笑う王様 3
開始から30分、ゲームは続いていた。
(これはなかなか……追いこまれてきましたわ)
大天使ウルリカにとって、魔王はあきらかに歯ごたえのある相手だった。手堅く、確実で、無理をしない戦法。机の上に積まれたチップは、世界樹の根が竜にかじられるがごとく、少しずつ減らされている。それは首すじをあの長い八重歯と長い舌で、もてあそばれているようでもあった。
しかし天使は負ける気などない。「自ら戦いをはじめた以上、絶対に負けない」と決めていたから。
(この程度の逆境、問題にもなりませんわ。神様、見ていてくださいませ)
心に覚悟の槍を持ち、ベルセルクのように自分を奮い立たせる。
彼女らが興じる『2枚と5枚の役作り』とは変形型のポーカーゲームだ。各々の手元には伏せられた2枚のカードがあり、配られた段階でその中身を見て、最初の賭けを強制される。次に、場に3枚のオープンカードが出され、自分の手札と組み合わせて役ができていないかを確認し、さらに賭けを行う。最後にオープンカードが5枚に増やされて、自分の手札2枚を足した7枚の中から、一番強い役を選んで勝負となるのだ。
これは、やっかいなルールだった。手札を交換できない以上、取れる戦法はかぎられてくるのだ。ゆえに、どこでどれくらい賭けるかという駆け引きが、勝負の重要な要素となる。
双方の賭け金が同額にならなければ勝負は行われない。つまり相手が大量の賭け金を積んだら、それに応じなくてはならない。もちろん勝負放棄をしてもよいのだが、その場合は賭けた分のチップが戻ってこなくなる。だからだまし賭けを行うことも、それを見抜くことも要求される。
そんな肌のヒリヒリするような勝負にあって、魔王の表情は涼しい顔。雑談をまじえながらゲームを続けていた。
「ねえウルリカ。勇者を地上にさしむけること、やめることはできないの? 倍賭け」
時計の待ち時間が切り替わる「カチッ」というちいさな音をかき消すように、少なくない額のチップが場に積まれる。勝負をかけにきたのだろうか、それとも、こちらの出方を見るつもりか。
場に出ている3枚のオープンカードが、自分の役に立たないのを見て、ウルリカの心は苦みを帯びた。
「無理な要求ですわ。それは私が神からあたえられた、大切なたいせつな役割なのですわよ? 同額賭け」
時計の針は相手の側へ。命のチップを差し出す音とともに。
「でもね? あなたが送りこんだ勇者の多くが地上に害をまき散らしていること、知っているでしょう? 現状維持」
「わかっていますわ。それでも私は転生勇者案内人をやめられませんの。私がいなくなっても、彼らがいなくなる保証はありませんのよ? 現状維持」
双方が現状維持を宣言し、オープンカードが3枚から5枚に増やされる。増やされた2枚は、ハートとスペードの王様。
ふいにあらわれたそれが、昨日見た大国の王たちと重なった。腕を組みながら議場に存在感をしめし、飛び交う激論に時々難しい顔を浮かべていた彼ら。ウルリカはキングの姓を持つ自分が彼らと同じしかめっ面をしていることに気づいて、ついふっと口元をゆるめてしまう。
それに反応して、机のむこうから微笑みをたずさえた声が聞こえた。
「笑っているほうが素敵よ、ウルリカ。楽しまないと。賭け」
「そうですわね」
硬くなった顔の筋肉から力を抜いてやる。残りのチップの枚数からして、ここで負けたら大勢は決まるだろう。正念場だからこそ深刻な顔をするべきではない。自分の役が、オープンカードにあるキングのワンペアでしかなかろうが。
ふたたび昨日のことを思い出す。会議の結果、戦争は回避された。いや、王たちは最初から戦争などする気がなかったに違いない。
では私はどうだ、ウルリカ・キング。自らしかけた戦いを、誰かをあてにして「なかったこと」にすることはできるのか。
心の中の情景には、魔王と対峙する自分の戦意たちが戦士となり戦列をならべている。相手は小高い丘の上。位置的には不利だが、彼女の勇敢な戦士たちは盾を槍で打ち鳴らして合図を待っているのだ。
だから――戦おう、そう決めた。
「倍賭けですわ」
高らかに鳴るホルンの音。
「……そう」
そしてきっと、それは間違いではなかったのだ。ゲームが開始してからはじめて、魔王の手が止まる。時計がカチカチと持ち時間をけずっていく。
(これでだめでしたら、次の手はどうしましょう。いえ、取れる手段はひとつだけですわね)
緊迫した状況での1分の持ち時間は、魔王にとっては短いだろう。しかし自分にとっては長い。時計の音が1秒1秒、明確に聞こえるくらいに。
