笑うヨウルプッキ 15
細くたなびく幾筋もの黒煙が、接近するにしたがいその太さを増していく。米粒のように見えていた馬車も人も、鮮明に見えるようになっていく。多くが壊され、倒され、赤色を帯びてしまっている惨状が。
過去にないほど視界が狭まる中、ニーロはその男をとらえた。
短い茶髪に細長い体躯、どこか楽しげにステップを踏む足。そいつは逃げまどう人々の真ん中で、踊るように体を回す。振るう腕の先では人がバラバラと吹き飛ばされ、馬車が馬ごとつぶされた。そしてその残骸に、わざわざ火を放って燃やしているのだ。
――ざわり。心が音を立てる。非武装のトロスが燃やされる光景に、崩れ落ちるツインタワーが重なった。
奥歯を軋ませ、大地を噛む足へさらなる力をこめて走る。
踊る男の顔に眼鏡の細いフレームが見えるまで接近した時、ニーロは駆ける足を踏みしめて、飛んだ。手に持った両手剣で、そいつを真っ二つにするために。
着地と同時に両腕を振りおろす。驚いた表情の相手めがけて。
――しかし。
振るった両手剣は地面を深くえぐった。土が盛大に舞い上がり、視野を覆う。
(消えた?)
男を探そうと姿勢を立て直すと、顔の前には自分にむけられた右手。
――バシィン! 衝撃。
一瞬空が見え、背中と後頭部を打ちつけ、次に地面が見え、また空が見えて……。
嫌というほど地面に打ちつけられた後、両脚が地面をとらえた。両手剣を地面に刺しながら、なお後ろにむかおうとする慣性を必死でおさえこむ。ようやく止まった時、相手との距離は10メートルほど。派手に飛ばされたようだ。
顔を上げ、キッとするどい視線を上げる。と、男が口を開いた。
「ああ、あなたがグリフォンスタインの勇者。あれ? 若い男だって聞いていたけど」
まだ20代前半くらいに見える。眼鏡のむこう側へ、「意外だな」というように開かれた目をたずさえていた。戦場にふさわしくない表情だ。まるでショッピングモールで買い物中、知り合いにでも会った時のような顔だった。
「眼鏡の度が合っていないようだな。私は十分若いだろ、若造」
「口悪いね、おじさん。僕は近視じゃない。これはファッションだよ。あなたの年代には理解できないかもしれないけどね」
顔にたっぷりの皮肉を浮かべて、男は肩をすくめる。
「それと、これから戦おうって相手に名前も聞かないの? いきなり斬りかかるなんて、いい年なのに礼儀がなってないなぁ」
「ならここで倒れている彼らの名前を聞かせて欲しいものだ」
ニーロは倒れた仲間たちを指さし、敵をにらんだ。自分の両目が怒りで加熱し、燃え盛るようにも感じたが、冷静さを欠いた行動は事態の悪化をまねくと思いなおし、まぶたを長めに閉じてそれを消した。
「あれはほら、僕にとって敵ですらないから。ちゃんとした戦いって、同レベルの相手同士じゃないと成り立たないと思うんだよね。礼節に関してもそう。立場が違えば生きる場所も違うんだから、それぞれが挨拶をかわす必要なんてない。たとえばさ、人間と虫は会話する必要なんてないでしょ? それともあなたは飛んでいる蠅や蛾に挨拶をするタイプ?」
男は早口でそう答えた。前もって準備されていた台詞を一字一句たがわず口にするかのようだった。待ち望んでいた質問だったのか、どこか嬉しそうで楽しそうな表情をし、高慢な笑みを浮かべ、選民思想の香りに満ちた言葉を吐いたのだ。
ニーロは吐き気をおぼえた。しかしすぐに、腹の底からこみ上げる熱いものは胃の内容物ではなく、おさえようもなく沸き立つ怒りであることを思い出す。だから嘔吐するかわりに皮肉を吐き捨てた。「私は人間を蠅や蛾にたとえないタイプだ」
「いや、あなただっていっぱい人を殺してるじゃん。今さらいい人ぶらないでよ、傭兵さん」
「傭兵にだってルールがあってな。戦う相手を間違えるやつは、風紀を乱したことで罪に問われるのさ」
「略奪、強盗、強姦。傭兵だったら、そういうことやってきたでしょ?」
「お前がどの時代のどこの傭兵を指しているか知らないが、傭兵すべてが倫理観に欠けるって言いたいのなら、お前は『人を見る目がない』ってことだ」
「でもさぁ、兵士が兵士を殺すのも、殺人鬼が子どもを殺すのも、同じ殺人だよね? もしかしてあなたは偽善者なの?」
「極論を語るだけなら誰にだってできる。おそらく蠅にだってできるさ。だが安心しろ。俺は相手を虫けらだと思って戦うことはなかったし、これからもない。お前が相手でもな」
ふたたび強い皮肉を吐くと、若い男は「ああ、それそれ」と指をさして続けた。眼鏡のむこう側にある目を細め、口の端をつり上げて。
「同じだよ同じ。僕はあなたを虫けらじゃなくて『勇者』だって認識したってこと。名誉なことだと思うよ? 僕は『白いヒグマ』なんて言われてる有名人だから」
