笑う受付嬢 4
暗殺者を名乗った魔女と、それが自身の敵と認識した勇者。両者の間にはヒリヒリとする緊張感が、空気をふるわせていた。
その戦意の波に、机の上にあったコップと水差しがカタカタ音を立て身震いする。「今すぐここから遠ざけて!」と懇願するように。
周囲にいた冒険者たちにも、その緊迫した空気が伝わってきた。だからみんな黙りこむ。ある者は2、3歩後ずさりをしたし、ある者は腰の剣の柄へそっと手をかけた。竜種を倒したという大型新人と、時に「恐れ」の代名詞たる魔界の魔女。そのふたりがここで戦いをはじめたなら、自分たちもただではすまないと知っていたから。
ところが、そんな張り詰めた空間の中心において、当のふたりは剣を抜かなかった。とくに勇者ソーマにおいては、この魔女が会話もないうちに攻撃してくるなどありえないだろう、という確信をいだいていた。
ゆえに、話の先を督促する。「で、俺の敵がなんの用なんだ? 暗殺するのに、相手へ許可を取る必要なんてないと思うが?」
「そうだね、許可はいらない。けど、確認を取る必要はあると思う。私たちにあなたの暗殺を依頼した人たちが嘘を言っていないか、とか、本当にあなたを殺す必要があるのかどうか、とか」
「正々堂々としてんだな、あんた。いいぜ、答えてやるよ。俺は人の道からはずれたことなんてやってない自負がある。戦いだって、理由あって剣を振るったんだ。あんたがそれを聞いた上で、俺を殺すっていうのなら、俺も正々堂々と立ちむかえるだろうし」
勇者ソーマは受けて立つことにした。自分が暗殺対象になっている原因があるとするのなら、先ほど受付嬢に話をした件――とくにグリフォンから商人を助けたり、傭兵から老人を守ったりしたことくらいだろう。魔女がそれを理由に「お前を暗殺する」というのなら、それもいい。そんなものでこちらの「正義」を変える必要はないと、そう思ったからだ。
覚悟を決めた勇者の前へ、魔女は2枚の紙を出した。両方とも魔法契約書だ。さっきサインをした物と違ってルーン文字の飾り帯はないけれど、かわりにトネリコの柄が入っていて華美なことに違いはなかった。
「それは?」
「これはあなたに対する暗殺の依頼書なんだ。どういう経緯で『ソーマ・シラヌイの命を奪ってほしい』と言ったのか、その顛末も書いてある」
「内容を聞こう」
「まずはこちらの件から――」、彼女は片側へコツンと指を立てながら、勇者の顔をじっと見る。「ラヴンハイム共和国の山岳部において、あなたは闇の眷属と思われる1団と、その子飼いたる黒い竜のような生物を倒した。太陽の力をおびた光の魔法で。これは間違いないかな?」
「あんたが聞いていたかわからないが、さっき受付嬢に話をしたとおりだ。間違いない。たしかにそいつらの許可なく入りこんだのは俺だけど、聞く耳も持ってくれなくてさ。しまいには攻撃的な行動をしてきた。だから光魔法によって応戦し、全員を倒したんだよ」
「――そしてその腰の剣を取ってきたんだね?」
魔女の舌がナイフのように、するどい指摘を入れた。
「そ、それは……いや、そのとおりだ。そういう存在なら『ドロップ・アイテム』があると思ったのさ。ゲームとかでよくある、その……あんたも地球出身ならわかるだろ?」
剣の鞘をギュッとつかんで、ソーマは魔女に見えるように腰から持ち上げた。黒い鞘へ赤いルーン文字。まるで洞窟の中に流れる血の川のよう。
まわりの冒険者たちが小声で話す。「チキュウって?」「彼らの出身地じゃないか? それよりさ、あの武器って……」「ラヴンハイムの洞窟でルーン文字の剣? もしかして――」「いや、さすがにそんなことないと思いたいわ」などと。
(なんだ? どういう雰囲気だよ、これ)
雲行きがあやしくなった酒場の中央で、魔女は勇者への追及をはじめる。「私がわからないのはさ、あなたが闇の眷属っていっている人たちと、会話が可能だったんじゃないかってこと。それにもかかわらず戦闘に発展させたことも。だからあなたは最初から彼らを敵だと認識しながら近づいたんじゃないかって思う」
「な、なにを根拠に。正当防衛だったんだ!」
「根拠はね、生き残った人の証言だよ。会話もそこそこに『悪魔め、覚悟しろ!』って、あなたが言ったのを聞いている子がいたんだ。戦いのあとに彼らのすみかを物色していたことも、その子から聞いている」
「なにが言いたいんだ!」
「彼らはモンスターとか悪魔なんかじゃない。――『ドヴェルグル』。洞窟に住み、火と鍛冶のあつかいに長けている、北欧神話の種族だ。たとえばあなたが持っている剣のように、ルーンを刻んだ見事な剣を造れる人たちだよ」
「ど、どういう――」
