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笑うヨウルプッキ 5

 やる気をなくした太陽が、低い位置を飛んでいた。久しぶりに雲が少ない空だというのに、ずいぶん不満そうな顔をして、弱々しい光をめんどくさそうに大地へ放っている。


 現在時刻は13時。本来なら太陽は真上にあって、大地のすべてのものを照らさなくてはならない時間だろうに……。森の梢を盾にして魔界をのぞき、ため息でもついているかのよう。


(お日様元気ないなぁ)


 カールメヤルヴィは緯度の高い位置にある国だ。だから冬になると、日本のように安定した日照時間がもたらされることはない。今日だって、太陽が目覚めたのは9時をまわってしばらくしてからだ。そしてもう3、4時間――16時前にもなれば、彼は仕事を終えて足早に地平線へ帰宅する。その時には、きっと今の不景気な顔は晴れやかな表情にかわり、スキップでもしながら姿を消すのだろう。


 残業なしどころか時短労働すら許可されているホワイト企業勤務の彼は、魔界をいち早くブラックな世界に落とすのだ。


 ……そのぶん、夏は大変なのかもしれないけれど。


(ま、いいや)


 ざっくざっくと雪を踏み、湖の脇にある道を、イーダはひとりで歩いていた。防寒用の大量の布やら毛糸やらを身にまとい、顔にはペストマスクをかぶりながら。もはや竜人の勇者アール(青井和虎)よりも人型から遠くなったそのシルエットは、『妖怪毛玉鳥人』といっても差し支えなかった。


 そんな彼女は空の太陽と違い、陽気な足音を澄んだ空気にこだまさせる。


(おっべんっきょう♪ おっべんっきょう♪)


 今日は12月24日、金曜日。シニッカの脚本の夢魔劇場を見てから、もう1か月近くが経過していた。今月は勇者災害も、それにともなう悪魔召喚もない。だから毎日あしげく魔界の教師たちのもとに通い、この世界の常識を学んだり、魔法の訓練にはげんだりしていた。


 これからヘルミのところへ、魔術を習いに行くところだ。


 ()()()()()()()だけなのに、尻もちをついていた3か月前と違い、今は簡単な言遊魔術(ケニング)なら4回唱えても倒れることはなくなった。努力すればするだけ身についていることを実感できる()()()()魔法使いは、魔界での日々を実に楽しくすごしていた。


 だから少々長い道のりなんて苦にならない。


 立ち寄った教会がいつも以上に混雑していたから、予定よりも少し遅め。しかも王宮からヘルミの家までは少し離れている。その距離はというと、0.5poronkusem(ポロンクセマ)aくらい。1ポロンクセマはだいたい7キロ半。これは「トナカイが休憩なしで、疲れずに歩ける距離」なのだそうで……。この単位はどこの誰が思いついたのだろう?


 ともかく、少し距離があって時間も惜しいけれど、雪道を急ぐとロクなことがない。ここ1か月くらいで痛いほど、文字どおり転んで痛い目に遭いながら味わったから間違いない。


 逆にゆっくり歩を進めると、まわりを見る余裕が生まれる。重たそうに雪を抱えるトウヒの枝にフクロウが隠れて休んでいる姿や、凍った湖の端っこでトナカイ同士がけんかしている光景を楽しめるのだ。


 だから自分のペースでのんきに歩く。走るのは危ないし、なによりもったいないから。


(あ、アシブトスレイプニルモドキだ)


 ずんぐりとした毛の長い馬が、荷馬車を引いて道のむこうからあらわれた。「モドキ」の名のとおりスレイプニルではないのだが、太い8本足と頑強な体を持つ雪道に強いこの馬がいなければ、冬の魔界の流通網は完全に麻痺していることだろう。


 温厚な性格の生き物だから迂回する必要もなし。違いざまに御者の女性オークとあいさつを交わす。


こんにちは(Päivää)!」、少し気取って魔界の言葉を。


 ペストマスクの下からだったから、笑顔で言ったにしてはくぐもった声だったけど、オークのおかみさんは気にすることもない。


「あら、魔王様のところの。こんにちはお嬢ちゃん。これからヘルミ様のところかい?」


「ええ。お勉強をしに」


「さすが、頭のいい子は普段からお勉強好きなんだねぇ。次はどんな悪だくみを考えているんだい?」


 イーダは自分が知識層の人間だという認識を持たれていることに照れくささを感じ、ぽわっと耳を赤くした。「えへへ、秘密です。ありがとう」なんて返し、目線をそらす。防寒のためのペストマスクが、表情を隠していることなどすっかり忘れて。


 すると視線の先、荷台の上に、革製の(ヘルメット)がたくさん積まれていることに気づいた。


「それ、どうするの? 兵隊さんのぶん?」、なんて聞くも、きっとそうじゃないと感じる。正直、全然見当がつかない。


 今月はヨウルクーで、街の人たちはみな浮かれている。飲食物が貴重になる冬場だというのに、お酒も食料の消費も11月までと比べものにならないくらい多い。


 だから干し肉とか塩漬けとかお酒とかが積まれていると思っていたが……。なんでヘルメット?


