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笑うヨウルプッキ 18

 一夜明けた。24時間など、あっという間だった。


 包帯を取り替えるのに30分、睡眠はたっぷり8時間。残りは仲間とすごす時間にあてた。


 敬愛する連隊長からのねぎらいは、それはもう簡素なものだった。ぞんざいに扱われたわけでもないし、彼から贈られた感謝と今後の無事を祈る言葉は必要十分な量。しかし、できればうんざりするくらいに別れを惜しまれたいと思ってしまった。


 夜中に用を足しに行った時、彼はその理由を知ることになる。テントの横で娼婦取締長と酒を酌み交わしていた連隊長は、ニーロ自身に未練が残らないように、そして他の大勢が別れの言葉を言えるように、短時間で会話を切り上げたのだと言っていた。できることであれば今この場所に呼んで、一晩中飲み明かしたいのだとも。


 古参連中とはおおいに飲んだ。どいつもこいつもが個性的な連中ばかりだったように思う。泣きながら飲んだ挙句に眠りこけ、どうやら風邪をひいた者もいれば、最後だからとずっと笑い続けている者もいた。それぞれ思いおもいの食品を商人から仕入れてきて、一緒にそれを味わった。ただ、小物入れ――あろうことか鼠径部を覆う金属の張り出し『コッドピース』から、「とっておきの品です!」と飴玉を出してきたミヒャエルの行動だけはいただけない。そこに金貨だの胡椒だの貴重品をしまいこむ連中は多かったが、その風習にだけは最後まで染まれなかった。


 ともにすごしたのは彼らだけではない。めでたく最初の戦いを生き残り、尊敬と感謝の気持ちを述べてくれた新兵たち。そしてなだめるのが大変だった泣き顔の子どもたち。一緒に戦列をならべた他の連隊(つまり別の傭兵団)から、先方の連隊長が挨拶にきてくれたのには驚いた。年下である彼に、心からの感謝をこめて頭を下げた。


 ずいぶんと多くの人が自分を知ってくれていたのだと思う。その数はきっと、生前自分を知っていた人の数よりも多い。ランツクネヒトとしての最後の時を人の輪の中ですごす今、ただただ感謝だけが心を平和裏に支配していた。


「お別れかぁ」、となりからリカルダの声がする。彼女は「看病する」との言葉どおり、ずっと横にいた……と見せかけて、半分くらいは席を外していた。酒宴の中であっちこっちの集団にちょっかいを出しては、酒とつまみを胃袋におさめる作業にいそしんでいた様子だ。


 そういう自由なところは、彼女のよいところだと思う。明日死ぬかもしれない場所では、()()()()()()な行動こそ人生を謳歌する最適解だろうから。


「あ……魔王様たち、きちゃいましたね」


 自分たちを取り囲む人混みに道ができた。通路の両脇に立つことになった者たちは、緊張した面持ちになり襟を正す。小国とはいえ1国の王、それも魔王と呼ばれる人物なのだ。敬意、というよりも畏敬の念が、彼らをそうさせていた。


 魔王たち3人はそんな道に慣れているのか、背すじをのばして堂々と歩を進め、目の前に立つ。


「心は決まった? ニーロ・コルホネン」


「ああ。私はあなたに従おう」


 堂々と声を出した。まわりの人々から出たちいさなため息に後ろ髪を引かれながらも、1つだけしかない選択肢をしっかりと自分の手でつかむために。


「結構よ。――<旗を我が手に(目に見える風)>よ、言葉を運び<我が声を届けよ(耳元の口)>をもたらせ」


 詠唱の後、魔王の手に旗があらわれた。それは銀髪の女に渡されて青空の下に翻る。


 祖国の旗に似ている意匠のそれ――カールメヤルヴィの国旗があらわれたことで、人々は静まり返った。


枝嚙(えだか)み蛇の旗の(もと)、この魔王が宣言する。勇者『ヴィクター・ジェームス・ヒル』によってもたらされた災害と、勇者『ニーロ・オスカリ・コルホネン』を巻きこんだ調停会議条約違反は、ここに終結した。本災害で命を落とした人々の御霊(みたま)が、無事死者の国(ニヴルヘイム)に行くことを私は保証する。また、勇者ニーロ自身に落ち度がないことと、保証がグリフォンスタイン帝国の皇帝ヨーハン2世によって履行されることも、私は保証する」


 傭兵たちが息を呑む中、ニーロはこの世界における勇者がどのようなものなのかようやく理解できた。傭兵団というコミュニティの中ではさまざまな情報に触れたと思っていたが、まったく不十分だった。


 勇者というものは、こんな宣言が1国の王から必要なくらいに重大な存在なのだ。


「この旗を見る者たちよ、今は惨事(さんじ)から目を背け、心を(なぐさ)めることを許そう。しかし努々(ゆめゆめ)忘れるな。災厄がいつもお前たちを見ていることを」


 自分は首輪のない猛犬だ。もちろん、むやみに人に噛みつきたいなどと思わない。しかしまわりから見れば、不安をかき立てられる存在でもある。


 だから魔王の下に行くという選択は間違いではなかった。少なくとも彼女は、この強大な力を持った自分たち勇者のあつかいかたを知っているのだろうから。


 宣言が終わり、ニーロはとなりを見る。見上げてくるリカルダの顔はいつもどおりの笑顔だ。


 視線を取り囲むみんなへむける。すがすがしい顔とも、腕で目を隠す者とも、お別れなのだ。


 その中、ミヒャエルと目が合った。その表情に「なにかを言いたそうな男」と題名を付けたのなら、誰しもが納得する顔をしている。


「許すわ、言いなさい」、魔王の声。


 彼に気づくとは、ずいぶんと目ざとい。もしくはミヒャエルの顔が芸人のようになっているから、目を引いたのかもしれない。


「あ! か、感謝いたします!……副長、いえ、ニーロの旦那……」


「なんだ?」


「その……昨日お話しいただいた『ヨウルプッキ』っていう男、結局どうなったんです?」


 …………。


 ああミヒャエルよ、それは今話さなければならないことなのか? 魔王の前だぞ、大丈夫なのか?


