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笑うご主人様 17

 地上にいる時よりも太陽が近いのに、空の上というのは寒いところだ。アールがかけてくれた騎乗魔法のおかげで、本来空を飛んだ時の風圧や体温の低下が襲ってくることはないけれど、厚着を強いられるほどには十分に寒い。それに、はるか下にミニチュアのような家や川が見えるのは、高所に対する人間の恐怖心をあおるのに十分だった。


 とはいえ、先日女王の親衛隊に連行されたコナー・ギタレスのように、音が鳴るほど体を震わせるほどではない。声も出さずに泣いて暴れるほどでも。


 コナーの件が片づいてから2日、イーダはアールとともに空の上にいた。ルーチェスターのシンボルである、おおきなドラゴンの背に乗って。


「むぅ、勇者をどうやって倒したか、どうしても教えてもらえませんか」


「ごめんね、アール。国家機密だから」


「いたしかたなし、お気になさらず。しかし、そのまじめさは日本人そのものですなぁ」、アールが太いのどを鳴らしてガラガラ笑う。これ以上の追及がないのなら「日本人特有の愛想笑いでごまかしておこう」なんて、イーダは話題をかわすことにした。


(しかし寒いよ)


 彼女は座席の上で膝を抱えながら、もふっと毛布にくるまっていた。でもやっぱりすきまから風が入ってくるので、姿勢やらくるまり具合やらをぐねぐねと調整した。「そうだ」、ひとつひらめき、毛布を自分の前面へ広げる。そこから背中側へ折りたたむように体をつつむと、接続部を背中と座席の間でサンドイッチにして止めた。これで前から風は入ってこないし、後ろは背もたれで守られる。「よしっ」、我ながらいいアイデアだと浅はかな考えをうかべた彼女へ、竜の翼のはばたきが、遠慮ない無秩序な風をもたらした。


(し、下から入ってくる!)


 またもぞもぞかぶりなおして、結局元に戻ってしまった。イーダはちょっと憎々しげに、はばたくおおきな翼を見る。そしてふと、不思議に思った。


 空を行く竜の推進力が、この翼で生み出されているとは考えにくい。羽の動きに合わせて胴体が上下することもなく、すべるように空を飛んでいくこの生物が、地球で一般的な物理の運動方程式に気を使っているようには見えないからだ。


 視線を感じたか、竜は両翼をひときわおおきく持ち上げ、宙を優雅に鞭打った。翼端から白い雲がなびいて、くるくると螺旋を描く。所作は悠々と、堂々と。「この世界では竜たる我が飛ぶのだから、物理法則は我に従え」というかのように。


 それが『The Red(レッドド) Dragon(ラゴン)』なのだ。


 ルーチェスターの守護獣が現界した姿である、この世界のドラゴンの頂点に立つべき個体。国家の危機に際し、女王の命によって送りこまれる連合王国の偉大なる存在。時々蛇の湖(カールメヤルヴィ)の上空にもあらわれて、魔王と魔族を監視する役割すら持っている。転生初日に見た赤いドラゴンも、おそらく偵察にきていた彼なのだろう。


 そんなご大層な生物が、国家最大戦力の勇者を乗せて田舎の空を飛んでいるのは、ギジエードラゴンの竜害に対処するためだ。


 この世には「勇者は勇者を傷つけられない」という法則がある。世界全体に常時効果を及ぼしている「世界律」のひとつだ。しかし、勇者によって使役された生物は、そのかぎりではない。すでにエリックは死んでいて、残りは悪辣なる黒竜だけ。ならばアールとレッドドラゴンがそろって襲撃すれば、この騒動に幕をおろせる。


(見とれてないで、お仕事おしごと)


 イーダは毛布の間から、両手にひとつずつ持ったL字型の金属棒を出した。持ち手である金属の管に差しこまれたこれは、いわゆる『ダウジング・ロッド』。先端には魔王の髪の毛が結わえられている。昨日竜が奪い去っただろう宝剣に塗られた魔王の血、それを感染呪術なる魔法によって見つけ出すためだ。


 手の中でゆらゆらゆれる金属棒に、魔腺を通じて魔力を流す。ピタリと止まったロッドの先端が、犯人をつきとめた探偵のように、迷いなく方向を指さした。


「アール、ちょっと右」「ふむ、時計でいうと?」「あ、ええと。1時半くらい」「心得た」、今日はこうやって時々方向を修正し、ここまで飛んできている。なかなかにおもしろい経験だ。


 竜人が体を傾けて右側に体重をかける。飛行機のパイロットが、操縦桿を傾けるような要領で。レッドドラゴンは時間差なしにそれに応じ、ゆるやかに旋回した。


(いやぁ、すごいな。私、本当にドラゴンに乗っているんだ)


