表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

82/306

笑うヨウルプッキ 10

 歌にもあるように、サンタクロースは煙突から住居への侵入を行う。それは()()()でも同じだ。入り口が体格に対してあきらかにちいさかろうが、下で薪が燃えていようが、サンタクロースであるという事実がこの世界(フォーサス)の『世界律』のように横柄な態度で振る舞って、不可能を可能にしてしまうのだ。


 だから12月24日の夜は暖炉の前に立つべきではない。とくに得意満面を顔に浮かべて、ありったけの闘争宣言をした直後には。


(あぁぁ!)


 黒い巨漢の足元には、地面にノビる魔王様。上半身が白くおおきな袋に腰までめりこんで、さながら『妖怪きんちゃく袋』ともいえる姿になっている。飄々としているいつもの彼女を写真に撮って今の姿とならべたら、誰も同一人物だとは思わないだろう。


「GRAAAAAAAA!」


 倒れるシニッカの横、ブラックサンタの鳴き声が響く。動物ではないから鳴き声でもないのだが、映画『シャイニング』で斧を振り回すお父さんのように、狂気としか表現しようのない笑顔でうなり声を上げられたら人類ではないと思いたくもなる。


(あぁー! あぁああぁー!)


 母音と長音と感嘆符が頭の中を埋め尽くし、イーダは叫びたいのに叫べないほど緊張していた。洗濯後に干し忘れたシャツのようなしわを顔へ浮かべ、奥歯をクラリネットのようにカタカタ鳴らしてしまう。横には作り立ての干し柿のような顔をして、恐怖に失神しかけているノエルの姿も。


「カールメヤルヴィ変な顔選手権」があるのなら、このふたりが優勝候補であることに疑いの余地はなかった。もっともそんなものがあったとして、今日は審査員たちも襲撃を受けているから、悪意でできたトロフィーを彼女らが受け取ることもない。


「出やがったな!」


 硬直するイーダたちと違い、カールメヤルヴィ国防大臣の反撃は早かった。敵と見れば脊髄反射のように戦闘態勢をととのえるのは、彼が武人であるなによりの証拠だ。


 ふっと息を吐き構える。敵に対して半身になり、上体をねじり、長い両脚をぐぐっと沈める。引き絞られたクロスボウのように運動エネルギーを体にためこんで、床を爪でわしづかみにするかのように踏みしめて――


 ダンッ! 放つのは渾身の右ストレート。


 ゴッシャァ! しかし炸裂したのはサンタの攻撃。


 バルテリの上半身が、サンタがいつの間にか手に持っていた、ふたつめのおおきな袋にめりこんだ。


「……ぐへっ」、プレゼントに埋もれ、今や狼も『妖怪きんちゃく袋』に。


(ああ! バルテリまで!)


 ようやく子音の存在を思い出したイーダの脳が、フェンリルの戦線離脱を嘆く。スラリとした長身と余裕のある立ち振る舞いが常であるバルテリならば、どんな時でも格好いい見た目をたもち続けると思っていた。が、世の中はそう甘くない。胸まで袋に埋もれ倒れている彼の姿は、どう評価しても滑稽の枠を出ない。


 嘆きの半分は端麗な男性がだいなしにされたことによるものだったが、ブラックサンタはそんなことお構いなしに視線を残りの者たちへむけた。


 イーダはすかさず、特技「目をそらす」を使う。今この状況でなんの役にも立たず、なんの意味もないであろう特技を。


 今の彼女に「なぜそんな技を使ったのか」と問えば「だって目が合ったんだもん!」などと、口にするために消費するカロリーすらもったいない、つまらない回答が返ってきただろう。だがサンタはそう問いかけをすることもなく、ましてやイーダに興味を持つこともなかった。


 大男はずりっずりっと音を立て、重量感のある歩を進める。


 ヘルミが両手を構え、それを目で追った。体の正面で敵をとらえ続けるように、じりっじりっと足の位置を変えながら。しかしブラックサンタが目指す先は、臨戦態勢を整えたベヒーモスでもない。


 机に横たわる自沈寸前の潜水艦だ。


 サンタは白い歯をニイッとむき出しにした表情のまま、片方の眉を上げて怪訝そうな顔をした。「こいつはなにをしているんだろうか?」とでも言わんばかりの表情で。そしてその顔を、前後逆にかぶった革ヘルメットで隠れたアイノの頭部に近づける。


(……な、なにしてるんだろう)


 標的にならなかったことでようやく落ち着いてきたイーダは、その様子を恐るおそるうかがった。サンタの行動はどことなく熊を思わせる。「これは食べられるのか、食べられないのか」を判断するために匂いを嗅いでいるような、相手が生きているのか死んでいるのかをたしかめるような。


(まさか、死んだふりが効くの!)


