笑うご主人様 20
王宮の2階、元々は書斎だったその部屋が、カールメヤルヴィの魔王たるシニッカの私室だ。イーダたちの部屋よりもひとまわり狭く、物があふれているのにベッドがない。部屋の真ん中にある安楽椅子だけが、くつろぎのスペースを部屋の主に提供している。
バルテリに「寝室で寝ろ、魔王様よ」と言われるとおり、寝室は別にあるのだが彼女はあまり使わない。本人が口にするのは決まって「ここはお気に入りの場所だから」という理由にはならない返事だけ。
部屋に寝息が静かに響く。
空間の大半を占有しているのは、いくつもの本棚だ。さまざまな種類の本を大量にかかえて満足げにしているものや、ところ狭しとならべられている物品をかかえてあきれ顔をしているもの。後者には占星術の器具やルーンが刻まれた石、鹿や山羊の角などが乱雑に置かれている。そこで肩身が狭そうにしているのは、中身入りだったりなかったりする薬瓶や靴下。誰のものかわからない頭蓋骨の横で、転落の危険にソワソワしていた。
背の高い本棚たちのすきまに体をねじこんでいるのは、白い紙の束で一角を占領された木の机。その上にはランプやら筆記用具やらの間で、窮屈そうに呼吸をする開かれたノートがあった。書かれているのは今回の勇者災害がまとめられた文章と、おせじにも上手とは言えないドラゴンの絵。そして紙の隅に書き足されたいくつかの短文。
――2ではなく3の理由は、ついに至宝があらわれたから。いつの間にやらサンポは砕けて散って、遠い世界の海岸線へ。カレワの繁栄をねたむ老婆は、月と太陽を隠すのかしら。
歌うような魔王のメモ書き。
――私に対してこの世とあの世は、なんの役をあてがうのかしら。
ノートの脇、綺麗にインクをふき取られたガラスペンが眠り、ふたをしめ忘れられたインク壺があきらめの表情で口を開けている。
自らを使って書かれた文章の意味も知らずに。
そんな部屋の中、火が消えた暖炉の前。安楽椅子にゆられながら眠っていた魔王が、部屋の寒さに身震いし目を覚ました。あくびをしながらのびをした彼女に、椅子がグラグラゆれておはようを告げる。
窓から差しこむ、朝日というには遅すぎる陽の光。カーテンのすきまから顔をのぞかせ、埃を照らし道を作っていた。
「ふわぁ……」
あくびをもうひとつ。
部屋の主はゆるゆると立ち上がり、寝ぼけた目のままカーテンを開ける。窓のむこうから彼女を出迎えたのは、不機嫌そうな灰色の空と、曇り空にもかかわらず輝く湖面。
そして山のむこうにそびえ立つ半透明の世界樹。
陽の光を浴びた朝顔のように、少女の瞳がぱっと開いた。
「いい夢だったわ。おもしろくなりそう。……そうでしょう? 神様」
唇をぺろりとなめてつぶやいたシニッカは、世界樹へ子どものような笑顔をむける。誰かが彼女を見たのなら、魔王ではなく、育ちのよい貴族の娘とでも映っただろう。
手を胸元にうつし、ハンマー型のペンダントをつかんだ。それを顔の前まで持ち上げて、もてあそぶようにゆらゆらゆらす。
「あなたがヴァイナモイネンになり、私がロウヒとなるのなら、素敵なのでしょうけれど……」
リズムよく左右に振られる、雷神の槌を模したお守り。ついにはくるりとまわされて、のびたチェーンが悲鳴をあげた。
「でもそうなると、私たちの結末はどうなってしまうのかしら」
舌を出していたずらっぽく微笑む。しばらくそうしていた彼女は、クラクラとゆれながら命乞いをするお守りを手に取り、胸元にしまった。
「気づいているのは私だけ。どう悪用しようか、ワクワクしちゃう」
もういちど「うーっ」と背伸びをし、足どり軽く入口へ。タップダンスでも踊るかのように歩くと、ひもをゆるめていたブーツが小気味いい音で床を叩いた。
そして彼女は口ずさむ。
「Salivili hipput tupput täppyt äppyt tipput hilijalleen♪」
逆光の中、上機嫌に服の裾をゆらして。
光を背負いながら、期待に目を輝かせて。
その瞳は、魔の海を真上から見た時のように、透明で粘り気のある青色をしていた。




