笑うゲシュタルトのオバケ 10
国家権力を簒奪するというのは荒事だし、できれば穏便に出世したかった。が、宮廷内の政治というのはずいぶんと複雑なもの。上級宮廷魔術師どうしにも派閥があり、魔術の研究よりも政治闘争にご執心な様子。彼らはあちらこちらへ触手をのばし、なわばり争いをしていた。
うごめくタコどもでいっぱいの部屋の中にいるようだったから、マルセルは距離を置きたいと思っていた。しかし、どこにも所属していない彼女は初日からやっかみを受けることとなる。
「貴族のご子息がたの具合はいかがですかな、ルロワ卿」、若い上級魔術師が、皮肉のこもった口元で言う。マルセルは「はあ?」とにらみつけてしまったけれど、相手の態度は変わらなかった。「うかがったところによると、ずいぶんと美男子ぞろいというではないですか」
「それが?」
「いえ、ずいぶんと独特な魔法の言葉をお使いになるとうかがいましたので。正しくも古式ゆかしい魔術を使う我々にも、ひとつお教え願えませんかな?」
ゆがんだ顔がたれる嫌味。「魔術で人に好意を植えつけているのだろう?」とか「それを使って男をはべらせているのだろう?」とか、そういったたぐいの意味がこめられていた。エルフ種となったマルセルは、長い耳を髪束の間でピクピクさせながら、いらだちを隠せない。
けれどふと我に返る。むしろこういう展開を望んでいたのではなかったか、と。
異世界転生の小説に登場した現地民。主人公の能力をあなどって、嫌味をたれてくる悪役の一種。そいつらの物語上の役割は、いわゆる悪役モブなのだ。
となると、主人公たる自分がどんな行動を取るべきか、答えは単純明快だった。「あー、そういうこと。なら、目を覚まさせてあげる必要があるかな? お見せしてもいいけれど、場所くらい変えようか」
男を連れ出し中庭へ。都合のよいことに、言い合う彼女たちへ魔術師の一団が持った。「なにごとか?」なんて野次馬にきて、ずいぶん人が集まっている。だから2階建ての渡り廊下に隣接した中庭は、さながら決闘の行われるコロシアムの様相になった。
「ルロワ殿。これは魔術対決という意味でよろしいですよね?」、男はローブの下から長い杖を出す。さっきまで手に持っていた物よりも上等のひとつだ。つまり相手はこういう展開に準備していたのだ。
「あたりまえじゃん? お先にどうぞ。さぞかし正しい魔術があらわれて、私を感心させてくれると期待しているからさ」
挑発に腹を立てたのか、男は低い声で「ええ、もちろん」と返した。杖を両手で持ってから、体の前で横倒しにし構える。そして長い詠唱をするのだ。「<神は魔素を器に注ぎ、彼は魔力と器へ描き、我は魔腺へ力をつなぎ、これが魔術とひとつつぶやき>――」
上級宮廷魔術師の詠唱は、いかにも由緒正しそうな韻律で魔術を編んでいく。詠唱にたっぷり時間がかかったから、マルセルは「暗記だけはできるんだねぇ」とちょっとだけ感心した。ただしそれも高校の歴史の授業で、フランス1814憲章やら1830憲章やらを覚えさせられた自分に比べ、ささやかなものに感じられた。
1分後、マルセルがうっかりあくびをうかべそうになった頃。魔術師は詠唱へむすびの言葉を入れる。
「――<大気うずまき火打石、高き音出し火花散り、熱き鞭打ち空へとどろき、猛き火炎が落ちるは大地>!」
目の前の地面へ、魔力が収縮するのを感じた。瞬間――ぼうっ! と音を立てて炎柱が突き立つ。家の屋根ほどの高さがあるオレンジ色の塊は、10秒間の長さにわたって空気を消費し、土と草を火刑に処した。
おおっ! 渡り廊下の上から観客たちの声。上級宮廷魔術師の男は汗を流しながらも、「どうだ見たか」と言わんばかりの顔をした。それを見たマルセルは「なるほどねぇ」とあごへ手をやる。
