をした限り進学先はかなり楽そうだった。授業だって過去問をそのまま覚えれば単位が取れたり、出席さえしていれば成績が悪くても単位が取れたりと、受ける講義さえ間違えなければかなり楽に学生生活を謳歌できそうな雰囲気が今のところある。ただし四年時の卒論だけは大変そうだった。何度書き直してもリテイクしまくった挙句に論文の質が及第点を超えていないとして毎年複数人の留年生を出すゼミなんかもあるらしく、そんなことになれば親に怒られてしまう。勘弁だ。ただ三年後の話なので今は関係ない、一旦忘れることとする。


「まあいずれ響も大学生になるんだ。その時嫌って程大変さを味わうだろうよ」


 文系大学生の暇っぷりを棚に上げて、俺は年上ぶった上から目線で目の前の少女にそうアドバイスを放つ。女子中学生相手に真実を述べるのは普通にかっこ悪いので、いつも通り適当に誤魔化すことにしたのだ。


 だが、響は表情を曇らせて小さく呟いた。


「大学生ですか……いつか私もなるんですかね」


 不安を空間に馴染ませた言葉に、俺も言葉が詰まった。

 響はこの一週間、家出をしていた。

 しかももう帰らないという固い意思を持って俺の家にいる。

 当然ながら俺と響は親戚でも知り合いでもない。あくまでネットの友人というだけの関係性で、何が言いたいかといえば、世間の目に晒されれば俺は一躍未成年の女子中学生を誘拐した犯罪者として朝のニュースで報じられてしまうことだろう。


 俺の危うい立場は年齢に似合わず賢明な響も理解していて、だからこそ俺の家に泊まるようになってこの一週間、一度も外を出歩いていない。ただの一度もである。


 更に言えば将来の不安だってあるはずだ。

 いつまでもこんなことが罷り通るわけもない。中学だって行けてないわけで、高校も大学もこのままじゃ通えない。そもそも戸籍だって証明する方法が無いから成人しても働き口が存在しない。

 だからいずれは親元に戻って、人生の軌道修正を図るタイミングがやってくるだろう。


 ───そんなことは、響も理解している。

 理解したうえで俺の家に住んでいる。

 今は現実から目をそらすための冷却期間として、いつかは直視しなくてはならない瞬間がやってくると知っていて、問題を先延ばしにしている。


 俺は響の事情を詳しくは知らない。聞いていないというのが正確には正しい。

 だが、聞かずとも分かることもある。

 家出をするということは、大概は親との関係性に悩んでいるのは間違いないのだ。一年来の付き合いから響家の経済事情はそこそこ裕福であることを俺は知っている。経済的な問題が無いとすればやはり家庭環境に問題を抱えているのだろう。

 

 そして俺がこの少女を親元に返そうと考えなくなった理由がもう一つある。

 それは偶然着替えを見てしまった時に知ったのだが、響の白いお腹のへそ回りが青黒く変色して痣になっていた。酷い傷跡だった。俺みたいな素人でも、普段から繰り返しかなり力任せの暴力を働かないとああはならないだろうと一見して分かるような、そんな傷跡だ。

 響はその傷のことは一度も口に出していない。時折自身の腹部に視線を落として、複雑な感情を滲ませてお腹を撫でているのを見ると、俺からも言及することは出来なかった。


 何があろうとも、暴力は駄目だろう。俺はよく友人から彼女をDVしてそうだなとか言われるけど本当にDVをしたことは当然ないし、暴力という短絡的な愚行を犯すのは論外だと思う。

 響がどういう思いを抱いているかは分からないが、少なくとも親元にこのまま返すのは選択肢としてありえない。

 別に先延ばしだって悪いことじゃないと俺は思うのだ。もしかしたら響の親だって時間を置けば改心するかもしれないし、或いは響が一人で生きていける方法も見つかるかもしれない。


 絶対に言わないが年も性別も違うが、響はネットで一番の友人だ。力になってやりたいと思う気持ちは本当だった。


「割烹着似合ってるぞ」


 俺は深刻な空気を霧散させるように適当なことをまた言った。

 すぐにどうしようもない人を見る呆れた目をしながらも、口元を緩めながら響は自慢げに鼻を鳴らして自身の萌え袖をアピールするようにひらひらと腕を揺らした。すっかりいつもの調子を取り戻したようだ。


「ありがとうございます。500円です」

「金取んのかよ!?」

「オプションで猫耳もありますがどうします?」


 響はさりげなくポケットから猫耳のカチューシャを取り出して、右手で持ちながら手をグーにして揶揄うようににゃんと一度鳴いて見せた。黙っているとみるみる顔を紅潮していく。恥ずかしいならやらなきゃいいのに。

 てか待て待て!