「つまりこの世界における人類の一種なんだ。エルフとか翼人種とか、ドワーフなんかのね。ドヴェルグルはドワーフと似ているかな。洞窟に住み、鍛冶を得意としているから。でも彼らの背は低くないし、体は漆黒だ。そして太陽光を浴びると死んでしまうなんて生態を持つ」
「な……」
「一緒にいた大型の獣は『矮小なファーヴニル』こと『Lítli Fáfnir』。地球の北欧神話には出てこないかな。ドヴェルグルたちが飼っている、オオトカゲの一種なんだ。鉱石を爪で掘ったり、口から吐く胃液で溶かしたりできる家畜。鉱物採取や鍛冶に欠かせない生物だね。少々気性は荒いけれど」
硬直するソーマをつつむ、冒険者たちが一斉に息をのむ音。「嘘……」「それが本当ならえらいことだぞ」「信じられないよ……」、ちいさな悲鳴をたずさえた、悲劇を目の当たりにした者たちの感情が、勇者へ容赦なく降り注いだ。
「ま、待てよ!」、たまらず彼は声を上げる。「そんなこと信じられるものか! 証拠があるのか!」
「彼らがドヴェルグルであったことは、ここにいるみんなが知っている。ラヴンハイム共和国でドヴェルグルの虐殺が行われたのは、政府機関に問い合わせをすればすぐにわかる。誰が彼らを殺したかは、あなたがさっき自分で言ったとおり」
取りつく島もない。けれど、勇者は自分の善性を捨てきれない。「わざとじゃない! 漆黒の体を持ち、魔獣をしたがえていたら、誰だって勘違いするだろう!」
「……体の色で善悪を決めていたのなら、あなたは地球にすら席がないだろうね」、対するは痛烈な皮肉。無表情だった魔女の眉間が、隠しきれない怒りで谷間を刻む。
実際のところ、勇者ソーマには「自身がミスをしたかもしれない」という危惧があった。当時から――洞窟で戦闘をした直後からだ。「俺はもしかして戦わなくていい相手を殺してしまったのではないか?」なんていう。
しかしそれは「いや、あの外見なら悪魔かモンスターだ」という確証バイアスによって塗りつぶされてしまった。ゆえに「モンスターを倒したならドロップ・アイテムがあるはず」と家探しをし、見事な剣を持ってきたのだ。
「だ、だけど、受付嬢は……」
彼が受付嬢の話題を出したのは、彼女なら無実を証明してくれるだろうという期待があったから。助け舟を呼ぶかのように、その彼女を視界の中で探すものの、人の輪の中にあっては難しい話。
視線をさえぎっている冒険者たちは、その立ち位置を少々変えていた。魔女の感情に呼応したか、先ほどまで『白樺の魔女』なる暗殺者に警戒心をいだいていた彼らは、いつの間にか勇者ソーマにその対象をうつしたのだ。
戸惑いの残る、怒りの目をたずさえながら。
「もう1枚あるよ、不知火さん」、魔女は時間をあたえてくれない。もう片方の契約書へ、指をコンコンと鳴らす。「あなたが殺したグリフォンについてね」
勇者に聞く姿勢を取らせるかのように、魔女はいちど言葉を切った。表情はふたたび無表情。それが、ソーマにはひどく不気味に見えた。
悪い予感ほど的中するもの。ふたつめの契約書も、また彼を責める内容。
「あの生物は、グリフォンスタイン帝国という国の守護獣なんだ。帝国の人々からしてみれば、自分たちの大切な象徴だよ。当然、殺していい相手じゃない」
「でも馬車が襲われていたんだぞ! 見るからに善人そうな商人が、必死で助けを求めていたんだ!」
「その商人は禁制品――呪殺用魔法具の密売人だったんだ。グリフォンには騎士が騎乗していたと思う。つまり取り締まりをしていたんだよ」
「そ、そんなこと……」
「あなたは騎士とグリフォンを殺し、密売人を逃がしてしまった。そしてね――」
ソーマが聞きたくなくなっても、魔女の語りは止まらない。
「あなたが『ぶちのめした』って言ってた傭兵隊も、その領主が雇った、同じ任務にあたっていた人たちだ。襲われていた老人は密売人たちのひとり。こういう輩の中には、わざと善良そうな振る舞いをする人も多い。その傭兵隊の隊長から、私たちの元へあなたの暗殺依頼が舞いこんだのは、それから1か月くらいたった後」
「……それにも証拠があるってのか?」
「グリフォンスタイン帝国に行けばね。ここから大陸をはさんだむこう側だから、たしかめるのにずいぶん時間がかかるだろうけれど」
ようやく終わった魔女の説明。酒場は沈黙につつまれる。あっけにとられてしまった人も、力なく首を振る人も、おしなべてみんな口を開かなかった。
なぜなら、全員が負の感情に支配されていたからだ。みなが胸にいだくのは以下のふたつ。「おこってはならないことがおこった」というやるせない気持ち。そして「なんてことしたんだ」という、谷底の暗がりのような鋭利で黒い怒り。
(嘘だろ……?)
