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笑う魔女 2

 見慣れた冬の街並みが、澄んだ空気のおかげでくっきりと輪郭を浮かび上がらせている。過酷な冬にこそ、この街は誇り高くいられるのだと胸を張っているようだ。


 イーダはバルテリとふたり、図書館へむけて歩を進めていた。


 今日も寒くて雪に覆われているが、積雪量は思ったよりも少ない。地理の授業で新潟や北海道、青森の降雪量は、世界的に見ても多いと聞いていた。場所によっては3メートルから8メートルも積もるのだそうだ。そこに比べて、冬のカールメヤルヴィは積もっても1メートルかそこら。豪雪地帯に位置する、というわけではなさそうだ。


(あ、雪おろししてる)


 別に珍しい光景でもなんでもないし、なんなら自分だって日課のようにやっている。目を引いたのは作業をしていた人が鳥人(バードフォーク)だったからだ。ハーピーのように両腕が翼になっているのではなく、背中に翼が生えているタイプの人。顔を見るに、鷹か鷲のバードフォークだろうか。宙に浮きながらT字型の雪かき棒で器用に屋根の雪を落としている。


(おお、あれなら落ちてくる雪に埋もれる心配ないかも)


 地上から心配そうに見上げるのはトカゲ人(リザードフォーク)の奥さん。リーンベリーのギタレス家で働いていた人とは違い、青色の鱗がきれいな女性だった。となりには父親の仕事っぷりにはしゃぐ子どもの姿も。この男の子はバードとリザードの混血種(ハーフフォーク)だ。鳥の翼を持った竜人(ドラゴニュート)のようにも見える、精悍な姿かたちをしている。


 両親の姿を受け継いだ子ども。それを見てイーダはふと疑問に思った。


「ねえバルテリ。異人種でも子どもをもうけられるっていうのは『同衾の奇跡』っていう世界律のおかげだっけ?」


 前にモンタナス・リカスで鬼人種(オーガ)妖精種(フェアリー)という()()()()()があまりにも合わない夫婦を見たことがある。そもそも、この世界では同性のカップルが子どもを授かることだってできるのだ。


 ある種センシティブな疑問に対しても、知識を求める脳が「学者モード」となったイーダは臆することなく質問した。少女の脳にある「知識吸収ボタン」がパチンと音を立てて押されたのは、バルテリにも伝わっている。


「そうだぜ。教会で婚姻が認められ祝福を得た夫婦は、寝所を共にすることで同じ夢を見るんだ。まあ、夢の中でイチャつくって意味だな。そうやって子宝を得るのさ」


「同性どうし、とくに男の人どうしの場合って、どうやって身ごもるの?」


 間髪入れず、狼の身に次の質問が飛んでくる。こうなったら止まらない。「お嬢様」の言葉で照れくさそうにしていた者と同じ人物とは思えないほどにグイグイくるのだ。


「先に出産するほうを決めておくと、そいつの腹が少しずつおおきくなっていくのさ。割と痛みもあるって聞くな」


「出産はどうなるの?」


(「なぜなにイーダ」になったな)


 スイッチが入った少女を見て、バルテリは笑みがこぼれてしまった。


 さっきまでの()()()()無垢な反応を見せる姿というのも、それはそれで魅力的だ。どこまでが演技かわからない魔王様に比べ、素の少女の反応が見られるのだから当然だった。しかしこちらの学者イーダも、魅力という意味では捨てがたい。時に相手を質問攻めにして、誰かが止めるかお腹がすくかしないと満足しないことさえある。


十月(とつき)十日(とおか)もすると出産日になるんだが、その日は激痛とともに一晩をすごすんだ。朝を迎えると腹が元に戻り、どこからきたのか赤子があらわれるって寸法だ」


「コウノトリが運んでくるとは思ってなかったけど、『婚姻の大天使グレース』か天使が運んでくるんだと思ってた。街でそんなことを聞いた記憶があるよ」


「ああ、そういうことを書いた有名な本があるらしいぜ。大昔は同性同士の婚姻ってのが教会の加護を得られない時期もあったんだ。題名は忘れたが、婦人がたの間でその本が流行したから同性婚が認められるようになったんだと」


「む、そうなんだ。図書館にあるかな。司書さんに聞いたらわかるかも」


 むむむ、と難しそうな顔。言いかたは悪いが、知に触手をのばす姿はタコのようにどん欲だ。知識欲を満たすのに全神経を使っているように感じる。「知識が欲しいあまり、湖へ片目を投げこまなきゃいいが」なんて考えてしまうくらいなのだ。


 同時に頼もしさもあった。イーダの知に関する姿勢はまったくぶれないし、本へ手をのばす時には力強さすら感じるほどだ。この調子で世界のことを知り続けたらどこまで成長し続けるのだろうかと、楽しみになってしまう。


 もしそうやって大成したら、彼女はヴィヘリャ・コカーリのメンバーの中でどのような立ち位置になるのだろうか?


