笑う王様 2
前日、大天使ウルリカは憂鬱にしていた。広い円形議場の中で、毎年恒例の『調停会議』に参加しながら。
天界が主催し、地上の各国の王や首脳陣、その付き人たちを招いて行われるそれは、国家間の紛争調停の役割を持つ。主催者側の天界は多くの天使と羽が4枚ある大天使を数名送りこみ、調停の司会進行を行うのだ。
巨大な白い石造りの円形議場を埋めるのは、数百人の各国首脳部と、それを見にきた数万人の天界の人々。雲の上だから上空にはなにもなく、ただただ青い色が太陽の光をたずさえて、鮮やかな天蓋を天界にもたらしてくれている。
しかしそんな光景とは裏腹に、天使の心は曇り空。
「……茶番ですわね」
彼女が難しい顔でつぶやいてしまったのには理由があった。今日は2つの大国が会議時間の大半を占有して、狭い地域の支配権について応酬を続けているのだ。「『より古い書物』から見つかった、その土地が自国の領土であった証拠」を相手に突きつけ合い、鋭い舌鋒と論理の盾を武器に、議場を戦場にしている。
「――であるから『偉大なる旅』の213項にある通り、モンタナス・リカス地方は我らが斧で切り開かれ、我らが耕した場所であることに――」
調停を行う場であるということは、調停が必要な状況だということ。地上の国々はいつもこの手の問題を天界に持ちこみ、大なり小なり白熱した議論を展開する。しかし今年のそれは大陸の強国間で行われたがゆえ、過去にないほど激しかった。
「――と申されますが、その『偉大なる旅』にならぶ歴史書である『ジョエルの見聞録』512項によれば、『そこは奪われた土地』とあります。それを成したのがどの国であったか、彼女は『獅子の国』と記しておりますが、貴国の守護獣をお忘れになったわけでは――」
自らが弁舌の勇敢な戦士だと言わんばかりに振る舞う両大国の外交官らは、まわりの目が酒場のけんかを見るのと同じなのに気づいていない様子だ。戦いをはやし立てる者、沈黙を守る者、仲裁をあきらめ眠りはじめる者、最初から寝ている者。唯一、当の国王同士が外交官の横で腕を組み、戦局をにらみつけている。
「我らが偉業を盗賊どもの下賤な行いと揶揄するか! 舌のまわりがいいようだな。三つ首の犬に守護されているだけのことはある!」
「牙を見せびらかす獣は洞窟に追いこまれ、締殺されたあげくに毛皮となるのですよ? 12の偉業のひとつを飾るおつもりですか?」
徐々に罵声へ変わる言葉の戦火に、ウルリカは嫌気がさした。ため息をつきながら、机にある音声伝達魔法が付与された穴を手でふさぐ。逆の手で頬杖をつき、ちらりととなりに目をやると、同僚である『婚姻をつかさどる大天使』がいらつくように膝をゆすっていた。
「利権の主張と争いの回避が狙いのクセに。どうせ今回もアタシらに『戦争を深く憂慮し、双方の良識を固く信ずる』って言わせたいんだろうさ」
天界で一番と評される口の悪さに、まわりの天使が苦笑いで応じる。しかし大天使のそれは止まらない。赤い髪をいらだちでゆらし、つばでも吐くかのように言い放つ。
「打算が透けて見えんのよ。国に戻ったら『我々が言葉と論理で相手を打ちのめしたのち、天使様たちの言により流血を回避するにいたった』なんていうんだろ? 偉ぶりたいんならちゃっちゃと戦え、腰抜けども。それともアタシが『engage』させてやろうか」
色があるなら火の赤のような悪態。婚姻の管理者のあまりにもあまりな発言に、議長がそっと「言葉を大切にしなさい」と苦言を告げた。当然だろう。強い言葉にうっかり魔力をからめたら、言遊魔術となって具現化してしまうのだから。
ウルリカは「いけませんわ」と言おうとし、思いとどまって口をつぐんだ。苦言を重ねることは婚姻の大天使の機嫌を損ねるばかりだろうから。それに、不機嫌になっているのはなにも彼女だけではない。