針が残り数秒をさした時、相手の腕がチップにのびた。
「では、こういうのはどうかしら、ウルリカ。同額賭け」
そして魔王はその手で、あろうことか伏せていた自身の持ち札を2枚とも開く。その両方がエースで、彼女の役はキングとエースのツーペアだ。このタイミングで札を開けるというのは、あきらかなブラフ破りの意思表示。なぜなら唇の間へ、ちろりと舌をのぞかせているのだから。
勝つにはスリーカード以上が必要になる。ウルリカは、今の自分がそんなものを持っていないことくらいわかっている。
机の上に「敗北」の文字がちらちらと見えはじめた。手に剣を持つキングの絵柄が、ハート――心臓をたずさえて不敵に笑っているかのようで……だが、不安など表情に出してやるものかと、心の奥歯を噛みしめる。
これくらいのことで指を震わせるのは、自分の決意に反するから。
「――全額賭け、ですわ」
強く出る。狂戦士が自身の心臓のことなど気にせずに、相手の心臓を求めて疾走するかのごとく。
心で負けてはならないのだ。魔王のゆさぶりで心臓が狂想曲を奏でようが、場に積まれた大量のチップにめまいを覚えようが、戦うと決めたら剣を振りかざし、全力で走るだけ。
姿勢も顔色も変えず、天使はただ相手の手を待つ。
「……キングのスリーカード?」
その問いに答えることはない。かわりにじっと魔王を見つめ返した。
沈黙の中、時計の針だけが進んでいく。経験した人生の中で最も長い1分間が、亀のように進んでいく。
「……はぁ。勝負放棄よ」
そしてついに、ウルリカは勝った。魔王は賭けからおりたのだ。4枚羽の付け根にどっと大量の汗が流れる。解放感で全身が震えそうになるのを必死で我慢した。
ふぅっと息を吐きながら、自分の手札を開けて見せる。ワンペアしかそろっておらず、勝負をおりた魔王の役よりも弱かったブラフの中身を。
目の前の少女は驚きに目を見開いて、長い舌を口の中へ消した。
「舌を巻いたわ、ウルリカ・キング! それをほんとにやる人がいる? どれだけ心臓が強いのよ?」
「決意を胸にいだいておりますの。もちろん、12個分の」
ふふん、と不敵に笑って見せた。それは相手への威嚇ではなく、なんとか苦境を乗り切った自分へのご褒美だ。
そんな顔を見て魔王の表情が変わっていく。驚きで見開かれた目は、視界の中に楽しみを見つけ出した色に変わり、同じく感嘆を告げていた口元は、旧友に会った田舎娘のような無垢な曲線を描いた。
まるで子どものような、満面の笑み。
「素敵よ! とっても素敵! 私の敵にふさわしいわ!」
ずいっ、と体を乗り出して、きらきらした目をむけてくる。
「もちろんですわ、魔王。歯ごたえのあるあなたに、最大の感謝を」
負けないように体を乗り出す。そして顔を見合わせ、声を出して笑った。
「あはは! 食べちゃうなんて、ひどいわウルリカ! きっと私、おいしくないわ!」
「そんなことありませんことよ? 体に悪いものほどおいしいのですから!」
「あらら、知らないわよ? 毒があるかもしれないんだから!」
「食えないことをおっしゃらないで。よく噛んで味わいますことよ?」
「あはは! やめてよ、もう。お腹痛い!」
「私もですわ。食あたりかしら?」
命を奪い合っているはずのふたりが、おおきな声で笑っている。そんな現状へ顔のないオートマタは、不思議そうに見おろしていた。心の底から楽しそうな声が、天界の部屋に花を咲かせているようだったから。
彼女らはひとしきり笑い、そして「はぁ~」と息を吐く。楽しいひと時の終わりに訪れるのは、少しだけさみしい沈黙だ。
まじめな面持ちに戻ったウルリカは、少し顔を伏せて口を開いた。
「……こんなことを、あなたに言うのは、失礼なのかもしれないのだけれど」
「気にしないわ」
予防線を張る言葉に対し、まっすぐな魔王の答え。それを聞いたから、自分もまっすぐに相手にむき合いたいと感じ、ウルリカは顔を上げた。
「もし今日、あなたが死んだのならば、明日から誰と戦えばよいのかしら」
自分でも驚くくらい、感情の乗った声が出た。
「この世界のことだから、きっと新しい魔王が出てくるでしょ」
「その魔王は、あなたのように尊敬できる相手なのかしら」
「あなたが素敵であり続ければ、敵もあなたにふさわしくあり続けるの。そうでしょ? ウルリカ」
そうかもしれませんわね、とつぶやき、愛称をそえて贈られた相手の言葉を噛み砕く。敵からもらったその言葉が、なにものにもかえがたいものに聞こえたから。