 翼の動きが映画の3DCGよりもなめらかで、解像度も高くて、イーダはあらためて非日常を実感した。今朝、アールに道案内を依頼された時には、正直かなり驚いてしまった。ドラゴンに乗っていくという行為にも、勇者と1対1で行動するというのにも。アールが他の勇者と違い、魔界へ敵意をむけてこないことは理解していたが、ヴィヘリャ・コカーリの面々と離れひとりで依頼を受けることに心細さがあった。


 けれど(意外にも)シニッカは乗り気だった。「いい機会じゃない、まかせたいわ」なんて言って顔を見るのだ。そのとなりでは、サカリまでもが肯定派にまわる。「賛成だ。我々は勇者災害証明書の準備をはじめねばならぬしな」


 ふたりにそう言われては、断ることもできない。竜の背中に乗る機会を逃すもの惜しい。それに、ひとりで行くことはいい経験になる。ヴィヘリャ・コカーリの代表として、任務をこなすのだから。


「うん、わかったよ。まかせて」、背伸びをしてそう答えた。ダウジング・ロッドを構えて毛布にくるまる今の姿が、魔界の一員にふさわしいかどうかはさておいて。


 ()()()の竜人と妖怪ダウジング毛布は、由緒正しきドラゴンに乗って飛び続けた。そうして3時間あまりがすぎた頃、イーダの視界に飛びこんできたのは見覚えのある谷。紫色の毒の水たまりが点在する、昨晩の戦場あとだ。


「左下! あ、ええと、10時の下側! あったよ! 馬車を引きずったあともある!」


「ほうほう。近くの森に続いておりますな。あのあたりには洞窟があったはず。きゃつめはそこにいると見た!」


 竜人が言うが早いか、レッドドラゴンは猛烈な機動を開始する。翼をたたんで頭を下げて、唐突な急降下をはじめたのだ。いきなりジェットコースターの()()()()()()()()が発生して、イーダは「わぁぁ!」と声を上げた。そんな少女へ容赦も配慮もなく、重力加速度がいたずらな顔をしながら「えいっ!」と内臓を持ち上げていく。


「――いぃっ! ついっ! きついぃっ!」、奇声を上げるのが精いっぱいの少女。


「おお、失礼。しかし、しばしの辛抱を!」、余裕たっぷりに急降下を楽しむ竜人。


 30秒あまりの長い急降下の後、森の中にある開けた場所に、赤い竜は無遠慮な土煙を上げており立った。目の前には崖面に開いたおおきな洞穴。イーダはクラクラする頭を抱えながら、竜の体をノロノロおりて、なんとか地面に到着する。


(頭が……痛いよぅ)


 両手両膝をついたまま「帰りはお手柔らかに」と願う横、アールが軽やかに地面へ飛びおりる音がした。顔を上げると嬉しそうな顔。これから行われる戦いに、いても立ってもいられない、というたたずまいで。


「さあさあやりましょうぞ! 洞窟の中で戦うは不利。ならばこいつをひと吹き、鳴らすとしましょう!」、彼は元気よくそう言って、背中のおおきな革袋からなんらかの楽器を出した。タータンチェックで彩られた楕円状の本体と、そこから無秩序に飛び出している数本の管。見覚えがあるような、ないような、よくわからない物品。


 ふらふらと立ち上がりながら、イーダはその正体が気になった。ゆえに聞く。「う、うう。……アール、それは?」


「これこそがバグパイプ! ルーチェスターといったらこれでしょう?」、トカゲ顔のしたり顔、アールは自慢するように見せつける。イーダはイーダで名前を聞いたことのある楽器だったから、「それがバグパイプなんだ」とおもしろみのない台詞で感嘆した。そしてついでとばかりに、アールの背中の武器にも言及する。「じゃあ、背中の大剣もルーチェスターの武器?」


「もちろん。クレイモアという名前を聞いたことがあるのでは? ジャック・チャーチルが好きでしてね」


 なるほど、シニッカが「英国かぶれ」だなんて言っていた意味がようやく理解できた。ジャック・チャーチルさんのことは知らないけれど、名前からしてきっとイギリスの有名な人なのだろう。アール(青井和虎)は日本人でありながら、英国へ造詣(ぞうけい)の深い前世だったに違いない。


 バグパイプとクレイモアとレッドドラゴンは、同じ連合王国でも別の国の文化だったのではないかと、首をかしげる余地はあるけど。


 そんなふうに分析するイーダの前で、竜人は楽器を構えるとバルブをくわえ、太い指でチャンターをつかんだ。すぅっと息を吸う音がした後、すぐに演奏がはじまった。鳴り響くのはラッパと笛を足して2で割ったような独特な音。ハリがあり、地平線を飛び越えて魔界まで届きそうな音色が、はるか遠くの地球にいるハイランダーたちをたたえた。


(聞いたことある曲だ。なんて題名なんだろう)


 音色が好きになった頃、のんきな表情は洞窟の奥からあらわれた黒い塊で曇らされる。ズシンズシンと地面をいたぶりながら、昼の青空に似合わない、鋭利で黒い巨大な生物。


 ()()()()たる黒竜――ギジエードラゴンだ。

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