笑う王様 4
天使は我に返り、顔を上げる。目の前には魔王の姿。その子どものように輝く瞳と目が合った。
「さあ、ウラ。続きをしましょう。『ギアを上げる』という言葉を知っている?」
オートマタによってカードは配られ、最初の賭けも済んでいる。
さあ、後半戦だ。
「機械の表現ね? 存じておりますわ。戦いも佳境ですし、一段と熱くなりそうですわね」
「そのとおり。きっと誰だってウキウキしてるわ。ゆれる葉も、そよぐ風も、<機械よ加速せよ>だってギアを上げるわ!」
言遊魔術の風が吹く。持ち時間を管理する時計が、倍の速さで時を刻みはじめた。
(少々強引な言遊魔術ですわね。けれど機械に関する言葉にはうといですわ。ここはまず、語彙の強化を)
「あらあらずいぶん激しく踊るのですわね? そんなにしたら目がまわって、紅茶の<叡智を我に>を探す羽目になりますわ。現状維持」
魔力の風が体を包み、知識の奔流が脳を満たす。と同時に、体内の魔腺がズキン! とうずいた。
北欧神話の主神オージンの故事に由来するそれは、負荷の強い言遊魔術だ。使いすぎれば疲労は必至、いや、体の中から血まみれになるかもしれない。
でも、やるしかない。相手は許してくれないのだし――
(勝負ですわ)
私は絶対に勝ちたいのだから。
「いいじゃない、一緒に踊りましょう? ほら、お人形さんも踊らなきゃ。道具箱から<機械よ加速せよ>でも持ってくる? 現状維持」
時計の針はさらに速くまわりはじめる。配られた3枚のオープンカードにすばやく目を通し、自分の賭け金を決めなくては。
手元にはスペードの8とエース。オープンカードは、ダイヤのキング、ハートのジャック、クラブの8。まずは8のワンペアだ。
「楽し気な現状を<鈍化せよ>にするのは心苦しいですけれど、そんなに腕を振り回して危ないですわ。手は<こん棒よあれ>ではないのですわよ? 倍賭け」
こちらの手番に言遊魔術を2節。時計の減速と、カードの山への干渉を。
「<高速疾走>みたいに楽しくなってきたわ! 再倍賭け。みんなで<鼓動を速めよ>でもしているみたい!」
相手も2節。加速する針が会話を許さない。
「再倍賭けですわ」「同額賭けよ」
「現状維持」「現状維持」
オープンカードが2枚足される。ハートのクイーンと、クラブのエース。
(こん棒のエース!)
時間がない。
「賭けですわ」「倍賭けよ」
「再倍賭け!」「同額賭け!」
「現状維持!」「王手ね」
ガチンッ!
……おおげさな音を立て、ようやく時計が止まる。思わず手をつき、息を吐く。大量の汗が机の上に池でも作りそう。
「ツーペアですわ。8とエースの」
一気に踊り切ったこの舞踏曲は肉体を疲労させ、精神まで筋肉痛に。言遊魔術の応酬が体のあちこちに鈍痛をまねいて……きっと自分は今、ひどい顔をしている。
でも疲れているのは自分だけじゃない。にやりと笑い顔を上げると、しかしそこには心配そうに見つめる魔王がいた。
「不吉な役ね」
予想外の言葉に、ウルリカは自分の役へ目を落とす。黒のスート――スペードとクラブでできた8とエースのツーペアから悪い印象など受けない。
「どうしてですの?」
反射的に口から出たのは当然の疑問。対し、目の前の少女はゆっくりと右手を上げる。
人差し指と親指を立て、蛇が鎌首をもたげるかのように。
「その役、とある有名な地球の銃士が、後ろから撃ち殺された時に持っていたものなの」
(銃士?……ああ、銃を使う兵隊のことですわね)
この世界にはない職業に違和感があるも、地球出身である勇者たちがよく口にする『銃』の存在を思い出した。火薬の力により、引き金ひとつで鉛玉が飛んでいくクロスボウの亜種だと認識している。
そんなものの存在が、この世界の住人である魔王の口から出てきたことに驚きはない。勇者と戦う彼女は地球の知識をたくさん持ち合わせている。先ほど言遊魔術にからめた『ギア』もそう。水車にも時計にも歯車は使われているが、変速を目的としたものはあまりないはずだ。
でも嫌な予感がする。
わざわざ地球にしかない物品の名を口にした魔王から、強い言遊魔術を使おうとしているという意思を感じた。『銃』は非常に危険な物だ。その武器はあまりに暴力的とされ、この世界そのものが『世界律』という強大な力を使ってまでして存在を拒むものなのだ。
ウルリカは身構えた。もしかしたら自分に鉛玉が飛んでくるのではないか、魔王が世界律をねじふせて引き金を引くのではないか、そんな恐怖をいだいたがゆえ。
防御魔法の展開すら選択肢に浮かべた女神の前で、魔王がゆっくりとこめかみに指を立てた。
「それはね、<死の予感よあれ>っていうのよ?」
――強い悪寒。
頭を殴られようとしているような、背後から弓で射かけられようとしているような。
「――っ⁉︎」
とっさに振り返った。そこに銃を構える者の気配を感じたから。
しかし……目に入ってきたのは、おおきな窓が風を引きこみ、カーテンをゆらしている光景だけ。
「おどかさないでいただける?」
いたずらをたしなめるように振り返り、はぁっとためいきをひとつ。
だが吐いた息はすぐに勢いよくのみこまれた。
視線を戻した先、机の上にあった相手の役はキングのスリーカード。
「私の勝ちね?」
(――しまった!)
