笑うヨウルプッキ 1
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
彼女は恋人の死を嘆く。腕に亡骸をだき、あどけなさの残る顔をゆがませ、ひたすら泣き叫んでいた。
黒い雲に覆われた空は大地の彩度を落とし、鮮やかなのは恋人の血だけ。腹の下からドロドロと流れ続けるそれは、川を作って地面を這い、泣き別れとなった彼の下半身に続いている。
「どうして! 目を覚ましてよ! どうして私を置いていくのよ!」
そんな言葉を吐けるのは、下手な役者か、心の底からそう思っている者だけだ。不幸なことに彼女は後者だった。土のように冷たくなっていく彼を、なんとかこの世に引き留めようと、必死に両手でさすっていた。
「愛していたのに! これからもそうなのに! なんで!」
慟哭は止まらず、その涙は彼の血とともに水かさを増すばかり。赤黒い沼が大地を覆っていく。そこへ「ずぶり」、足を突き立てる音。
悲劇の沼へ楽し気に歩を進めるのは、3人目の登場人物――邪悪な女だった。ベチャベチャと歩みよったそいつは、死に分かれの光景を嬉しそうに見おろす。そして笑って言うのだ。
「本気で泣いてくれるなんて嬉しいわ。嘘吐きばかりのこの世で、正直に振る舞ってくれるやつは少ないから。負の感情をたっぷり叫んでくれるお前が生きているのは、きっと神様から私への贈り物なんでしょうね」
邪悪な女は彼のベルトに手をのばし、血まみれの下半身をズルズルと引きずる。座った目と半笑いの口をたずさえて、味わうように距離をつめていった。
「彼に触れないで! お前が! お前が彼を!」、恋人は憎しみをたずさえ、それを制止しようとした。けれど邪悪な女は意に介さない。「大声でまっすぐな感情、すばらしいわ。ささやきだけが愛を伝える手段じゃないってことを、あなたはよく知っている」
「こないで! お前なんか! お前みたいのが!」
「だけど『愛しかた』はそうじゃないでしょ? 泣くのは建設的でないもの」
自分にむけられる憎悪をものともせず長い髪をゆらし近づくと、悲しみを歌う女の喉を足の裏で蹴とばした。
「ぐぇ! あぐぁあ!」、口から唾液と血の混合物がたれる。ゲホゲホと喉を鳴らしひざまづく彼女に、邪悪な女はにじりよった。そして髪をつかんで頭を引き上げ、手に持ったほうの彼を見せつけた。
「愛するなら、上半身じゃなくて下半身でしょう? 温かいうちにどうぞ?」
言い放ち、それを投げつける。どちゃっという音と共に、内臓とその中身が、泣く女の全身を汚した。両手に両脚に腹に胸に、顔にも。愛する人の血にまみれた彼女は、慟哭を消し、放心し、カタカタと体を震わせる。
「お前の命はいつもらおうか。いつ、お前もふたつに分けてやろうか」
邪悪な女が顔を近づけ、死を嗤い、命を穢す。
「どうやって苦しませてやろうか。どうやって痛めつけてやろうか、どうやって屠殺してやろうか」
憎悪が絶望に変わるよう、一言ひとこと大切につぶやく。相手の感情を、怒りの色から恐怖の色へ塗り替えていくために。
そうやってたっぷり楽しんだ後、口を耳元に近づけささやいた。
「ああ、決めた。十月と十日待ってやる。お前の腹を引き裂いて、その中身から殺してやろう」
泣く女は表情を絶望に変える。彼女が持っているすべてのものの中で、それだけは決して奪われたくないものだったから。
「最大の苦痛は最後に。それがこの世からお前が受け取る、最後のプレゼントになるわ。……お楽しみに」
空はさらに黒さを増して、血と涙と残酷さで満たされた地上に落ちてきた。それを見上げるように、邪悪な女は体を弓なりに反らせて大声で嗤った。
耳障りな高嗤いが地平線まで響きわたる。負の感情を集めて染色されたであろう黒い幕がおりていき、地面まで到達した時に、その物語は終焉を飾った。
……そして、長く黒い世界の後に、視界は徐々に白んでいく。
(これは夢だ! 私が見ている、最悪の悪夢だ!)
