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笑うご主人様 7

 依頼者の話を聞きながら、バルテリはマスクの下で片方の眉を上げ、口をへの字に曲げていた。誰かが彼の顔を見ることがあったのなら、端正な顔つきがあきれはてた表情を浮かべながら、ため息を我慢しているのがわかっただろう。


(コナー・ギタレス。おとなしいやつだと思っていたんだがな……)


 彼の前では、先ほどまで緊張で過呼吸気味になっていたマーフォークが、今は興奮のあまり過呼吸を起こしそうになっている。


「なんたる所業だと、怒りがおさまりませぬ! 勇者などというものは、魚の糞でできたサメのようなもの! やつが我が領土、我が国にもたらした不利益は、到底許容などできぬのです!」


 ぼんやりと光る書記型の魔法誓約書(ゲッシュ・ペーパー)と、それが置かれている机のむこう側。魚人は勇者に対する怒りをこれでもかとまくしたてる。真っ赤な顔に目はギョロッと見開かれ、額に浮かべた太い血管は今にもはち切れてしまいそうなほど。そうまでして出している大声もずいぶんと耳障りで、部屋の中へ泥水による洪水でももたらしているかのようだった。


「水を得た魚のようだ」と笑っておくか、バルテリはそっと肩をすくめる。


 コナーのとなりに座る夫人は、目を伏せておとなしくしていた。いや、おとなしくというよりも居心地が悪そうだった。夫と対照的な態度の彼女を見て、バルテリは「普段、暴力でも振るわれていなけりゃいいが」などと詮索をしてしまう。そう夫婦生活へよけいな心配をしてしまうくらいには、ふたりの立ち振る舞いは対照的だった。


 コナー・ギタレスの屋敷、応接室の中。家主と机をはさんでこちら側にいるのは、頬杖をついて豪華そうな椅子に座る我が魔王と、その後ろに立つ2名半の従者。話を聞きはじめてすでに1時間が経過していた。


「あろうことかルーチェスターのシンボルたる竜を! ドラゴンを己が利益のために使役するなど許されることではないと思われませぬか⁉︎」


(さっきから同じことを繰り返しやがって。しかもどんどん声がおおきくなる)


 勇者の悪行と自身の正当性を繰り返しくりかえし()()()()()()魚人に、バルテリは少しあきてきた。ちらりと魔王へ目をやると、彼女は時々長いまばたきをして話をじっと聞いている。ということは、おそらく半分くらいは聞いていないのだろう。あのしぐさは「眠たくなってきた」というサインだ。


 この大声の前で眠りに落ちたら、この場も少しおもしろくなるかもしれない。魔王が眠ってしまったことに気づいたマーフォークは、どんな顔をするのだろうか。


 一方、イーダは1時間ずっと、直立不動でコナーの話を聞き続けているように見えた。ペストマスクのせいで表情はうかがいしれないが、立ったまま眠れるタイプの人間ではないことくらい、バルテリにもわかっていた。


(よくもまあ、集中していられるもんだ)


 少々感心してしまう。たいしておもしろい話でもないだろうに、まじめに聞く姿はけなげで仕事熱心だ。それに、ああやってじっと動かないでいるのは、それなりに()()()()()


 コナーが目をイーダにむけた。やつからしてみれば、表情の見えない不気味な格好をした従者が、なんの感情もないように自分をにらんでいるように見えることだろう。


「し、失礼いたしました。話すぎましたな」、魚人はあわてて目線を戻し、汗を拭く。ついでに口角についた泡のようなつばも。


(ははっ)


 フェンリルは情緒不安定な男が怖がるさまに、少しだけ留飲を下げた。そもそも、話は最初の30分で終わっているのだ。にもかかわらず、その後からはじまった「コナー怒りの劇場」にはうんざりさせられた。しかし、それをあきもせずに注意深く見ていた観客――イーダによって、冷めた拍手を贈られた。ようやく一段落ついたようだ。


 心でひとしきり笑った後、狼は情報を整理することにした。話はこうだ。


 3か月ほど前からリーンベリー領内で、馬車が行方不明になる事件が数件発生している。独行馬車――隊商を組まず単独で旅をする馬車が、こつぜんと姿を消してしまうのだ。害獣(モンスター)のたぐいに連れ去られたのだという予測のもと冒険者ギルドが動くも、手がかりをつかめない。そんな中、先月に発生した事件で真相があきらかになる。森へ用を足しに行った護衛のひとりが生き残ったのだ。その者の弁によると、男が駆る黒い鱗の竜があらわれて馬と人を食い殺し、馬車ごと森の奥へ連れ去っていったという。