「なに言っているのさ。今日は12月24日だよ?」


「……?」、その理由がイーダにはわからなかった。今夜はクリスマスイブだから、特別な日であることくらいわかる。でも、その晩をすごすのに防具が必要となる事態は想像がつかない。


「あら、知らないのかい。じゃ、内緒にしておこうかね」


 そう笑って、オークのおかみさんは手綱を引いた。アシブトスレイプニルモドキも鼻を「ブルルッ」と鳴らして、なにかたくらむような微笑みで去っていく。


(なんだろう……)


 もしかしたらクリスマスイブには、イタリアのトマト祭りのような過激な行事でもあるのだろうか。たとえば思い思いの物を雪玉に入れて、互いに投げつけ合うことでもするのだろうか。……危険すぎるけど。


(いやいや、そんなとんでもないクリスマスプレゼントないよね)


 ひとり苦笑した彼女に、冷たい風が吹き抜ける。それはなぜか、暖かい部屋の窓が無遠慮に開けられたかのように、楽しかった心を急激に冷ました。


(…………)


 いや「なぜか」などというのは嘘だ。イーダにはその理由がわかっていたから。


(クリスマスプレゼントかぁ)


 それがどんな形をしているものなのか、彼女はまだ知らない。


(……やめよう)


 頭を左右に振って、冷たい空気が吹きこんでくる窓を閉める。マスクの下で深呼吸し、「うん」と声を出して笑顔を作った。今から楽しい時間が待っているだから、後ろむきな感情なんていらない。


(よし……。あ、ヘルメットの理由は、魔術のお勉強が終わったらヘルミに聞いてみよう)


 わからないことは、先生がたに聞くのだ。


(……あ! 「ヴィルヘルミーナ」って「ヘルメット」って意味も含んでいたよね!)


Vilhelmiin(ヴィルヘルミーナ)a』は「知識・意思・ヘルメット()」をあらわす名前。その共通項はダジャレ程度のものなのに、世紀の大発見でもした気分になった少女は、浅はかにも上機嫌になった。


 後にその知識は、なんの役にも立たなかったことを思い知ることになるのだが。


 ともあれ、ネガティブな心を置き去りにしたイーダは歩みを進める。雪道にもだいぶ慣れてきた。


(あれ? トントゥ?)


 次にあらわれたのは、赤いとんがり帽子をかぶった幼稚園児くらいのおおきさの妖精。ボールのような丸い頭にピンポン玉の目を埋めこんで、太いサインペンで笑顔の口を描いたような、愛嬌のある外見。


 それが松の幹に隠れ、こちらの様子をうかがっている。


(トントゥだぁ!)


 感動に目を輝かせた。


 彼らはこっそり人の仕事を手伝ってくれる、魔界で一番有名な妖精だ。魔界で妖精といったら『トントゥ』のことである、というくらいに。であるにもかかわらず、めったなことでは人の前に姿をあらわさない。そういうところも妖精らしいと感じるけれど。


 しかし、ついにその姿をおがむことができた。


 今日は12月24日だから、人々が彼らをねぎらうため、食事を用意したりサウナを炊いたりする。だからイーダは「きっと、我慢できずに出てきちゃったんだ!」と、なんともかわいらしい理由を想像してみた。


 実際には『妖怪毛玉鳥人』を見なれない妖精かなにかだと勘違いし、「ここは俺の縄張りだ!」と主張しにきただけだったのだが、()()のアイドルに出会った時のように舞い上がっている少女が、それを知る由もない。


 イーダは「トントゥー!」と叫びながら彼を追いたい気持ちになったが、それをぐっと我慢した。この妖精をおどかしてしまいたくないし、万が一そうしてしまったら、痛いしっぺ返しがあることを聞いていたから。


 かわりに、おやつに食べようと懐に忍ばせておいた干し肉をナイフでふたつに切った。その片方を道の脇に生えていたヤマモモの枝にひっかけ、ゆっくりその場を立ち去ることに。


 ……トントゥの様子を肩越しに、尾行に気づいたスパイのように観察しながら。


 その見るからにあやしい行為は、赤いとんがり帽子の妖精が肉に手をのばし、満足そうに両手でそれを持ち、妖怪毛玉鳥人を『牛肉をつかさどる精霊』だと確信して手を振り、そんな様子を狭い視界の中で見ていた妖怪が前方不注意によって白樺へ激突するまで続いた。


 バサバサバサッ!


(…………)


 枝から落ちてきた雪に埋もれ、毛玉は雪玉となる。ズボッという音とともに顔を出した時には、トントゥの姿は消えていた。


(歩きスマホは危ない……)


 頭を打ちつけたせいで脳がややおかしい状態のまま、クロールするように雪をかき分け脱出。気を取り直して、雪道を歩き続ける。樹上のミミズクから「奇妙な生物が歩いてきた」と警戒されても、雪ウサギに「なんかヤベェ捕食者がきた!」と間違えられ逃げられても。


(あ、アクリスだ!)


 こんどは魔界のヘラジカ『アクリス』だ。ギリシャ文字の「ω(オメガ)」のような、かわいらしく厚い上唇と、膝のない後ろ脚を持つ奇妙なやつ。冬場の魔界のごちそうといったらアクリスの肉といえるくらいにメジャーな食糧。


(休憩中だ)


 湖でもながめているのか、アクリスはイーダに気づいていない。木の幹におしりをつけてよりかかっていた。それは後ろ脚に関節のないアクリスたちが休憩をしている時の姿勢だ。つまり、寝ころんでしまうと自力では起き上がれないのだ。


 その生態のおかげで、このヘラジカを捕らえることは簡単だという。紐をつけた長めの丸太を立てておき、そこによりかかった時に紐を引く。そうやって転倒させて、()()()()()()処理して、食卓にならべる。もちろん毛皮も角も利用する。


(かわいそうだから、脅かさないようにしよう)


 彼らのお肉はおいしい。だからこそ、生きている個体をむやみに傷つけてはいけない。頂点捕食者のような人間至上主義者のような、高慢な感情を慈悲に変えてイーダは立ち去ることにした。


 背後ではワシミミズクに脅かされたアクリスが転び、無慈悲にもその儚い命を散らせようとしていた。

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