笑う夢魔劇場 4
「Maan maa, maan maa. Maan maailma」
「陽の香の檜と被の苦の日野家と火の粉!」
「はじまったわ」
「あ! イーダと!」
「シニッカの」
「「夢魔劇場へようこそ!」」
「また会いました、魔女のイーダです」
「また会うでしょうね、魔王シニッカよ」
「この劇場では、フォーサスの魅力をふたりでたっぷりお届けします! 今回のテーマは『Babel』!」
「『気の利いた翻訳』のことね」
「うん! 私、転生後に一番衝撃を受けたことってバベルの存在なんだよね。それは今でもそう。地球に輸出できる魔法がひとつあるのなら、間違いなくこれを選ぶってくらいに」
「地球の神様が許してくれたら」
「だめかなぁ。……っと、ちゃんと解説しないとね。シニッカ、お願いします!」
「はい。フォーサスという世界全体に、常に効果を及ぼしている事象のことを『世界律』と呼ぶのだけれど、バベルこと『気の利いた翻訳』はその代表的なひとつよ。効果はその名のとおり翻訳。フォーサスには地球由来の多言語が飛びかっていて、それを見聞きした時に自動で翻訳してくれるの。これがなければこの世界はありえないといえるほど重要なものだし、私たちにとって必要な魔術よ」
「私は日本語でしゃべっているけど、それをフィンランド語話者のシニッカが『ニュアンスを含めて』理解できるっていう力だよね」
「ええ。そのニュアンスを含めてっていうのがこの魔法のキモだと思うわ。各言語間で翻訳が行われる時、対応した言葉がないなんてことはいくらでもあるの。表現の置き換えだけでは解決できないことだって多いし、同音異義語なんかも訳すのにやっかいでしょうね。でも、冒頭のセリフはイーダに伝わったでしょ? あれだけ短い文だと、文脈から内容が推測できないはずなのに」
「『地球の大地、田舎の国』、えーと、最後の忘れちゃったけど。『Maan maa』という言葉がならんでいたのに、それぞれ別の意味だって理解できたよ!」
「ここでいう『ニュアンス』っていうのは、発言者の意図や感情なんかを指す。言葉がどんな意図をもって発せられたか相手に伝わるのが、この魔法のすごいところよ。そして、要注意な部分でもある」
「『感情』だね」
「そう。もし相手が気の利いた翻訳の存在を知っていて、魔法が感情も含めて効果を及ぼすことに気づいているのなら、話す言葉には気をつけないとならないわ。自分の身分を偽らなきゃならないのに、それがバレてしまうこともありうるから」
「逆に武器にすることだってできそうだけど……いろいろな言語を知っていなきゃ難しいかなぁ」
「この世の人々は翻訳機能の気づかいなんて知らない人がほとんどだから、使いこなせれば交渉で有利でしょうね。でも多用すべきではないわ。諸刃の剣が自分をも傷つけるように、言葉の刃は自分にも突き刺さるものだから」
「『ゲシュタルトのオバケ』だね」
「そのとおり。この翻訳の世界律を、完全に理解したり使いこなしたりすることはできない。その力を意識して、精神を集中させてむき合うと、ゲシュタルト崩壊が扉を開けてあらわれるの。そして言葉を奪って去っていく。訓練することで、このやっかいなオバケの登場を遅らせることはできるけど、完璧に支配することはできないわ」
「訓練を積んでいなかった勇者マルセル・ルロワにいたっては、短時間でしゃべれなくなっちゃってたもんね」
「いいえ、彼女は結構頑張ったほうよ。私のほうが危なくなりそうだったし。でも『紅蓮』なんていうフランス語にない色表現のことを考えすぎたのはよくなかったかもね。あれ、もともと仏教由来の言葉でしょう?」
「え? そうなんだ。赤い炎って感じの表現だから、フランス語にもあるかと思っていたよ」
「仏教語にはあって仏語にはないなんて、日本語で聞けば皮肉げに感じるのかしら」
「…………」
「どうしたの? この話、寒かったかしら? 紅蓮地獄は寒いらしいし、許してね?」
「ち、違うよ! 聞いていたらゲシュタルト崩壊しかけちゃった。これ怖いね。ブーメラン、ブーメラン」
「あら、そんな『くわばら、くわばら』みたいに」