 猫耳なんてフェチズム全開のアイテム、俺は響に見せてないぞ!


「なんであるんだよ───まさか」

「咲花さんって本当に変態ですよね。まさか女性物のコスプレ衣装をストックしてるなんてドン引きしました、これ何罪になるんですかね?」

「俺の部屋に侵入したな!?」


 未だに恥ずかしがりながら早口で捲し立てる響を無視して俺は憤慨した。

 このメスガキ、恐らくは俺が買い物とかで家を空けている間に勝手に人の部屋に忍び込んでは押し入れの中に仕舞い込んでいた段ボールを取り出して、見つけてきたな? これだから体力有り余った子供ってのは……!


「言っておくがこれは女装目的じゃないからな」

「あーあー信用できません。気持ち悪いです」

「揶揄える材料見つけたからって調子乗りやがって……!」

「私なら似合いますが咲花さんは大分……ぷぷっ……映えそうですね」

「猫耳を俺の頭に掲げるな! 映えるわけねえだろ!」


 奪い取ろうとしてもひょいひょいとバスケ部のドリブルみたいな細かい動きで俺の手を躱す。無駄に運動神経良いなクソ。


「あーもう本当に違うんだって。これは彼女が着てたやつなんだよ」

「彼女さん……いらっしゃったんですか?」


 響は年齢に見合わない他人行儀な言葉遣いをして小首を傾げた。


「そりゃいるだろ。まあ元だけど」

「ああなるほど元ですか。咲花さんの変態っぷりに付き合いきれずに別れられたんですね、想像出来ます」

「違えよ。確かにコスプレは俺の趣味でやらせてたけど別れた理由は別だ」

「しっかりドン引きました。変態趣味に付き合わされてた彼女さんがああ可哀想です。咲花さんの嗜好を満たせる女の子なんて多分この世に殆どいないんですからもっと大事にした方が良かったんじゃないですか?」

「うるせえな。仕方ないだろ。色々あったんだ。例えばバレンタインで二年連続で前髪とか唾液とか混ぜられたの渡されてその度食べるか迷って結局食べなかった『分泌物混入事件』とか、暇な日に外を出歩くと必ず電柱の影でチラリと見覚えのあるポニーテールが揺れる『だるまさんは転ばず常にお前を見ているぞ事件』とか」

「え、あの、私が知らない間に本当に怖い話始まりました? すごい典型的なメンヘラじゃないですか?」


 響は身をぶるりと震わせながら左右を見渡した。

 すこし怖がらせすぎただろうか。全部脚色抜きの事実といえど、もう少し手加減とかした方が良かったのかもしれない。

 一応この新居は大丈夫だ、この物件は別れてから入居しているから一度も敷居を跨がせたことがない。だから知らない間に侵入されているとかそういうガチのホラー展開は無いのだ。……いや、実家時代は結構あったから警戒はしておいて損はない気もする。まあ別れてるんだからもう大丈夫だろうと思うが。


 俺が念のためカーテンを完全に閉め切ると、響は俺の横に立ってちらりとカーテンを捲っては警察から逃げる犯罪者みたいな自信無さげな表情で下の景色を眺め始めた。ここは3階で、窓からは県道が見える。一応描写しておくとこの時間は通勤しているサラリーマンくらいしかおらず、俺の元彼女が電柱の影で見張っているなんてこともなかった。


「だ、大丈夫ですよね私? 元彼女さんに刺されたりしませんよね? 私だったらこんなことしないのになぁ笑」

「そこでアピールするか普通? 意外と余裕あるだろお前」

「いや、怖いのは本当ですけどこれは出汁に出来るなぁと思いまして」

「強かだなぁ。俺のこと好きすぎるでしょ」

「そりゃ好きですよ。咲花さんにはリスクしかないのに、都合良く家出先の衣食住を与えてくれるクズだけどイケメンで女性殴ってそうな顔立ちの年上男性とかそりゃ好きにならない理由がないじゃないですか」