 熊に襲われたら死んだふりをする。それは迷信であって、やらないほうがいい。実際に今だって、熊たるサンタの興味を引いてしまっている。


 けれどブラックサンタは熊ではない。生態も違えば行動原理も違うはずだ。


 もしこの敵が、ホラー映画やパニック映画によくある「音を立てなければ襲ってこない存在」だとするのなら、アイノはそれを知っていて今まさに対処方法を実践中なのだ。


(だから騒ぎ立ててたシニッカとバルテリが真っ先に狙われたのかも)


 音を立てなければ逃げ切れるかもしれない。そんな一縷(いちる)の望み。


 ゴッシャァ!


 容赦ない一撃。


(そうだよね! だめだよね!)


 どんな時だって、危険からは遠ざかるのが賢明だ。机と袋のサンドイッチに手足をぷるぷる痙攣させ、潜水艦が亡失したのもさもありなんだ。


(どうしよう……)


 サンタがあらわれてわずか1分。すでに犠牲者は3人目。


(……というか、この状況なんなの?)


 もはや戦意喪失以前に、カオスが場を支配していることに頭痛がしてきた。シニッカが健在だったなら、まだ戦うことをあきらめていなかっただろうか。


 ……そんな現状に光を差したのは、緑の皮のベヒーモスだ。


「イーダさん、このような時だからこそ、私はひとつ、欲望を満たしたいと思います」


 静かに言う。話す内容はどこか不穏な空気を放っているのに、彼女の声はせせらぎのように安心感をあたえてくれる。


「う、うん。ヘルミ、どんな欲望?」


 ベヒーモスの言葉に、イーダはシニッカの語り口を思い出した。魔王が意味ありげになにかを言った時は、たいてい物事を好転させる時。


 とくん、と心臓の鼓動が聞こえる。遊びに行く約束をしていた友人がやってきて、ドアがノックされた時のような心地よい鼓動だ。心の真ん中に感じるそれは、むずかゆさにも似ている。希望の芽が生えたからそんな感触がしているのかもしれない。


「度し難い、でも戦士ならば誰もが持つ欲望です」


 戦士が持つ感情なんて最たるものは「戦意」だろう。ということは、やはりヘルミは戦いをあきらめていない。いつものシニッカのように敵を倒す道が見えていて、今からその一手目を盤上に打ちこむんだ。


(よ、よし! なんとかなるかも!)


 なら反撃しよう。ヘルミとともに、このブラックサンタを倒すんだ。


 戦意を湧き立たせるため、端的に返す。


「私に聞かせて、ヘルミ」


 目線の先、美女が笑った。


「――『ここは私にまかせて先に行ってください』」


 満足そうな、とても満足そうな顔で。


 …………。


(ん?)


 どういうことだろう? それじゃあ反撃にならないじゃないか。


 イーダは恐怖を忘れて、まずは違和感を解消することにつとめた。この状況下で自分とノエルが逃げたとしても、解決にはならない。自分たちふたりにはブラックサンタを倒す手段がないからだ。もし逃げた先にとびっきり頼りになる仲間でもいるなら話は別だけど、そんな人がいるのなら事前に教えてくれたはずだ。


 じゃあ今の言葉の意味は? 策のないふたりに対して、あんなことを言った真意は?


(……まさか)


 しばしの後、答えが出た。


「……言いたかっただけ?」


「はい」


 ゴッシャァ!


「ヘルミのばかぁ!」


 やっぱりこの人もあきらめていた。


 ()()()()()()でいっぱいのヴィルヘルミーナ・オジャ辺境伯が、あっという間にきんちゃく袋の姿になって仰むけに倒れる。腰の上まで白い布と石炭に埋もれてしまったが、立派な胸だけがつっかえて露出しているのは、なんともマニアックな姿だ。


 しかし、仲間たちのどうしようもない姿を見続けたことで、イーダの恐怖や絶望はおおきく形を変えていた。ポジティブな変化ではなく、どちらかというと「やってられるか!」というやけっぱちの感情だったが、一度追いこまれてから立ち直った後の彼女は強い。


「もう! 逃げるよノエル!」


「うぇえ?」


「<加速せよ(羽をたたむ隼)>! <筋力よあれ(秋の蟻の口)>!」


 タンッ! 言遊魔術(ケニング)をふたつ口から放り、ノエルを抱えて床を蹴る。「GRAA?」と疑問符のうなり声を部屋に残して、イーダは開け放しのドアを抜け、廊下を飛ぶように走り、ホールに続く重い扉を蹴って開いた。


