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笑うご主人様 15

 屋敷の窓から見えるのは曇天の空。窓枠に切り取られた灰色の雲の下、庭と道をへだてる生垣が窮屈そうに風にゆれる。そのむこう側には不景気な顔をした街並み。昼間なのに人どおりも多くない。


「私の目を見ろ! コナー・ギタレス! 目をそらすのは罪を認めているからか⁉︎」


 リーンベリー卿の屋敷の1室は、応接室から詰問部屋へ変わった。横長の机のこちら側では、激しい口調で責め立てる竜人が、金色の目に灼熱の激情を映して声を張り上げる。その剣幕は先ほど酒場で魔王と口げんかしていたのと別の人格でも持っているかと思ってしまうくらい。横に座るシニッカは(嫌いなやつのとなりだというのに)舌を出し入れして満足げ。対するのは、震え、おびえているコナーひとり。


「街の主たる貴様がやったことは、貴様に税を納めた住人への裏切りであり、貴様の主人たる女王陛下への裏切りである! この始末をどうつけるのか、申し開きがあれば聞こうではないか!」


 机は竜人であるアールが拳を叩きつけるたびに、命乞いの悲鳴を上げた。部屋の隅には家族の姿も。夫人は家主が受けている言葉の拷問を見ることもできず、目を閉じながら息子にだかれている。


(罪人はみんな、こういう目に遭うのかな。あんなに強い言葉で責められて……)


 なんだか見ているのがつらくなってきて、イーダは目線をほかのメンバーへうつした。部屋の中にはバルテリとサカリもきていたから、椅子に座る魔王の脇へ、自分もふくめた3人のペストマスクが立っている状態だ。目の前にあるとびっきりの()()()()()を、ごく静かに見おろしているのだ。


(みんなこの状況を楽しんでいるのかな? 蜜を味わっているのかも)


 イーダは違った。恐怖の縄でくびり殺されようとしているコナーを見ても、口の中に蜜の味がするわけではない。ペストマスクをかぶっているのだって、唇をなめるのを隠すためではないのだ。


 しかし、少しだけ不思議に思うこともある。今この場に、居心地の悪さを感じていないことだ。


(他人が叱られるところなんて、嫌いだったはずなのに)


 小学校や中学校の時、やんちゃをして先生に絞られる同級生を見るのが嫌だった。おおきな怒鳴り声も嫌いだったし、いつか自分もああやって怒られるんじゃないかと思ってしまったから。


 慣れというものなのだろうか。異世界は日本より残酷で、人の命が軽い。命に紐づいているはずの、人の尊厳も軽いのかもしれない。そんな環境に3か月もいるから、無慈悲な光景にも慣れてきているのかも。


 と、視界が砂粒のような星々をじわりと浮かべた。目の持ち主に、体のささいな不調――軽いめまいを訴えたのだ。同時に、奥歯よりも奥、あご骨の付け根のあたりがじわじわとうずく。痛みではなく、渇きのような感覚。


(しっかりしないと!)


 シニッカたちは、自分がこの部屋から出ることを許してくれるだろう。でも、先日の戦いで手に入れた「ヴィヘリャ・コカーリの一員」という気持ちを無駄にしたくない。


 顔を伏せ、マスクの下で奥歯を噛みしめる。そうやって耐えたから、すぐに自分の体の不調は申し訳なさそうな顔で姿を消してくれた。「やっぱ苦手なんだな、この光景」と心でつぶやきながら、ふたたび顔を上げる。みんながしているように、じっとコナー・ギタレスの顔を見据えるために。


 その魚人があわてふためきながら、竜人へ言い訳をした。「わ、私は女王陛下のために、富を献上しようと――」


「なにをいうか! 我が主にラヴンハイム共和国と戦争でもさせようとしているのか! 自らの欲望に女王を巻きこむな! 勇者を使い悪事を成そうなど、言語道断だ!」


 アールの強い語気に、イーダは目をつむる。「勇者を使い、悪事をなそうなど――」の部分へ、今朝聞いたことを思い出したからだ。


(勇者か……)


