笑う魔女 3
コーヒーならブラックがいいけれど、紅茶なら砂糖とミルク入りがいい。そんな嗜好を確固たるものとして、少女は食通ぶっていた。本来語るべきは豆や茶葉の産地による味の違いなのだが、生前は近所の激安スーパーに売っていた安さだけが魅力の食品によって、食の好みを「いい・悪い」程度にしか認識していなかったから十分な成長ともいえる。
そしておそらくこの先も、骨53号のご飯が舌に合うことはない。
床ドンなどを経て状態異常に陥ったイーダに対し、サカリは「図書館へ行く前に一息つこう」と提案した。連れてこられたのは、いわゆる『カフェテリア』。高級感がある石でできた建物に入ると、ゆったりとしたスペースの空間が広がっていた。木の調度品はそのつやと木目だけで高価だとわかるし、席を埋める多くの人たちも身なりが立派。光景を切り取って額ぶちに入れたなら、題名のところには「上流階級のとある午後」とでも書いておきたい。サカリがいなかったら、こんなところに入る勇気はなかっただろう。
しかしそれも先ほどまでの話。魔石の話題が出たとたん、イーダは勉強熱心な生徒に様変わりした。テーブルの上、冷めはじめたコーヒーが肩をすくめていてもお構いなしだ。
彼女はサカリに質問する。
「魔石ってどんなものなの? あっちこっちで使われているのは知っているけど」
いわゆる魔法具というものは、多くが魔石によって動作している。たとえば勇者イズキを倒す時、小道具に使った懐中時計もそうだ。中央にちいさくて赤黒い宝石のようなものが埋めこまれていて、それによって『マイク・スピーカー』の魔法が働いている。他にもライターやランタン、氷作成機や冷蔵庫なんかも。仕事で勇者の腕を入れる保存袋も、魔石がもたらす魔力で稼働する魔法具だ。
忘れられないもののひとつが水洗トイレ。便器の奥にあるタンクに水を入れておけば、スイッチひとつで水を流してくれる便利な物だ。流された汚水はちゃんと下水道を通って下水処理施設に送られる。処理施設まで完備しているのは、カールメヤルヴィ以外で見たことがない。
いずれの物品も例外なく高額だけれど、それは魔石が貴重だから。
「魔石というのは魔力をためこんだ石の総称だな。魔法具は魔石のまわりに魔法陣を刻んだ駆動部が埋めこまれている。多くは生物がふれると稼働するようになっているのだ」
「魔力が切れちゃわないの?」
「使いすぎると空になるが、時間が経てば元に戻る。魔石は魔力を自動補充する性質があるのだ。この世界に満ちている魔力を、水に沈めたスポンジのように吸うからな」
つまり発電所いらずの電気みたいなもの。もし地球にあったら、とんでもない技術革新をもたらしたに違いない。たとえば……いや、ちょっと思いつかないけれど。でも、無限に走る自動車があったら便利に違いない。
そしてイーダは当然のように、それがどうやってできるのか気になった。地球でのエネルギーの代表『石油』は、太古の動物の死骸が変質したものだと習った記憶がある。石炭は植物だったはず。
「魔石は生き物からとれるんだよね? 魔力の多い生物を倒すと、その体内から採取できるって聞いたよ。どうやって体の中に生まれるんだろう」
石が赤黒い理由は、血と関係しているのだろうか。
「物質としては、生物の血液が濃い魔力によって固まったものだな」
予想どおり。なら、おおきな疑問が残る。
「魔術を使う人にはできないの? 私も使えるけど、体のどこかに魔石が生まれたりするのかな」
「いや、通常は生まれない。これは……そうだな。魔石が魔界の特産品であることから話したほうがいいだろう」
(おお!)