会話がなり立たっていないのを気にかける様子もなく、両手を広げて自己紹介をはじめる。
「僕の名前はヴィクター。ヴィクター・ジェームス・ヒル。アルバマの皇帝に雇われた『勇者』さ」
厚顔無恥、そんな言葉が頭をよぎる。ニーロは勇者という分厚い仮面をかぶった男が演劇の舞台の真ん中にあらわれ、見るものが誰も望んでいない歌でも歌っているかのように感じた。
そして思うのだ。いや、気にするだけ無駄だ。このヴィクターという男は、舞台の上で演技に夢中になっていて、冷めた拍手が贈られているのに気づきもしないだろうと。
鼻で長めに息を吐き、呼吸をととのえてから名乗り返す。
「ニーロ・コルホネン、雇われ兵だ。ひとつ教えてくれやしないか?」
「なにかな?」
「あれだけの兵、どうやって接近させた。私たちの目をあざむいたのだから、とっておきの力なんだろう?」
「ああ、それを聞いちゃう?」
ヴィクターはおおげさに「うーん」と腕を組み考える。いや、考えるふりをする。道化でも演じるかのようにもったいぶった振る舞いは、能力を明かすという行為の価値を高めるためだ。少なくともニーロはそう感じた。
数秒の後「まあいいや」という言葉に続けて、ヴィクターは自身の固有パークを誇らしげに明かした。
「僕の固有パークはね、国家規模のものなんだ。『実利の複製者』っていう名前。これってすごくてさ、自分の協力する国に、戦争相手の国家守護獣の力をコピーできるんだよ」
「……グリフォンスタインの『飛翔連隊』を使ったのか」
「そうそう、そういうこと。びっくりしたでしょ?」
「ああ、そうくるとは思ってなかった」
やっかいだ。
国家守護獣の力は、この世界がシミュレーションゲームの舞台かなにかと勘違いしそうになるほど現実離れしている。数千人の兵士を数百キロのかなたに短時間で送りこむ『飛翔連隊』の力がまさにそれだ。1年に1回という使用制限があるものの、この力があれば、敵国の町をたった数時間で包囲することすらできる。
しかし今回の戦争で、グリフォンスタインの皇帝は国家守護獣の力を使わなかった。どころか、もうひとつの「グリフォンを10体使役できる」という能力すら利用しなかった。その空飛ぶ魔獣はすべて、国のあちこちに出払ってしまっている。
つまりこの戦場ではアルバマが守護獣の力を一方的に使い、グリフォンスタインはまったく使えないというわけだ。
「どうする? 僕がいればニーロさんはここから動くわけにはいかないし、きっとそのうち、うちの皇帝がベヒーモスの力を使うと思うんだよね。てなるとさ、この戦争は僕たちの勝ちじゃないかな?」
そう言ってへらへらと笑うヴィクターに、ニーロが感じたのは子ども臭さだ。ガキっぽさと言い換えてもよかった。
こいつは手に入れた力を見せびらかしに戦場にきたのだろう。新しいおもちゃを手に、近所の友人を訪ねる感覚で。おかげで彼の「空飛ぶおもちゃの兵隊」たちが、現実の兵士と血で血を洗っている。
「で、ニーロさんはどんな力? 僕だけ教えるのはフェアじゃないよね」
「……『生まれながらの鍛冶屋』という力だ。努力せずに、その道のプロフェッショナルになれるという固有パークだそうだ」
「へええ、すごいじゃん! で、どんなプロフェッショナルになったのさ?」
「使ってない」
「……は?」
「使っていないんだ。女神ウルリカに言われなかったか?『この世界を踏みにじらないこと』って。私の固有パークは世界に深い爪あとを残しかねない。だから、まだ使っていないんだ」
「ええぇ? それだけの理由で、自分の最強の力を封印しちゃうの? それっておもしろくないよ」
「むしろこの世に生きる人にとって、この力をむやみやたらに振るわれるのはおもしろくないだろう? それは、私にとってもおもしろくないさ。それにそんなものなくたって、二度目の人生は十分楽しいと思わないか?」
ナンセンスだねというヴィクターの返答に、氷のナイフのような冷徹な響きが混ざる。「期待はずれ」という色をした、冷たい声だ。
ニーロは戦いの続きがはじまることを覚悟した。両手剣を握り直し、体の前で構える。
「ねえ、ニーロさん。僕たち勇者は『互いに傷をつけられない』っていうけど、あれってどんな行動までが適用される範囲だと思う? 投げたナイフは効かないだろうけど、この場の酸素を奪ったら窒息死するかな?」
「崖から落とせば、重力と地面は凶器になりうると思うな」
「だね。――<炎術円環>」
ごうっ! 炎が重い音をたずさえ、ふたりのまわりを囲んだ。乱雑に消費された酸素が、めらめらと怨嗟を叫ぶ。
「なんのつもりだ、ヴィクター」
「僕たちにふさわしい舞台だよ。戦いはリングで行われる」
(なに悦に浸っているんだ……。いや、これはバグモザイクか!)
