笑うゲシュタルトのオバケ 9
「ほんとこの世はアホばっかり。頭がよさそうにしているやつも、脳の中身は愚鈍だし」
2021年9月23日木曜日の夜、王都ル・シュールコーの郊外。草原の上で、マルセル・ルロワはあざ笑っていた。それは、この世界があまりにもお粗末に思えていたから。門構えは立派なのに、扉をくぐれば中身はスカスカ。まるで外壁へ有名画家の絵を描かれたプレハブの家、もしくは外国人から見たシャンゼリゼ通り。ノートルダム大聖堂の足元にもおよばない。
なぜそう感じたかというと、ひとえに自分の存在がそうさせているからだ。自分が他より圧倒的にすぐれた魔術を持っているにもかかわらず、周囲の人間は「なぜ突然そんな逸材があらわれたのだ?」なんて思いもしない。あまりにも不自然な現象なのに、「固有パークの認識改変能力」なるこの世の自然の摂理が、マルセルを世界という紅茶に落とした角砂糖にしていた。甘くなっているのに誰も気づかないのだ。これは舌が馬鹿だからなのだろう。
つまり彼女は、1週間前にこの地上へおりた『勇者』だった。
「いやぁ、笑える。みんなコメディ映画の住人? なぁんで気づかないのかなぁ」
そんな世界に住んでいるこの世のすべての人々が、自分の高い能力に比べてくだらなく見えた。派手な服飾を着て下品に食事をする住人、偉そうにしているけれど思慮の足りない王族、大言壮語な詠唱とともに稚拙な魔法を放つ魔術師。
なにより、まぬけな魔王も。
みんな私の魔術の前では、燃やされる前の薪にすぎないのだ。
明るい月と星空の下、彼女は郊外の廃墟を目指す。歩を進めるのは、短い草に噛まれて輪郭があやしくなっている石畳の道。来訪者を拒むように葉先が突き立っているのは、その廃墟が軍事施設であったからか。そんな緑の葉の槍ぶすまを、ドライアドのマルセルは同じ色のブーツの底でぐしゃりと踏む。すりつぶされた葉っぱが石へ死骸を残し、緑色の足跡になる。
彼女はそれに気を使うこともなく、眼前の高い塔を見た。
「きったない建物。監視塔かなにか? 壁が崩れちゃってんじゃん」
立ったまま死んだ兵士のような、高さ20メートルくらいの四角い塔。2棟ならんでいるのは、おたがいがおたがいを援護するためにそう造られていたのか。しかし壁があちこち破壊されており、過去の戦争で役に立ったか疑わしい。
退役軍人にとっては意味のあるランドマークであろうが、景観を損ねる骸と同じだと彼女は感じていた。
(まあ、魔王の墓標にちょうどいいか)
マルセルは口元をゆがませ、思う。役立たずのこれに新しい役割をあたえてやろう。人の往来が少ないここであれば、あの黒い水晶が出るほどの魔力を使っても問題ないはずだ。多少発生したところでこの世で最も悪い存在を消し飛ばせるのだ。誰も文句など言わないに違いない。
「『魔王にはすぐに挑んではならない』って言われたけど、むこうからきてくれちゃったからねぇ」
バカにしたような顔でニヤリと笑う。
あの女神に文句など言わせない。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
日本で流行しているという『異世界転生』というジャンル。翻訳されたその本を手に取ったのは高校生の時だった。自分の知るフランスの歴史と違う、清潔できらびやかな『中世ヨーロッパ』観と、Tricherと呼ばれる特殊能力を持った『冒険者』のお話。「手軽な冒険」に「強力な力」、「少々都合のよい登場人物」と「約束された成功」で構成された物語。
最初は陳腐だと思ったが……意外なことに、それは自分が求めていたものだった。ストレスでつぶされ息苦しくなったのどに、心地よく流しこまれる炭酸水のようだと感じた。
実際、彼女の生活にはプレッシャーがあった。将来金銭的に困らないため、高校卒業資格をよい点数で取得し、少しでもよい大学を目指さなければならない。だから勉学に励み、自分を高めなくてはならない。そのための努力はめんどくさいし、つらいもの。なにか単純で手軽なストレス発散方法が必要だった。
