笑うヨウルプッキ 6
「――ということで、私たちが主に使うルーン文字は、一番文字数の多い『アングロ・サクソンルーン』、とくにノーサンブリア型の33文字です。文字数が多いと発音を文字に置き換えやすいですから。占い師は先述の『ゲルマンルーン』を使うことが多いですね」
「そっか、文字数が多いものを選んでいるんだ。お国柄、使っているのは『北欧ルーン』だと思っていたよ」
「使おうと思えばそちらも使えます。シニッカ様は3種類とも使われますし」
今日のお勉強は魔法、とくにルーンを使ったものについて。ルーン文字の種類も知らなかったのに自分の魔術が発動していたなんて、つくづく不思議な現象だなぁと思う。だからこそ『魔法』なんだろうけれど。
ヘルミの家はおおきなログハウスだった。太い丸太の壁と屋根、石造りの立派な暖炉。見るだけで温かくなる暖色の絨毯と、腰かけたら起きられなくなりそうな安楽椅子。ガラスのはめられた二重窓が、暖かい空間に雪景色の涼を入れて心地いい。
壁には狩猟の成果と思われるヘラジカのハンティング・トロフィー――首のはく製が飾られている。よく考えれば残酷なのだろうが、部屋の色合いや雰囲気にぴったりだったため、とても上品なインテリアに感じた。ただ、その横にならんで飾られている白熊のトロフィーだけはいただけない。おそらく過去に倒した勇者の、腕の骨を誇らしげにくわえているのだけは……。
15時をまわり外は早くも夕焼け模様。ここから気温はぐっと下がり「 Älä kävele yksin talviyön tiellä」という魔界固有のことわざどおりになる。つまり「危険なことには複数人で当たれ」という意味を持つくらい、冬の夜は過酷なのだ。
今日はヘルミと一緒に王宮へ帰るから、安心して学習を続けられる。白樺のこぶをけずって作ったマグカップに、なみなみ注がれたキノコのスープをひとくち飲んで、イーダは質問を続けた。
「バルテリたちが使う魔法って、ルーンひとつと言遊魔術を組み合わせたものだよね?『ᚸ、斧よあれ』みたいなやつ。あれは槍のルーン『ᚸ』に斧の詩的な言い換え『血の残り火』で『斧槍』にしてるっていう理解で正しい?」
「ええ、正しいですよ」
「で、もう1種類、ルーンにケニングじゃない文章を組み合わせるやつもあるかな。『ᚻ,ᛋᛖᚢᚱᚪᚪ:ᛗᛁᚾᚢᚪ』とか。あれは『雹よ、Seuraa minua』って意味だよね」
「そのとおりです」
「じゃあヘルミの『ᛒ』の巻物が、ルーンひとつだけで使用可能にしているのはわざとなの? 文章をつけ足したほうが、発動イメージがつきやすそうに感じるけど」
少し複雑な話をできるようになったのは、成長の証だろうか。
「はい、わざとです。あれは巻物なので簡単に発動できるようにしてあります。魔法を装填しておいて、引き金となるひとことを発するだけで利用できるように。でないと緊急時に出遅れますから」
「じゃあ、防御の『ベオークなんちゃら』って魔法を装填してあるんだ」
「そうです。『ᛒ,ᚩᛁᛖ:ᛣᛁᛚᛈᛁ』ですね。もっとも、ベオークは防御のルーンではありませんが」
「え⁉︎ ベオークって『盾』とか『防御』って意味じゃないの⁉︎」
驚いた。この世で最高の防御魔法は、別に防御の意味なんて持っていないルーン文字で発動していたなんて。
「はい、違います。ベオークは『白樺』を指すルーン文字です。そもそも『アングロ・サクソンルーン』に防御を意味する文字はないのです」
じゃあどうして? という顔をすると、ヘルミは続きを話してくれる。
「私は防御が得意な魔獣です。もちろん防御魔法も。その私の皮膚を利用してスクロールを作成した時点で、魔法はほとんど完成しているんです。ただ前述のとおりトリガーが必要になる。そこでルーン文字を使ってしまおうというわけですね」
「じゃあ、使う文字はなんでもよかったの?」
「はい。ちょうど私の住んでいる森には白樺の木が群生しています。そこにいる野生生物の生活を守るように。白樺を指す『ベオーク』を選んだのは、そのくらいの理由しかありません」
なんとまあ、わりといいかげんな理由で、最強の防御魔法は名前をあたえられていたのだ。
「ついでにいうと、アングロ・サクソンルーンにはアルファベットの『V』と『Z』に当たるものもありません。Vを文字へ起こす時にはFに相当する『ᚠ』で、ZはSに相当する『ᛋ』で代替しています」
「えぇ……それで機能しちゃうんだ」
「機能しちゃうんです。不思議なものですね」
勇者マルセル・ルロワの言葉を思い出す。「そんなふわっとした魔法で」って言っていたっけ。でも今なら彼女の言いたかったことも理解できる気がした。修飾語を積み重ね、手がかかる魔法を編み出した彼女からしたら、ある種いいかげんな手順で発動する魔法なんて許しがたかったことだろう。
「この世界の魔法、勇者にとってはつかみどころがないのかも。私、魔法って『地水火風』みたいな属性が必ずあるものだと思っていたよ。この様子だと、そんなことなさそうだけど」
「言遊魔術もルーンも『地水火風』や『光と闇』などで分類されるものではありません。でも錬金術にはその考えがあります。ドクさんがくわしいですね」
「そっか。こんど聞いてみるよ!」
「ええ、ぜひ。彼も喜ぶと思います」
今日のお勉強はこれでひと段落だ。表面に膜の張ったスープをスプーンでかき混ぜて、マグカップを口につける。香ばしいキノコの風味としっかりとした塩味が、舌を幸せにした。
(おいしい♪ 骨53号さんも見習ってほしい!)
