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笑うヨウルプッキ 16

(ぐ……)


 視界がぼやけてぐらぐらゆれる。赤黒い闇が視野の隅をじわりと侵食し、感覚のない体がぐったりとして黒水晶に引っかかっている。


 ああ、覚えがある。これはトラックに轢かれた時と同じ感覚だ。二度と味わいたくないと思っていたのに、また自分を訪ねてきた。頼んでもいないのに、あの時と同じく死を両手にあらわれたのだ。


(……となると、そろそろ痛みがくるな)


 激痛の上に分類される痛みはすぐにやってきた。背中に1ダースの釘を打ち付けられているような、体のあちこちに噛みつかれているような。


 歯の間から息を吐き、あの時と同じように死への抵抗を開始する。


「ニーロさん、油断してた? それとも油断はしていなかったけど、僕の魔法が強すぎた?」


「……ぐ……ああ、油断……のほうだ」


 自分では余裕を演じて声を出すつもりだったが、声は途切れとぎれにしか出ない。


「素直じゃないね」


 痛む体は素直だが。


(これはしくじったな。まさか正面からの力押しとは……。しかも結果は力負けときた)


 もう少し違った展開を予想していた。相手をリングの外に出すため、力の応酬が行われるようなものを。しかしヴィクターの魔力は想像をおおきく超えていた。防御もままならないほどの威力で殴られるなど思いもしなかった。


 うかつな自分に嫌気が差す。ゴミ捨て場に打ち捨てられたマリオネットのように、黒水晶に引っかかっているまぬけな自分に。残酷な子どもにもて遊ばれたおもちゃに心があったのなら、こんなみじめな気分を味わっていたんだろう。


 視界の隅で空を舞うゲッシュ・ペーパーが、なんとも物悲しい。


(もう少しすきがあれば……魔法のひとつでも使えるんだが)


 あきらめる気はない。だがここからの挽回は、標本にされかかった蝶が採集家の手を逃れるよりも難しいだろう。あの契約内容では命乞いすら聞いてくれはしない。


「とどめといこうか。ここから形勢逆転なんてされちゃうと、さすがに僕もびっくりするからさ。ま、そうならないと思うけど」


「手短に……頼む。あと……できれば、戦局を教えてくれ」


「なにそれ。潔いのかそうでもないのか。ええと、戦局はね……」


 今のうちにすきを突いて反撃してやろうと、体へ力をこめる。しかしその矢先、口から出た血に妨害を受けた。傷は自分の思っている以上に深刻で、自身の血液が「無理するなバカ!」と止めに入ったようにも思えた。


「ありゃ、君たちが押してるみたい。ツァーリは、まだベヒーモスの力使わないのかな。……ニーロさん、大丈夫? 僕のとどめのまえに死んじゃったりしないでね?」


「……よけいなお世話だ」


(ああ、血よ。もう少しこらえてほしかった。馬鹿みたいに強い相手へ勝利するには、馬鹿をやるしかないのだから)


 元自分の体の一部だった液体に滑稽な苦言を放ち、顔をゆがめる。体はまだ少し動く。ゆえに次のチャンスを待つ。ヴィクターがとどめを刺そうとしたタイミングに、人生のすべてをかけて突進する腹づもりだった。


 しかし、はたしてそこまで持つものかどうか。視界は非常に狭くなっていた。というよりも、敵がおおきく見えた。自分が遭遇した中でこんなに威圧感があったのは、転生前に自分を殺したあのトラック以来だろう。出血の影響が、視野に悪影響――ネガティブな感情からくる視野狭窄を及ぼしているのかもしれないが……。


 と、そんな窮屈なキャンバスの隅で、開きかけたニーロの瞳孔が動く青色のなにかをとらえた。それはおそらく3人分くらいの人影。ひとつがぴょんとはね、宙に舞う契約書をつかむ。


(なんだ?)


 どうやら女がふたり、男がひとりいるようだ。


 その女から声がする。


「おもしろい契約ね、ヴィクター。これなら勇者でも勇者を殺せる、というわけね」


 少し距離があるのに、よくとおる声だった。大気が音を丁寧に運んできて、心地よく鼓膜を震わせているようでもあった。ニーロは痛む体をなんとか動かして、その特異な声の持ち主を視野の中心にすえる。


 濃紺の髪にペストマスクをずらしてかぶる少女。背はそれほど高くない。両脇には青い乱れ髪の男と、銀髪の女性を従えている。少女はそのどちらよりも背が低かったのに、そのどちらよりも強い存在感を放っていた。