目線を外交官たちにうつす。
まぁ、彼らの感情は「不機嫌」というよりも「怒り」というほうが適切なのだろうけれども、なんて思いながら。
「我らが牙は鋭く長い。頭3つを貫いてもあまるほどにな!」
「私たちの旗に剣が3本あるのは、正義、誠実、清廉を貫きとおすためなのです! 必要ならばそれを、それぞれ口にくわえましょうぞ!」
議論の戦火が広がりきって、片方の国が武力行使を示唆し、もう片方もそれに応じる形となった。
そろそろ潮時だろう。天界の出番だ。
「静粛に、静粛に」
議長が木づちを鳴らして沈黙を作る。カァン、カァンと響く高い音。それに、居眠りをしていた者も現実に帰ってきた。
「双方の主張、ともに相応の根拠によるものと我々は確認した。しかし我々天界は、諸君らの血が流れるのを神の目に届けたいと望んではいない」
そして結局、用意されていた文句が世界に宣言される。
「ゆえに我ら天界は、戦争を深く憂慮し、双方の良識を固く信ずる」
「天界のご意思なら、我々はむきだした牙を横一文字の口へしまいこむと、そう納得いたそう」
「天界のご意思であれば、我が国の剣は鞘の中に居場所を求めましょう」
議場がちいさなため息で満たされ、闘争の空気が洗われる。2大大国は目的を果たし、天界は面目をたもった。天界の言葉は地上の国々、そしてそこに生きる人々にとって大切なものだ。
伝統的な詩的表現、いわゆる詩的な言いかえを使うのならば、「戦い」は「剣の戯れ」。ならば今日の調停会議は「舌の戯れ」だったのだろうか、なんてウルリカは思ってしまう。
まずは地上に矢の雨や血の水たまりが発生するのは避けられた。とはいえ、これで議論が終了したわけでないことを、天使たちは理解している。
今回の議決に対し、第三者に意見を求めること。そんな仕事がまだ残っているから。
紛争当事国同士が納得しても、それ以外に不満が残る場合、議論は続行されなければならない。2大大国の合意に意見をはさめる者などいないから儀礼的ではあるが、その役をあてがわれるのは影響力のある国だ。
大国ではないものの発言力があり、警戒される武力を持ち、会議に協力的な国。そんな国の代表者。
それが魔王だった。
「蛇の湖の魔王、本合意に対する意見をうかがえるかな?」
そう要請された彼女は日よけにしていたペストマスクを頭の横にずらし、顔を横切る皮ベルトごと寝起きの目をこすった。眠そうに舌を出し入れしながら、議場にゆるゆると鎌首をもたげる。
ガベルの音で起きた張本人。ふてぶてしくも激論のさなかに惰眠をむさぼっていた青い髪の少女は、ううん、と背すじをのばしてから、やわらかい表情で口を開いた。
「議長、今見た夢の話をしても?」
気の抜けた発言がその場を弛緩させる。端々で聞こえはじめる、クスクスという笑い声。さっきまでの緊張感はどこへやら、雰囲気はいつの間にか、議場から劇場に。
「構いませんよ」
「ありがとう」
魔王は姿勢を正し、にこやかに話をはじめた。
「湖のほとりで争うような声が聞こえたの。足を運ぶと、そこにはとてもやんちゃな子たちがいて――」
話を聞く人々は、その光景を口の端を上げながら想像した。蛇の湖の名前のとおり、魔界の首都があるのはおおきな湖のほとり。そこには悪魔やら夢魔やらを中心に「魔族」と呼ばれる人々がたくさん暮らしている。彼らがやんちゃであることは、周知の事実だ。
「ああいえ、みなさん。魔界の夢魔の話じゃないわ。彼ら彼女らは飾り窓のむこうでおとなしくしている。もちろんみなさんにおいては、ご存じかもしれないけれど」
「ご存じかも」という言葉に、少し笑い声が出た。数名は声を出さずに破顔している。これにも理由があった。