読みはじめた作品の世界観に、彼女はどっぷりと浸かっていった。大学に入ってからも、自分だったらこんな魔法を使おう、あんな魔法をはやらせようなどと妄想する。ついには国家の幹部として重宝され、他国との闘争で活躍する自分を夢見るようになった。Otaku文化にのめりこんだ、といってよかった。
運命のその日。いつものようにスマートフォンへ思いついた魔法の設定を書きこみながら、彼女は徒歩で通学していた。けれど注意散漫がすぎたのだろう。赤信号に気づかないなんて……。
トラックに轢かれて死ぬ直前、彼女はふたつのことを感じた。ひとつは「しまった」という言葉。なんてまぬけなのだという後悔。もうひとつは「転生したら笑える」なんてこと。求めていた生活がくるかもしれないという願望。
そしてそれは現実になる。死後の世界はたしかにあって、そこで出迎えてくれた最初の住人は、本で読んだ姿そのままの『転生の女神』だったのだから。
「ごきげんよう、私はウルリカ・ヘレン・キング。お名前をうかがってもよろしくて?」
彼女があっけに取られた時間など、ほんの数秒だった。その数秒だって、「これは脳死状態の私が見ている夢では?」という疑念を振り払うのに使われた。だから最初から前のめりの姿勢だ。ウルリカと名乗った女神が「落ち着いてくださいまし」とenfant terribleに困り果てる親のような顔になるまで、質問攻めをした。
この世界の魔法のこと、国家のこと、人種のこと、敵のこと。そして自分がどんな力を持っているかということ。話を聞く中で、自信の魔術はこの世界で一般的なものよりも強力であり、かつ精密なのを知れたのは、彼女を上機嫌にするのに十分な理由だった。
「これすごくない⁉︎ 魔法の力で世界一を目指せるってこと⁉︎ Incroyable! Magnifique!」
「ご注意なさって、ルロワ様。お伝えしたとおり『強すぎる力は世界に傷を残す』ことになりますの。あなたが住む世界を傷つけるのは、あなたの家を燃やすのと同義になってしまいますわ」
女神の警告はもっともだった。不可逆の爪痕の発生は、自分としても避けるべきだと感じる。しかし、代替案もすぐ浮かんできた。
「じゃあさ、ゆっくり精密に、上限を守って魔法を使えばいいんじゃん?」
「それは……そのとおりではありますけれど」
少々心配性な女神を置き去りにして、彼女はさっそく新しい魔術を構想した。力を緻密にコントロールするには、魔術詠唱を細分化すればいいと考えたのだ。いや、考えたというのは正確でない。生前、すでに考えていたものを具現化させるだけなのだから。
寝食を忘れ、そのたびに女神に世話を焼かれ。2日間のチュートリアルはあっという間に残りわずか。最後の数時間は、自分を作成するのに使った。
天界であたえられた個室の中、簡易ビルド形式と呼ばれたキャラクター作成画面を開く。種族は魔術にボーナスの入るドライアドと決める。あまり人型から遠くなるのは日常生活が不便そうだったので、なるべく人間種に近い形のもので。『能力値』や『スキル』もあるていど操作できたから、適性の高い火炎魔法が最大の強化値を得られるように割り振った。樹の種族であるドライアドが火炎魔法を使うなんて、皮肉気でおもしろいと思ったのだ。
全部、この世界の大魔術師を目指すためだった。結果できあがったのは、少々くせのある魔術師。防御力は一般人の枠を出ないものの、緻密な魔術でシールドを張るたぐいの。
自身で銘打った魔術『ポストモダン・ウィッカン』は、詠唱必須だから手間がかかる。けれど非常に燃費がいい。出力を絞れば世界を傷つけにくいだろう。いざという時は、少し時間がかかっても出力を解放すればいい。最大威力なら、建造物を焼き払えるほどなのだ。
彼女はまさに人生最大の楽しみを享受していた。そのうえ自分の野望のために、固有パーク『Nouvelle tradition――真新しい伝統』がおおいに役に立ちそうだとわかったから、喜びの上限値に再現はないのだなと、ひとり納得した。