 すぐにわかった。あれは『魔王』だ。


「僕の名前をなんで知っている? お前誰だよ」


 ヴィクターが振り返った。ヤマアラシの針のような殺気を方々に放ちながら。


蛇の湖(カールメヤルヴィ)の魔王、シニッカよ。トロスにまぎれていたのだけれど、あなたのせいで怪我しちゃった。乱暴者なのね、見かけによらず」


 魔王は手の甲の切り傷を不満げになめる。ヴィクターのトロス襲撃に巻きこまれでもしたのだろう。


「お前が⁉︎……こんな状態じゃなきゃ、即ぶっ殺してた。なんでここにいる」

 

「グリフォンスタインの皇帝から『アルバマとの戦争に力を貸して』って頼まれたから。つまり一時的な同盟ね。でも安心なさい、戦争はもう終わったわ」


 彼女は戦場を指さした。パイク兵とパイク兵がぶつかり合い、騎兵同士が剣を交わしていたその場所。それはいつの間にか、整然と引いていくアルバマ兵の背中を見ながら、グリフォンスタインのランツクネヒトが勝どきを上げる光景へと変貌していた。


「はあ⁉︎ どういうことだよこれ⁉︎」


「アルバマの王宮に強襲をかけて、ツァーリに降伏を宣言させたの。2日前にね。やっと前線にも連絡が届いたみたい」


「……くそっ。あの皇帝、自分が戦争をはじめたクセに、勝手に弱気になったのかよ」


「決定に敬意を払いなさいな。戦争は終わったのよ。それと、この契約書も返すわね。もう不要でしょう? えいっ!」


 魔王はゲッシュ・ペーパーを丸め、ヴィクターに投げて返した。彼は片手で受け取り、警戒の目を魔王にむけ続ける。


「で、魔王。お前どうやった? アルバマのツァーリになにをした?」


「カールメヤルヴィからアルバマの首都って近いでしょ? だからフェンリル狼に乗って関所を超え、城壁を駆け上がり、彼の部屋に入っただけよ。()()()()()()()()()()楽勝だった。でも彼も紳士でね。まるでジェームス平和王や<ᚼ ᛒ(ハーラル青歯王)>のように、おだやかな態度で応じてくれたわ」


 男と視線を交わしながら、魔王はにこやかに語る。時々長い舌をちらつかせ、相手のいらだちをあおるかのようにして。


(……助かったか? いや、魔王も私の敵か?)


(ニーロ、聞こえるかしら? 聞こえたら頭の中で答えてもらえる?)


(なっ⁉︎)


 突如思考に割りこむように、頭の中に声が響いた。たしかに魔王の声だ。彼女は目の前の男と話をしているというのに。


「僕はそんなことを認めた覚えがないね。あの男が勝手に決めたことだ」


「支離滅裂ね。主君に仕える形で戦いをはじめたのなら、終わる時も主君に従いなさい」


 ヴィクターへ諭すように言う魔王へ、ニーロは頭の中で声をかけた。


(……聞こえている。なんだこれは)


 すぐに相手から返答が。


(北欧ルーンを使った近距離無線通信よ。伝わってよかったわ。助けてあげるから、合図をしたら全力の一撃を)


 突然のことにニーロは困惑する。こともあろうに、魔王は勇者たるニーロへ「助けてあげる」などと言ったのだ。とはいえ、それ以外の選択肢は閉ざされているようにも感じる。


 意を決した。


(いいだろう)


 重ねて意外に思ったのは、どうやら希望が芽生えてくれたおかげで、体の痛みがやわらいでいることだ。手足がかなり動くようになった。ヴィクターが後ろをむいているうちに、この機を逃すまいと腰の小物入れから回復薬を取り出し、飲み干す。トロスの商人にやたら高値で売りつけられたものだったが、全身の傷口がちりちりと熱されているように感じるようになったから、なんらかの効果はあるのだろう。


「そんな意見、うるせぇって思うよ。僕の敵は僕が決めるし、僕の戦いを終わらせられるのは僕だけだ。その男、ニーロを殺して相手をしてやるさ。そこで待ってろよな、魔王」


「それは悪手ね。契約内容からすると、あなたに不利益がある」


 堂々たる()()()()


「……なんだと?」


 魔王がウインクをした。


「――The Rally(ラリー)


 アイドル状態のエンジンに、ニトログリセリンを放りこむ。冷えた魔腺が燃焼し、蒸気となって全身を包む。


 剣を両手で持って、思いっきり体当たりをぶちかました。――だが。


 バギギギギィ! 重い手ごたえ。


「そうくると思った!」


「がぁぁぁ!」


 残りの魔力すべてを使い切り、全力で押す。相手は岩のように地面へ張り付き、こちらの足が地面にめりこんでいく。


(ああクソ、重い!)