「本当に俺のこと好きなの?」


 大分冗談交じりな気がするけども。まあでもそっちの方が健全だから俺としては有難い。男子大学生が女子中学生と交際とか、どう足掻いても社会的死間違いなしの自殺行為だ。俺はまだ死にたくない。こくりとゆっくり頷いたのも見えなかったふりをした。


「あーこの餡子美味いなぁ朝からJCの手作りご飯が美味しいなぁ」

「……最低」


 響は俺をじろりと冷たい瞳で睨んだ。

 俺はその視線を大人の余裕で受け止めながら名古屋風朝食セットを黙々と食することにした。

 




─── ─── ───






 そもそもの話をすると、学生一人暮らしに2LDKは広すぎるのだ。


 1LDKではなく2LDK。

 この一部屋の差は一人暮らしには非常に大きい。


 2LDKには自由に使える部屋がまず三部屋ある。

 一部屋はキッチンが付いていて、残り二部屋が普通の居室だ。

 しかしそんな部屋数があっても置くものがまず存在しないというのが現実である。


 まず俺は引っ越して早々、ダイニングキッチンスペースにソファーとローテーブルを置いた。食事をしながらテレビを見れるようにだ。10畳ほどあったのでちょっとばかしスペースが余りつつも、この配置により一部屋が消費される。次にベッドと勉強机だ。これも合わせて一部屋に置いて、次は六畳の部屋がほぼぴったり埋まった。


 問題は最後の一部屋だった。これの用途が全く決まらない。もう置くものなんて存在しなければ、広さ自体も10畳と些か手広な空間となっている。

 悩んだ挙句、一時は引っ越しの時に使った段ボール置き場になった。翌々日には資源ごみの日になったので処分して、ぽっかりと空き部屋が出来てしまった。


 そもそも、一人暮らしに2DKなど要らないのだ。

 ワンルームでも十分なくらいなのに、三部屋あったところで持て余すに決まっている。俺の親はなぜこんな賃貸を借りたのだろう。そりゃ狭いよりはいいけど広すぎると掃除とか手入れが出来る自信がない。


 それにこんな広い家に一人暮らしというのはワンルーム暮らしでは感じないだろう寂しさもある。虚脱感というべきか。今までは実家暮らしだったから感じなかったのだが、ふとした瞬間に世界に自分だけが取り残されてしまったかのような錯覚を覚えて、大声を上げたくなる。もちろんそんなことはしない。軽量鉄骨のこの物件でそんなことをしてしまえばすぐにインターホンが鳴らされて苦情の申し入れが来るだろう。


 そんな中で、倫理観とか常識とか法律を無視すれば、響が最後の一部屋に居候し始めたのはかなり俺にとっては都合がいいことだった。

 全く知らない他人であれば居心地が悪かっただろうが、既にボイスチャット上では一年の付き合いである俺たちはすぐに打ち解けることが出来た。響はネットと同じく口が悪くて年上相手でも態度が横柄で、でも妙なところで家庭的だった。掃除も料理も母親に任せきってきた家事力0の代わりに響はそれはもうプロの家政婦の如く働き、今じゃ我が家の衛生面を管理する最重要責任者である。響に出ていかれたら俺はきっとゴミ屋敷で過ごすことになるだろう。俺は実家でもかなりだらしなかったのでいとも容易くゴミまみれになる確信すらある。響は一家に一台、必需品。最強家政婦JCなのだった。


 そんなわけで岐阜から都内までやってきた響に一部屋与えて、布団と安服一式を購入して一週間。

 女子中学生とのアブノーマルなこの生活は意外に平穏に包まれていた。


「彰。来ちゃった」

「そっか。じゃあ回れ右して帰ろっか」


 ──────平穏に包まれていた(過去形)。

 




─── ─── ───





 さて、事態は突如最悪な状況となった。

 昼時になってインターホンを鳴らすことなく正面から堂々と不法侵入してきた女の子は、見間違えようもない元カノの姿であった。名前は下紙藍那(しもがみあいな)。長い茶髪を一本に纏めて腰元まですらりと流れており、顔立ちは付き合っていた頃とあまり変わっていない。当然だ。だって振ったの今月の話だもの。

