笑うご主人様 19
カールメヤルヴィは雪に覆われ、ついに冬がはじまった。転生した直後は緑と青の世界だったここも、今は白と灰色で覆われている。ただ、そんな光景を見ても悲しい気分になるわけではない。自室の暖炉には火が入り明るい光をもたらしてくれているし、窓の外に見える通りには、多くの人どおりも見えるから。それに混じってそびえたつ、いくつもの雪だるまも。
(楽し気な光景だなぁ)
「雪が降ったのだから我々があらわれて当たり前」といわんばかりに、あちこちに雪だるまが姿をあらわしている。当然の権利のようにそびえるそれは、日本でおなじみの2段のものではなく3段のもの。おおきさも形もさまざまだが、目や口を描くため顔に埋められた石炭に火をつけられ、笑顔で燃える個体がいるのはなんとも魔界らしい。氷点下の世界ではしゃぎ、それを作った人たちがいると思うと頬がゆるんでしまう。
もちろん目の前ではしゃいでる人たちだっている。王城に近い通りの上、小柄な男の子がひとり、雪だるまに突進しているのが見えた。ひとつふたつと破壊していくが、時々はねかえされてコロコロ転がる。まわりの大人たちはお酒を飲みながら、それを笑って応援していた。
今日のところは、その応援している(そして酒瓶を持っている)大人たちの中に、青い髪の国防大臣が混じっているのは、見逃しておこう。
2021年11月4日、仕事を終えたイーダは魔界に戻り、自分の部屋で日記をつけていた。今回の勇者災害で起こったこと、そして学んだことを書きとめるためだ。
(主従か……)
ペンを走らせまとめていくと、いくつかのゆがんだ主従関係があったことに気づく。
コナー・ギタレスは「女王陛下のため」という名目で馬車を襲わせていた。正直、あの言い分には無理があると思う。声を奪われた彼は、陛下になんて申し開きをしたのだろうか。
勇者エリック・フィッシャーはシニッカの罠によって主人の立場を奪われた。餓死する直前、彼は絶望的な状況に笑うしかなかったのかもしれない。
ギジエードラゴンはエリック以外にも従者を引き連れていたことがわかった。宝物の回収に入った洞窟の中、いくつもの死体が宝でお仕着せをされ、ならべられていたから。
(遺体の回収、つらかったな)
レッドドラゴンに運んでもらうため、馬車の残骸に遺体を集める作業。ギジエードラゴンの力なのか腐敗はしていなかったが、精神をけずる作業には違いなかった。でもひとりひとりを家に帰すため、そう思って彼らに手をのばしていると、不思議とその作業をやめたいと思うことはなくなっていった。
涙をうかべてしまったのには違いないけれど。
(……ご主人様か)
イーダは思う。今回の騒動の中で、本物の主従なんてなかったのではないかと。女王への裏切り行為、罠による主従の逆転、一方通行の愛着……。
「古くは『ご主人様と奴隷』なんて言いかたもしたわ」
ふいにシニッカの言葉が記憶からとげをのばした。それは心に届いてチクチクと心臓をいたぶる。私はどうなのだろう、と。自分とシニッカの関係は、どんな主従関係なのだろう。
彼女は正しいご主人様なのだろうか。私は正しい従者なのだろうか。
「…………」、コトリ。無言のままペンを置き、イーダは席を立った。「サウナに誘おう」、口の中でつぶやく。
気持ちを洗い流したかったわけではない。先日、ドクから「魔界で行われるすべての大切な話は、サウナの中でなされるんだよ」なんて教わったから、それを実践しようと考えたのだ。
つまり彼女は、魔王へ大切なことを聞きたかった。
心へとげを残したまま、今日をすごしたくなかったから。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
ふたりの体から湯気が立ちのぼる。サウナ室の中でたっぷりためこんだ熱気は、水風呂と零下の外気をよく防いでくれている。
部屋に行った時、シニッカはなにかの執筆作業をしていたようだ。それが煮詰まってきたからちょうどよかったと言って、彼女はついてきた。サウナに誘ったのははじめてじゃないが、執筆という状況に出くわしたのははじめてだ。
「私の脚本、意外と人気が高いのよ?」、寝転がりながら言う。彼女によると、夢魔劇場――夢魔が見せる映画の脚本を書いていたとのこと。クリスマスまでには上映されるとのことだから、作業も佳境なのだろう。
