笑うヨウルプッキ 7
大陸の北西部、グリフォンスタイン帝国。その名のとおり『グリフォン』を守護獣とするこの国は、谷の獅子王国や三首犬王国と違い、絶対王政ではなく封建制度の国だ。帝国を冠するだけあり、頂点に立つのは皇帝。有力な地方領主はある意味王といえるから、それらを束ねる「王を統べる王」が皇帝だ。
彼が領主たちをまとめ、絶対王政に比べれば緩やかな主従関係の国家制度を持つのがグリフォンスタインという国だった。ゆえに他国と戦争になった場合、皇帝は高い報奨を約束して封建領主たちに戦力を差し出させるか、自らの私兵を差しむけるかを選ばなくてはならない。
だから帝国北東部の皇帝直轄地であるギフトハルという場所に、隣国であるアルバマ・ツァーリ国が侵攻してきた現在、そこにいるのは封建領主の軍勢ではなく皇帝に雇われた傭兵団だった。田舎者と呼ばれる、派手な衣装に身を包んだ皇帝お抱えの精鋭たちだ。
近隣住民が住居やら燃料やらに使うため木を伐りすぎたせいで、切り株だらけになった湖のほとり。傭兵とその他大勢の人々が、戦いの合間の休息を楽しんでいる。
1年前に転生を果たしたニーロ・コルホネンは、その中にいた。他のランツクネヒトと同じく、派手な帽子をかぶり、派手な服を着て。唯一、女神からもらった赤いマントだけが、彼を集団の中で一意の存在にしている。
そんな彼は水辺の岩場に腰をおろし、剣ダコのできた指で自分の左頬をさすり、ぽつりとつぶやいた。
「痛いもんだな……」
水鏡に映った顔は、使い古されたマグカップのようだ。キャンプで手荒くあつかわれ、取っ手も曲がってしまっているような。土で汚れてあちこちへこみ、塗装もはげて地金の色が出ている。赤く膨らんでいる部分はサビだろうか……などととぼけたところで、それが先ほど敵兵にメイスで思いっきり殴られた頬だというのは忘れようもないのだが。
幸い自分というモノは、この世界の一般的な人間に比べてかなり強固に作られていた。本来なら頬骨が砕けて「痛い」などと言葉を発することもできなかっただろうに。勇者特有の打たれ強さは、ちょっとした油断――戦闘の真っ最中に味方へ冗談を言うために振り返るという馬鹿な行為を許容してくれた。
「コルホネン副長殿。頬にイチジクが付着しております。それはこのあたりの村から盗んできたものですかな? な?」
声の主は、となりで打撲痕のできた左腕を水に冷やす女傭兵だ。褐色の肌に厚めの唇を持ち、くせっ毛を編みこんでいる。傭兵独特の派手な衣装がよく似合う女性だった。
2回目の「な?」で顔を執拗にのぞきこんでくる彼女の表情は、「むふふ」とむける挑戦的な笑み。だからニーロは痛々しく腫れた彼女の左腕を指さして反撃してやる。
「リカルダ。その腕のやつはいいアイデアだな。肌の手入れに敵の剣を使えば化粧代が浮く。次は顔か?」
「いやいや、そこはアタシを求める素敵な殿方に、やさしくなでていただく予約がありまして。幸いTroßに夢魔馬車が合流したのを発見しましたので。……うひ♪」
「夢魔の男娼狙いか。お前さんも好きだなぁ」
「そんなこと言って、どうせ副長も行くじゃないですか。ね?」
トロスというのは、言わば傭兵団の羽織る外套だ。それは「最高の楽しみ」という意味で裏打ちされている。実態はといえば、傭兵団のまわりを取り囲むさまざまな人々の総称だ。傭兵の家族、鍛冶屋や手工業者などの職人や、いろいろな物を割高で売りつけてくる商人連中。料理人や家畜と家畜番、占い師に墓掘り業者まで。戦闘員の数を優に上まわる数の人数が傭兵団について、まわりを取り囲む。一種の「移動する街」ともいえるだろう。
ニーロは返事をするかわりに、合流したという夢魔馬車のことを彼女にたずねることにした。「合流したのは『カールメヤルヴィの夢魔劇団』か? やつらは魔王の手下みたいなもんだろ?」
「ま、そりゃあ『王立夢魔劇団』ですからね。でも、いい子そろってますよ? んふ♪」
「お前は売り子か」
魔王は自ら移動娼館を組織し、それを世界各国に派遣している。外貨獲得と情報収集をかねた、道徳心の薄い魔界ならではのやりかたともいえる。ニーロは最初にその存在を知った時、構成員が魔王にかどわかされ、無理やり体を売り物にされていると思い憤った。が、実態を知って少々肩透かしを食らった。