(この国で竜害とは、妙な話だ)


 それは前代未聞だった。ルーチェスター連合王国の守護獣は、ほかならぬ『ドラゴン』なのだから。


 ドラゴンという竜は、ワイバーンやリンドブルムといった存在と明確に区別される。『4本脚で翼のある、おおきく偉大な生物』であり、この世界ではまれにしか見ない強力な存在だ。そしてルーチェスター連合王国には『竜の君主』と呼ばれる力があり、竜害から国民を守るだけでなく、女王は『古き竜(エルダードラゴン)』を従えられる。連合王国は竜との共存ができる国といっていい。


 それなのに、そんな国で竜が害をなしたのだ。


 領内で発生する事件は、よほどのことがないかぎり、領主が解決に責任を負う。女王に対する忠誠を見せるためにもコナーは自分の力で事態に対処する必要があった。だから調査隊を送りこみ、10名以上の犠牲者を出して男と黒竜の正体を追った。結果、森の中でバグモザイクを発見したことで、『勇者災害』の対応を魔王に依頼をすることに決めたのだ。


(……1時間も話を聞いているにしては、薄い中身だったな)


 手元にある情報は、襲撃のあった場所、死んだ者の人数、運んでいた物に敵のおおよその容姿。「もう少し情報が欲しいが」と考えていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。「入れ」との家主の命に姿をあらわしたのは、ティーセットを持つトカゲ人(リザードフォーク)客間女中(パーラーメイド)


 そういえば15分くらい前に、夫人になにかを言いつけて退席させていたことを思い出した。


(こんなもんの準備を命じていたのか……)


 うんざりした顔の狼の前で、ぎこちない笑顔のコナーが口を開く。


「魔王様、我がリーンベリーで荷揚げされた、東方航路のお茶にございます。極上の茶葉を目利きに厳選させておりますので、お口に合うのではないかと思い、ご用意いたしました」


 彼はおおげさに両手を広げた。「どうです私はあなたのことを歓待していますよ」との雰囲気をかもしだして。ペストマスクの上からでも鼻につくその行為に、バルテリはなんどめかのため息の我慢をする羽目になった。


「茶器もルーチェスター王宮で使われる物と同等品を取り寄せました」


 金でふちどりされたカップとティーポットは、繊細なバラの模様で装飾されている。たしかに高級品であることに間違いはないだろう。ただ、メイドの手によって机にならべられようとしているそれらが、魔王へ奉仕するという大役に体を震わせているように見えた。


 いや、震えているのはメイドのほうだ。


 無理もない。自国の女王を接待したこともないであろう若い女性が、他国の、あろうことか魔界の王に給仕をしようとしているのだから。緑の鱗と橙色の肌で覆われた顔が、魚のように青くなっている。


 かちゃり、と鳴ったちいさい音は、皿の上でカップがゆれた時のもの。


「気をつけろ!」、叱りつけるコナーの顔が、一瞬にしてフグのようにふくらんだ。


「も、申し訳ございません」、かわいそうに、メイドはよけい震えてしまう。


(……おいおい)


 狭量で、感情の起伏が激しい上下運動を繰り返す、落ち着きのない男。メイド連中にも受けが悪いだろうと、バルテリは苦笑した。カップに注がれる紅茶を、薬の分量を注意深く見る薬剤師のように監視しているが、気を払うべきはそこではないのだ。


 一生分の緊張とひきかえに、大役を終えてメイドは部屋を出た。狼は顔をむけてうなずいてやった。声に出すなら「ごくろうさん」だっただろう。頭に乗せた頭飾り(プリム)が良く似合うリザードフォークの女性は、裁判で無実が証明された時のような安堵を浮かべ、一礼して去っていった。


「どうぞ、召し上がりください」、一方のコナーはメイドに比べなんとも気の利かない男だった。仮にも身分の高い貴族だろうに、知っていなくてはならないことをすっかり忘れている様子。「我が魔王様も、さすがにこの非礼には反応するだろうな」と思っていると、案の定、彼女は「どうぞ」と左手を出し、コナーへ先に紅茶を飲むよううながした。


 当然だ。従者がペストマスクをかぶっているのだから、()()()などここにはいない。


「……! し、失礼をいたしました!」、マーフォークはあわてて高級なカップとやらを口元へ運び、極上の茶葉とやらで煮出された液体をゴクゴク飲みこむ。作法であるとかみやびやかさであるとか、そういった雰囲気などまったくないまま。


(お前の国の女王にやってみろ。良くて笑い者、悪きゃ罰を受けるぜ)


