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笑うゲシュタルトのオバケ 6

「ふぇぇ……」


「皮袋がため息をつくのなら、そんな声でしょうね」


 帰り道、悔しさと魔法の難解さにぐったりするイーダは、はがされた動物の皮のような表情をしていた。これからあちこち縫い合わされて、なんだかよくわからない物を収納する入れ物にされ、どこの誰か知らない人に買われる運命を予感していた。つまり、自分でも心の持ちようがわからないのだ。せっかく使えるようになった魔法が、目の前で全否定されたのだから。


 対して魔王様はご機嫌だった。少なくともイーダにはそう見えた。あれこれ質問して知識欲が満たされたのだろうか、と思うも、その質問にすらついて行けなかった自分を情けなく思う。


 ゆえに子どもみたいな弱音を吐くのだ。「難しかったよぅ。しくみがわかんないよぅ」


「本質はシンプルよ?」


「え? どんな感じなの?」、シンプルという言葉に「もしかしたらコツがあるのか⁉︎」と、疲れた脳が自らの体へ鞭を打つ。実際のところ、勉強をしにきたのに「わからなかった」で済ますのは悔しいから。


「たぶん正確ではないけど、おおざっぱにはこんな感じだと思うわ。つまりね――」まじめな言葉とは裏腹に、魔王はいたずらっぽい顔をした。舌がチロッと出て消える。


 ああ、見覚えがある。これは「なにか悪いことを思いついた」顔だ。


 嫌な予感は的中した。彼女は言葉の堤防の堰を切ったのだ。


 息継ぎもほどほどに、一気に話す。


「ローコンテクスト風の魔法であるポストモダン・ウィッカンは、情報のすべてを言語にもとづき表現し、正確性が必要とされ、論理的に結果が決定される。魔法の対象が絞られ、ゆえに魔力を効率よく使用できる。ハイコンテクスト風の魔法である言遊魔術(ケニング)は、言語以外の情報も媒介(ばいかい)する。言葉の中で表現されない情報も含み、相手との共通認識や共感が必要になる。だから効果範囲が広いかわりに、魔力の使用に対し効率が悪い」


「やめてぇ!」


 早口でまくしたてられる難しい言葉の濁流に飲まれ、イーダは助けを求めてもがく。魔王は助けるふりをして、手に持つ枝でおぼれる少女をツンツンとつついている様子。


「健康にいい食品は、あなたを肥満から遠ざける。オートミールは太らない(I don't get fat even if I eat oatmeal)。オートミールは太らない(Oatmeal does not get fat)」


「やめぇ……ん?」、しかしイーダもたいしたもの。もがきながら違和感に気づいた。


(おや? 違和感があったぞ?)


 今『気の利いた翻訳』の裏側で、なにか別の文章があった気がする。2回目は「オートミールは生物じゃないから肥満体にならない」って意味にならないだろうか?


「さて、私が理解できた部分だけでも、あなたに伝えましょうか」、からっとした明るい声。やっと、言葉の沼から引きあげてくれる気になったようだ。


「よ、よろしくお願いシマス」、生徒になったイーダは恐るおそる授業を受ける。


「彼女のいうとおり、言遊魔術(ケニング)は『ふわっと』している。言葉の置き換えが容易な反面、効果は非常にブレやすい。たとえるなら2メートル離れたマッチの火を消すためにコップの水を撒くようなものよ」


「彼女の魔法、ええっと……ポストモダン・ウィッカンはどう違うの?」


「あえて手間のかかる詠唱をすることで、効果範囲を明確に特定しているの。そうやってコップを『水鉄砲』に変える。より少ない水で、より正確に火を消せるわ」


「そういうことなんだ」


 たとえ話があると理解しやすかった。詠唱の手間はかかるのかもしれないけど、言遊魔術(ケニング)よりも()()()()()


「でも相手がマッチの火ではなくて飛びまわる羽虫だったら、水を撒いちゃうほうが確実かもね。水鉄砲なんか、狙って当たるものじゃないし」


「え? じゃあどちらかが正解ってわけじゃないってこと?」


「もちろん。対象に応じて手段を変えなきゃ」


 ちょっと元気の出る言葉だった。自分が学ぼうとしている魔法だって、頭ごなしに否定されるものじゃない。「よかったぁ」なんて安堵したから、自分の歩く道が少し明るくなった。


 ポストモダン・ウィッカンを学ぶ時間もお金もない自分にだって、ちゃんとした魔術師になる道はあるのだ。そう考えると、消えかかったやる気が、心をなめし革のようにつややかにしてくれた。


「元気になったようでなによりよ、イーダ。けれど、武器は多いほうがいいわ。私たちにとって、ポストモダン・ウィッカンは価値のあるものだと思うの。少なくとも勇者の鎧を1枚はがせるでしょうしね」


