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笑うヨウルプッキ 12

 逃走のゴール地点。カーブを曲がると、視界いっぱいにリンナ湖があらわれた。月の光をいっぱいに受けて、雪と氷で覆われた湖面が心地よさそうにまどろむ、今日のレースのフィニッシュラインだ。


 湖畔にあるリンナ浴場には灯りがともり、サウナ室の煙突は白い煙をもくもく吐いているのが、ゆれる視界の中でもはっきりわかった。妖精トントゥに日ごろの感謝をするため、彼らが使えるように準備されているのだ。


 実際に暖をとっているかどうかはわからないけれど。


(一面真っ白。……うまくいくかな)


 階段――小屋の入口から湖にのびるものへ視線をうつした。サウナで火照った体を入水により冷ますため設けられたそれは、凍った湖に噛みつかれているように途中で白い雪に覆われている。


 その場所こそがイーダの狙いだった。


(きっとなんとかなる!)


 早鐘のように鳴る鼓動を落ち着けるべく、彼女は徐々に速度を落とす。サンタとは距離が取れているから、息を整える時間は十分にある。階段の()()()で停止すると、ノエルをおろして深呼吸した。


 全身から上がる大量の湯気が、自分のまわりに霧でも作りそうだ。


「え? 止まっちゃうの?」


「うん、ここでなんとかしよう」


 集中するため、片膝をついて地面に手を置き、遠くから爆走中のブラックサンタから一度視線を切る。


「ど、どうするの? サンタきてるよ!」


 困惑したかわいい少年の問いに、今は答えない。そのかわり「大丈夫」という顔だけをむけて立ち上がると、最後の仕上げをすることにした。


(よし、戦ってやる!)


 心の中で両手の拳をガツンと合わせてから、腰に手をのばす。防寒用にと持っておいた、ペストマスクをかぶるためだ。


 今夜、頼れる人は誰もいない。作戦の頭脳であるシニッカも、主戦力であるバルテリも。サカリやヘルミ、アイノもいないから、ヴィヘリャ・コカーリで戦えるのは自分だけ。


 それなら()()の出番だろう。魔界代表として、この氷のリンクで戦うのだから。


 ガスマスクを扱う兵士のように、慣れた手つきでペストマスクをかぶる。両目のガラス越しに敵を見すえると、視界が制限されているからか、相手の動きによく集中できた。


「こい、ブラックサンタァ!」


 猛スピードでせまる黒い大男に、威圧されないよう腹から声を出す。両腕を目一杯広げ「お前の敵はここにいるぞ!」と全身で挑発してやる。


「GRAAAAA!」、信じられない勢いでおおきくなる敵の影。それが――


 ザンッ! 雪煙を上げ一瞬で消えた。


(きた!)


「ノエル!」、少年を抱えて飛びずさる。きっと相手の攻撃は知覚できない。


 なら、避けるなら今しかない。ふたりの体が雪の上に倒れると同時に――


 ブォン!


 空振りの音が聞こえた。


(避けた!)


 間髪入れずに顔を上げる。黒い男と目が合った。だから――にこり♪ その目を見つめ返し、笑ってあげた。


 ――バキバキバキッ!


「Gra?」


 氷の上を歩く者が、絶対に聞きたくない音。


「GRAAAAAA!」


 ザバァン! 派手な水しぶきと割れた氷を宙に放り、サンタは水の中に落ちる。イーダがたくらんでいた作戦にまんまと引っかかったのだ。


 とっておきの罠、その名も『Avanto(アヴァント)』。


 サウナの本場でも多くの人が避けて通る、凍った湖にAvanto()をあけて火照った体のまま飛びこむ危険な行為。寒さに慣れている人々でさえ、半分以上の者が「よく入れるな」とあきれる麻薬のような娯楽。というよりも危険行為。


 すっかりサウナ中毒になっていたイーダは、シニッカに教えられそれに挑戦した挙句、いたく気に入り毎日のように()()()いた。もちろん昨日も楽しんだ。だからその部分だけ氷が薄くなっていることを知っていたのだ。


 勢いよくそこに踏みこむと、音を立てて割れることも。


(先週落ちたからね!)