 顔立ちは最近のアイドルみたいな可愛い系で、大きな瞳に二重の瞼が特徴的だ。外に出る機会が多かったのか肌は健康的な焼け方をしている。あと服装についての詳しい言及は控える。一言で露出が多めのロリータ服、過去に俺の趣味でよく着せていたやつだ。何でまだ着てるんですかねこの人は。はい。多分俺のせいです。

 ともあれ、そんな個性的な服すら似合うんだから幼馴染ながら容姿は良いんだよな容姿は。性格はかなり特殊で扱いづらいのが最大残念ポイントだ。


 んで。

 一先ずこの女を帰す前に一つしなくてはならないことがある。


「もしかしなくとも俺の親から鍵とか貰ってるよな。返してもらってもいいか」


 俺か言うと藍那は楽しそうに微笑んで、あざとく小首を傾げた。


「うーんやだ」

「はあ?」

「元カノとしても、幼馴染としても、私が彰くんの面倒を見るためにご両親を騙し……この合鍵は渡せないよ」

「いま騙したって言ったよな?」

「言ってないよ。だましか~って言おうとしたんだよ」

「どこの方言だ!」


 俺は玄関で立ち塞がりながらも出方を観察する。

 正直運が良かったと言わざるを得ない。偶然洗面所に向かおうとしてこの家に入った直後の藍那とばったり出くわした訳だが、これが響と出くわしていたらどうなっていたことか。少なくとも修羅場確定演出の期待値爆上げだ。

 鍵を回収できれば最良だが、最低でも響の姿を見られる前に帰ってもらう必要がある。


「別に面倒見られるほど酷くはねえよ。ほら、家だって大分片付いてるだろ」

「……確かに」


 きょろきょろと藍那は見える範囲の状況を確認しているようだった。響の掃除は中学生離れしているため、床どころかドアの蝶番の上にすら埃一つ乗っていない。


「にわかに信じがたいなぁ。もしかして彰くん、家政婦さん雇った?」

「まあ……雇ったな」


 さすがに俺が全てを掃除したと嘯くには藍那は俺のことを知りすぎている。伊達に幼稚園の頃から隣で過ごしてきたわけじゃない、幼稚な噓をつけば直ぐにバレる。

 藍那は何故か悩まし気に顎に手を乗せて、


「エッチな家政婦さん雇った?」

「雇うか! どういうコペルニクス的転回を得てそんな発想に行き着いた!」

「だって家の中から女の子の匂いする」


 女の子の匂いって犬じゃないんだから……。

 そう突っ込もうとして藍那の目を見て俺はぞっとした。

 あの、瞳にハイライトが無いんですが。来月女子大生になるフレッシュガールがしていて良い目じゃない。完全に覗き込んだ有象無象全てを奈落に引きずり落とすような深淵を宿した瞳だ。

 思えばこいつ、付き合っていた時もたまに俺が女子と話したりするとそういう目してたんだよな。久しぶりだなこの恐怖体験も。

 まあ最初は本当に恐ろしかったけど、十年以上幼馴染やら彼女やらで接した今じゃ慣れたもんだ。


「この前さ、ドンキに行ったら女子高生の脇汗スプレーなんてゲテモノ商品あったから試しに買ったんだよ。お前の女子センサーに引っかかるところを見るとクオリティーガチなんだなこれ」


 適当な嘘で俺はその場を凌ぐことを試みた。こんな嘘も慣れたもんだ。おかげで男友達からクズだのマッシュじゃないのにクソキノコ頭だの酷い呼び方をされることも多々あったりするが、きっと誰だって同じ状況に陥ったら同じことをやろうだろうから俺は悪くない。状況が悪い。


 くんくんと藍那は数度鼻を鳴らした。麻薬犬か。


「……それにしては何だか汗って感じじゃないけど」

「多分混ざったんだろ。俺他にも一人暮らし始めてからハーブのフレグランスとか始めたし」

「似合わない」

「ほっとけよ。俺だって常に進化してんの」


 ちなみにこれは本当である。嘘を吐くコツは真実の中に隠したいことを紛れ込ませることだ。こうすれば大抵は疑いの目は向けられつつも、そこまで強く追及を受けることはない。