実際には夢魔の親方と多種多様な種族からなる、親方と弟子といった職人のような集団だったのだ。「やむにやまれぬ事情でそこにいる者も多いのだろうな」とは思うものの、知識も立ち振る舞いもどこか品のある連中に思えたし、ちゃんと教育を受けている様子でもあった。
(結局、魔王には倫理やら道徳やらというものがあるのだな。不思議だが、今は当たり前に思える。転生直後はやつが憎くてしかたなかったのに)
ニーロはこの1年で変化した魔王に対する感情をたどっていた。転生後、自分が魔王に対して感じている憎しみや怒りの理由を探していたが、考えれば考えるほど馬鹿らしくなったのだ。それは明確な理由などなく、自分が勇者だからその対になる存在を許すべきではないという義務感だけが、嫌悪感をかきたてて悪目立ちしているのに気づいたからだった。そもそもカールメヤルヴィ王国に行ったことのある仲間に話を聞けば、あそこも害獣災害に悩まされているという。つまり自分の頭にあった「魔王はモンスターの長」という知識は、どうやら間違いであった。
そのように勇者ニーロは長々と言い訳を考え、自分を納得させて、3大欲求なのだから生きていくためには必要不可避だと誰しもが考えるセリフを吐いて、半年ほど前に娼館を訪ねた。以降、戦場での彼女らは女神のように見えるようになったし、魔王のことは「サウナと娼婦を独占する、世界一欲しい地位を手に入れたクソ」くらいに憎んでいる。
(まあ、私はやつが持たないものを持っているんだ。いいとしてやろう)
彼のおり立った国、大陸北西の海岸沿いに位置するグリフォンスタイン帝国では、外洋西航路でコーヒーが手に入る。大陸北部で不凍港を持たず、関税のたっぷりかけれられた高いコーヒーを飲むしかない魔王に比べ、「私はずいぶんと恵まれた環境にいる」と一方的にむけていた敵意を優越感に変えた。
(この世にコーヒーがあったのは僥倖だったが……。いったいこれはどこの誰が、どこで栽培しているものなのだろうか?)
商人から聞いたコーヒーの入手方法が特異だったのを思い出した。大陸の西側へ船を出すことで手に入るのだ。具体的にいうと、船に空の樽を積んで外洋を西進し、一定の場所まで到達した時に樽がコーヒー豆で満たされるのだ。
まったく意味不明な現象といえた。人々はそれを「神様からのギフトだ」というが、だとすればこの世の神は不思議なしくみを創造したものだ。
よくわからない世界だが、それもまたいい。この世界は生前と違う刺激をもたらしてくれ、楽しむのに悪くない。
背後から傭兵の暑苦しい雑談に混じって、子どもたちの陽気な遊び声が聞こえた。
(楽しい刺激に加えて、守るに値する者たちもいるか……)
後ろを振り返る。自分の仲間たちは、戦いの合間の休息を思い思いに楽しんでいるようだ。ある者は硬いパンをまずそうに咀嚼し、ある者は若年兵にあやしげなお守りを売りつけようとしている。
そして倍給兵――自前の半甲冑を着た部隊内の精鋭のひとりは、部下の子どもと無邪気に遊んでいた。大量の羽根で飾られた幅広のベレー帽に、スラッシュアンドバフという切れこみから下地が見えるようになっている派手な上着。左右色の違うズボンに、鼠径部を覆うおおげさな金属カップ。悪趣味としか言いようのない衣装に身を包んだひげ面の中年が、犬を飼いはじめた少年のように顔をほころばせて子どもと追いかけっこをしている。
「ミヒャエル!」
「なんです⁉︎」
「転ぶなよ!」
熟練兵を子どものように注意する言いぐさに、周囲の兵が笑い声で応じた。「おまかせを!」と言った直後におおげさに転んでみせたのは、ミヒャエルがベテランであるゆえんだろう。
戦場ですごす、戦いの合間の時間。ニーロはそれがたまらなく好きだった。死に対面するという人生最悪の面接が終わり、緊張がとけて心が全裸になる。ほてった体がクールダウンされ、「心地よい疲労感」という名の湖に浮いているように感じる。まるでサウナですごしているかのようで、故郷を思い出すのだ。
(故郷か)
転生してからもうすぐ1年。あと1か月半もすれば、転生した日――クリスマスイブがやってくる。父は戦場でその時をすごしたというが、自分もその足跡をたどることになるのだろうか。