飾り窓というのは娼館のことだ。魔界のそれは世界的にも有名な場所。あまりに有名なものだから、裕福層――国家の重役といえる者がお忍びで訪れることもあるほどだ。そして今日調停会議に参加している人々の中にも、行ったことのある者が混じっている。証拠に、遊び人で名をはせる数名の名士たちが、まわりからの目線へ作り笑いを返していた。
「そこにいたのはふたりの男の子」
議場のあちらこちらに小声で冗談が飛び交いはじめる。少女はそれを気にすることもなく、マイペースに話を進めた。
「名前はたしか――ラウールとカルロスだったかしら」
魔王の口から名前がふたつ。議場はギョッとして息を呑む。なぜならラウールとカルロスというふたつの名前は、それぞれ争っていた大国の王の名だったから。当の本人たちこそ「フッ」と口の端を上げていたものの、側近や小国の代表にとっては散歩中に釘でも踏んずけたかの不意打ちだ。おかげで魔王の発言に気が気でなくなった者も多かった。
「ひとりの女の子を奪い合っていたの。必死に腕を引っ張り合って、おたがいゆずる気がなくて――」
けれども魔王は気にしない。議場によくとおる声をたずさえて、手を後ろにまわしながら、ゆっくりと話を進める。
「でも、女の子が痛そうにしていたから、なんとかしなくちゃって思ったわ」
聞く者たちの目線は魔王に集中していた。ある者は心配そうに、またある者は微笑を浮かべ。
そして彼女は一呼吸置き、おおげさに困った顔をした。腰の後ろから取り出した、ノコギリを手に持って。
「だからこれを使おうと思ったんだけど、ふたり仲よく『やめろ!』って」
とたん、議場をつつんだ大量の笑い声たち。
当事者の国王ふたりも、その側近たちも、小国の代表も、そして天使たちも声を上げて笑う。男子ふたりが取り合っていた少女をふたつにわける、なんてことを想像させる、国家の代表が集まった場にしてはあまりにも黒い冗談に。この場所が由緒正しいところであるからこそ、ある種下世話な話は効果的に人の心をくすぐった。
笑いさざめきが覆う光景へ、魔王は肩をすくめてみせた。「いいアイデアだと思ったのだけど」、そんな台詞が似合いそうな顔で。
やがて笑顔の大波は潮騒のように落ち着き、それが湖畔くらいにおさまるのを待って、魔王は話を締めくくる。
「議長、合意に異存はありません。私は彼らがモンタナス・リカス――大切な女の子を傷つけたくないことも、大地を血で染めたくないことも知っていますから。調停の場を設けていただいたこと、天界の方々と神に感謝します。鉄の槍でなく、舌鋒をもって流血を回避した両国の代表にも」
そう言って一礼をし、魔王は席へ姿勢よく腰かける。どこからともなく拍手が湧いて、議論の終わりを楽し気に奏でた。
その光景へ舌打ちするのは、赤い髪の大天使。
「ウルリカ。アンタのいうとおり茶番だよ、これはね。あの魔王なる女はペテン師だ。裏じゃ悪いことばっかしてるクセにさ」
婚姻の守護者はあきれた顔でそうこぼす。しかしとなりに座るウルリカの心は、それと違った色をしていた。
「そうかもしれませんわね。でも今回の終わりかたは、それほど嫌いではありませんのよ?」
「はぁ? なあウルリカ。アンタは天界でアイツと敵対する筆頭じゃないのさ。なのにあのブラックジョークで笑えんのかい?」
「そうですわね。それは――」
もし自分が「魔王と対立したくない」と思ったところで、自身の存在と魔王の存在はそれぞれが否定し合う。逆に言えば、そうでない関係だった時、彼女を殺したいと思っただろうか。
「……それは、とても複雑な問題ですのよ」
一年中晴れの天界で、金髪の大天使は曇り空の表情に戻った。