しわくちゃのキノコをすくって口に入れる。ほどよい歯ごたえと濃厚な風味が、舌から食道をとおって胃の中まで、幸せで舗装してくれる。
「ヘルミ、今日もお勉強につき合ってくれてありがとう。それに本当においしいよ、このスープ」
「お口に合ってよかったです。いつでもいらっしゃってください」
「もちろん!」、イーダは元気よく答える。この国の人たちは、あまり社交辞令を言わないことに気づいていたからだ。「こんど食事にでも行こう」と言われたら、それは予定を聞かれているのと同じなのだ。
だからヘルミのところには遠慮なくなんどもお邪魔している。自分にとって先生筆頭であるサカリの元にもそこそこ行くのだが、彼は情報収集などの仕事で不在にしていることも多いから。
もういちど、スープを口へ。やはりおいしい。独特な形だけれど、これはなんというキノコだろう。
骨53号さんに持っていったら同じスープを作ってくれるかも、そう淡い希望をいだいたので、「このキノコはなんてキノコなの?」と聞いてみた。実は散歩中に見かけたことがあったのだ。見た目こそ赤褐色の脳みそのようなグロテスクなキノコだが、味は格別だと知れた。これで王宮の食卓が、幸福度へ配慮されたものへレベルアップしてくれるかもしれない。
「『Korvasieni』です。くしゃくしゃの外見が耳に似ていることから、そんな名前がついています」、ヘルミはそう言って、直後に不穏なひとことをつけ足した。「でも毒キノコですから、十分ご注意を」
「えっ⁉︎」
……え? 食べちゃったよ? マグカップとスプーンを手に持ったまま、イーダは氷像のように固まる。
「中毒症状としては、腹痛と激しい下痢、嘔吐、ひどい時には内臓出血や脳浮腫を起こします」
「えっ? えっ?」
「重症化すれば死にいたることも」
「あっ、あっ、アッ」
「……ふふっ」、男の夢の女性は、口に手を当てて微笑む。瞬時にイーダは「あっ!」と声を上げると、微笑みの理由を看破した。だからむぅっと口をとがらせて言うのだ。「……ウソ、だね? ドクのまねはよくないよ!」
「本当ですよ?」
「えっ……」
しばしの沈黙。視界が灰色に染められているのは、毒が回ってきたからなのか……。
ずいぶん長く感じた数秒の後、やっとヘルミは氷の世界から解放してくれた。
「大丈夫、ちゃんと毒抜きしてありますから。繰り返し煮沸することで無毒化できるんです」
「……びっくりしたぁ」
第2の人生がキノコ中毒によって終わるのは正直いただけない。しかもそれが、魔獣のいたずらによるものだとしたらなおさら。
(ひどいよぅ……)
心で半べそをかきながら、しかしヘルミのつやのある唇からチロッと舌がのぞくのをイーダは見すごさなかった。
「あっ! 蜜を味わってる!」、一転攻勢、ベヒーモスを追及する。
「ふふ、バレてしまいましたか」
「ひどいよ!」
「ごめんなさい。でも、ごちそうさま」
「おそまつさま。違うよ!」
自分に名前が刻まれた時シニッカを責めたように、イーダはヘルミの肩をつかんでぐわんぐわんとゆらす。「やめてよぅ!」「びっくりするよ!」と苦情を申し立てるも、守りの固い魔獣は「無邪気だったものですから、つい」と反省の色を見せてはくれない。
頭がボブルヘッドのようにゆれていた魔王と違い、ヘルミのゆれる部分は主張の激しい胸だった。なんどかの応酬の後、それに気づいたイーダはしばらくその光景を堪能して、ブラックないたずらをした緑の魔獣を許すことにした。
嗜好が中年男性に一歩近づいたことに見て見ぬふりを決め、かわりに「ヘルミも悪い子だよ!」と、肝っ玉のすわったお母さんのようなセリフを言い放つ。で、思い出した。オークのおかみさんが言っていたことだ。
「あ、そういえば兜のことを聞きたかったんだ」
「ヘルメットですか? ああ、今日は12月24日だからですね?」
「そう、それ。ここにくる前に大量のヘルメットを積んだ馬車とすれ違ったんだけど、あれはなにに使うの? 今夜がクリスマスイブだから?」
「はい、そうですね。クリスマスイブ、こちらの世界の言葉では『Jouluaatto』と言いますが、防具が必要になるのはそれが理由です」
(ん?)