(……あ、言い忘れていたな)


 組織の名前を思い浮かべたおかげで、ひとつ思い出した。


「王立図書館の司書は、ヴィヘリャ・コカーリの一員だ。クリッパーって名前のな」


「そうなんだ! どんな人?」


「物腰のやわらかい、知的で愉快な紳士さ。あいつのことを嫌いってやつは聞いたことがねぇよ」


「へぇ、楽しみかも!」


 上機嫌という筆で顔を描いたような表情。これはおそらく「新しい先生の登場」を歓迎しているという顔だ。そして急に黙りこんだところを見ると、すでに「なにを質問しようか」なんてことを考えているに違いない。


 おかげで、雪を踏む足元が若干おぼつかないが……。


「ありがとうバルテリ、今日はいい日になりそうだね!」


 不意打ち気味に、ぱっと笑う少女の姿が狼の目へ映った。バルテリはイーダから上目づかいに顔をのぞきこまれ、不覚にも虚を衝かれてしまう。


 寒空にどこからあらわれたか、太陽のようなまぶしい笑顔が、今日が冬の日だということを一瞬忘れさせた。


「クリッパーさんも楽しみだし、さっきお話してくれた本も楽しみだよ」


 くるりと振り返り、先を行く。切りそろえられた髪を左右にゆらして、おそらく満面の笑みで。もはや歩みはスキップといってもいいくらいだ。


(無邪気だな。いや……)


 みぞおちのあたりを少しくすぐられ、バルテリの心に甘い予感がおとずれた。この少女にむけるべきかどうか悩ましい感情が、腹の奥からのどのあたりまで上がってくる。


 甘いはちみつのような、魔族特有の粘り気をもった黒糖のような。


(…………)


 目の前で形のよい頭が左右に振られ、自分と比べてずっと小柄な体が嬉しさに雪道をはねる。――よりにもよって魔獣の、それも狼の目の前で。


 ああ、無防備ってのはこういうことをいうんだろうな。バルテリはそう思いながら、長い八重歯をむき出しにして言った。


「そういえば、俺もこの前『地球の話』ってやつを魔王様から聞いたぜ」


 言葉に、少女は細い首を少しだけひねる。こちらの表情が見えるほど振り返ってはいない。


「地球の? どんな話?」


「日本の話さ。なあイーダ、『送り狼』って知ってるか?」


「あ、聞いたことある! ええと……夜道で後をついてくる狼だよね。それで、人はそれが怖いんだけど、結果的に他の獣が狼を怖がってくれるから、ええと……」


 雪道の上で額に手をやり、思い出そうと必死な少女。なにか決定的なことがらを忘れ、それを思い出すかのように。魔界の言葉でいうところの「Miettiä(空のカラ) taivaan(スについ) variksia(て考える)」というやつ、つまり(うわ)の空。


 おかげで今にも()()()()だ。


「安全に夜道を歩けるんだよね。でも、狼は人を食べようとしているから……あっ、そうだ!」


 答えがわかったか、無邪気に振り返った。


「たしか転んだ――」


 おかげで雪に足を取られ――


 ドサッ。「わっ!」、転倒する。


 瞬間――狼は少女へ覆いかぶさった。


 手を地面へつき、顔を近づける。


「そのとおりだ。……で、転んだ少女は()()()()()()()()?」


「あっ! あの……」


 驚きに目を見開く少女。その顔が、非常に心地よい。自分でも感じる。今の俺は間違いなく悪魔種の顔をしていると。あまりに無防備な相手に対し、口の端を上げて長い牙を見せつけていると。しかし――


「と、飛ぶ鳥を見ていただけだよ!」


 彼女は魔法の言葉を知っていた。転んだ時、送り狼をごまかすための呪文を……。


「……なんだ、それならしかたねぇな」


 少々残念だが、ルールはルール。送り狼は、後をつける人間が転んだのなら食べてしまう存在だ。しかしその人間が「転んだのではない」と言えば噛みつけないと伝わっている。


 そんな化け物を気取ったなら、最後までそうするのが筋だ。


 ふっと笑い、牙をしまう。


「怪我はないか?」


「だ、大丈夫」


 名残惜しさを噛み殺しながら、立ち上がろうと腕に力をこめた。と、その時。


 バササッというおおきな羽音。2羽分の、おそらく大型の鳥の羽音だ。


 そして「狼、私の生徒になにをしている」、夜闇のような声。いらだちと……少々の殺気を含んでいる。


 魔界でこんな声を自分にかけるのはひとりしかいない。


「日本の話をしていたのさ、サカリ。お前さんがこないから図書館へエスコートしているところだ」


 体を起こし、イーダの手を引いて立ち上がらせる。ありがとう、なんて言う彼女は、先ほどの行為の意味に気づいているのだろうか。


「転んだ婦女子に覆いかぶさる行為を『エスコート』だと思っているのなら、狼が図書館に行くのもうなずける。辞書が必要だろうからな」


「言葉どおりに行動するなら、お前さんはまさに『先生』なんだろうさ」


 いつもどおりのやりとりだ。どうにもこのカラスは固い。それに皮肉屋だ。口を開けば皮肉が出るのだから、やつのいう辞書っていうのは「The Devil(悪魔)'s() Dictionary(辞典)」なのだろう。


