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笑う王様 1

挿絵(By みてみん)


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


「紅茶をお飲みにならないの? せっかくですから、お熱いうちに」


「今は香りを楽しんでいるわ。恥ずかしいけど、猫舌だから」


 雲海から顔をのぞかせる世界樹は、白い葉をたずさえた緑の花のようだ。もしこの星を見おろしたならば、きっと誰しもがそう思うだろう。


 その樹はとてもおおきくて、月からも見えるほどだから。


「あなたがそうだとは知りませんでしたわ。そうね……蜜酒の山羊(ヘイズルーン)のミルクならありますけれど」


「気をつかってくれてありがとう。でもこの紅茶でいいわ。きっと冷めてもおいしいから」


 その根で世界をささえる大樹は、枝にいくつかの街を持つ。天界や天上と呼ばれる、天使たちの住む場所だ。


 生い茂る葉を思わせるような緑色の大地に、枝のような濃い茶色の道を描かれた街並み。樹上だというのにいろいろな種類の木が生えて、透明な水が小川を輝かせている。


「ではなにかゲームでもいたしましょう。飲み頃になるまで、少し時間をつぶせるような」


「天使様もゲームをするのね。それこそ意外かもしれないわ。ああ、でもチェスは似合うかも。駒に羽が生えていたら素敵よ」


 その街のはずれ、青い空が似合うシナモン色の家があった。ゆっくりと流れる風が香りを遠くまで運ぶような、やさしい場所。


 そこに、ひとりの大天使と、ひとりの少女がいた。


「ポーカーでもいかが? ちょうどトランプを供物(くもつ)にいただいたんですの」


 天使がふわりと4枚の羽をゆらす。詩人が彼女を見たのなら――もしそれが気の利かない者であったとしても――黄金の長髪は小麦畑、サファイアの瞳を飾るまつ毛はひまわりと詠っただろう。


 彼女は顔へやさしい笑みを浮かべながら、手に()()で流行しているゲーム用カードを持っていた。


「ええ、もちろん。ルールは『2枚と5枚の役作り(テキサス・ホールデム)』でどう?」


 少女は落ち着いた声でそう返す。大人びて見える綺麗な顔立ちを、まっすぐとした背すじでささえ、上品に椅子に座って。その長髪は濃紺の夜空で、両の瞳は晴れの湖。彼女の姿勢と同じように、静かで安寧を感じる容姿。


 けれど、ぱちりと開いたまぶたのまわりを、アザミのようなまつ毛が飾る。うっかり手に取ろうとすれば、その棘で怪我をしてしまいそうな。


 天使には彼女の目が、そんなふうに見えていた。ある種危険に見えたのは、青い少女の持ち物のせい。


 彼女の手にはペストマスクがあった。可憐な外見に似合わないそれこそ、彼女のシンボルマークと知られていた。


 椅子の背には大ぶりの皮の鞘がベルトでたすきがけにされている。その中で鈍く光る()()()のノコギリは、まごうことなく彼女の仕事道具だ。


 そんな少女が発した「テキサス・ホールデム」なる提案に、天使は嫌な顔ひとつしない。


「ええ、そのルールで結構ですわ」


(可憐かつ利発そうな容姿。立場が立場でなかったら、貰い手に困らないでしょうに)


 天使は背をむけて、木でできた魔動人形(オートマタ)を呼びつけた。人形は縞模様の年輪が浮かぶ四肢をきしませ、白い床へ木靴の音を残しながら、まめやかに歩みよる。大天使はそれにカードを渡し、ゲームの準備を命じた。「くれぐれも、よろしくお願いしますわね」と。


 天使は席に戻ろうと、数枚の羽根を宙に放りながら振り返った。けれど、今日彼女が会っている少女は、ひどくいたずら好きで知られている。だから天使の両目に飛びこんできたものは――


 いつの間にやらペストマスクを着けた少女の姿。


 茶目っ気のあるいたずらだ。思わず「ふふっ」と噴き出してしまった。


「まさかそれをかぶったままゲームをする気ですの? ポーカーフェイスには、なるでしょうけれど」


 きっとシュールな光景だろう。世界樹の上の天界で、天使である自分と鳥顔の女の子がカードゲームに興じるなんて。


「――『鼻が邪魔にならないかしら?』」


 少女はくぐもった声でなにかのセリフを引用する。後ろではのっぺらぼうの人形が手際よくチップとカードの用意をはじめ、部屋の中を行ったりきたり。


「言葉の無駄づかいは、いけませんことよ?」


 それには時に魔力が宿るのですから、そうたしなめて椅子に腰かけた。少女はマスクを頭の横にずらし、そのととのった顔をのぞかせて、いたずらっぽくニコリと笑う。2本の留め帯が顔を横切ってしまっているが気にする様子もない。そのまま、魔動人形に顔をむけた。


「このお人形さんも地上からの供物なの? うちにあるのと違って、見事な装飾ね」


 カップとティーポットをうまくよけ、チップを小気味よく積むオートマタに、少女は興味津々の様子だ。


「いいえ、それは神様にご用意いただいたものですわ。でもこの部屋の他のものは、ほとんどが地上からいただいたものや、それを加工したものですのよ?」


 そう答えて部屋を見まわす。木目が笑う壁、来訪者を歓待する白い床、主人への奉仕を待っているティーセット。風に遊ぶ観葉植物も、落ち着き払った重厚な机も、地上から(きょう)された自慢の一品だった。


「いい部屋ね」


「感謝していますわ。すばらしいものに囲まれてすごせることを、神と地上の方々に。ここは私の知るかぎり最高の場所で、心を満たしてくれる特別な城ですの」


 穏やかたるこの場所に目を細める。「あなたにとっても、そうだとよいのだけれど」と、つぶやきながら。


(でも、そうではないのでしょうね)


 浮かべる表情とは裏腹に、心がザワザワとちいさな音を鳴らしはじめた。それは嵐の来訪を予感させる(こずえ)のように。


(彼女をまねいて本当によかったんですの? 私は誰をここに呼んだのか、本当にわかっていますの?)


