笑うゲシュタルトのオバケ 5
一晩明けた午前、晴れた空の下でイーダはいらいらしていた。手には昨日のプレゼント。もらったばかりの日記帳(というにはいかつい顔をしたハードカバーの白紙の本)を持っているにもかかわらず、上機嫌には程遠い。心へ霰でも降らせているようだった。
理由はとある女性の態度。
「だからぁ、田舎の常識で魔法を語らないでくれる?」、尊大な立ち振る舞いから繰り出される、偉ぶった台詞。目の前のこの女をグーで殴ったのなら、25メートルは飛ばせるだろう、なんて思う。
この日、シニッカとふたりで訪れたのは、最近はやりの魔法大学だ。
王都の外縁から2キロくらい離れた場所にある、4階建てで石造りの真新しい建物。明茶色の壁と赤く四角い煙突を持つそれは、緑の丘の上で青い空を背景に座っている。黒い屋根はまるで魔女の帽子のよう。
広い中庭をぐるっと囲む研究棟や教室、食堂や寄宿舎までそなえたここは、魔術師を育成するための私立大学だった。
昨日の夕飯後、魔法のことをもっと知りたいというイーダに対し、シニッカが提案したのはこの魔法大学を見学すること。昨日見たル・シュールコー王立図書館と同じく真新しい施設に見えるが、かなりの歴史と伝統があるとのこと。一方学費が非常に高く、100人を超える生徒はみんな貴族や大商人の息子や娘。地方の貧しい人々は入学などかなわない。
そんなお高い施設だというのに、自分たちがここにいる理由は、週に1度だけ行われる見学会に参加しているからだ。学長の好意により無料で開かれている会へ、今日は200名ほどの人が参加している。だから広い中庭も今日は手狭。老若男女、おそらくネメアリオニア王国の各地から長旅を経て貴重な体験をするための人々を、両手いっぱいにかかえて踏ん張っているようだった。
(にしてもひどすぎるよ! 人をバカにして!)
壇上にいるのは、人間なら20歳くらいに見えるドライアドの女性だ。ウェーブのある緑髪からのぞく長い耳と、少しだけそばかすの残る頬。同じドライアドでも、幹のような体の人もそうでない人もいると聞いているけれど、この人は後者。人間種と変わらない体を持つ。そんな体をつつむのは、学生服にも魔法使いにも見える、植物を模したファッショナブルな衣装。街中を歩いていたら、嫌でも目を引く人といえる。
学長であり大学のオーナーでもある彼女は、マルセル・ルロワという名前だった。
彼女の講義はたしかに興味深いものだった。先進近代魔女宗と銘打たれたその魔術は、各動作を細分化してそれぞれに決められた詠唱を割り振るもの。そうやって効率よく魔力を使うのが目的だ。まるでコンピューターのプログラムのような印象を受ける。
「言遊魔術や呪術、ルーン文字や妖術なんて時代遅れ! 死霊術も占星術も、魔女術だって同じよ! 先進近代魔女宗以外は、全部ゴミ箱に捨てればいいじゃん?」
今ある魔術を全否定。そこかしこで戸惑う声が聞こえている。でも最上段に構えたマウントが、壇上から容赦なく振りおろされる。
「正しい手順は効率を生むんだよ。『ふわっとした』定義で火おこしするのがどんだけ効率悪いかって話」
マルセルは壇上で集まった人たちを見下し、王様のように上から言葉を投げつけていた。もちろんそうやって振る舞っているのには理由もある。彼女はおおげさに魔法の杖を取り出し、大声でそれを見せつけると決めた。
「見ててよねっ!」、左手で持った杖を前にかかげ、目を閉じて詠唱を開始する。
「――<定義開始、効果定義、距離定義、質量定義、時間定義、対象定義、威力定義、形状定義A、形状定義B、定義終了>!」
長い詠唱、一瞬の静寂、そして――ごうっ! という轟音。
まばゆい光とともにあらわれたのは、長さ数メートルの黒い火炎。空にうかぶ雲を射抜かんがごとく、天を衝いた。
「おおっ!」「きゃぁっ!」、感嘆や悲鳴が混じった田舎魔術師たちの声。
黒煙の柱は、彼女の言葉通りきっちり3秒間、威光を知らしめた炎が影すら残すことなくふっと消えた。
どよめきと称賛が広場を覆い、学長たるマルセルを満足させていく。
「わかったかな? 古臭い魔術に情熱を注ぐのは、人生をドブに捨てるのと同じってこと」、腰へ手を当てにやりと笑う。
「……焦げ臭い」、イーダは自分を言遊魔術ごと否定された気分になり、粗さがしの末、ただの感想を吐いてしまった。マルセルという人はすごいのだろうけれど、やっぱり好きになれそうにない。