心臓のまわりをくすぐられるような感覚が湧き出た。つまるところ「ワクワク感」というやつだ。
「うん! お願いします」
そして先生の興味深い授業がはじまる。
そもそも魔石というのは、魔界はパハンカンガスの特産品だという。人口2万人程度のカールメヤルヴィが各家庭に上下水道を整備するほど裕福なのは、高価な魔石を輸出して利益を得ているからだ。それを管理するのは『王立魔石管理局』。シニッカによって作られた、政府が運営する組織となる。魔石の採取依頼を冒険者ギルドに出したり、取ってきた魔石を鑑定したり。流通量の調整、輸出先の選定なんかも一手にになう、魔界きっての稼ぎ頭だ。世界には魔石の産地がいくつもあるが、いずれもパハンカンガスに比べれば相当に小規模らしい。
「魔王が金を持っているのは、やつが魔石の採掘権を持っているからだな。管理局からその権利の使用料を取っている。というのも、元々パハンカンガスはあいつの私有地だったからだ」
「それって世界で一番広い土地を持っている個人じゃない?」
「おそらくそうだっただろう。もっとも現在の所有権は政府にある。国家の収入源となるように、魔王が政府へ譲渡したのだ。こればかりは英断だったと評価してもいい」
国が比較的裕福であるのと同時に、シニッカが比較的裕福な暮らしをしている理由も納得できた。
じゃあ次の質問。
「なんでパハンカンガスは魔石の産地なの?」
地球でいえば中東が石油の産地である理由と同じく、太古の生物の死骸が多く堆積していたからなのだろうか。
「それはな――」、サカリの講義は続く。
魔石はパハンカンガスに生息している特定の生物を倒すことで、その死骸――とくに心臓の近くから採取されるものらしい。「特定の」が意味するところは、つまり「魔法を使える生物ならなんでもいい」というわけじゃないんだそうな。その理由となっているのが、地球にはない植物『マカイヘビノキ』だ。
この広葉樹は名前のとおり、蛇のような形をしている。まっすぐと天を目指して生えるのではなく、地を這うようにして育つのだ。松やトウヒ、白樺なんかの足元をぐねぐねとうねるように。人の侵入を拒むその生態は、パハンカンガスを開拓しようとした多くの人々の心を折ったという。
そしてこのマカイヘビノキは独特なものを栄養源とする。それは毒泥や大気に含まれる魔力だ。
パハンカンガスには多くの泥炭地と沼、湖なんかも存在しているが、生物に有害な毒をともなうことも多い。これはトリカブトにおけるアルカロイドなんかの化学的な物質ではなく、「生物の活力を奪う」という魔法が発現しているせい。この地域にかけられた広域の呪いが原因だという。マカイヘビノキはこの魔法を逆に分解してしまい、魔力として取りこんでしまう。地面の上へ横たわるように成長するのは、地上から魔力という名の栄養を効率よく得るためなのだ。
イーダは「大規模な呪い」がどうやってかけられたのかについて興味を持ったが、そちらの質問をすると永久に魔石の話に帰ってこられなさそうだったから、とりあえず「あそこは悪意の森だから」と納得した。
「脇道にそれちゃいそうだから呪いの話はいいとして、マカイヘビノキは魔力を栄養源とする植物なんだね?」
「そうだ。そして当然ながら、マカイヘビノキは魔力を帯びる。枝葉にも根にも、そして樹液にもだ」
「樹液?」
「ああ。樹液には虫が群がるだろう? つまりは食物連鎖――捕食と被食のサイクルの一部になるという意味だ」
「うん、学校で習ったよ。それぞれの生物は捕食者の栄養源になり、頂点捕食者の死体が分解されて土に還り、また植物に吸収されて最初に戻る、っていう流れだよね」
「食物連鎖も解説の必要がなかったな。話が早いのは快適だ、イーダ。それは君の美徳でもある」
サカリはいちど話を切った。目を細めて、さっきバルテリとけんかしていた時と違いやわらかく笑って。気づけばずいぶん嬉しそうな顔をしている。
「それは、お話がおもしろいからだよ!」
ちょっと照れ臭かったから、イーダは称賛の矛先を相手に変えた。おそらくそれはいい判断だったようで、サカリは珍しく誇らしげな顔をする。
「その評価はありがたく受け取っておこう」
首をかしげて笑みを浮かべると、嫉妬しそうになるほど黒くてつやのある髪がさらりとゆれる。シニッカたちの前にいる時は事務的だったりどこか不機嫌そうだったりすることが多いから、レアな表情だといってもよかった。お礼ひとつで見られるのならいくらでも言うのに、なんてことを思ってしまうくらいに「いい顔」だ。