炎の中に見える、モザイク柄の黒水晶。直径15メートルくらいの範囲を、自分たちの腰の高さくらいまで覆い茂ったバグモザイクが囲んでいた。
なるほど。相手を吹き飛ばし、これに当てれば傷をあたえられるだろう。
「剣闘士にでもなったつもりか?」
「まさしくそうさ。ついでにこんなものも用意してある」、ヴィクターが懐から1枚の巻物を出した。紐をほどくと、魔力で赤くぼんやりと光る。
『魔法契約書』だ。残酷な未来を期待し、心を躍らせているいじわるな魔法具だ。敵がこんなものまで用意しているとは思わなかった。
「いいおもちゃでしょ、ニーロさん。さ、これに押印して。ここには『どちらかが死ぬ前に、このリングから出た者は、苦しみの末に命を奪われる』って書いてある」
「私がそれを受ける必要は?」
「ルールがもうひとつ書いてあってね。『どちらかが死ぬ前に、リングの外にいる人を傷つけたり殺したりした場合には、苦しみの末に命を奪われる』って。あなたにとっても悪い取引じゃないと思うなぁ、これ」
眼鏡の男は手に契約書をひらひらとさせながら、リングの中央に歩いてきた。背景には不気味に光る水晶と、燃える馬車、倒れた人々。負傷者をすぐにでも介抱してやりたいが、目の前の脅威を無視するのは得策ではない。
羊皮紙を置いて下がるヴィクターと入れ替わり、ニーロはリングの中央に進んだ。相手に目線をむけたまま注意深くかがみ、契約書を手に取る。内容を確認すると、どうやら相手の言った通りの文章が書かれている様子だった。
「血判を押して。僕の分はもう済んでいる」
「……受けて立とう」
手袋を外し、ナイフに指を押し付ける。じわっと出てきた血を見ると、これが人生で最悪の契約だろうという気持ちがこみ上げてきた。晩年離婚に終わった前世の結婚なんか比べものにならないほどの。
いちどヴィクターの顔を見た。押印した瞬間に攻撃してくるかもしれない。
「どうぞ」、冷たい笑みとともに、手で催促された。もし奇襲がくるのなら、まずは一撃しのいでから反撃となりそうだ。
意を決する。
血を指になじませ、血判を押した。ゲッシュ・ペーパーが光を増したのは、心臓ふたつを笑顔で握っているからに違いない。
契約成立。瞬間、強い殺気。
(――やはりっ!)
「――衝術波陣!」
ヴィクターが腕を振るう。それを見て山猫のように真横に飛び、両手剣を盾にして構えた。両手のやけどあとから魔力を送り、相手の魔法をはじくつもりで。
しかし――
ズドンッ! 全身を大きななにかに殴られた。予想外の力、巨人に殴られたような衝撃だ。
(Panka!)
目の前には泥色の魔力のゆがみ。それを防ぐ鋼の大剣が、ミシミシと不穏な音を立てる。つばぜり合いの場所を中心に、大量の土が扇状に吹き飛ばされて、竜巻のような暴風が草木を根こそぎ宙に放った。
踏ん張る脚には鈍い痛み。荷重で骨がプレスされ、ひしゃげて折れそうになる。
ミシミシ!
(――⁉︎)
同時に、視界が黒い水晶に覆われた。それに突き刺され、体のあちこちがかあっと熱くなる。成長するバグモザイクは、胴鎧をゆがませ、脚鎧がちぎり飛ばし、そして体のあちこちに噛みついていた。
(――!)
足が土をズルズルとえぐっていく。これはもう、こらえきれない。
「ぐ、おぉ……!」
――ガシャン!
最後に背中を打つ音がして、衝撃という名の暴風は、ようやく停止した。