 木の手足を(きし)ませ、オートマタが見事な装飾の置時計を持ってくる。コトンと音を鳴らし机の端に置かれたそれは、ゲームの時間を管理するためのもの。つまり準備の完了を意味していた。


 同時に談笑の時間も終わり。()()()()()()を聞く時がきた。


 今までここにあった友好的な関係は、波打ち際の砂の城。そんな予感がある。きっと遊戯ではなく勝負がはじまってしまうのだと。


 しかし逃げるわけにはいかない。しかけたのは他ならぬ自分なのだから。


「ところで、なにを賭けますの?」、ポーカーをする以上、当然の質問。


「そうね」、目の前の少女は少し間を置いた。両目をゆっくり閉じて、顔を少しだけうつむかせて。


 返答をもったいつけられ、天使は身構えてしまう。ふと肌に感じる冷たいものは、緊張からくる冷や汗か。部屋は徐々に彩度を失い、視界が灰色に染まっていくような感覚にとらわれる。


 短い沈黙があって、その間呼吸を忘れていて……。


 そして少女はゆっくり顔を上げ、無垢な目をぱちりと開いた。


「では、おたがいの命を」


 開いた唇の間にのぞく、長い八重歯と長い舌。無邪気な瞳と、それに似つかわしくないアザミの棘のようなまつ毛。


 ああ、やはりそうか。穏やかな雰囲気の中にいても、この少女と私は同じ空の下にいられないのだ。たがいに存在を許せない敵であり、いずれはどちらかがこの世から欠ける関係なのだ。


 いくら友好を望んでも、いくら言葉を交わしても。


 ――彼女は魔王なのだから。


「……ええ、結構ですわ。では魔法契約書(ゲッシュ・ペーパー)を」


 自ら望んだ勝負なのだから、命の賭博の準備はしていた。オートマタによって机に置かれた1枚の紙。勝負の内容や決着の方法などが書かれたそれに、ペン先をむける。「敗者は契約によって命を奪われる」と追記し、文書を完成させるために。


 文字を(しる)され、文章を囲むトネリコ柄の飾り枠がぼんやりと赤く光りはじめた。この命をしばる契約書は、きっと悪魔の大好物だろう。


 魔王にそれを渡すと、彼女は中身を一通り見てためらいもなく指を噛み、血判を押す。完成間近の契約書を「どうぞ」と返され、天使は心臓へ不安の音を鳴らしてしまった。


「あなたの分を、大天使ウルリカ・ヘレン・キング。血判か、()()で」


「よろしくてよ」


 つとめて冷静にペンを走らせ、迷いなく真名を記す。魔王にはこの名が知られてしまっていたし、なにより勝負に勝利の決意をいだくため必要なことに思えたから。


『女神たる転生勇者案内人(チュートリアル)


 勇者を地上に送り出す自分と、勇者の敵となる魔王(彼女)。その双方の身分を証明する契約書が、赤い光を放ち机の上で舌なめずりをした。


 それをちらりと見やった大天使ウルリカは、目線を魔王へ戻しながら聞く。決意のこもった表情をして、最後通牒を突きつけるために。


「ねえ魔王。よかったんですの? あなたと違って、私には12個の命がありますのよ?」、暗に今ならまだ取り消せるぞと言った。


「12倍の覚悟をするだけよ、ウルリカ」、魔王は表情を変えず、チロチロと舌を出す。


 獲物を狙う蛇のような所作。威嚇のつもりか、からかっているのか。いや、もしかしたら無意識に相手を追いこむその立ち振る舞いこそが、彼女が悪魔種の王である証なのかもしれない。


 ペンをペン立てに戻し、天使ウルリカは自身の敵へ真っすぐな戦意を射かけた。


「宣戦をしてもよろしくて? 形式を大切にしたいのです」


「もちろんよ。()()()にはお祈りが必要だものね」


 相手がうなずいたのを見て、座ったまま姿勢を正して目をつむる。ゆっくり息を吸い、肺を天界の空気で満たす。


 十分に余韻を取ってから、息へ()()()を乗せて吐いた。


仇敵(きゅうてき)(あや)める機会があたえられたことを、神に感謝します。殺意の前に立っていただいたことを、魔王に感謝します。我が血をもって戦火に応え、()の血をもってそれが消されんことを。猛き剣よ我が右手にあれ、<幸運よ我をまとえ(青き四つ葉)>よ我が左手にあれ!」


 決意とともに言遊魔術(ケニング)を一節。同時に力強く目を開けた。


 強くなった血の流れが魔腺を脈動させ、魔力が体を包みこむ。不安にゆれる心臓へ打ちこまれたその鎮静剤は、灰色の視界に色彩を取り戻させた。


 でも魔王は、そこへひとつの言の葉を接続する。


「――その足元の<不幸よあれ(横切る黒猫)>へ気づきもせずに」


 とたん、幸運の魔力は霧散した。


 視界に不安の黒いインクが落ち、鎮静剤の針は痛々しく引き抜かれたのだ。


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