期待どおりだった。いや、期待どおりすぎたから、彼女はニヤニヤとしてしまった。「笑っているのは楽しんでいただけたからでしょうか?」と、嫌味な顔をむける男を見て、ますます口角が上がってしまう。
しょせん、こんなものなのだ。この世の魔術というものは。
マルセルは答えるかわりに、左手でくるりと杖をまわした。「そこから動かないでね?」と注意喚起して、魔腺へ魔力を流しはじめる。
力を見せつけてやる時なのだ。
「――<定義開始、効果定義、距離定義、質量定義、時間定義、対象定義、威力定義、形状定義A、形状定義B、定義終了>!」
詠唱時間18秒、命令数10節。
――ごぉっ! 空気が驚き飛びすさる。炎柱合計12本。男を囲んでそびえ立つ。
それは1本1本が、人の胴体ほどの太さと、屋根ほどの高さを持っていた。温度は決して高くない。死体を作るのが目的ではないから。むろん、触れればやけどもするだろうけれど。
「な! なんだこれは!」
火炎の牢獄にとらわれて、上級宮廷魔術師はオロオロとした。しかしさほど動くスペースがない上、火炎は何秒たってもおさまる気配がない。マルセルは汚らわしいネズミを捕らえたような気分になって、「危ないからね、動かないで」と檻の中へ声をかけた。それが通じているとは思えなかったが、逃げようと出口を探し、それがないと知った時の男の顔へ、加虐心の混じった優越感があった。
「おおっ⁉︎ あんな魔術は知らないぞ⁉︎」「あの人すごい! 私、人生で一番驚いている!」「あれは誰だ⁉︎ ああ、ルロワ卿じゃないか。なんだってあの男は、あのかたへけんかを売ったんだ? バカなのか?」
2階席は先ほどよりも多くの歓声で埋めつくされた。固有パークの影響か、マルセルのことを知っている者も知らない者も混じっているようだが、どちらもそろって驚嘆していた。
1分間の優越感。煉獄の檻はふっと姿を消す。終わった後には、膝を抱える男の姿がぽつり。そこへマルセルは言い放った。「さ、次はどんなのを見せてくれるの? 観客がいるんだから、もっと楽しませてあげなきゃじゃん?」
「い、いや、待ってくれ! もはや魔腺疲労が限界だ!」
「は? もう魔力切れ?……あのさぁ、なんでそんな魔術ででかい顔できたワケ? 威力も燃費も、私とあんたじゃ全然違うじゃん。あんたの言っている理論――『由緒正しき』だっけ? あれって、しょせんあんたの『感覚』なだけだよね。だからあんたの走るスプリントと私のマラソンを比べても、私のほうが速いんだよ」
さんざんに打ち負かしてやった。相手はぐうの音も出ないほど意気消沈した。それが転生初日のこと。
事件のうわさはあっという間に広がって、2日後には他の上級宮廷魔術師へ呼び出された。でも結局、彼らの言いたいことなんて同じだ。つまり「宮廷魔術の権威を穢すな」と、そんなところだった。
ゆえに対処方法も同じ。力を見せつけてやればいい。
「ま、待ってくれ。これはルロワ卿が特異すぎるだけだ」
「はぁ? だからって偉ぶる理由にはならないじゃんね? もう『魔術の権威』とか名乗るのやめてくれる? 一緒にされるの迷惑だし」
「魔術を広めるのに権威は必要なのだ」、食い下がる彼らへ、「魔術を広めるなら、私の学校があるじゃん」ととどめの一言。相手の言い分なんてシュレッダーへ入れた紙のように、ずたずたにして捨ててやるのだ。
中庭事件とその時の2回を経て、周囲の目はあきらかに変わった。「ルロワ殿は恐ろしい。しかし間違いなく有能だ」と。
同日、名声の手ごたえを感じたマルセルは、早々に王へ会いに行くと決めた。それはいとも簡単に実現した。なにせ自分だって上級宮廷魔術師の資格を持っているのだから。