 コナーへ投げつけられる裁きの言葉を記憶するかわりに、早朝にシニッカが書き記してくれた、勇者エリックの固有パークの中身を思い出すことにした。枝嚙み蛇(スヴァーヴニル)の噛みあと――なぜ勇者エリックが死んでいたのかの理由とあわせて。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 勇者エリックの腕を分析し、シニッカが書き起こしてくれた、固有パーク『主人と従者』の解説文。そこには「ポイント」であるとか「ステータス」であるとか、ロールプレイングゲームのような用語がならんでいた。


「書いてあるってことはそのとおりなんだろうけど、なんだかピンとこないな。人の持つ力って、ゲームみたいに数値化できるものなの?」


「指標があってテストを受ければ、かなり正しく数値化できるでしょ。もっとも、日々の体調で変化するものに固定の値を入れるのは感心しないけど」


「そっか。じゃあこの数字が正しいものだったとして、エリックさんの固有パークはドラゴンとの間で力を貸し借りできる能力なんだよね? でも『ふたりで力を合わせて戦う』っていうような、ヒロイックな感じじゃないように思えるな。竜を奴隷みたいに従えて……。守護獣がドラゴンのルーチェスターだと、すごく白い眼で見られそう」


「見られるかもね。竜に首輪を着けられるなら、だけど」


「……え?」


 含みのある言葉に、シニッカがしかけた「悪事」の痕跡を探す。もう一度頭から読み直すと、見つけた。そこに明記しなければならないであろうことが抜け落ちていることを。


「あっ! どっちが主人か書いてない! 変な空白がある!」


「消したのよ。スヴァーヴニルの力で」


「どうやって⁉︎」


「そろそろ話しておこうと思っていたの。ゆっくり説明するから、ちゃんとついてきて」


 ようやく話される、カールメヤルヴィ王国の守護獣の秘密。それは想像していたものよりも概念的で、輪郭がはっきりしない不思議なものだった。


 世界樹というのは、転生者のとおり道なのだそうだ。勇者も、その対抗召喚で呼び出された人も、地球に手をのばす『世界樹の枝(ビフレスト)』をとおってフォーサスに転生する。死者の魂がのばされた枝葉にからめとられ、太い枝の上を転がりながら、天界もしくは地上に落ちてくるのだ。


 転生者の手に残る火傷あとはその時に刻まれた魂の傷。死を拒み続けた者は両手で押しのけようとし、死を望んでいた者は利き腕にからませ、突然死だった者は逆腕(さかうで)をからめとられ。


 この転生というのは、形ある人魂(ひとだま)のような物体が、世界樹の上を移動する現象ではない。魂という情報を持った魔力が枝の中をとおっていく、目に見えない事象だ。だから大けがをした人が傷口をおさえながら歩いてくるわけではないし、医者がストレッチャーで運んでくれるわけでもない。


「たとえばコンピュータ同士で行われる、電気に乗せた情報のやり取りが近いわ。パケットというやつね。ヘッダとデータのイーダのかけらがフォーサスの召喚機にたくさん届いて、それを元に体の構築が行われたの」


 授業で習っていないことだったから、イーダはその内容を理解できなかった。でも、コンピューターの用語でパケットというのは聞いたことがあった。携帯電話の通信料の説明を受ける時、「パケット料」なんて使われかたをしていたのだ。その時は漠然と「データ量のことかな」程度に考えていた。実際はデータの形式だったのだが、ともかく転生者が世界樹の中をとおる時、人の姿をしていないことだけはたしかだ。


 そして、()()()()()()()()()であるスヴァーヴニルは、その情報に触れられる。つまり、世界樹をとおって転生してくる人間の情報へアクセスできる。


「ちいさな川の流れを監視しているのに近いかもね。そこには落ちた葉や折れた枝、土の上に転がれなかった木の実なんかが流れてくる。私は眠っている時だけその小川のほとりに座って、流れてくるものを分析できる。そして時々、手に持った小枝で突っつくの。たまたま勇者の情報が流れてきた時、そこへ噛みあとを残すためにね」


「そんなことしてたんだ。でも、勇者の情報に干渉できるなら、情報そのものを消しちゃえば勇者が転生することもないんじゃない?」


「そうできればね。でも実際には、情報の改変ってすごく魔力を使うのよ。たとえば今回のように、運良く固有パークの情報にアクセスできたとしても、やれることといったら文章内の単語をひとつ消すことくらい。しかも彼らの情報って高速で流れていくから、体感1分くらいで悪事を働く必要があるわ」