「話を戻そう。結論からいうと、魔石は『生物濃縮』によって作られる。食物連鎖の下位にあたるミヤマクワガタは、魔力が多く含まれた樹液を吸うのだ。生物濃縮も知っているか?」
「うん、習いたてだったよ! 生き物の体内に、分解されにくい物質がたまっちゃうことだよね。となると、クワガタの中には周囲よりも濃い魔力が蓄積されるってこと?」
「そのとおりだ。そしてこれは食物連鎖の上位者にも影響を及ぼす。ミヤマクワガタをネズミが食い、それをクサリヘビが食い、アカギツネを経てヒグマにいたる、というようにな。蓄積された魔力がそのまま引き継がれる関係上、上位者ほど高濃度になりやすい」
「毒が生物濃縮されるっていうのは地球でも発生していたけど、フォーサスでは魔力で同じことがおこっているんだね」
「ああ。そうして魔力が過剰に蓄積されると、体内に『魔力だまり』のような場所ができる。そこの血液が魔力の作用によって凝固したのが魔石だな。当然、おおきな生物からはおおきな魔石がとれるし、それは保有魔力も多くなる」
「どうして魔力によって血液が凝固するの?」
「ドクに言わせれば、それは後天的な進化作用によるものとされるな。魔力そのものは毒にも薬にもならないが、うまく利用できれば栄養源になる。マカイヘビノキがそうしているようにな。魔法を使うだけの者がそうならないのは、捕食による摂取をしていないからだ」
「食べ物に魔力が含まれていれば魔石はできるけど、魔法をたくさん使うからって魔石ができるわけじゃないんだね」
「ああ。経口摂取した魔力を、自身の血で作った入れ物に入れ、いざという時に養分として使う。そういう生態が後天的に付与されるのだ。だから魔石がある熊を狩るのは、そうでない熊を狩るのよりも難しい。魔法を使うからな」
「熊が魔法を⁉︎」
「多くは傷口を塞いだり失った体力を回復させたりといった魔法だ。なんにせよ、冒険者連中には少々やっかいだろう」
ここまで聞いて、イーダは口から「ほおお」と感嘆の声を出した。魔石というこの世の物品ひとつとっても、この世に存在する理由がちゃんとあるという事実に圧倒されたからだ。しかも、授業で習った「ファンタジーじゃない」知識と、魔力という「ファンタジーな」知識がちゃんとむすびついている。
「シニッカが外出先で馬車を買っちゃうくらいに裕福なのは、元をたどるとマカイヘビノキのおかげだったんだね」
聞いたことを知識にするため、いったん整理した。風が吹けば桶屋が儲かる、ではないが、1種類の木が起点になってカールメヤルヴィの豊かさにつながるのはおもしろい事実だ。基幹産業の土壌になっているのなら、この国にとっての世界樹はマカイヘビノキなのかもしれない。
「まあ、魔界の収入源には炭鉱なんかもある。千体以上のオートマタが働く場所だ。意外と資源に恵まれているのがこの国の特徴だな」
「そうなんだ!……見てみたいな」
たくさんの骨さんや腐さんが汗を流して? いるところを見るのはワクワクしそうだった。
「こんど連れて行こう」
間髪入れず、サカリが案内を買って出てくれる。ちょっと催促したみたいになってしまったけれど、欲望にはあらがえない。
「ありがとう!」
イーダは満面の笑みでお礼を言い、ついでそれが少し大声になったことを気にした。気持ちを落ち着かせるためにコーヒーカップを口に運ぶ。黒い液体に映った自分の顔は、ゆれる水面へ福笑いのような表情を浮かべていた。お正月のような浮かれ気分をコーヒーにからかわれているみたいで、えへへ、と照れ笑いを返す。
そして唐突に、当たり前のことに気づいた。
(世界のことがらって、ちゃんとつながっているんだな)
転生した時にどこか夢見心地だったのは、この世が非現実の場所だと感じていたからだ。しかしそんなことはない。ここにある物品はすべてたしかに存在している。コーヒーも魔石も、なんだったら目の前のサカリも、理由があってその場所にいるのだ。
(いろいろなこと、知りたいなぁ)
おぼろげな欲求は、ここ半年ばかりの期間ずっといだき続けていたもの。とくにそれを強く意識したのは、勇者イズキを倒した後、モンタナス・リカスの宿屋から夕焼けの街並みをながめていた時だ。
なんで夕日は赤いのか、なんで風は冷たく感じるのか。なんで文字や言葉がわかるのか、なんで魔法が使えるのか、なんでこの世界は存在しているのか。そんなことを思っていた。