冷気に身をゆだねながら「こんど見に行ってみるよ」、イーダは答えた。社交辞令ではなく、魔界の礼節にのっとって、本当に行ってみようと思っている。魔王様も「嬉しいわ」と満足気。「でも刺激が強いから気をつけるのよ」と、忠告までしてくれた。
おたがいベンチの上でリラックスモード。話がひと段落したのを感じ、イーダは今日ここへきた目的を果たすことに決めた。
「ねぇシニッカ。あなたはいいご主人様かな」
言った直後に「変な言いぐさだな」なんて思う。言いかたが魔界のみんなに似てきている気がしたのだ。3か月間で影響された、いや、毒されたのかも、とも思った。
「私はいつだって悪い魔王よ? 世界がそれを望んでいるかぎり」
もちろん魔界の代表たるシニッカは、いつもどおりの言いぐさだ。ちょっと偽悪的なところもあり、達観したような物言いで、ついでに反省がない。
彼女がそんななら、一緒にいる自分もそうなるんだろうか? イーダは疑問に感じた。つまり、自分で自分を悪い人間だと思いながら生きていくのだろうか、そう思ったのだ。そして今はサウナの中。疑問をそのままにしておく必要なんてない。
イーダはシニッカへ聞いてみる。「じゃあ、私も悪い従者なのかな?」と、言葉の軽さよりも重い本気をこめて。
問いへ、「ふふっ」といたずらっぽい笑い声が返ってきた。『気の利いた翻訳』が感情でも運んだのか、なにもかもを見とおしたような声だった。
ほんの少しだけ間を置いて、蛇の湖の魔王は口を開く。
「あなたは友達でしょう?」
予想外の返答。想像の外側からきたその言葉へ、「え? 友達?」なんて、ちょっと失礼な(というよりひどい)言いぐさで聞き返してしまう。そのひどさにすぐ気づいたイーダは、取り繕うように傷口を広げた。「名前を刻まれているのに?」
(いやいや! 私はなにを言っているんだ! これじゃあまるで悪意のある皮肉を吐いてるみたいじゃないか!)
わたわたっとあわてる彼女だったが、魔王はそれも見とおしていたのか、気にするそぶりも見せないままに、真正面から返答するのだ。
「ええ、名前を刻まれているのによ。だってね、イーダ。私の所有物だという一面は、あなたを構成する要素のほんの一部でしかないもの」
「え? う、うん」
「今のあなたは私の所有物であり、魔王の命令を聞く従者でもある。勇者にとっては敵のひとりで、ヴィヘリャ・コカーリの一員ともいえるわ。バルテリにとっての被保護者、サカリにとっての生徒、ヘルミにとっての楽しい話し相手で、アイノの大切な友達でもあるの。けれどね、イーダ。私にとって最も大切なことは――」
シニッカは言葉へ余白を取り、ベンチの上で顔をむけた。開かれた彼女の両目は、春の湖を真上から見た時のように、綺麗な青色をしていた。
「私とサウナに入ってくれる、唯一の存在だってことね」
イーダは冷えはじめていたはずの体が、ぼっと熱くなるのを感じた。照れくささ、というやつだった。生前あまり味わう機会のなかったもので、この世ではなんどもなんどもきてくれる、いまだに受け止めかたのわからない感情だ。
「……バルテリもでしょ?」、感情の回避手段である「話をそらす」に、「目をそらす」を合わせた複合技を行使する。
「嫌よ、食べられちゃう」、魔王様には効いているのかいないのか。
――ともあれ、「友達」。
関係性をあらわす言葉の中で、魔法の響きを持ったもののひとつ。魔法は当然効果をもたらす。たとえば、さっきまであった心のとげを、生き生きと鼓動する心臓によって、すっと体外へ抜き落とすような。
アイノに続くふたりめの友達は、この世の魔王様だった。だとすると今回の冒険の中に、本当のご主人様なんてひとりもいなかったのだ。
「そうだね」、なにに対しての肯定か、ぼかして言う。でもきっとシニッカには伝わっちゃうのだろう。
「そうでしょ?」
「うん」
もし今、自分という存在に説明文を書くのであれば、次のようになるだろう。
「死んだ女子高生イーダ・ハルコは魔界に住み、数名の仲間とともに組織に所属し、ふたりの友達を持つ。ひとりは潜水艦で、もうひとりは魔王だ」なんて。
(人生って楽しいな)
冬がはじまってはじめて、彼女は心の温めかたを学んだ。




