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笑う魔女 4

 繁華街の入口にあるずいぶんと立派な建物、それが図書館であることは転生早々に認識していた。そしてその建造物に『カールメヤルヴィ王立図書館』という大仰な名前があたえられていることへ違和感を持つこともない。


 だってカールメヤルヴィで一番おおきな建物なのだし。


 半開きになった口から、感嘆するようにほわぁっと出る白い息のむこう。葉を落とした街路樹に囲まれる、青と白の壁を持つ建物が見える。王宮よりも背が高く、幅も奥行きも倍以上。灰色の空を背景にしているからとても存在感があるけれど、落ち着いた色のおかげで威圧感はほとんどない。


 ずらりとならぶ立派な窓は凱旋門のようなアーチでふち取られていて、壁にはローマ宮殿のような太い柱のレリーフもあしらわれていた。建築の様式はネオルネッサンス(これはサカリ先生が教えてくれた)。地球では19世紀くらいに流行したのだそう。その時代といえばヴィクトリア朝時代というやつだ。シャーロック・ホームズがワトソンと事件を解決したり、怪盗ルパンが暗躍したり、というのは創作の中のお話だけど。


 図書館は、そんな時代にふさわしい雰囲気というか、どこか紳士然とした建物に見えた。


 優美な建物のおおきな入口へ、これまたおおきな黒いひげを描いたのなら、よく似合うかもしれない。背の高いトップハットをかぶらせてもいいかもしれない。きっと太いパイプをくわえながら「ようこそ、我が知識の家へ」なんて、気取って歓迎してくれるのだ。


「イーダ、行くぞ?」


「あ、うん。入ろう!」


 図書館擬人化(それも人の形をともなわない)という難度の高い妄想をいだきながら、イーダは入口をくぐって……そして圧倒された。背の高い本棚が、整然と、ずらりとならんでいたからだ。1階だけじゃなく、2階も3階も。それはひとつひとつが背表紙の色も厚みも違う蔵書を棚いっぱいにかかえ、これが知的な光景じゃなかったら、なにが知的といえるのかというくらい。天井が高いため圧迫感はないし、中央の広いスペースが吹き抜けになっていて結構明るかった。空間のど真ん中には降りたての雪のように白い螺旋階段が誇らしげに陣取っている。


 生前、日本で利用した図書館も立派だったし、ネメアリオニア王国のル・シュールコー図書館もすごい建築物だった。が、それとは違った趣の、なんというか気品があった。おかげで「ちゃんとした格好をしてきた方がよかったかな……」なんて思う。


 とはいえ図書館にふさわしい格好がどういうものかはわからない。そもそも先ほどのカフェテリアでも妖怪毛玉状態でコーヒーを楽しんでいたのだから、今さらなのかもしれない。まあ眼鏡くらいはかけてきてもよかったのかも。……持っていないけど。


 その点サカリは眼鏡をかけて執事みたいなスーツ姿だから、カフェテリアだけじゃなくてここでも風景によくマッチしていた。


「すごいね、サカリ」、図書館だから、小声で言う。


「魔界で一番、誇らしく思える場所だからな」


 久々に『気の利いた翻訳』が仕事を放棄したらしく、ちょっとしたディスコミュニケーションが発生。でもそれを気にしている場合じゃないだろう。なにせここには、自分の求めている「知識」がところせましとならんでいるのだから。


「ええと、ルーン魔術の本ってどこかな。それと民間呪術師(カニングフォーク)の歴史と……あと同性婚が認められるきっかけになった本」


 欲張りイーダはさっそく行動を開始しようとしている。さすがに、この図書館には検索端末がないから自分で探さなければならない。


「そうだな。それは彼に聞くべきだろう」


 指さす先にいたのは司書さん。ああ、さっきまでその存在を覚えていたのに忘れていた。生前は人と話すのがおっくうで利用していなかったから。


「クリッパーさんだったっけ? ヴィヘリャ・コカーリの一員なんだよね?」


「そうだ。なに、いい人物だから安心しろ。魔界で彼の悪口を聞いたことがない」


 バルテリ――けんか相手と同じことを言うサカリに、イーダはちょっと愉快な気分になりながらもならんで司書の元へ。


 そしてその人の前に立つ。


 黒いスーツに白いベスト、褐色の肌に白髪交じりの短いくせっ毛と短いひげ。人間なら50歳くらいに見える男の人。首元にある蝶ネクタイの色が青なのはこの図書館とおそろいだ。ちいさな白いイルカのような模様がなんともかわいらしい。


 彼もサカリたちと同じく姿勢がよくてスラリと立っていた。年齢からか顔には少しシミやシワがあるけれど、むしろそれが木の年輪がごとく彼の豊富な経験をあらわしているかのようで、不思議と安心感がある。


どうもこ(Hyvää )んにちは(päivää)。私はイーダです。はじめてここにきました」


 おかげで初対面の人に対してとは思えないほど、スムーズに言葉が出た。


「ああ、イーダさん。お初にお目にかかります。私は司書のクリッパーと申します。カールメヤルヴィ王立図書館へようこそ」


 背の低い自分に対し、彼は腰をかがめて挨拶をしてくれた。愛嬌のある厚い唇から真っ白い歯をのぞかせて。顔の筋肉がヨガの達人のようにやわらかく動き、表情だけで「歓迎」を伝えてくれている。


「ありがとう、クリッパーさん」


 出会って数秒で、サカリが――あのバルテリやシニッカに当たりの強いサカリが――「いい人物」と言った意味がわかった。直観だけれど、きっとこの人は誰に対してもやわらかい応対ができる人物なのだ。と――


「おや、イーダさん?」、彼の目線がするするっと自分の足元に下がる。


(ん?)


 靴ひもでもほどけているのかな、そう思い、つられて下を見た。けれどしっかりむすばれている。


「どうかした――」


 顔を上げた先、そこにあったのは――変な顔。


 あごを目いっぱいしゃくらせて、目をまん丸く見開いた、おどけた表情の老紳士がいた。


「んっふ!」、完全なる不意打ちにイーダはついつい噴き出してしまう。司書は破顔する少女を見て、満足そうににんまり笑った。


「失礼、イーダさん。私は人の笑顔を見るのが好きなんです。入館料のようなものと思っていただければ」


「んふふ、喜んでお支払いします」


 図書館の中、笑い顔がふたつ。ふっと笑うカラスの笑みをふくめれば3つ。


 イーダは一瞬でクリッパーのことが好きになった。


「さ、本日はどんな本をお探しですか?」


 ふたたび背すじをのばした司書が、無数の本棚へむかって片側の腕を開く。


「ええと、今日探しているのは――」


 図書館で読書中の数名が、少女が笑った理由を察して、やさしく口の端を上げていた。

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