マルセルは半透明のページへ書かれた、固有パークの内容に目を落とす。
――君の力である『真新しい伝統』は、君を歴史の教科書の1項目にすることができるものだ。君はひとつだけ、この世界に昔から存在する由緒正しい組織とふさわしい身分、付随する建物や物品、そこで働く人々を手に入れられる。それは軍隊でいうところの大隊以下のおおきさであり、学校でいうところの大学と附属施設以下の規模であり、ひとつの大商家や小貴族程度のものとなる。
「Très bien! 気が利いた能力くれるじゃない。これなら『魔法学校』をもらって、自分が学長になるのがいいかな? Comment très beau!」、文面をほめたたえながら、心を躍らせた。
――名前がしめすとおり、君が望もうと望むまいと、その組織などは「もともとその世界にあったもの」として人々に認識される。つまり人々の記憶をピックポケットした上で、別のものを入れておくようなものだ。この認識改変の範囲は国家を超えない。現実改変にいたっては部分的にしか行われないことを、君は盗賊のように注意深く考える必要があるだろう。あるいは国家君主の座を簒奪した後、見ていた者の頭をこん棒で殴りつけ、すべてを「現実だった」ことにすることもできる。君はそうしてもいいし、しなくてもいい。
「あー、認識改変と現実改変ね。人間の記憶はだませるけど、文章とかの記録は部分的にしか改変されないって意味で合っているのかな?」
――君が高い位置で光を放てば、より多くの人々がその下で恩恵を受けるだろう。そして、より多くの人々の羨望を浴びることにもなる。注意しなくてはならないのは、人間は2メートル程度の高さから落ちても深刻な落下ダメージを受けることがあるということだ。当然ながら、より多くのクッションを持った集団を君の下に用意しておいたほうがよいだろう。なんにせよ、君が賢明であることを祈るばかりだ。(1)
「私の望むものを、この『組織と立場』欄に書きこめばいいんだよね?……これ、兼任できちゃうじゃん。えーと、ネメアリオニアって国がフランス語圏だっけ? おおきい国らしいし、そこの大学学長兼……宮廷魔術師のひとり、とか? あ、ご飯のこと忘れてた。施設に『学食の支店』とか追加しちゃおうかな。図書館も」
熟慮を重ね選んでいく。自分の活躍を頭に思い描きながら。けれどその中で、ふと気になることができて、彼女は女神に質問をしに行った。
「ねえ女神様、ルールに『魔王にはすぐに挑んではならない』とかあったと思うけど、この固有パークの適用先を『魔界』にしたら解決するんじゃない?」
「いいえ、それはできませんの。『魔界は勇者が最後に挑む場所』と言い伝えられていますわ。少なくとも対勇者結界によって守られていますゆえ、勇者様の力がおよびにくい場所なのです」
「対勇者結界か。どんな効果なの、それ」
「勇者様の力である『認識の改変』は、魔界の結界内にはおよびませんわ。それと、勇者様は結界内に入られませんの。なんらかの方法があるとは思いますけれど」
「じゃあさ、私が地上におりた時、魔王が結界の外にいたらどうなんの? たとえば私が行く先の国に、都合よくいたりなんかしたら」
「それは……おそらく、認識改変の影響を受けますわ」
そんな都合のよいことが起こるはずはない。魔王を殺して害獣の脅威から世界を救うのは、もっと後になりそうだ。そう思いなおして個室に帰り、もういちど永続役得と技能に目をとおす。明日の旅立ちの朝が楽しみすぎて、彼女は寝られるか心配だった。けれど2日間集中しすぎたせいで、体は睡眠を主張していた。30分もしないうち、マルセルは脳のストライキによって眠りへ落ちる。
翌日、彼女が『初期装備』に受け取ったのは、魔力増幅の杖と服。服装に似合わないマントは丁重に断って、黄金の毛の猪へまたがった。
こうして彼女はネメアリオニア王国へおり立ったのだ。『魔術学園学長兼上級宮廷魔術師』という、長ったらしい肩書とともに。