「魔除けという意味では同じかも。あ、魔除けで思い出したんだけど、ルーン文字みたいに翻訳がされないものもあるよね。ええと、ルーン文字で書かれた文章もそうだけど、文字単体っていう意味ね。あれって一文字で意味を持つのに、翻訳されないのは言語じゃないから?」
「そうよ。言語じゃなくて文字だから。それ単体にこめられた意味は見ただけじゃ理解できない。翻訳の対象になるのは『言語と対応した文字』なの。つまり『ルーン文字で書いた英語の文章』にはバベルの力が働かないけど、『漢字とひらがなで書いた日本語』は訳されて私たちに届くわ。まあ例外はあるけれど……。ねえ、アイノのコートに浮かび上がるあれ、漢字でしょ? なんて意味?」
「ええと、どれかな。『伊』かな? あれは……なんだろう」
「前にイーダが書いてくれた『炎』なんかはわかったのにね」
「うーん、1文字で意味が完成しているもの、かつ日常的に使われるものじゃないとだめなのかな?『氷』という漢字は意味が伝わるけど、ルーン文字の『ᛁ』が氷の意味を持つっていうのは、知らないとわからないもんね。ちなみに暗号とかはどうなるの?」
「私もそれは不思議に思って試したわ。意味の通じる文章の中に暗号を潜ませる、という形を取った時、翻訳されたのは表の意味だけで、裏にある暗号部分は翻訳されなかった」
「そう考えると、書き手側が『これは特殊な書き方をしている』って意識した文章には、バベルが働かないように思えるね」
「フォーサスの人間が解き明かすのは難しそうね。ゲシュタルトのオバケは邪魔するし、そもそもこの事象を認識している人が少なすぎるから。なにより、魔法は行使者の都合のいいように振る舞う性質がある。体調によって効果がガラリと変わってしまうことすらあるから、明確な法則を定義するのは骨が折れるかも」
「魔法かぁ……。そっちの話も聞きたいけれど、長くなりそうだから今回は次の質問で最後にしよう。地球の固有名詞ってどんなふうに処理されるの? たとえば『ギリシャ神話』とか。この世界にギリシャはないよね?」
「多くはこの世界の神が生み出した固有名詞、と認識されているわ。ギリシャが地球の地図上にあることや、そもそも地球という存在を知っている人ってごく一部だけなの。代表例が魔界の私たち勇者と戦う者や、天界の大天使たち、そして勇者などの転生者ね」
「あれ? ということは翻訳じゃないよね? 地球の固有名詞は『気の利いた翻訳』がどうこうしているわけじゃないんだ」
「ええ、どちらかというとただの知識。常識といってもいいかもしれないけれど」
「それは……うん。それも聞いたら長くなりそうだから割愛します!」
「あらあら、おあずけなの? いいけれど。他にはあるかしら?」
「あるよ! 細かいところで恐縮だけど、口の形と発生の差異について。英語でしゃべった言葉が日本語に聞こえるってことは、相手の口の動きとこちらの耳に入った言葉が連動していないってことだよね?」
「そのとおりね。吹き替え映画と同じ。これにも『気の利いた翻訳』が干渉をしているわ」
「どんな?」
「認識阻害の一種ね。つまり話者の不自然さを、聞く人が気にならないようにしちゃうの。『ま、そういうもんでしょ』とすら思えないくらいに、意識を改変しちゃうのね」
「こ、怖ぁ。それ、もはや洗脳の一種だよ。さっきの『感情を運ぶ』部分もそうだけど、ただしゃべっているだけでも地球と同じじゃないなんて油断ならないよね」
「異世界なのだから当然でしょう? さてまとめると、『気の利いた翻訳』は悪用しがいのある素敵な世界律ってことで」
「それ、まとめじゃなく感想だね。まあ、この世界で口の達者さでいえばトップクラスのシニッカがいうなら、そうなんだろうけれど。……悪用しすぎて頭の中が『ブランク』にならないように注意してね」
「はいはい、気をつけます。ところで次回のお話はなに?」
「うーん、どうしようか?」
「政治? 宗教? 野球?」
「荒れる話題やめてね! 次は……次のお楽しみということで!」
「わかったわ」
「それじゃ今回はここで! みんなバイバイ!」
「Moi moi」
「…………」
「…………」
「……ふぅ。知らないていで話すのって疲れるね」
「まだ終わってないわ」
「あ」