舌打ちをする暇もなく、うずたかく積んだチップはにこやかな表情の少女の前にうつされていく。
「強いわね、ウラ。あなたから油断を引き出すために、言遊魔術をいくつ唱わせるつもり?」
魔王は濃紺の前髪をかきあげて汗をぬぐった。なにか言いたげなオートマタの視線に微笑みを返しながら。
(イカサマ……いえ、防げなかったのは私のミスですわね)
目を離したすきにしてやられたのだろう。カードのすり替えか、はたまた別の手段かはわからないが……。
痛む体に鼓動が急く。
「だって私は――」
しかし心は怪我をしていない。自分の心臓はまだ戦える。
「あなたにとって、不倶戴天の敵ですのよ?」
もう一度、不敵に笑って見せる。魔腺が破れる感覚にも、増してくる内臓の痛みにも、負けるわけにはいかない。
「本当に素敵ね」
目を細めて自分を見る魔王の前で、心だけは鋭く輝いていた。
……心だけは。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
限界は精神ではなく肉体に訪れると、ウルリカは痛感していた。少なくとも自分の場合はそうなのだと。
重い言遊魔術を使った代償は自分が思っていたよりも深刻で、ミシミシと体をむしばんでくる。
状態を察したのだろう。チップの量で勝る魔王は攻めかたを変えた。ふたたび無理せず堅実に賭けを行い、じわじわと追いこんでくる。ノコギリで命の芯をけずるように、ゆっくりと確実に。
「現状維持」
魔王の宣言に対し、ウルリカは指で机をトントンと2回叩いて現状維持の合図をする。言葉にしないのは、先ほどから口に広がる血の味を舌でぬぐっているからだ。
「勝負ね。……私の勝ちよ」
ジャックと7のツーペアが、キングと2のツーペアに殺された。
「負けませんことよ? 次のゲームを」
肩で息をしながらも、顔は不敵な笑みをたたえたまま。余裕をしめす……というよりも、笑っていないと痛みで泣き出しそう。
(オージンの力を借りたのは失敗でしたわね。重いわりにあいまいな効果になってしまって。もっと勝負に直接かかわる、軽い言葉を選ぶべきでしたわ)
自分のチップも残りわずか。勝負の終わりが足音を立ててにじりよる。
たがいに最初の賭けを済ませ、3枚のオープンカードが机にならんだ。
「ねえ、ウラ。聞いてもいい? 賭け」
「どんなことですの? 同額賭け」
「なんで契約書に『イカサマ禁止』の条文を入れなかったの? 悪魔を相手にするのなら入れて当然でしょう? 現状維持」
「言遊魔術に自信があったからですわ。現状維持」
オープンカードが5枚に増える。伏せた手札にキングが1枚、オープンカードに2枚。
『キングのスリーカード』ができた。
「それだけ? 賭け」
魔王が積んだチップの量は、ちょうど自分の残りと同じ額だ。
「それだけですわ。全額賭け」
選択肢はこれしかない。
――勝負。
力の入らない腕に鞭を打ち、キングのスリーカードを出す。そしてその王たちは……
「王様とジョーカーのフォーカードよ」
いとも簡単に殺された。
「『2枚と5枚の役作り』でジョーカーですの? 抜いてあったはずですのに」
「ワイルドカードだから、迷いこんだのかも」
「笑えませんことよ?」
堂々たる謀りにぐうの音も出ない。全力同士でぶつかりたいとあえて禁じなかったイカサマを、まったく見抜けなかったのだから。だが、それでよかったのかもしれない。心にいだく疲労感がすがすがしいほどに心地よい。
表情はいつしか不敵な笑みから、いつものやさしい顔に。
――負けた。私は魔王に勝てなかった。でも、
(今日のところは、これで勘弁してあげますことよ?)
これだけ頑張ったのだから、負け惜しみくらいいいだろう。
「お祈りしてもよろしくって?」
「ええ」
言葉を交わすふたりの前で、魔法誓約書が赤く光を増し、契約の履行を告げる。
「勝負を見届けていただいたこと、神に感謝いたします。願わくは、最後まで私の心臓を狙い、そして私を殺めた仇敵に、どうか慈悲と祝福を――」
言い終わるか終わらないかの時、グチャグチャという水っぽい音が内臓から聞こえた。口から熱いものが流れ出て机とカードを汚し、その真っ赤な色を見て、致命的な量の血液だと気づく。
祈りの声がゴボゴボという音に変わった。
暗くなる視界の中で見たのは、カップに口をつける魔王の姿。
彼女は「猫舌だから」とずっと冷ましていた紅茶を、一口飲んで唇をなめた。
「『他人の不幸』の紅茶、とっても甘くておいしいわ。ありがとう、女神たる転生勇者案内人」
自分を嘲る言葉のはずなのに、名残惜しさをまとって聞こえる。
(すっかり冷めてしまったでしょうに)
自分の顔面が机の天板とぶつかる鈍い音は、ウルリカの最初の命が、最後に聞いたものだった。