「GORAAAAA!」、当然のごとくサンタは追いかけてくる。熊だって逃げる者を追う習性があるのだから、サンタにない道理はない。


「わぁぁん! 怖いぃ! 追ってきてる! 追ってきてるよぉ!」、前後逆に肩にかついだから、ノエルは後ろがよく見えるだろう。ということは、彼に黒い大男との距離を聞けるかも。


「どのくらい離れてる⁉︎」


「歯茎が怖い!」


「たしかに!」


 キシリトールいっぱいの歯磨き粉を使って磨かれたであろう、見事な白さの歯と健康的な歯茎。『黒いサンタ』の名前と反し、虫歯と無縁なデンタルヘルス。


 違う。


 ノエルとの会話はボール球が多いことを忘れていた。でも歯茎が見える距離じゃ減速は許されない。倒れないで使える言遊魔術(ケニング)はあと2節。出し惜しみはしない。


「<疲労よ遠ざかれ(朝のヨモギの靴)>! <体力よあれ(駆けるたてがみの脚)>!」


 雪道が飾る澄んだ夜に、白樺の香りが魔腺を抜ける。同時に体が夏の日差しでも受けたかのように、かあっと熱くなった。魔法を疲労限界まで使用したためだったが「寒い冬の日にちょうどいい」とハードボイルドを気取ってみせる。


 今回の言遊魔術(ケニング)は、過去に練習で1回行使しただけ。覚えたてほやほやの新兵器だ。


 旅をする時、明け方にヨモギを靴に入れる行為は、カールメヤルヴィの民間呪術師(カニングフォーク)がよく使う疲労防止のおまじない。また「たてがみ」とは馬のこと。長距離走にすぐれる馬たちの持久力を借りるためだ。先の加速魔法と3つ同時に使えば、長時間高速で移動できる。


 フェンリルの姿になったバルテリがよく使う魔術セットを、こっそり練習しておいたのだ。いつだって、逃げ足は重要だから。


「あ! いける! いけそう! あ、そうでもない! 怖いぃ!」


 多分ノエルは「逃げ切れそうで逃げ切れない」と言っている。さすがにこのまま一晩中走り続けるわけにもいかない。けれど、どうにかする手段はあるのだろうか。


「と、とにかく逃げるよ! ノエル、隠れられそうな場所知らない⁉︎」


「人のお腹の中!」、このかわいい男の子も魔族だった。


「却下だよ!」、自分で探すしかなさそうだ。


(……そうだ! リンナ浴場!)


 イーダは自分に地の利がある場所の中で、一番のお気に入りであるサウナ施設へ走ることにした。というよりも、追いこまれていたがゆえにそこ以外思いつかなかった。でもいいのだ。逃げるためには逃亡先が必要だ。


 自分でも信じられないくらいに脚のケイデンスが高rpmをたもち、雪を巻き上げ航跡を残す。普段はガラスの心臓が、鋼鉄の発動機のように稼働して、血液と魔力を全身に行き渡らせる。


 全力で夜道を走った。雪で隠れた地面のへこみも、時々ある倒木も、今の自分には問題とならない。鹿のようにはねそれらをかわす。


 なにせ()()()()()()()のだから。


「どど、どこ行くの⁉︎」


「リンナ浴場だよ!」


「なんで⁉︎」


「だってあそこには、骨さんたちが3人もいるから!」


 まずは味方を見つけるべきだ。といっても街に行ってしまったら「魔王様のとこの子がブラックサンタを連れてきた」なんて悪評が立ってしまうかも。だからあのサウナ施設が唯一の選択肢。いつもテキパキと行動してくれる骨36号さんや47号さん、58号さんを味方に引き入れ戦うのだ。


 もちろん無策ではない。うまくいくかはわからないけれど、予想が正しければ使()()()ものがあるはずだ。昨日行ったばかりだから、()()()()になっているはずだ。


 だから()()()を利用して――


「今日は金曜日だよ!」


(んん?)


 聞き捨てならない言葉。


「……あぁっ! そうだったぁ!」


 暦は2021年12月24日、()()()。今日の日没から明日の日没まで、ゴーレムやオートマタを働かせてはならない。


「どうしようぅっ!」


「わぁぁん!」


 ここにきてイーダは、自分たちが袋小路に追いこまれていることを、嫌というほど認識したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