夕日が赤い理由は、赤い光の波長が遠くまで届きやすいから。地平線にある太陽は、真上にある時よりも大気中を長い距離進んで目に映る。その最中に波長の短い紫とか青とかの光は大気中のほこりに反射されてしまい、赤い光が残るのだ。
風が冷たく感じるのは空気が体温を奪うから。風があると常に冷たい空気が供給されるから、風がない時よりも体温が奪われやすい。
文字や言葉がわかるのは『Babel』のおかげ。世界律の中でも最も好きなもので、最高に気の利いた魔法だとも思う。
魔法が使えるのは魔力と魔腺と魔術のおかげ。今や自分も魔法使いだ。
どれもこれも、この世界にきてからこの世界の住人に聞いたこと。地球で学ぶ機会があったものもあるけれど、そういうものも一緒くたにして、この世で学んだ。
(……じゃあ)
――じゃあ、なんでこの世界は存在しているんだろう? シニッカに聞けば、それは答えを得られるのだろうか。
「さて、イーダ。そろそろ出よう。図書館が閉まらぬうちにな」
「あ、そうだね」
まさか本に書いてあったりして……。
そうじゃないほうがいいな、だってそれじゃあつまらないから、そう思いながら席を立つ。まわりを見ると、サカリに挨拶をする人がちらほら。彼も4大魔獣の一角、つまり有名人であることを再認識した。
お客さんたちは、カールメヤルヴィへ観光にきた人たちがほとんどだ。飾り窓――娼館街が呼びこんだ裕福層。彼ら彼女らは当然の権利のように、おそらく夢魔であろう人物とともにいる。デートというやつだろうか。しかし鼻の下をのばしているというよりは、もっと知的な顔をしている。他国の有力者と政治の話をしていたり、特産品の値段など経済の話をしていたり。
あまり聞き耳を立てるのはよろしくないと感じ、サカリに続いて外に出た。後ろで上品に閉まる扉が、静かに「かちゃり」と音を鳴らす。主人を見送る執事が、胸に手をやり会釈するようにも思えた。
曇り空にそびえる半透明の世界樹が、今日も雄大な枝を大空にのばしている。半透明の理由は、魔力が織りなす蜃気楼だから。過去、シニッカにそう聞いた。
でも、なぜここにあるかについては聞いていない。
(……あれってパハンカンガスの上にあるんだよね)
サカリとならんで雪を踏みながら、ふたたび彼女は学者モードに。
(マカイヘビノキって、魔力を吸収するんだよね。ということは……)
「ねえサカリ」、少女は先生を見上げる。どうした? と問うサカリと目が合ってから、彼女は世界樹を指さして言った。
「パハンカンガスは他の場所と魔力の濃度が違うから、世界樹が見えるの?」
「ああ、そういわれている。パハンカンガスは他の場所では見られないほどに、地表付近の魔力が濃く、上空が薄い。どういう原理か、それが『実際にはそこにない』世界樹を映し出している、らしいな。光の屈折とは違う魔法的な作用だそうだ」
「私の知っている物理法則で発生しているわけじゃないんだね」
「……いや、『今はまだ知らない』だけなのかもしれん」、カラスはそう言葉を返すと、自分を見上げる黒い目を見て笑った。
「注意深く話を聞き、知識を吸収できる。そして個別の知識を正しくつなぎ合わせこともできる。それも君の美徳だ、イーダ」
できた生徒に目を細める。普段は冷たい印象を持たれることが多いものの、「よいものはよい」と評価できるのは彼の美徳だった。
「あ、ありがとう」
生徒のほうはといえば、転生して半年近くも経過したのに、いまだほめられ慣れる気配がない。それでも――
(……がんばろ)
まじめに勉強するという、彼女が自覚している中では唯一の特技。それが魔界でちゃんと評価されることに安心感があった。
生前にどこかの誰かが斜に構えて言った。「学校での勉強なんて、社会では役に立たない」なんて。でもそれは今の自分に当てはまらないと感じる。むしろもっといろいろな知識を身に着けておくべきだったのでは、とさえ思う。たとえばガールスカウトにでも入っていれば、森を歩くのに役立っただろう。もしかしたら毒草や薬草なんかを見わけられたのかも。
だからこそ今から図書館へ行くのだ。脳が求める知識の「欲しいものリスト」を埋めるために。
いつの間にか、イーダの背すじは魔王たちのようにまっすぐとのびていた。同じく姿勢よく歩く、思考と記憶の横で。
そうやって遠ざかるふたつの影を、カフェテリアの入口の扉が静かに見送っている。「ヴィヘリャ・コカーリに頼もしい仲間が入ったのだな」と、感心するような表情を浮かべて。




