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笑うゲシュタルトのオバケ 11

 マルセル・ルロワは月明かりの下、廃墟の前に立つ。3日前に見た魔王の髪よりも濃い紺色の空へ、崩れかかった石造りの塔がふたつ、灰色の影を落としていた。ならんでそびえるその姿は、まるで天に両腕をのばしているよう。おそらくそれはなにかを両手でつかみとるためのものなのだろうと、彼女は感じていた。そして思う。


 星を手に入れようとしているのなら滑稽だ。そこには手が届かないし、建物とはいえすでに死骸なのだから、と。


 片方の上層階のどこかから、笑い声や雑談が聞こえた。おそらく危機感のない一行(いっこう)が星を見て「晴れてよかった」などと言っているのだ。マルセルはその声へ「ふんっ」と鼻を鳴らした。


(ずいぶんのんきじゃん。これから殺されるってのに)


 殺意をいだいてここにきた自分に対し、物見遊山の魔王たちの笑い声が(しゃく)(さわ)る。殺されるやつには殺されるやつの態度というものがあるだろうにと、不機嫌になった。


 とはいえ逃げられるのは面倒だ。相手が油断しきったこの状況も、悪くない。


(ま、いっか。ひとりくらい生きていて、命乞いが聞けるっしょ)


 彼女は先手を打つことにした。火傷あとのある左腕、つかんだ杖を左右に振って、空中にただよう魔力をからめていく。目をつむり、頭の中に詠唱の文言を浮かべて、殺意を形に変えていく。


「<定義開始(我は命ずる)効果定義(爆裂火球よ)距離定義(天より出でて)>――」


 詠唱はそれなりに長い。だから常に次の言葉を考えて、魔力を焦がしていくのだ。


「<時間定義(秒針30歩)対象定義(地を目指せ)威力定義(石を砂利に)形状定義(赤色を帯びよ)>――」


 そうしていると、左腕の内側に破裂しそうな感覚が。それに名前をつけるなら、「明確な殺意」に他ならない。魔力は十分に集まった。それに今回、遠慮などない。


 後は殺意の(ほむら)を放つのみ。


「――<定義終了(かく成せ)>!」


 ジュウッ、力の焦げる臭いがした。それは片方の塔の頂点から底辺までを貫いて、遺骸を遺灰にせんと宣告した。


 ――ズパァンッ! 天から落ちた紅蓮の光。


 塔へ突き刺さった光の槍は、ごうごうと音を立てながら、とぎれることなく灼熱をあたえた。徐々に太さを増していき、その場へ溶鉱炉のような熱量を放つ。壁は内側からじりじりと焼かれ、苦悶と怨嗟を嘆きはじめる。


 やがて外壁のあちこちに、オレンジ色のシミが浮き出てきた。グツグツと煮えたぎる溶岩のような火の泡が、シミの上で無数にはじける。石が溶岩のように溶けていき、各所でどろりと壁をつたった。


 肌を焼くほど強い放射熱、星をかき消す明るい光。強い力を使った証拠――バグモザイクが、シミの輪郭を飾るように成長していく。


 開いた左手をかかげるマルセルは姿勢をそのままに、おおきく息を吸った後、力をこめて手を握りしめた。


 刹那、光は爆炎となる。


 ――ドガァァン! 石壁を砕く破裂音。バラバラと破片が降ってくる。


 夜空に響いたこの音は、建物の悲鳴か、魔王の断末魔か。


 余韻を残し、崩れるものがなくなるまでさらに30秒ほど。砂煙のむこう側からあらわれたのは、灼熱地獄の色をした塊。そこに基部だけになった片方の塔が申し訳程度の墓標を立てる。もう片方の塔も悲惨だ。まるで散弾銃で撃たれたかのように、穴だらけにされているのだから。


(よしよし、絶好調じゃん)


 空中に根を張り四方に黒い光を放つバグモザイクが、マルセルの所業をきらきらと彩った。それが妙に綺麗で笑えてくる。まるで悪魔の醜い墓標のようだったから。


 ゆえにその下にいるかもしれない魔王へ、彼女は呼びかけるのだった。


「静かになったねぇ。魔王さーん! 手下さーん! 生きていたら返事してねぇ? それとも、死んだぁ?」


 バカにするような言いぐさは、相手の死を(けが)したいから。けれど――


「『死んだ』と言ったら帰ってくれる?」、自分の後ろから女の声。


 ドライアドはゆっくり振り返る。そこには岩の脇に立つふたつの影。月の光が照らす、濃紺の髪にペストマスクをずらしてかぶる魔王と、見覚えのある顔の従者。「生きてんじゃん。なぁんだ、奇襲失敗か」


「足音くらい消しなさい、そうしたいのなら」


「あー、はじめまして? お供の顔は見覚えがあるから、そうでもないのかな」


「2回目よ、マルセル・ルロワ。少なくとも私たちはね」


 魔王は死んでいなかった。どうやらあの塔にいなかったようだ。「私がくるのを予想していたんだな」、そうマルセルは理解した。


 取り逃がしていないのは僥倖(ぎょうこう)だが、少々うかつだったかもしれない。こいつらは対決を望んでいたきらいがある。そうでなければさっさと逃げるはずなのだから。


 でも別にあわてることはない。ただ、初撃がかわされただけ。


「じゃ、自己紹介はいらないよね、魔王。今日はなにをしにここへ? 星を見にきたわけじゃないみたいだけど」


「奪いにきたの。あなたが生まれながらに持っている、大切なものをひとつ」


 魔王の声は、夜空によく似合う静かなものだった。ただし、返答を意訳すれば「あなたを殺しにきた」になる。


「ああ、だから逃げなかったんだ」、マルセルはいちど肩の力を抜いた。もう少し、魔王と話をしてもいいかと感じた。戦いの火ぶたを切るのは、この女の言い分を聞いてからでも遅くない、そう思ったからだ。