体を震わせ、覚醒をうながす。いうことを聞かない手足を無理やり動かして、一刻も早く目覚めるために。
――そう、それは夢だった。夢魔が見せた、夢の演劇だった。
……イーダは目を覚ます。
椅子がならべられた劇場の中、まわりにはたくさんの魔族たち。立ち上がりのびをする者、椅子に腰かけ余韻を楽しむ者、劇場の出口にむかいながら、さっそく友人と感想を交換する者。みんなそろって舌なめずりをし、満足そうな表情を浮かべていた。
この『夢魔劇場』という名の施設は、この世における映画館。それは魔界の悪趣味な娯楽の境地だった。
(吐きそう)
口をへの字にし、深海魚のような顔。そんな表情になった理由は、朝食のオートミールが口に入れた時の形のまま、自分の膝に提供されてしまいそうなのを必死で我慢しているから。
「おもしろかったね。どうだった?」、声の主はふわふわと宙に浮く潜水艦アイノ。体を椅子へ両手で固定し、イーダの顔をのぞきこむ。器用な所作だと思うけれど、今はそんなこと気にする余裕もない。端的に感想を吐くだけだ。もちろん、胃の中身を吐くかわりに。「……最悪だったよ」
「よかったじゃん。でも、それにしては顔色良くないね」
「私、魔族じゃないよ……うっぷ」、続けて「最悪っていうのはほめ言葉じゃないんだよ」と口に出そうとしたが、妨害したのはこみ上げてくるオートミール。「……アイノ、出よう、ここ」と席を立ちあがり、フラフラと出口を目指す。後ろで「そだね」とアイノが答え、ふわふわと後に続いた。
(こんな形に編集されて、娯楽になって提供されちゃうんだ……)
今日見た夢魔劇場の脚本は、シニッカが書いたものだ。題名は「愛の連鎖」というらしく……きっと悪意のペンに皮肉のインクをつけて書かれたのだろう。でもそんなことよりも、モデルとなったできごとが衝撃的だった。
(あれ、勇者イズキだよね……。フルール、フェリシー、フローレンスには見せられないなぁ)
シニッカたちの残酷さの度合いが、一概に「最悪」といえないことについては、なんとなく理解しているつもりだ。人の命を容赦なく奪うけれど、そこには彼女たちなりのルールも、まわりに対する配慮もあるのだ。現代日本人なら忌避するだろうその行動も、今の自分には否定できない。それどころか肯定して、同じ生きかたをしようとしているのだ。
しかし、しかしだ。今日見た夢魔劇場は悪辣そのもの。とくに、お腹にやどったであろう大切な命を奪おうとするなんて……。結婚はおろか恋人がいたこともないイーダにとっても、赤子殺しを示唆するセリフは吐き気を催すものだった。
(実はシニッカって、本当はあのくらい悪辣になりたいんだけど、我慢してたりするのかな?)
結果、はけ口になったのが今回の脚本で、それは魔界にとってちょうどいい娯楽になっているのではないか。せめてそうであってほしいなぁと思いながら歩くも、なんだかんだと最後まで見きった自分に気づき、少々戦慄した。異世界にくる前だったなら、どれほど深いトラウマを植え付けられただろうか。
(怖いなぁ……)
劇場を出る人混みの中、となりの人たちは「これから教会へ行く」なんてことを話ている。あの物語を見た後に教会に行くのなら、せめて感謝ではなく懺悔をしてほしいかもしれない。自分ならそうする。今日は朝に済ましてしまったけれど。
妙に分厚い扉を抜け、今日も曇天の空の下へ。雪が積もった道を、この国の人たちは器用に歩いていく。それに続いてヨロヨロ歩きながら、気分をととのえるため深呼吸。雪の香りが鼻をくすぐり、湖からそよぐ澄んだ空気が肺を洗浄し……。
しかし、その刺激は逆効果で。
(あ、だめだ)
「う、おぇぇ!」、道端に、栄養になれなかったあわれな麦とミルクを還元した。
「あ! オートミール!」、アイノはテンションが高い。
「『大丈夫?』とか聞いて⁈」
「大丈夫だよ!」、潜水艦は吐しゃ物に雪をかけ、器用にそれらを丸める。バサバサコロコロ慣れた手つきで、あっという間に30センチくらいの雪玉を作り上げた。
そしてそれを、道の脇に盛られた雪山の上に設置する。
「雪だるま!」
「やめてね!」
本当に魔界の人々ときたら、どこかネジがはずれ、常識のボタンをかけ違えている。どうしたらあの悪趣味な夢魔劇場を楽しんで、どうしたら人の吐しゃ物で遊べるのか。
友人の行動ですらまったく読めない。もしかしたら「今楽しいこと」だけを追い求めている場合が多いのかも。
「はぁ~ぁ」、まずは一息ついでにため息でもついておこう。
ここは王都カールメヤルヴィ。魔界の真ん中にある蛇の湖王国の首都にして、唯一の都市。
魔王シニッカが君臨するこの地に転生して、もう3か月が過ぎていた。