 納得行っていなさそうな表情をしつつ、藍那はふーんと言いながら自身の前髪を撫でる。


「ところでどう? この服可愛くない?」

「はいはい可愛いですよ。お帰りはあちらです」

「酷くない!? 私、彰の為を思ってこんな恥ずかしい服を着てここまでやって来たんだよ?」

「恥ずかしいと思う心があるなら辞めてくんないかな。俺がデリヘル呼んでるみたいな噂がご近所に立ったらどうしてくれる?」

「めっちゃ面白い笑」

「笑じゃねえよ口で言うな!」


 白とピンクが入り混じったフリル沢山のショートスカートをぴらぴらと人差し指で上下させて煽ってくる藍那に俺から目を反らした。本当にどういうつもりなんだこの女は。脳内補正で藍那の中ではまだ付き合ってることになってたりしないよな。いやマジで。


「まあいいや。で、いつ入れてくれるの?」


 二日酔いも相まって頭痛が込み上がって来そうになる俺に、藍那はすんとそれまで笑顔だった表情を嘘みたいにニュートラルに変えた。お前のそう言うところ怖いんだよな俺。


「今日は無理な日なんだ」

「幼馴染なのに入れてくれないの?」

「それ以前に元カレ元カノの関係性だろうが。破局直後から家に押し入ろうとする元カノがどこにいるんだ」

「関係なくない? 元の関係に戻っただけじゃん私達。付き合う前は良く部屋に入れてくれたよね?」

「おかしいな、俺には不法侵入されまくった記憶しかない」


 幼馴染ということもあって藍那の家族とは俺の親は仲が良い。その繋がりで藍那は俺の家に顔パスで入ってきたのだ。この一人暮らしでその状況も終わったかと思ったんだが……きっと親が藍那に合鍵でも渡したんだろうな。じゃないとこの状況を説明出来ない。


 合鍵を何としてでも奪取せねばと思っていると、藍那は靴を脱いで徐ろに我が家に靴下で上がってきた。


「怪しいなぁ、怪しいなぁ」

「おい!」

「なーに隠してんのかな」


 俺の静止を振り切ってずんずんと進む。まず手前の居室1である俺の部屋を開いて、何も無いと見るやすぐ閉じる。次に居室2、響の部屋を開く。ここもまだ大したものは置かれておらず、女子服もボックスの中に入って目立たないため特に違和感を覚えることなく藍那はドアを閉めた。その後トイレや洗面所、浴室なんかも監査が入るが特に指摘事項もなくのっぺりとした顔で恙無く見終える。


 最後にリビングだ。ここが一番不味い。さっきまで響がベランダから洗濯物を引き上げていたから、今頃リビングのソファーで休んている頃合いだろう。

 ボーっとしてる場合じゃない、流石に響がバレるのは不味い。止めねば。


「なあ藍那、何も無いだろ?」

「家広いね彰。私住んでいい?」

「ダメに決まってんだろうが」


 と、無駄口に付き合ってしまったせいで止めるタイミングが消えた。藍那はリビングの扉を開けるとずんずん足を踏み入れる。


 緊張からゴクリと唾を飲み込む。

 ……見えるところに響の姿は無い。

 リビングはよく片付けられており、正面にあるベランダのスライドドアは開き放しになってカーテンが春風に揺れる。


「本当に片付けられてるね」

「まあな、一人暮らし完全に理解したから俺」

「家政婦雇ってるのに?」

「ま、まあ半分は理解したかな」


 適当なことを言っていると藍那がベランダの外を覗き込んだ。冷や汗が垂れそうになったのを腕で拭う。頼むからそこにいてくれるなよ……。


 5秒ほど覗き込んでいると思えば、ひょっこりと俺の顔に視線を送ってきた。


「誰もいないね。今なら2人っきりだ」

「あーはいはい。ルームツアー終わったとこで満足したろ、じゃあ帰ろうな」

「えーちょっと、何でそう雑なの!?」


 そら雑になるよ。不法侵入者だし。

 俺は藍那の背中を玄関まで押し続けると、藍那は仕方ないなと言わんばかりに渋面ながら笑みを作った。


「まあいいや。今日はこのくらいで勘弁してあげるよ」

「はあ?」


 何で上から目線なのこの元カノ。


「また来るね」

「もう来んな、来たとしてもせめてインターホンを押せ」

「はいはいーそれじゃねばいばい」


 ローファーを履き終えると、今まで粘り強く家宅捜索しようとしていた気概はどこにいったのか、或いは普通に興味が消えたのか、藍那はあっさりと玄関から外へ出ていった。こうも素直に行かれるとそれはそれで怖い。何か企んでいそうで。