 バルテリはついに、我慢していたため息をついた。と同時に、世襲によって主を決められたこの港町に同情する。この程度の礼儀作法もいたらないのであれば、街の未来はそう明るくない。たしか息子がいたと思ったが、そちらへとっとと家督を継ぐべきだろうとすら思った。


「と、ともあれ、我が女王と連合王国にとって、今回の勇者は忌敵(いみがたき)なのでございます。我が国の聖域たるドラゴンを奴隷のように扱うなど、我が忠誠心に対する挑戦ですらあります」


(頼むぜ、おい。その話はもう聞いたって)


 うんざりしすぎて、母親に繰り返し注意された子どものような言葉が頭に浮かんでしまう。


「我々には誇りを守る義務があると、魔王様もそうは思われませぬか?」


「知らないわ。竜の数は?」


「あ……い、1匹でございます」


(おっ!)


 怒るのでもなく馬鹿にするでもない口調で、あいづちがてら相手を否定した魔王のひとこと。バルテリは笑いをこらえるため、腹に力を入れた。同様に笑いをこらえているのか、視界の隅で震えるイーダ。肩の上でカラス男の半分が、器用にバランスを取っているのが見える。


 一方、言葉でバッサリ斬られたコナーは、釣り上げられた魚のようなまぬけ面をさらす。魚拓を取って額ぶちにでも入れておきたい。


「と、ともあれ、勇者の情報も少なく竜の情報も多くありません。このような状態でご依頼するのも心苦しいかぎりではございます。が、どうか勇者を殺めていただきたく、お願いする次第です」


「代償を聞かせろ」


 不意に投げつけられた問いに、魚が地面に叩きつけられて、魚拓顔が困惑へ、困惑が悲観へ変わってゆく。男がふたたびちいさくなり、震えているのがよくわかる。無理もない。魔王の言葉が包丁になって、まな板の上のコナーに突きつけられているのだから。


「わ……私が生まれながらに持っている……大切なものをひとつ」


「真意を聞かせろ」


「こ、この望みは本物です」


「聞いたな、魔法誓約書(ゲッシュ・ペーパー)。記せ」


 ああ、溜飲が下がる、そう声を出す代わりに、狼はマスクの下で笑顔になった。マーフォークのおおきな目があっちに行ったりこっちに行ったりしているさまは、見世物小屋の檻が良く似合う。


 対して夫人は口をきゅっとむすんで目をつむり、目の前で行われる処刑かなにかを視界から遠ざけているように見えた。ふるふると震える背びれから、我慢の程度が伝わってくる。こちらはこちらで、なんと甘美な表情をしてくれることか。


 筆記が終わり、いつも通りに「血判か、真名で」と言葉をそえられて渡されるゲッシュ・ペーパーを、イーダが目で追っている。淡々と進む残酷な契約を事細かに観察している黒髪の少女は、今なにを思っているのだろうか。悪魔の仕事に同席し、あわれな貴族の姿を見て、不安げな気持ちになっているのかもしれない。あるいは、その所作を見ることすら仕事だと、まじめにしているのかもしれない。


 コナーは緊張でペンが暴れないよう、左手で右腕をつかみながら彼の真名である『リーンベリー伯コナー・ローガン・ギタレス』を記した。2枚の紙にサインをする行為すら、今の彼には重労働だ。「魚も脂汗を流すんだな」と思いながらぺろりと舌で唇をなめると、わずかな甘さが狼へ魔族だけが味わえる菓子を用意してくれた。


 魔王は血判を終わらせ誓約書にもう一度目をとおした。「ずいぶん古いゲッシュ・ペーパーを使うのね」なんて文句を言いながら片方を懐にしまうと、ずらしてかぶるペストマスクごしにこちらに振りむく。


「他に聞くことは?」


 問いに対し首を横に振った。正直なところ、コナーから得られた情報は多くない。事件が発生した場所とたった1件の目撃談だけだ。しかし、この男からこれ以上の話は聞けないだろう。


 それに、()()()()()()()


「地下室はそのまま借りるわ。立ち入らないように」


「承知いたしました」


 すらっと立ち上がる主人を追って、部屋を後にする。


「……どうか夫に、寛大な処置を」、消え入りそうな夫人の声が、最後まで甘美な時間をあたえてくれた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] むむ、本当に周りから人気のなさそうな魚人さんでした。だけど勇者を殺して欲しい気持ちは本物のようで、自分の身を削ってでもという切実な思いで頼みに来ているのですね。そして彼らの不幸は魔族にとっ…
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