 身をもって体験した事故の教訓は、どうやら役に立った様子。


「Gorap! Gorap!」、変な声。サンタは上半身を水から出し、彼なりに「あっぷあっぷ」と言っている様子。水温は0度近い。それに、あんな袋を持っていれば自由なんて利かない。


 止めが必要だろう。


 動けなくなるほどの疲労と引き換えに、5つ目の呪文を放った。


「――穴を塞げ<(イス)>!」


 氷を意味するルーンが水を固体に変える。ビシィッと音を立て一瞬の間に、ブラックサンタを白く彩る。


「はぁっ、はぁっ」、白樺の枝(ヴィヒタ)がバサバサと落ちる感覚。魔腺疲労が体を襲い、イーダはその場にくずおれた。


「大丈夫?」


「う、うん。なんとかね……」


 滝のように汗が流れ、零下の外気でつららになりそう。でも――。


「勝った、のかな」


「……ぽいね」


 氷漬けのサンタは鬼瓦のような顔になってしまっているけれど、口から微妙に白い息を上げている。


 生きているなら、いいだろう。


 もう少ししたら解放してあげようと、イーダは考えていた。勇者ならともかくサンタを殺したいとは思わない。幸い火の入ったサウナも近くにあるのだし、「私の勝ちだから見逃して」という交渉くらい受け入れてくれるだろう。


 言葉が通じていないように見える相手に、ちょっと楽観的ではあるけれど。


(やればできるもんだなぁ)


 息を長くふぅぅぅっと吐いて、星がまたたく夜空の下、安堵と満足感に浸る。


 戦う決意を口にして瞬殺されたシニッカ、一応の反撃をしたバルテリ、戦う気がなかったアイノとヘルミ。用事があると言っていたサカリとドクも、今はこの場所にいない。


 だから今日のこれは、自分だけの戦果だ。


(やったぁ♪)


 ささやかな勝利の美酒は、今日一番のごちそうなのかもしれない。でもそろそろサンタを引き上げてあげないと凍死してしまうかも。ゆっくり顔を上げ「サンタを助けてあげて」と、ノエルに話しかけようとした。


 ――その時だった。


 リンリンリンというベルの音とともに、上空から飛行音。


「え⁉︎」、思わず声を出して見上げると、そこにはトナカイ――いや、8頭のアクリスにそりを引かせ、シャイニング顔で笑うもうひとりのブラックサンタ。


「うそ!」


「うぇぇ⁉︎」


 そいつはヘリコプターのように垂直降下してきて、氷漬けになったほうの個体をつかんで湖から引き上げた。手に太陽でもやどしているかのように、氷を溶かして服を乾かすと、雪の上にポイッとおろす。


 そしてそりからおり、石炭袋を構えたのだ。乾燥して元気になった、もうひとりとともに。


「Graaa!」「Goraa!」


 あっという間のできごとが、勝利の美酒をひっくり返した。


(ひ、ひ……)


 イーダは頬をひくひく引きつらせる。


(ひ、卑怯だよ!)


 叫ぶ元気もなくなったので、心で大声の苦情を申し立てた。


 よく思い出したら、王宮にブラックサンタがあらわれた後も街はにぎやかなままだった気がする。それに、人ひとりで2万人以上いる魔界の住人を一晩で殴り切るなど、できるはずもない。


 要するに、魔界は複数のブラックサンタに襲われていたのだ。


「シッテタ」、棒読みでつぶやくノエル。その表情はもはや生者と言いがたく、死体労働者(ゾンビ)と同じ土気色をしている。


(ああ! 卑怯だよ! 卑怯だよぅ!)


 心の中で地団太を踏み、子どものようにジタバタするイーダであった。が、疲労のせいで体は動かず、結局ノエルと同じゾンビ顔を浮かべる。


 ペストマスクのせいで、その表情がブラックサンタに届くことはなかったが。


(せっかく頑張ったのに、なんたる()()


 せまるふたりの大男を前に「ゴッシャア!」の覚悟を決める。狭い視界の中でサンタが袋を重そうに持ち上げ、頭の上に掲げるのを、不服そうな表情で見つめながら。


 しかしサンタは、そのまま凍ったように動かなくなった。


(……?)


 2秒、3秒、10秒たっても、ブラックサンタは袋を振りおろさない。


(じらしてる?)