 そうこう考えていると鍵が施錠される音が聞こえた。勿論俺が施錠したわけじゃない。やっぱり持ってたか合鍵……今本当になんで幼馴染とはいえあげちゃうんだ俺の両親は。


「……、あの女の人どっか行きました?」


 後頭部を掻きながらリビングに戻ると、ソファーの下からよいしょと出てくる響の姿があった。敢えて窓を開けっ放しにして視線を誘導して意識を反らし、自分はもっと単純な場所に隠れていたようだった。隠れんぼのプロじゃん響。

 加えて危機回避能力も素晴らしい。突如のヤバイ来客に対して空気感を即座に察知して熟れたように隠れ果せるとは、さては前世は忍者だな?


「行ったよ行った」

「元カノさんなんですよね? 凄い仲睦まじい姿でしたね?」

「別にお前にゃ関係ないだろ」

「いやはや、普通別れたらもっと素っ気なくなるというか、どう接していいか分からなくなって、互いの連絡も完全に途絶えて、そうやって関係が終わっていくんです」

「随分詳しいな。最近の女子中学生は恋愛経験豊富だなおい」

「ふふん。これでも未経験です」


 何故誇るように言った? 経験したことはないけど机上だけで完全に理解している私スゲー病にでも掛かってんのか? だとしたら年齢相応で可愛いところあるじゃん。

 ただまあ、俺はこの女子中学生の生態についてある程度知っている。きっと指摘してもムキになって罵倒されるだけなのでここはスルーするのが賢明だ。


「なんだ、俺とは幼馴染なんだよあいつ」

「幼馴染が勝つラブコメが現実に実在するとは……いやでも最後には負けてるのか。まあ負けてそうな人でしたもんねあの人」

「いや言い過ぎだろ」

「でも負かしたのは咲花さんじゃないですかー。咲花さんがそんなことを言う権利ありませんよ?」

「あーうっせえな。藍那とは可愛いから付き合っただけで別に他意はねえっつの。ガキには分からねえかもしれないけど」


 俺がぶっちゃけると、響は手のひらをパチンと合わせて口を開けた。口元は非難するように歪んでいるのに目元は何故か笑っている。器用な奴だな。


「うわ……清々しいほどのクズ表明演説ですね。支持率0%内閣ぶち上がりおめでとうございます。まあ私は咲花さんがどうしようもないクズであることは大昔から知ってましたけどね」

「ちょくちょく何処に対してマウント取ろうとしてんのお前」

「それにあのえっちい恰好なんですか? まさか別れてもなお自分の趣味で元カノさんに変態衣装を着せてるんですか最低ですこの変態内閣ゴミクズ大臣、マリアナ海溝よりも深く軽蔑しました」

「俺の趣味ではあるがあの服はアイツが勝手に着てるだけだっつーの! さも俺の意志で着せてるかのような濡れ衣は止めろ!」

「でもああいう恰好好きなんですよね咲花さん。目の保養になるとか思ってるんですよね咲花さん」


 嘲るように響は言った。

 たかが幼馴染がエロい格好をしたくらいで目の保養だぁ?

 全く───人生経験の差を思い知らせる必要があるなこのメスガキには。

 諭すために俺は口を開けた。


「当たり前だろ。衣装と容姿は平等に評価されるべきだ。男として断じて言おう。可愛い女の子の際どい部分に目を奪われて何が悪い。ここにいたのが俺じゃなくて、例えばニュートンだろうがガンジーだろうがアリストテレスだろうが鉛筆投げ捨てては小難しい数式理念哲学抜きで本能的に女体を視姦するだろうよ。覚えておけ響、男ってのはどんだけ取り繕おうとこういう生態なんだよ。良い社会科見学になったな」