(お誘いして、よかったですわ)
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
ウルリカは、以前から魔王を仇敵と位置づけ、毎年行われる調停会議でも会話を避けていた。敵同士であるのなら会話は戦場でするべきだと思っていたし、相手もそう思っているだろうと感じていたから。
送り出した勇者を幾人も殺され、その数は自分の持つ命の数をとっくに超えている。勇者が死んだという知らせが入るたび、その死を悼み悔やんでいた。しかし彼女のもとに正確な情報を届ける者はいない。基本的に天界と地上は隔絶しており、調停会議程度の交流しかなかったからだ。
ある日、なにか情報を得る手立てがないか探していると、供物についた手紙を見つけた。幼い字でたどたどしくつづられたそれには、勇者を送りこむ自分にとって、一番恐れていたことが書かれていた。
「かみさまと、てんしさま。ゆうしゃをやっつけて、くれて、ありがとございます」
ああ、やはりそうだったのか。少しだけ、覚悟はしていた。どこからか伝わった勇者の悪行が、天界でうわさになっていたこともあったから。そう思っても動揺はおさまらなかった。
でも彼女は顔を上げ、手紙をつかんで部屋を出た。つき止めなくてはならないのだ。送り出した側の責任として、勇者が地上になにをもたらしているのかを。
同僚の天使たちに話を聞いてまわった。昨年の調停会議では、今まで出ることのなかった晩餐会に出て、地上の人たちの話を聞いた。そしてつかんだ事実は、やはり残酷なもの……。
勇者の一部は世界に益をもたらす。害獣から街を守り、幸せな家庭を築いた者。世界を旅してまわり、過酷な場所を人の生活圏に変えていく者。田舎に引きこもり、ひたすら農業をして、世の中の食卓を豊かにする者。
残りの多くは、世界に混乱をもたらしていた。貴族社会に入りこみ、つたない政治で不況をまねく者。自分の強さを見せつけて、ただただ女をむさぼる者。魔王を倒すために徒党を組み、返り討ちに遭い、若い命を巻きぞえに死んだ者。
「地上の方々からしてみたら、私も悪魔ですわね……」
魔王を避けていた理由は、勇者がもたらしているだろう悪い面から目を背けたかったからだ。それに気づいてしまい、動揺が自己嫌悪へと変わりはじめる。
(いや、私が消えても勇者転生が消えるとはかぎらない)
心が折られそうになるたびに、そこへ力をこめて押し戻す。いやむしろ、いっそのこと折れたっていい。骨折と同じだ。あきらめずに治癒させたなら、そこは以前よりも太く頑丈になるのだから。精神もそうやって厚みを増す。彼女はそう承知していた。
それが『女神たる転生勇者案内人』こと、ウルリカ・ヘレン・キングという天使の生きかただった。
「前に進まなくては。自己否定など、私らしくもありませんわ」
重くなる気持ちを歓迎し、前をむくことにした。そのためには、ずっと避けていたことに立ちむかう必要があるだろう。
だから昨日の晩餐会で、彼女は魔王を探した。感情という名の複雑なパズルにおける重要なピースであり、正面から対峙すると決めた以上、常に戦い続けるであろう相手を。
美しい青い髪と端麗な容姿。そこに不釣り合いなペストマスクと医療用ノコギリ。目立つがゆえ、すぐに見つかる。
魔王は国王のラウールとの話を終わらせると、その対立国であるカルロス王のもとに行き、談笑をしていた。
敵対国同士の間に入って笑っていられる者もなかなかいないだろう。
(恐ろしい胆力だこと)
彼女はカルロス王に感謝を述べ、側近――調停会議で活躍した外交官を目の前でほめていた。おそらくああやって好感と経験をかせいでいるに違いない。小国とはいえ一国の王。さすが、世渡り上手だ。
しばらくの後、話が終わった魔王はテラスへ体を冷やしにむかう。
話すのなら今だと、天使は心を決めた。
星空の綺麗な場所で、心地よい空気に髪をゆらす少女。そこに近づく自分は、今から彼女にプロポーズでもするかのよう。奇妙な光景に天使はついつい苦笑いしてしまった。
表情をただし、声をかける。
「ごきげんよう、魔王」
「あら、こんばんは、大天使様」
敵同士である自分たち。それを遠くから見た各国首脳部から、「なにがはじまるんだ」とざわつく声がした。それを環境音のように聞き流し、天使は魔王へアプローチする。
「私はウルリカ・ヘレン・キング。よろしければ、明日お茶でもしませんこと?」
「お誘いありがとう、大天使様。もちろんよ、喜んで」
かくして話は今日にいたるのだ。