「言葉の再定義にはペンを手にしたらどうだ? 地面へ両手を突くよりはずっといい」


「手に取るならペンより女性の手のほうがいいぜ」


 どうにもこいつとは相性が悪い。延々と皮肉の応酬を続ける羽目になる。今にも間にはさまれることが多いドクの「僕につばを飛ばさないで」という声が聞こえてきそうだが、あいにく本日は不在。


「あ、あの! サカリはお仕事もういいの?」、それでも今日はイーダが止めてくれた。年少者に仲裁をしてもらうとは、これは少々情けない。


「ああ、そうだったな。狼、仕事だ」、サカリもそう思ったのだろう。声色から殺気と毒気が抜ける。


「仕事? 魔石がらみか?」


「察しがいいな。魔石採取をしている冒険者パーティーが、パハンカンガスでドラゴン型の害獣(モンスター)を確認した。彼らでは手に負えん」


「そりゃぁ……ずいぶんな大物がきたな。首相はなんて言ってる?」


「軍に災害派遣要請が出ている。辺境伯(ベヒーモス)にもな」


 話の内容を聞いて、バルテリの目つきがつららのように鋭くなる。思考が「軍人モード」に切り替わった証拠だ。


 ドラゴン型モンスターは10年に1度出るか出ないかという大物。先日ルーチェスターで戦ったギジエードラゴンほどではないにしても、時には他国から救援要請がくるほど強力な相手だ。それが国内に姿をあらわしたのなら、軍か辺境伯が動かないとならない。


 逆にパハンカンガスで出たとなれば、討伐後におおきな利益も望める。あそこは魔石の一大産地。魔石は魔力内包量が多い生物を倒すことで得られる希少資源だ。ドラゴン型ならさぞ立派な魔石が手に入るだろう。


「悪いなイーダ、お仕事の時間だ。エスコートはまたこんど埋め合わせをしよう」


「う、うん。そのまま討伐に行っちゃうの?」


「いや、情報を集めてから魔王様に報告だな。サカリ、俺は首相官邸に行ってくる。お前さんの出番はまだだから、とりあえずイーダを図書館に連れてってくれ」


「承知した。首相官邸にはベヒーモスもむかっている。潜水艦を呼ぶなら、今さっき市場をウロウロしていたから連れて行け」


「了解だ」


 じゃあな、と手を挙げて、国防大臣は走っていった。先ほど少女に覆いかぶさっていた時とは別の、楽しそうな顔をして。


 戦うのが好きなのだろう。もしかしたら狼の狩猟本能が満たされるのかもしれない。


 そんな彼の後ろ姿が、雪の街並みに消えるのを見送っても、イーダは心臓の鼓動はいまだおさまらない。


(……びっくりしたぁ)


 ひとつ目の感想は正直なもの。男は狼というけれど、まさか彼があんなにも肉食っぽい行動をするとは思わなかった。いや、シニッカが「食べられちゃう」って言っていたからそういう一面もあると予想していたけれど、自分にむけられるとは予想していなかった。


 この場合の「肉食」が()()()()意味なのか、自分でも判別がつかないくらいには混乱している。対して――


(……床ドン)


 ふたつ目の感想は非常に俗っぽいものだった。人生でいちどくらいはされてみたいと思っていたが、死後に異世界でフェンリル狼の男性にされるとは……。


(……床ドンだ)


 命の危機、もしくは貞操の危機に陥っていたにもかかわらず、彼女は商店街の福引で特賞の景品をもらったような浮かれた気持ちになっていた。バルテリの姿が目の前から消えたことによって、その浮かれ気分は少しずつ強さを増し、驚きととまどいを心の隅においやっていく。


(床ドンだった)


「イーダ?」、サカリの声にも気づかず同じことを考えているのは、しつこく余韻を味わうため。


(私は床ドンを手に入れた)


 もちろん混乱がおさまっているわけではない。


「大丈夫か、イーダ」


 はっと気づくと、サカリの手が肩にあった。心配そうな顔に近くでのぞきこまれて、こんどはそちらに目が釘付けに。


 生前、いわゆる「カッコいい男性」というものにまったく縁のなかった少女が、どう控えめに見ても端麗な容姿のふたりにかわるがわる世話を焼かれている。


 当然、イーダの心は許容量をオーバーした。


「だ、大丈夫じゃよ!」


 先にはらった雪の口ひげがこんどこそ似合いそうな台詞を発し、彼女は雪を溶かさんばかりに顔を赤くした。

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