なんで防具が必要に? と聞こうとしたが、それよりも「こちらの世界の言葉」というのが気になった。魔界特有の言葉だったらわかるけれど、そうじゃなくて「こちらの世界」全体の言葉? 本題からそれてしまうけど、質問せずにはいられない。
「脇道にそれちゃうけど、この世界では『クリスマスイブ』じゃなくて『ヨウルアーット』っていうの?」
「どの国でも『ヨウルアーット』が一般的ですね。もちろん世界律が勝手に翻訳してくれますから、『クリスマスイブ』と耳にしても違和感を持たれるかたは少ないでしょうけれど」
「それはキリスト教がないから?」
「クリスマスについてはそうですね。でも地球の宗教を排除するような意図で、そうなっているわけではありません。たまたまそうなったというだけで」
地球でもお祭りは宗教と密接な関係を持つことが多い。なら宗教も違えば、お祭りにこめられる意味も違うのだろう。イーダは由来を聞くために口を開いたが、ふと視界の隅にあらわれた白い影を見てやめた。
『クリスマス』だの『ヨウル』だの、翻訳の裏にあることがらを考え過ぎていたから、オバケがしかめっ面をして「これ以上は危険だ」と両手を振っている。
(ブーメラン、ありがとう)
ゲシュタルト崩壊する前に、質問を本題に戻そう。
「で、なんで防具が必要になるの?」
「端的に言えばクリスマスプレゼントをもらうためです」
「プレゼント……」
つい、言葉を切ってしまった。自分に贈られた「イーダ・ハルコ」の名前を思い出したからではない。いや、それもあるのだけれど、それはいい思い出だ。今思い出したのはもう少し暗く、どちらかといえば落ちこんでしまうようなこと。
ここにくる時の道中で、置き去りにしてきたはずだったのに。
(クリスマスプレゼント、もらったことないや……)
生前のイーダは、彼女に無関心な両親の元で育った。だから小学生の時も中学生の時も、学校での「クリスマスプレゼントになにをもらったか」なんて話題には耳をふさいでいた。
うらやましくてしかたなかったから。
「どうかされましたか?」
ヘルミの言葉に、我に返った。彼女はとても心配そうな顔をしていた。けが人を気づかうような、そんな顔だ。この人は、いや魔界の人たちは、人の感情を察するのが得意なのだろうか?
なら、ごまかさずに話してしまったほうがいい。
「うん、実は私ね、クリスマスプレゼントってもらったことないんだ」、そう口にした自分がどんな顔をしているかわからない。けれど悲壮感だけは出したくないと思ったから、つとめて口角を上げるようにした。
「そうだったんですね。悪いことを聞いてすみません」、ヘルミも同じ表情をした。きっとそれは、同じ感情でいてくれたからだ。
彼女にはいつも気を使わせてしまっている。最初に会った時も、魔族の生態について言いにくいことを言わせてしまった。
だから大丈夫だ、こんなこと。ささいなことだ。
そんなことより、魔界にいられることのほうが、今の私にとって幸せなんだ。
「ううん、大丈夫だよ、ありがとう。魔界で仲間ができたことだけで、私はすごく幸せだから」
今日は遠まわりしなかった。最後まで伝えたいことを言いきれた気がする。
「うれしいです、イーダ。私もあなたが魔界にきてくれたことを、神に感謝しているのですから」
照れくさいけど、顔を合わせて微笑み合った。彼女は仲間だから、ペストマスクで顔を隠す必要もない。
「あ、でも今年はもらえるのかな? 靴下じゃなくてヘルメットに入れてくれるの?」
「そうですね……それについては、王宮に戻ってからみんなでお話をしたいと思います。でも――」
ヘルミの顔がなんともいえない複雑な表情を浮かべる。善意でも悪意でもないような、灰色の顔色だ。
「少なくとも今年はプレゼントをもらえます。……望む、望まないにかかわらず、ですが」
「え……」
窓の外はすっかり暗くなり、魔界はクリスマスイブを迎え入れる。
イーダにとって一生忘れられず、苦痛と悲鳴と絶望の入り混じった、最悪で……しかし最高に美しいクリスマスがはじまろうとしていた。