 本当ならもっと悪意に満ちた変更を加えたいのだけれど、なんてつぶやくシニッカの顔は、無邪気に遊ぶ少女のそれだった。枝で押さえつけた蝶の羽を1枚1枚むしり取る、まだそれが残酷なことだとわかっていない子どものような……。


 少し、怖くなった。ヘルミの話を聞いた時と同じ、沼に足を取られるような感覚に襲われたから。


 エリックは悪人だったと言えるだろう。でもシニッカが罠をしかけた時点では、勇者の人となりなんてわかるはずもない。だとしたら、固有パークの改変というのは、ある意味無差別な攻撃なのだ。


 シニッカは、相手を選んだ上で戦っているのだと思っていた。ネメアリオニアにあらわれたマルセル・ルロワの時のように、戦う前に「相手を排除する必要があるか」を()()調査するものだと。


 実際は違った。今さらながら気づいたが、勇者というのは基本的には「敵」なのだ。だから、罠をしかけられる機会があればそうする。それによって相手が命を落としたとしても。


 自分が立っている場所は、緑の草原でデコレーションされた白い壁のお城ではない。配慮ややさしさにあふれる楽園でもない。魔界と名づけられた、毒沼の中の小島だ。舌をちらつかせる蛇が泳ぐ、残酷な場所なのだ。


 でも、そんな事実を知った上でシニッカとの会話を続けたのは、きっとその場所に立っている自分を肯定したかったからに違いなかった。ここで自分は、生前よりも生き生きと生活できているのだから。


「十分悪いことをしていると思うよ、シニッカ。相手の武器の持ち手に毒針をしこむなんて。でも、勇者エリックはどうして死んじゃったんだろう。主従がはっきりしないだけで、命を落とすことなんてあるのかな?」


「予想の域は出ないけど、相手に力を渡しすぎちゃったんでしょうね。主従がはっきりしないのなら、力の強いほうが主人になるのも当然でしょ?」


「この説明文どおりで考えると、ある日エリックはなんらかの行為をギジエードラゴンにさせるため、51以上のポイントを相手に渡しちゃったってことか」


 シニッカが書いてくれた『ギジエードラゴン』の情報にちらりと目をやる。マリオネットに執着した竜は、自分の主人であった者を物に変えてしまった。


「かくして『Primary(プライマリ)』は『Secondary(セカンダリ)』に落とされて、主導権は竜へ。『あらゆる命令に服従する』存在となった勇者に、竜は食事をあたえるという行為をしなかった、もしくはできなかった。エリックの死因が餓死だったことだけは、私が保証する」


「回収した腕、やせ細っていたもんね」、そんなふうに受け答え、平静を装って。


 心の奥には恐れがある。その心に「この場所で生きていきたい」という感情を羽織って、精神を現実の冷気から守ろうと必死でさする。


(私を拾ってくれた魔界で、現実から目を背けたくない。私にはここしかない……いや、私はここでやっと人間らしく生きているんだから)


 負の感情に負けないよう、精一杯の力で冷静さをたもった。


「ところで、プライマリーって?」


 ぎこちない表情だったろう。それをシニッカが見逃すこともないだろう。でも魔界の王は微笑んだまま続ける。彼女が自分を見て蜜を味わっているのか、それとも魔界に慣れることを期待してくれているのかは判然としないけれど、今はそれでもいい。


「コンピュータ用語よ。パケットなんていう言葉が登場したから、ついでにと思って。プライマリが主、セカンダリが副。同機能の装置をふたつ組み合わせて使う時、主たる振る舞いをするのがプライマリよ」


「両方でひとつの装置になるんだね」


「そうね、ちょうどエリックとドラゴンのように――」、そう答えシニッカは目を閉じる。次の言葉を発する前に、長い舌で唇を濡らすことにしたようだ。同時にそれは、口の中に広がる蜜の味を堪能する行為でもある。


 再び開かれた青い目は、すんだ海を真上から見おろした時のように、深い色をしていた。


「古くは『ご主人様(マスター)奴隷(スレーブ)』なんて言いかたもしたわ」

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