集まった魔術師たちの前で、ラウール王が「マルセルは昔から天才だったではないか」などと言うのは笑えた。認識改変が国家のトップにまで浸透していたのだ。「これならまずは一安心か。現状把握と足場固めをしようかな?」なんて方針を決める。もちろん時々いうことを聞かないやつが突っかかってくるだろうから、それに対しては言葉(ないし実力)を浴びせて抑えこんでしまえばいいのだ。
王との謁見の途中、さっそくその機会を得た。ひとりの年配の女性魔術師が、王へ直接忠言をたてまつったのだ。
「しかし陛下、恐れながら申し上げましては、マルセル・ルロワ様の行動は和を乱すものとして――」
放っておくのもしゃくだった。だから事前に用意しておいた、ちょっとした罠を使うことに。
「あ、<そこの床濡れてない?>」、言った直後、老魔術師は派手に転んだ。その光景に「おお。事前に条件を決めておけば、発声トリガーでもうまくいくじゃん」とひそかに思いながら、マルセルは国王の前で恥をさらした老婆へ留飲を下げた。
周囲の人間と敵対しつつ、彼女は2日間を終える。たった48時間で、名声も敵も両手いっぱいになったと感じるほどに。
実際、宮廷魔術師たちのどんな魔法より、自分が軽く使う魔法のほうがすぐれているのだ。王宮内を歩く時には優越感のマントをまとえるほどだし、周囲の視線は自分を追って羨望と嫉妬を浴びせてきた。
そして最後の対抗勢力は、役職は高くないが老齢で人望があるであろう魔術師だった。水車小屋に呼び出され、彼の「人の和こそが魔術の発展に必要」であるという主張を延々と聞かされる。やろうとしていることに水を差されたようで、その主張に対し「効率的な魔術こそが正しい」ことを念入りに焼きつけた。そしてついに、対抗勢力はいなくなった。
(ちゃっちゃと王宮内の情報を集めちゃって、次の手を考えようかなっと)
3日前の昼間、9月20日のこと。得意であるところの『先進近代魔女宗』を使って、彼女は遠隔視覚・遠隔聴音魔法の試験を行っていた。ついでとばかりに国王の動向を探っていたマルセルは、心臓が高鳴るのを覚える。
(あれって……)
間違いない。魔王がネメアリオニアの王宮にきているのだ。
(私がここにきてから4日。ここから馬車で4日じゃ、魔界に到着しないはず。あいつもしかして、私の認識改変を受けてる⁉︎)
大チャンスだ。1週間も経過していないのに、魔王を殺める絶好の機会がもたらされたのだ。
故郷にあるノートルダム大聖堂には鐘がいくつもあった。そのうち最も古くおおきなひとつは、特別な日にしか打ち鳴らされない。そうであるのなら、自分の心に鳴った鐘の音は、まさに『エマニュエルの大鐘』そのものだった。2年以上前の大火でも失われなかった不滅の鐘は、炎を使う自分にとってふさわしいものに感じる。
先輩勇者が悪行をしたせいで、勇者に対する人々の印象はそれほどよくない。それと敵対する魔王については、よい評判を聞くことさえある。モンスターが魔王の手先であることを、人々は知らないようだ。魔王が人々の認識に改変をくわえているからだろう。
「魔王を殺しちゃえば、やつの『認識改変』も解ける!」
せっかく見つけた獲物を逃がす手はない。遠視の魔法を鷹の目のように使い、王宮から帰る魔王を数日間監視した。彼女らが宿泊している場所の商人へ協力を依頼することまでした。そして今晩、魔王が古戦場の物見遊山に行くことを知ったのだ。
その情報を得たのなら、やるべきことはひとつ。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
ドライアドは星空の下、石へブーツの裏をなすりつけた。存分に踏みつけた草の死骸を、丁寧にぬぐうため。
そして破壊された塔を見上げ、つぶやくのだ。
「さ、私の勲章になってもらおうかな」
彼女は今日この場所で、魔王を殺すことに決めていた。