 そんな思考は、真っ先に「ふふっ」と微笑む魔王につられて、噴き出した大量の笑い声にかき消されていった。


「ニーロ、最初から話をしてあげなさい。私があなたにあたえるはじめての命令は、それにする」


 穏やかに光る目で彼女は命じた。


「……ああ、承ろう、我が魔王よ」


 包帯だらけの手を胸の前に置いて、かしこまった所作で頭を下げながら応じる。


 ニーロは顔を上げ、話をはじめた。


「これは私のじいさんの、兄の弟の孫から聞いた話なんだが――」


 その話は時々横道にそれながら、たっぷり30分間、人々を楽しませた。


 そして万雷の拍手を背に、()()()は傭兵団に別れを告げた。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 夕方、宿場に急ぐ馬車の上。御者台の上では人に化けたフェンリル狼が馬車の手綱を握り、ベヒーモスがあたりを警戒している。そして荷台にいるのはニーロとふたりの女性。


 魔王ではないほうに、あきれた顔をむける。


「お前もくるとは……」


「んふふ、びっくりした? ん?」


「移民は歓迎よ?」


 サンタクロース(ヨウルプッキ)の話が終わって、いよいよお別れという時に、またしてもミヒャエルが「おふたりともお元気で」などと聞き捨てならない言葉を発した。聞けば、リカルダも一緒に傭兵団を抜け魔界へ行くという。


(私に惚れているのか?)


 まあそうだとしたら、これはもう指輪を交換したのと同じ状態だろう。最近よく感じるが、人生には選択の余地などないことが多く存在する。


 となりで頬を赤らめるリカルダの肌が、彼女の着る派手な服装ごしでも暖かく感じた。先ほどからもじもじと小声でつぶやいているのは、誰にむけたどんな言葉だろうか。


 もう少し彼女によりかかるようにして、その言葉に耳を澄ませる。転生後一番のやさしい顔が、正面に座る魔王の瞳に映っていることなど気にしない。


「っ!……えへへ、飾り窓……本場の」


(……そっちか)


 すんっと真顔に戻り、座りなおした。冷たい風が冷やかすように吹き抜ける。


「ふたりとも、魔界はもう雪が積もっている。ここよりずっと寒い。まだ風邪をひくには早いわ。そこに毛布があるから、包まっていなさい」


「そうさせてもらおう」


「あ、ニーロ。大変でしょ、私がやるから」


 リカルダは毛布を手に取り、バサッと広げてくるりとふたりをくるむ。


「いひひ……」


 彼女は妙に嬉しそうな顔だ。


「ああ、腕だけれども、魔界に行ったら治してあげるわ。優秀なドクターがいるから」


「失った腕を治せるものなのか?」


「1週間くらい時間がかかるけれどね。これからなにをやってもらうか未定なんだけど、なんにせよ仕事をするのに不便だともったいないから」


 やはり悪魔はいじわるだ。もったいないから、の前に「自分たちの利益として」という修飾が省略されているようだし、腕を元に戻す手段があるのを主従契約締結より先に教えてはくれなかった。


 ニーロにとってのささいな不満は、しかしその程度だ。リカルダが飾り窓を楽しみにしているのなら自分も行ってみたいと思うし、なにより……。


 なによりサウナに入れる。しかも毎日だ。


 失った腕が戻ることよりも、すっかり遠くなった習慣が手元に戻ってきたのが嬉しくて、彼の口はきれいなUの字型になっていた。


「えへへ……」


(…………)


 『飾り窓』を楽しみにしている、というには少し不自然なリカルダとならびながら。


「迷いが消えたようでよかったわ。あなたは戦場に耐えうる精神力を持っているようだけれど、天職に就いたようには見えなかったから」


「そうでもないさ。戦いと戦いの間の時間に、心地良さを感じていたくらいだ」


 言った直後、胸につかえるような感覚。「嘘をついていないか?」と、内なる自分に問われているかのよう。


「選択する職業は決まった?」


 そして魔王の、返答を無視するように差しこまれた質問。そこには確信を得ている響きが乗せられていた。


(…………)


 人の心、その中でも深層心理的な願望に、目の前の悪魔は敏感なのだろう。「傭兵という職業を無理やり肯定している男」の、本心を見透かすくらいには。


「そうだな……」、決断をする時に感じた。


 この世界を変えてしまうという重大事項に対し、この世の神は許してくれるのだろうか。一瞬そう思うも、もう自分のやりたいことは決まってしまっている。


 悪魔の青い目を見て、ニーロは言った。


「魔王よ、クリスマス(ヨウル)には、なにが欲しい?」


 2002年11月16日。彼は傭兵をやめ、新たな職業に就くと決心した。


 初出勤日は、12月24日だ。

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