 傷口から血が噴き出すほど力をこめるも、相手は微動だにしてくれない。


 結局敵を10センチも動かすことなく、攻撃は完全に止められてしまった。


(……だめか)


 ガクン! 音を立てるように力が抜けた。魔力の残滓が蒸気となって、体から立ちのぼる。


 両手剣を支える腕の片方が、目の前でぶらぶらゆれていた。ヴィクターが防御した際、新たに発生したバグモザイクに、左腕がもぎ取られたようだ。


「ごめんね、時間ないや。さよなら、ニーロさん」、目の前にはゆがんだ顔。笑い顔というよりは嗤い顔が、楽しそうに嬉しそうに、心臓を食いちぎろうとしている。


(魔王、私はここまでだ)


 肺から吐く息すら残っていない。だからせめて最後の言葉を伝えようと、短く息を吸って、小声で言った。


「――いや、私たちの勝ちだ」


 ヴィクターの懐にある、ゲッシュ・ペーパーを見る。先ほど魔王に投げて返されたものだ。


 そこには赤くうっすらと、小細工のあとが浮かんでいた。


「は?」


 状況がわからないヴィクターの疑問符へ、答えるように続く清流のような声。


「――<(ウル),( )ᚪᛣᛏᛁᚹᚩᛁ(アクティヴォイ)>」


 ドンッ! 目の前からヴィクターが消えた。まるで突然、トラックにでもはねられたかのように。


 彼はニーロの頭上を越え、いくつかの黒い水晶に当たった後、()()()()()()吹き飛んでいった。目で追うと、懐には血で書かれたルーンが1文字赤く光っている。


(ルーン魔法か……)


 あれはたしか『牛をあらわすルーン』のはずだ。雄牛の突進と同様の効果が得られる、過去にトロスの呪術師からそう聞いたことがある。そんなものを身に着けていたら、そしてそれが作動したら、失敗した闘牛士が牛に突っこまれたかのように宙を舞う羽目になるのだ。


 どさりという音がしたのと、男の悲鳴が聞こえたのは、ほとんど同時だった。


「ぁぁあああ! 熱いっ! 熱いぃ!」


 自分の胸を鷲づかみにし、地面でもがく勇者。絶叫と形容することすら不足を感じるおおきな声が、地の果てにいる死神を呼びつけているよう。


「あぁぁ! 僕が! ごのぼぐがぁ! がぁぁぁぁぁっ!」


 のたうちまわるその姿は、まるで体に穴を開けられたイモムシだ。高級そうな服が土にまみれ、細いフレームの眼鏡が音を立てて割れた。


 先ほどまで勝ち誇っていた姿が幻だったのではないかと感じるほど、そのさまは無様に思えた。


「ぐぁっああ! ごんな! ふざげるな! ふざげるなぁ!」


「大まじめよ、ヴィクター」


「お前ぇぇ! ごろじでやる! ごろじでやるぅ!」


 この上なく憎しみに満ちた声を上げ、瀕死のヴィクターは腕をのばす。手のひらに魔力がゆがみを作り、悪意の渦が魔王を狙った。しかしそれも――


「<(ベオーク),( )ᚩᛁᛖ:ᛣᛁᛚᛈᛁ(オレ・キルピ)>!」、放たれた直後、銀髪の女性によって阻まれる。真っ黒な波動は緑色の魔力盾にはじかれ、空気を振動させながら虚空へ消えた。


 最後の一撃すらかなわなかった勇者は、痛みと怒りで再びわめいた。


「なんでぇ! なんで僕がぁ! うあぁぁぁ!」


(「自分のせいだ」などと吐き捨ててやりたいが……)


「ゲッシュ・ペーパーのせいで、ずいぶん苦しむことになっちゃったわね。自分の悪意で死ぬのって、どんな気持ちなのかしら」


「魔王様よ、そりゃきっと()()な気分だろうぜ」


「なら、私たちにとって()()の贈り物ね」


 死にゆく男の叫び声とは裏腹に、それを見守る者たちの目は静かに笑う。


「あああああぁぁぁ!」


(見ていられないな……)


 勇者ヴィクターは苦しみ続ける。苦痛の地獄があるのなら、彼は今そこにいるのだろう。


(…………)


 結局、彼が死ぬまで5分もの時間がかかった。契約書が「苦しみの末に命を奪われる」という文章を、最大限に履行したからだ。


 時間がたつと、彼の声はちいさくなり、怨嗟は懇願へと変わっていた。


「ぐぁぁぁ……がぁぁ……。ご、ごろじで……、ごろじでぐれよぉ」


 しかしそのような願いを聞いてくれる相手でもない。


「ごめんなさい。私、悪魔なの」


「あきらめな勇者様よ。俺たちは今、楽しんでいる」


 魔王と乱れ髪の男は舌を出し入れし、嬉しそうにその光景をながめる。


(……Helvetti(最悪だ)


 ヴィクターの断末魔を最後まで聞くことなく、ニーロは眠るように気を失った。

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