 いや、そうではなさそうだ。なにせ彼らは自分たちを見ていないのだから。


(……あれ? 誰かいるのかな?)


 背後から複数のちいさな足音が聞こえるのに気づき、イーダは振り返った。すると――


 そこにいたのは10人ほどのトントゥ。体から湯気を出し、あきらかに今までサウナを楽しんでいた魔界の妖精たち。


「トントゥ!」、びっくりしたおかげで体に活力が戻り、おおきな声が出てしまった。


「え? トントゥ⁉︎ はじめて見た!」、つられてノエルも妖精たちを見る。ふたりの視線は彼らに釘付けだ。


 ほかほか上がる蒸気の中で、ブラックサンタに対しなにかを訴える妖精たち。体に巻き付けたタオルは必要があるのかないのかわからないけれど、あまりに激しく動くので、取れてしまいやしないかと心配になるほど。


(……助けてくれようとしているの?)


 声を出さない妖精たちが、どうやら自分たちをかばってくれているのに気づいたイーダは、胸のあたりから鼻腔に上るじわっとした感動の感覚に体を震わせた。


「あ、ありがとう」


 イーダの感謝の言葉も聞かず、わしゃわしゃと腕を振る赤い帽子の妖精たちが、ブラックサンタに攻撃の停止を訴えかける。声が出ないから身振り手振りで、時々ぴょんぴょんとはねながら。


 そのずいぶんと必死な挙動には、彼らなりの理由があった。実は死活問題であったのだ。


 なにせ――このままでは『牛肉をつかさどる精霊』が狩られてしまう! と勘違いしていたから。


 そんな行動に、ブラックサンタたちは「どうしたものかな」という表情で、顔を見合わせる。彼らからすれば魔界の人間なので、袋でぶん殴り気絶させたいところなのだが、トントゥにこうもアピールされてはやりにくいというもの。


「Graa. Graaa?」


 わしゃわしゃ。


「……Graa」


 結局、要求を聞き入れることに。頭の上に上げた石炭入りの袋をドサっと地面におろす。


(うぅ、感動で泣きそう。最高のクリスマスプレゼント(ヨウルラフヤ)だよぅ……)


 そんな魔界生物たちの事情を知らない『妖怪毛玉鳥人』は、トントゥが助けてくれたことに心を打たれていた。泣きそうと言っている人がすでに泣いていることが多いのと同じく、ペストマスクの目のガラスは流された感涙で曇っている。


「ありがとぅぅ、ありがとぅぅ」


「た、助かったぁ」


 こうしてイーダの長くて短い夜は、一応の終わりを迎えることとなった。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 ふたりは温かい施設の中に連れて行かれた。宮廷魔術師の老女と同じく、穏やかに眠りにつくためだ。


 休憩室の中には、サウナの時に体を休める寝椅子がならんでいる。ノエルとともにそこへ寝転がると、半ば忘れかけていた疲労が全身にもたれかかってきて、サンタの助けがなくても寝られるのではないかと思うほどだった。


(疲れたぁ……。でも、よかったな)


 ころんと首を横にすると、視界に入ってきたのは食事の続きをしているトントゥたち。肉と酒を両手に持ってはしゃぐ姿はお行儀が悪いけれど、人間が用意した食事を喜んで食べてくれる光景に嬉しくなった。


「疲れたぁ……」、視界とは逆のほうからノエルの声。くるんと顔をむけると、相変わらずの半開きな瞳と目が合った。


 しばしの後、少年が口を開く。


「あ……。あの、ありがとね」


「えへへ、どういたしまして」


 尊い男の子から、感謝のプレゼント。トントゥとノエルという、ともにかわいい存在からの贈り物を受け取ったイーダは、この上ない満足感とともにクリスマスイブ(ヨウルアーット)を終えた。


(幸せぇ)


 ブラックサンタがふたりの額にそっと手を置く。手袋ごしなのに意外と温かいその手を感じながら、深い眠りに落ちた。


 足元に置かれた石炭入りの袋がしわを作り、感情でもあるかのようにふたりを見上げて笑顔をむける。これが実はサンタからのプレゼントだったことに気づいたのは、目が覚めた後だった。


 ……そしてトントゥをもてなすために働いていたドクが、部屋の隅で袋に突き刺さっているのに気づいたのも、目が覚めた後のことだった。

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