「クリスマスまでには帰ろう、リカルダ」
リカルダの「うぇぇ」なんて反応を期待して、MFD――Marked For Deathを口にする。使い古された言葉であり、ひいじいさんの頃からの定型句だ。
といっても、こちらの世界でも定型句である保証はない。
「……?」
案の定、不思議そうな顔をむけられた。
(さすがに知らないか)
となるとMFDという概念も通じないのだろう。冗談の解説をするのは少々格好悪いが「戦場で死ぬやつがよく言うセリフ」とでも教えてやろうか、そんなふうに考えていると、リカルダが口を開く。
しかし、彼女が投げかけてきた疑問は、ニーロの想像と違うものだった。
「クリスマスって、なんですか?」
「……なに?」
「なにか特別な意味がある日で?」
「…………」
(ああ、そうか)
ニーロは1年前、女神ウルリカの元にいた時のことを思い出した。孫へプレゼントを渡せなかったとさんざん悔やみ、女神に伝えた時、彼女が返した一文にどこか違和感があったのだ。
「ニーロ様、普段からプレゼントをお渡しするなんて、あなたは立派なかたですわ」
あのセリフは、おそらく「なぜプレゼントを渡すのか」に対してピンときていなかったから出たものだろう。悔し泣きする男を励まそうとして、無理やり発した言葉だったのだ。
うかつな自分は悲しみのあまり、そんなことにすら気づいていなかった。
(世界が違えば文化も違って当然か。この世の中にはキリストも、サンタクロースもいないというわけか)
「いや、忘れてくれ」などと髪をかいてごまかそうとしたが、その「追及してください」と言わんばかりの態度にリカルダが引き下がるはずもない。まだ少女の面影が残る目をきらきらさせながら「副長ご自慢の小話ですね!」と前のめりになるやいなや、点火プラグがエンジンを回すほどの速度――制止するすきもない速さで「みんな集合!」と手を挙げた。
「『副長小話』の時間だよぉ! ねぇ!」
(反射神経に自信はあったが、勇者である私のそれを上まわるか、コイツ……)
妙な感心をしているうちに、倍給兵やら中尉やら、古参連中がやってくる。「ずいぶん早い時間からお話をするじゃないですか」「副長は、今夜は『お楽しみ』に行くのさ」と、勝手気ままに話しながら。ぶどう酒とチーズを持っている準備のいいやつらは、映画館の入場待ちでもしていたのか。そんな大人たちの人混みから、どこに隠れていたのかと驚くくらい多くの子どもたちが出てきて、楽しみにしていたテレビ番組がはじまった時のような期待の目をむけてきた。
せがまれてはしかたなし、と肩をすくめる勇者であったが、彼も話好きの部類に入る。証拠に、頬が痛むだろうに口の端を上げながら、すでにひな壇――自分を中心にした半円状の人だかりを整理するため仕切っていた。円形議場の中心で司会進行をする59歳男性は、入場が滞りなく行われたことを見届けると、子どもを前列に座らせて、いつものとおり話をはじめる。
「これは私のじいさんの、兄の弟の孫から聞いた話だが、実はそいつは奇妙な過去を持っていて、ここではない別世界からきたんだそうな」
わざとしゃがれた低い声で、20歳は歳をとって見えるように顔をしわくちゃにさせて。みんなの顔をかわるがわる見ながら、彼が話すのは地球の歴史。
ある日は新大陸を発見した船乗りの話、ある日は世界を手中におさめようとして熱病に倒れた英雄の話。どれもこれも地球だったら多くの人が知っているだろう、現実にあった「よくできた話」。
今日はなんの話をしようだなんて、悩む必要はない。
「――と、その世界にはすさまじい力を持った老人がいた。世界一の剣を振るう英雄も、人を大勢殺した殺人鬼も、その老人にはかなわない。スレイプニルよりも速く駆け、ドラゴンよりも高く飛び、ベヒーモスよりも我慢強かった。雪国に住むその老人の名前こそは――」
彼の話は続く。
子どもどころか大人たちまで、その魅力的な話に釘付けになっていた。
日はまだ高く、夜営の準備をするまでにはたっぷり時間がある。
だからその話は、斥候がもたらした敵襲の報で中断されるまで続いた。