「前回、勇者のマントをシニッカがからめとってなかったら危なかったんだよね?」


「危なかったわね。アイノの魚雷が1本でもはずれていたら、今頃私たちはお墓の中よ。……ねえイーダ。お金を出すから、あなたが通ってみるのはどう?」


「ええ⁉︎ あの人のとこかぁ……。ちょっと苦手」


 言った直後、イーダは「あ、しまったな」と思った。せっかく「お金を出すから」と気を遣ってくれたのに、無下に断ってしまったと思ったのだ。きっとこんな断りかたは、生前の自分にできなかったろうに。


 けれどシニッカは「そうよね」と笑う。気にするそぶりも見せないで。なんだか安心できる雰囲気がそこにはあって、イーダは毛布のような居心地のよさを感じていた。


(私、本当にコミュニケーションが苦手だったのかな? 今、人といるのがすごく楽しいや)


 彼女自身は気づいていなかったが、生前の飯田春子という人物のコミュニケーションにおける欠点は、その1歩目にあった。「自分が話しかけた時、相手の反応が悪かったらどうしよう」という根拠のない心配が、彼女をそうさせていたのだ。


 ここでは違う。魔王の腕で泣き明かした時点で、1歩目は踏み出されていたのだ。だから人並みには会話できるし、人との会話を楽しめる。


「それに彼女が教え上手とも思えないし」とつけくわえた魔王へ、イーダは「ごめんね」と謝った。相手が怒ってないことなんて知っているけれど、暖かい空間でそうしたいと思ったから。


「あら、謝る必要なんてないわ。言遊魔術だって重要なのだし。私はあなたがどんな成長をするか、結構楽しみにしているの」


「ありがとう、がんばるよ」、にこりと笑い返す。雨の日の帰り道――トラックに轢かれて死んだあの日、友達と一緒に帰るのってどんな気分なのかと思っていたが、今それがここにあると気づき、「なんていいんだろう!」と胸がぬくぬくと幸せになった。


 そんな喜びをたっぷり味わいながら、彼女たちはなお帰路を歩く。話題をマルセル・ルロワに戻しながら。


「しかし彼女の魔術、いったい誰から教わったのかしら? もし自分で構築したのならたいしたものね。ネメアリオニア王国の宮廷魔術師たちも、さぞかし居心地が悪いでしょうに」


 シニッカはマルセルのことをかなり高く買っているようだった。ずいぶんと熱心に質問したし「魔王でも尊敬をいだくのかな?」と気になるほど。


 興味がわいたので聞いてみる。「シニッカから見て、あの人はどう思う?」


「え? 戦争好きの王様でしょ?」


「ぶふっ!」


 あまりの言いぐさに、噴き出してしまった。戦争好きの王様、なんて言葉、どこを切り取っても褒めてなんかいない。


「そんなこと思ってたの⁉︎」


「『Marcelle (マルセル)』は地球でいうところのフランス人の名前ね。『戦争の絶えない』とか『戦乱中』とか『交戦国』っていう意味なのよ。『Leroy(ルロワ)』の姓は『王』とか『王様らしい』という意味。名前どおりに振る舞うなんて、ずるいわ、あんなの」


 シニッカはチロチロと舌を出し入れし、思い出し笑いをした。皮肉気な言いぐさは、「この態度こそが魔界の文化なのだ」と言っているよう。今や魔界の住人たるイーダにも、それは伝染してしまう。


「それにしては、ずいぶん低い玉座だったね」


 悪い言葉だ。けれど楽しくなってしまった。それに、皮肉を聞いた魔王も同じだった様子。


「あはは! 言うじゃない! ……『オートミールなんて時代遅れ! マッシュポテトもね! これからは、ランチセット(フォルミュル)の時代!』」


「うわっ、似てる!」、声色も響きも言いかたも、マルセル・ルロワの完全なる声帯模写。


「――『定義開始(我は命ずる)効果定義(味覚よ)遅延定義(今すぐに)対象定義(骨53号の)形状定義(舌となれ)定義終了(かく成せ)』!」


「あはははは! 使って! それ早く使って!」


 青い空に橙色(だいだいいろ)の笑い声が舞い、ふたりは足取り軽く宿屋へ戻る。


 そして一緒に食べた昼食は、午前中に降った心の霰を、絹のような飲み心地の紅茶に変えてくれた。


 身も心も温まるような、極上の1杯に。

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― 新着の感想 ―
[良い点] イーダとシニッカ、とても仲良くなってきましたね(*^▽^*) 生前寂しい思いをした彼女なのでなんだかとても嬉しくなりました! 魔法はイーダちゃんに共感です!難しいよ〜(;´∀`) でもなる…
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