 しかし敵の考えは違った。「ええ、だって罠だから。<(ソーン)>」


 自分の足元で赤く光る文字。


(――ルーン(フサルク)⁉︎)


 草がのび、四肢をからめとらんと鞭のようにしなる。いつの間に書かれていたのか、おそらくルーン魔術によって攻撃を受けている。しかし――


 バシン! という音とともに、草の鞭は燃えて灰になった。


「っと。……ふぅ、ごめんねぇ? 自動発動の防御魔法、かけてるんだよ。びっくりさせるじゃん?」


「じゃあ、これは? <(ウル)>」、魔王は人の頭ほどもある石を蹴る。軽く小突かれただけのそれは、物理法則を無視した速度で飛んできて――


 ガン! と鈍い音を立てた。2枚目の防御魔法が展開し、攻撃を防いだのだ。どすりと重い音を立て、石はマルセルの足元へ転がった。


「無駄だって。田舎魔法をいくつ使ったって、こっちの魔法障壁は壊せないんだから。それとさ――」


 石の上に足を置く。厚いブーツの底で、グリグリと踏みにじる。そこに書かれた先ほどの「ウル」なるルーンとは別の文字――おそらく至近距離での発動を狙っていた、未使用のルーン文字を消してしまうために。


「こざかしいことも通用しないって。炎でも噴き出るようにしてた? この位置からなら効果があると思ってた?」


「…………」


 マルセルは余裕そうだった魔王の顔が少しゆがむのを見逃さない。最近気づいたことだが、こういう顔を見るのと悪くない気分になるのだから。


「次はなにを見せてくれるのかなぁ。あ、そうだ。『逃げる背中を見せてくれる』とか、興ざめだからやめてね?」


「……そうね」、魔王は片手でもう片方の手を包み、顔の前にかかげる。神に祈りでもささげているように見えた。そんなものは戦いの前に済ませておくべきだったろうに。


 マルセルは左手に持った杖をおおげさに振り、先端を敵の顔面へむける。


「なにか策があるんなら、私の詠唱が終わるまでにどうぞ?<定義開始(我は命ずる)効果定義(特大炎柱よ)>――」


「――<獣化せよ(失せろグレイプニル)>」


言遊魔術(ケニング)?)


 ざわり、マルセルの背に、嫌な予感が走る。暗闇で青黒く塗られた草木がザワザワと風の音を立て、彼女を照らす月の明かりがふっと消えた。直後――ガリガリガリガリ!


 突如あらわれた激しい音。後頭部を齧られているような、金属で金属をこするような。


 ズルリと引き抜かれるような強い魔力の消費を感じ、彼女は事前に準備しておいた防御魔法が発動したことに気づいた。


「っ⁉︎ なに⁉︎」、驚き振り返る。頭の上にいたのは、巨大な青い狼だ。長い牙を障壁に突き立て、長い口を存分に開け、笑っているのだ。


「なっ⁉︎ フェンリル狼⁉︎」


「女の体を噛むのは好きだが、お嬢さんは身持ちが固てぇな」


 不満げに苦笑して、前足で障壁を押さえつけ、ミシリミシリとなんども噛みついてきた。マルセルは心臓が高鳴る音を聞いた。この世界にきてはじめての危機を、鐘の音のように告げている音を。


(……っあ、危なかったかな?)


 さすがに呼吸を乱されてしまった。しかし狼が防御魔法を突破する気配は見えない。ものの10秒ほどで、警鐘が誤報であったことをマルセルは理解した。


「しかし乱暴なお嬢さんだ。消し炭になるかと思ったぜ」


(塔から飛びおりてきたのか。防御魔法を3枚用意しておいて正解だったな。殺されるとこだったじゃん)


 そうやって焦る自分を見てか、クスクスと声が聞こえる。魔王の笑い声だ。マルセルはそれを耳障りに感じ、ジロリと視線をむけた。


「なに魔王。ムカつくんだけど?」


「でしょうね。でもさらに悪い知らせがあるわ。これであなたは、そこから動けないのだから」


 最大出力の魔法障壁は半球状の天蓋を形成し、地面との境界線にバグモザイクを着飾っている。その黒い水晶がどうやっても動かせないことは知っていたから、移動するためには防御魔法を解除する必要があるだろう。


 たしかにこれでは動けない。狼が頭上に張りついている以上、いちど消して再展開することもできない。だが――


「はっ! 笑えること言うじゃんね、魔王」


 そんなものが障害になるわけがないのだ。これは外側から危害を加えられなくするためのもので、()()()()の攻撃魔法を阻害するものではないからだ。


「びっくりしちゃったけど、しょせんその程度だったかぁ。だったらさ――」


 くだらない魔法とくだらない手段で、自分を追いこんだ気になっている彼女たち。うっとうしいというよりも、あわれですらある。いや、恥ずかしいともいえるだろう。


 生前に読んだ『異世界転生』本を思い出した。現地民が誇示する魔法に拍子抜けしてしまうシーンだ。それは王宮でお腹いっぱい味わったはずなのに、またしつこく提供されてくるのだ。魔王の力は、この世界出身者の中では一級品なのかもしれない。が、自分にとっては子どもだましに他ならない。


 この世界の『魔王』たる者がその程度のことで、まるで勝ったかのように振る舞うなんて。


 ――()()()()()()()


「かわいそうだから、まとめて吹き飛ばしてあげる」


 ドライアドは蔑みの笑みをうかべ、相手を消滅させることにした。


 塔をも溶かす、殺意の焔でもって。

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