悔しい気持ちをたずさえたまま、ちらりととなりに目をやった。そこにいるシニッカは、舌を出し入れして微笑んでいる。悪感情など持ってなさそうな顔を意外に感じ、イーダはシニッカへマルセルの魔術の所感を聞いてみた。「ねぇシニッカ。あれってすごいの?」
「すごいわ。だって彼女、ちっとも疲れていないもの」
言われて壇上のドライアドを見る。と、もう次の詠唱を開始している。10秒後、こんどは数本の光の槍が天に打ちあがり、広場のどよめきをさらにおおきなものにした。
「これが先進近代魔女宗。同じことができる人、いたら手を挙げてね」、髪に咲いた花を誇らしげに香らせ、厚くない胸を張って、鼻を鳴らして。そんな姿がイーダの目に過度な主張をする。
(悦に入っているよね、あの人。……でも、すごいな)
認めるべきだろう。コップ3分の1の水でしりもちをついた自分に比べ、なんて見事な魔法なのだろうと。悔しい気持ちが劣等感に変わって、イーダの肩を落としてしまった。そして思うのだ。今の自分に彼女のマウントを振りほどくだけの力も知識もないなんて、と。
一方である種の尊敬がある。あの力なら勇者にも対抗できる気がするのだ。彼女は強力な魔法を使ったけれど、バグモザイクを生み出さなかった。もしかしたらシニッカも知らない「魚雷より強いこの世の魔法」なんてものに、彼女は到達しているんじゃないか、なんて思う。
イーダは「崇めなさい」と言わんばかりの両手を広げるマルセルに、羨望とも嫉妬とも取れる目をむけた。
(むしろ、この人「勇者」だったり……)
結局どうしても悔しくて、心は粗さがしに逆戻り。
「質問はぁ? 質問できる頭があればだけど」、彼女はよけいなひとことをつけくわえた上で、どこかめんどくさそうに壇上から愚民どもを見まわす。
あわれな民草たちは、先ほど「田舎式で魔法を語らないで」と言われたせいで恐縮してしまっている様子。手を挙げる人がいなさそうだ。
「はい学長。質問があります」
(いたよ)
こともあろうに自分のとなりに。ずいぶんと楽しそうな顔で……。
「じゃ、茶髪のあなた」
「カールメヤルヴィの医師、シニッカと申します。まずは、すばらしい場を設けていただいた先進魔女たるマルセル様と、この大学に感謝をいたします。経験できるとは想像もつかなかった先ほどの炎柱と光の槍は、私たちにとってまさに『Magic』でした」
「まあね。見たことないものを見せたんだから、当然でしょ」
おだてるほうもおだてられるほうも、歯の浮くセリフが恥ずかしい。王様はますます調子に乗って賎民を見下す表情になっている。
(というかルンペルスティルツヒェンって、本当に名前を隠せるんだ)
「そこで質問なのですが、先ほどの魔法定義の修飾語に『発動を遅らせる』ようなものはあるのでしょうか。たとえば外科治療の際、傷口の縫合と痛覚の鈍化を同時に使いたいような場合に」
「ああ、なるほど。まともな質問じゃん? もちろんあるし、それは――」
そこからしばらくシニッカの質問が続いた後、手を挙げやすくなったまわりの人たちからも次々に質問が飛んだ。
「鍛冶屋として質問しますが、遅延や同時使用にどれくらいの制限があるのでしょうか。接続語は同系統で別のものを入れることは――」
「――てことで、発動した呪文にもある程度『集中』ってのが必要だから、欲張ると――」
それはたとえば、鍛冶屋のかまどの話だったり。
「――とした場合、魔法行使のための魔力はあるものの、接続語の中で矛盾する効果を入れてしまった時は――」
「――で、あんたがアホウだったとしても暴発の危険性なんて――」
たとえば、方法論に関するものだったり。
質問が回数を重ねるごとにその内容は難しくなっていって……。
「――詠唱が文章内で不完全な場合でもその効果を発揮できるのでしょうか。まわりに情報を共有している人がいる場面では――」
「ハイコンテクストのことを言ってるなら、ポストモダン・ウィッカンはローコンテクストだって言っているのわかんないかなぁ。意味通じてる? なんのために時間かけて手順を――」
(やばい、わかんなくなってきた。……そうだよ、私はここにいる人たちの中で一番未熟だったよ。……スミマセン)
教鞭を振るう壇上のマルセル・ルロワ学長に、心の中でそっと謝罪。
(ちょっと身の程を知っておこう……うぅ、悔しい)
必死で会話に追いすがる脳へ、劣等感を刻んでいった。




