笑うご主人様 2
結果からいうと、試練ではなかったとイーダは思う。彼女は今、養蚕場となっている洞窟の中にいた。
「『マカイオニカイコ』なんていうから、もっと邪悪で気持ち悪い見た目と思っていたよ」、案内をしてくれている少年にそう言葉を投げると、「かわいいでスよね? もう、なんか食べちゃいたいくラい」なんて具合に、えくぼが魅力的な笑顔で返された。
彼はここで養蚕のお手伝いをしている夢魔種の少年。ドクが「先にヴィルヘルミーナの施術をしてくるよ」とひとりで行ってしまったため、あたりをブラブラしていたところ、気をつかって案内を買って出てくれたのだ。
養蚕場の洞窟は高さが2階建ての家の屋根くらい、奥行きが20メートルくらいはあるだろうか。ところどころに開いた天井の穴のおかげでそれなりに明るく、空気のよどみが肺を苦くさせることもない。どうやって形成されたのか、ごつごつした岩肌に穿たれたこの場所は、土で地面がならされて、その上に木の板が床を作っている。入口にはおおきなすだれがかかり外よりもずっと暖かい。
そんな空間の床には、まんべんなく敷き詰められた『マカイクワ』の葉。そして葉をむさぼる白くて丸っこい生物がたくさん。
マカイオニカイコはたしかにイモムシ型の生物で、虫の外見をしていた。でも15センチくらいもある体長に対し、10センチくらいの全幅を持っていてずいぶん寸胴だ。厚く短い腹足をモソモソかきながら体をゆらして動くさまは、チョココロネ型の肉まんとしか言いようがなかった。だから虫特有の気味悪さはあまりない。日本でいうところの「ゆるキャラ」なら、養蚕のキャンペーンを一手に担う「カイコたん」なんて名前がよく似合う。
そんなゆるい存在があちらこちらで「ゴハン、ゴハン」と高い声を出して葉をパリパリと咀嚼するから、洞窟の中は結構騒々しかった。ぱっと見ではわからないくらいの個体たちに、イーダは質問をひとつ放る。「ここにはどのくらいの数がいるの?」
「ここの群は300頭くらいでスかね?」
「結構いるんだね」、興味深げに相づちを。この養蚕場ひとつで、どれくらいの絹が取れるんだろうか、なんて考えて。彼女は小学生の時に授業で見た養蚕のドキュメンタリーを思い出していた。昔は絹織物が日本の代表的な産業だったため、蚕は「お蚕様」と呼ばれて重用されていたのだ。ここのチョココロネお蚕様たちは慣れているのか、人間を怖がらずによってくる。
足元にきたお蚕様に手を差し出した。「ゴシュジンサマー」と鳴きながら指をもぞもぞとくすぐって登坂する肉まんは、手首のあたりまで登ったところでバランスを崩し「アー」とのたまって横転した。腹足で宙をワキワキとかき、体をひねって元に戻った蟲のぬいぐるみは「ゴハン」とつぶやいてクワの葉の絨毯に戻る。
「しゃべるんだね、蚕」、どこの国の言葉を発しているのか不思議だが、化一号ブーメランが視界の隅にそっとあらわれたので、耳をすますのはやめにする。
「ヘルミ様がいうには『鳴き声』らしいんでスけど。実際『アー』『ゴハン』『ゴシュジンサマ』『コウビ』くらいしか聞いたことないでス」
「交尾って……あれ? このままの姿で? 蛾にならないの?」
「ならないでスねぇ。なんででしょ?」
天井には蔟―― 木枠の小部屋がたくさん作られた横倒しのマンションのようなものが、ロープで下げられていた。時期がくると蚕たちは各々その小部屋に入ってマユになるという。成虫にならないのにマユになるなんて、絹糸を生み出すために存在しているようにしか思えない。
また不思議が増えてしまったけれど、自分の着ている服も蚕たちの絹によって作られているのだから、感謝しなくてはならないだろう。
異世界転生で驚いたことは10や20では利かないが、その中のひとつが肌着の品質だった。家政婦の骨162号さんが用意してくれた下着は絹でできており、モンタナス・リカスやル・シュールコーで見かけた服屋にもそれらはならんでいた。地球では高価な絹の下着なんてものが普通に売られているのは、体躯がおおきく丈夫で、世界中にいるこのマカイオニカイコが多くの絹糸をもたらすから、らしい。
「この蚕と絹糸は、神様からの『ギフト』らしいでスよ?」
「そうなの?」
「清潔な水、薪ストーブ、活版印刷、進んだ衛生環境などなど。神のギフトって呼ばれるものはたくさんあるんスよ。学者さんが発明者を特定しようとしても出てこない、あきらかに洗練された技術。もうこれは神様のしわざとしか思えないだろうって」
(しわざ……)
「で、その中のひとつがズバリ『下着』でス!」
途中まで神様に尊敬すら覚えていたのに、突然下世話な話になってきた。彼が夢魔だからそう言ったのかもしれないけれど、どうしたって神様の姿を思い描いてしまう。まさか鼻の下をのばして創造したのだろうか、なんて具合に。
いや、シニッカからあたえられた決まりごとのとおり「神をばかにしない」ようにしなければと思い直すものの……。
「スケベでスよね!」
「それ許されるの⁉︎」
「大丈夫!」
本当に? と怪訝な顔になったイーダの前を「コウビ! コウビ!」と欲望にまみれた個体がよぎる。その1頭はあからさまに他の個体から避けられて、蚕の群れをモーゼのように割っていき、しまいには肩を落としてしょぼくれた。
(……うん、まあいいや)
この世は時々気まぐれな試練を投げつけてきて、イーダに心の持ちようを問いかけてくる。
でもそれは寝たら忘れる程度のもの、つまりどうでもいいものも多いことに、彼女は気づきはじめていた。