「本気で最低ですね。私の中で咲花さんが今TKGの地位を襲名しました。おめでとうございます」

「なんだそれ? 卵かけご飯?」

「|玉無しクソ有りゴミ野郎《T・K・G》。女の敵くたばれって意味です」

「どんな略称だよ。トゲナシトゲアリみたいに言うな」


 それに大概なことを言ってる自覚はあれど、女の敵だけはないと思うんだけどな俺。不倫とか浮気とかしたことないし。朴念仁とかでもないし。


「でもそんなクソ野郎で未成年相手にゴミみたいな話をしちゃう咲花さんの最低な部分を理解してあげられるのは私だけなんですから───末永く大切にしてくださいね?」

「だからお前のその理解のある彼女アピールは何なの? ただの居候JCの癖に」

「あ、言いましたね! 居候だからってこの家の家事を全て巻き取って可愛くコスプレまでしちゃう私みたいな都合が良い女に失礼ですよ!」

「自覚はあるんだな。因みに俺もそう思うよ」


 可愛くて趣味が合って家事も全部やってくれて常に家にいてくれる、響は俺にとっては理想の同居人だ。正しく都合の良い女っていう感じである。この表現女子中学生相手に使うの犯罪っぽいな。これっきりにしておこう。

 内心反省をしていると、響が溜息を吐いた。


「なんか悲しくなってきました。何で私こんなネットで知り合っただけのクソマッシュに尽くしてるんでしょうか」

「それはお前が家出したからじゃないか」

「しかもこういう時だけ正論ゴリラですし……はあ」


 更に溜息を重ねた。気のせいか室内の二酸化炭素濃度が上がった気がする。

 だがしかし、普段こそちゃらんぽらんな事ばかり宣う俺であっても響の気持ちは分かる。

 結局こうやって中身の無い陽気な会話を交わしたところで、それは全て響にとって欺瞞でしかないのだ。そう、現実問題としてどうにもならない。何も解決されない。自分が情けなくなってナイーブになる。精神的に不安定になって当然だ。


 原点を下回って平行線の毎日を送って、これじゃ駄目と考えながらも現実に回帰するのを恐れている。それが響の現状で、俺の現状でもある。俺だって、1人の成人として、インターネットの親しい友人として何とかしてやりたい気持ちはあるが、込み入った事情を聞きだす勇気が無くずるずると何事も無さず筆をまっすぐ引きずったような無味乾燥とした日々が過ぎ去っている。

 俺は響のことが好きだ。恋愛的な話じゃない。年の離れた友人としては響は最高だ。可愛いし、年下だし、年上の俺に物怖じせず溜口だし、性格良さそうな見た目をしていて実はそんなに良くない。そう言うところが友人として好きだ。だから何とかしてやりたいという漠然とした気持ちだけは抱えている。


 響との無言はボイスチャット越しの頃は心地よかったのに、今は全身を針で採血されているかのような鋭い痛みすら覚えてしまう。でも俺は適当で程々にクソ野郎だから痛いのも辛いのも嫌いだ。逃げれば一つ、進めば二つともどこかの主人公が言っていた。逃げて一つも手に入るのであれば俺なら逃げ一択である。


 俺は立ち上がって響を見た。


「アイス買ってくるよ。何がいい?」

「ハーゲンダッツを所望します……クリスピーのやつで」

「普通のカップより高いの選ぶなよ居候の癖に」

「家事とコスプレを鑑みたらこれは妥当な手間賃だと思いますが?」

「分かった分かった。言ってくる」


 俺はローテーブルに放っておいた財布をズボンに仕舞って、そのまま家を出た。

 午後二時を回ったマンションの共用廊下は丁度日光がダイレクトに降りかかる時間だったらしく、室内との明度の差から俺は思わず太陽に手を翳して影を作る。

 ……俺、また逃げた。

 カッコ悪いな。性分と言えどカッコ悪い。


 どうしようもなく俺は勇気が無くてクズ野郎だ。そこは響の言う通りだ。でもそれで良いともこれまでは思っていた。

 今はどうだろう。変わろうとしているのか俺は。変わりたいのか俺は。

 分からない。考えたくない。そういう面倒なことを考えると

 俺は手を引っ込めて、そのままズボンに突っ込んだ。

 

 考えるのは性分に合わない。俺は頭が悪いんだ。


 外気温28度

 春の強烈な日差しな日照の下、俺は考え事を忘れさせるように早足で俺はコンビニへと向かった。



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