笑うご主人様 8
コナーの屋敷を出てしばらく、人どおりがない道の上。3人分の革靴が石畳を鳴らしていた。カールメヤルヴィよりマシとはいえ、10月のルーチェスターは曇天の日が多い。今日もそんな空が彼らの上にいて、陽の光をさえぎりいじわるな顔を浮かべている。
モノが集まる港町だというのに、活気がなく辛気臭いこのリーンベリーに、よく似合ってはいるが。
フェンリル狼たるバルテリが灰色の風景へ冷笑的な気分でいると、「ねえバルテリ」、イーダから声がかかる。「あの召喚魔法陣はそのままでよかったの? 誰かがあれをとおって魔界に侵入しちゃったりしないよね?」
「ああ、できないぜ。召喚魔法陣を使えるのは魔王様の許可した人物だけだ。しかも許可ってのはカールメヤルヴィ側から台座に触れることで実行されるんだ。魔界に侵入したい不埒者が魔王様の手をちょん切ったところで、外側からじゃ許可をあたえることもできないって寸法さ」
「ち、ちょん切ってって……。でも魔法陣を消されちゃったらどうなるの? 私たちも利用不可能になっちゃうよね?」
「そのために召喚者の名前が事前にわかるようになってるのさ。信頼に足る相手かどうかってな。信頼できないやつの名前が浮かんだら、召喚を拒絶することだってできる」
そうイーダへ解説した狼は、次に自身の主人へ顔をむける。「魔王様よ、情報は多くない。まずはそいつを集めるところからか?」と、頭の中で答えがわかっていながらおうかがいを立てることにしたのだ。
「いいえ、馬車を1台」「だよな」、どうすべきかわかっている者同士の短い会話。
「どういうこと?」、きょとんとしてくちばしをむけるイーダへ、バルテリは「つまりな」と続ける。
「独行馬車が襲われるなら、俺たちを襲ってもらうのが一番手っ取り早いってことさ」
「うぇぇ、嫌だなぁ。もうちょっと調査しようよ」
「そうは言っても、手がかりがねぇ。馬車を調達するのに2、3日かかるだろうから、その間に冒険者ギルドへコナーから聞いた話の裏を取りに行くのがせいぜいだ」
「……それで大丈夫かなぁ」
「大丈夫よ。イーダに話をしていない私の悪事が成功しているかもしれないから」
「え⁉︎ なにをしたの?」
「敵に効いていたら話すわ。どこで誰に聞かれているかわからないし。なんにしても、道すがら情報を集めましょう。まずはバグモザイクがあったっていう森を目指して馬車を走らせるの」
「むぅ、承知したよ。ちょっと不安だけど」
バルテリにはイーダが不安になる気持ちもわかっていた。勇者マルセル・ルロワを殺した時と違って、今回は戦いながら対抗手段を考える必要があるからだ。しかし自信もあった。
「大丈夫だぜ、イーダ。実は俺にも秘策がある」
「え、なに? 本当?」
「本当だ。俺は本当に、逃げ足が速い」
「そっかそっか、頼もしいねっ!」
いい反応を返してくれた彼女は、だいぶ魔界のノリに慣れてきたように感じる。なら、若干いじわるな質問もいいだろう。「じゃ、イーダの秘策はなんだ?」
「む……そうだね。ルーンかな。もう少し練習すれば、それなりのルーン魔術を使っても倒れないで済みそうなんだよ」
(おおっ)
意外にもその質問はいじわるにはならず、非力な策ながらもまっとうな答えが返ってきた。彼女のまじめさは、勤勉なの名前どおりだ。
元守護獣である自分たちに比べ、彼女の体は脆弱といえる。手を引く時に力加減を間違えたら、細いつららを握った時のようにバラバラになるのではないかというような危うさを感じるほど。だが、その少女がヴィヘリャ・コカーリの一員としてけなげに働くさまはかわいらしい。それに過去2回、彼女はかなりの活躍をしたといっていいだろう。
「ああ、頼りにしてるぜ?」、狼はついつい本心で、飾り気のない言葉を口にした。
「頑張るよ!」なんて鼻息を荒くする少女の顔は、ちょっとだけまぶしく感じた。
せいぜい長生きさせてやろう、と心でひとりごつ。そのためにも、まずは目の前の問題――おそらく脅威にはならない程度のものから片づけることにする。
「ところで、俺らの後をつけているのはコナーの息子だな。魚臭ぇ」
「え?」
「あら、気づかなかったわ。……マスクごしでもわかるのね、あなたの鼻」
まあな、バルテリは答えて、すぐにどうするべきか思案した。ここでコソコソする理由が、自分たちに対する敵意なのかそうでないのか、と。
敵意なら、不自然なほどお粗末な尾行だ。そもそも自分を危険にさらさず、従者なりなんなりを使えばいいだろう。しかし敵意がないのなら、尾行する理由がない。堂々と話しかければいいのだから。
「魔王様よ、カマかけるべきと思うが?」、主に顔をむけず狭い視界の端で様子をうかがう。と、彼女は紙を取り出し、メッセージをそこへ書いていた。
さらさらと筆を進めた彼女は、すぐに「そうね」と答えて、紙をヒラリと手から落とす。そのままなにごともなかったかのように歩き続けるのだ。さすがに奇妙と思ったか、イーダが視線をぎこちなく前へ固定しながら聞いた。「なにを書いたの?」
「『後で会おう』って書いたの。さ、人目のつかないところに行きましょう。ルンペルスティルツヒェンの魔法をかけなきゃ」
狼は思わず苦笑した。自分が思案した時間もそう長いものではなかったが、それよりもずっと早く、脊髄反射のように答えを出した主人に肩をすくめるしかなかい。
「イーダはどう思うんだ? あの息子がなにをやろうとしているか」
「うーん……わからないや。でも――」、黒髪の少女は少し間を置いた。が、はっきりとした声で考えを述べる。「私はあのコナーって人のこと、あまり信用していないかな」
「へぇ……興味深いな」、バルテリも同じ考えだった。交渉の場に出ることが多い彼は、情緒不安定気味だったコナーの挙動に違和感を覚えていたからだ。しかし、対人交渉に不慣れだろうイーダが明確に意見を述べたことは、彼が口の端を上げる理由になる。
そして数分後、彼らは今回の依頼の方向性を決めた。サカリの半身は屋敷へと引き返し、魔界へもう半分を取りに戻る。
(少しおもしろくなってきたか)
ペストマスクを取ると、港町の匂いが鼻に主張してきた。久々に胸いっぱい吸う潮風は肺をしょっぱくさせたが、勇者の暗い未来を想像して、口の中の甘みは今日一番の濃厚さになった。