中心にいる勇者ソーマは、ひどい居心地の悪さを感じていた。いや、居心地が悪いという表現は生ぬるい。裁判の被告人席をもとおりこして、絞首台の上へ立っているかのようですらある。
(そんな、そんなことありえない。ありえないだろ……ありえないだろ!)
そして人というものは自分を守る性質がある。自身の失敗など見たくもないし、認められないものだ。
――ゆえに、
「なるほどな。それが魔王のやり口ってことか」
彼は、他者を責めると決めた。
「なあ魔女。お前らはそうやって俺をおとしめようとしているんだろ?『勇者』である俺を『魔王』が殺したいって考えるのは自然なことだものな。違うか?」
腰の剣をグッと握る。目つきを鞘の中の切っ先ほどにするどくして、声色を大型獣のうなり声のように低くおさえて。
「これが生前によく目にした『追放スタート』ってやつなのか、魔女。申し訳ないが、俺はそんなものにつきあうつもりなんてないぜ」
前世に見た異世界転生のお約束と重ねあわせた彼は、言葉を吐き捨てながら魔女へ殺気を放つ。
でも勇者の目には、態度を変えない少女の姿。キュっとむすんでいた口を開いて、ソーマの言に反論をする。「違うよ、不知火さん。私がなんのためにゲッシュ・ペーパーを2枚も持ってきたのかわかるでしょう? さっき告げたことは、私たちだけが主張していることじゃない。少なくともふたりの依頼人が、魂を質に入れてこの契約書にサインしているんだ」
「そんなもの、偽造でもなんでもできるだろ。その契約者とやらのサインと血判が、本物だって証明できるもんか」
「できるよ。もう1枚、契約書を締結すればいい。私とあなたで、ゲッシュ・ペーパーを使うんだ。どちらが嘘をついているのか、すぐにわかるはずだから」
(こいつ……)
逃げ道をふさぐがごとき言いぐさ。ソーマはひどく不愉快に感じた。魔女が「私の言い分こそが正しい」と彼を否定してきているようでもあったし、「あなたの正しさを証明したいなら証拠を見せろ」とせまってきているようにも思えたから。
なにより大衆の面前で恥をかかされていると感じてしまった。ゆえに、
「いいや、信頼できないな。お前は魔界の住人って言ったよな? つまり魔族かなんかだろ? 悪魔と契約をむすぶやつなんているか? 俺をハメようとしているんだろ?」
彼は提案を拒絶する。そして剣を握り直した。柄をつかむ右手にぎゅうっと力を入れ、手の甲へ頑丈な奥歯のような骨を浮かび上がらせるのだ。
「そう……」、それを見て魔女は姿勢を正した。背すじをのばし、机の上に置いていた両手を下げ、そして両の眉へキッと強い意思をこめて。
「不知火さん。あなたが戦おうっていうのなら、私は『やめなさい』と言いたい。最初に伝えたとおり、私たちはあなたのふるまいを分析して、暗殺対象に値するのか否かも見極めたいと考えている」
「はっ! お前らが俺の生殺与奪権を握っているってのか? ずいぶん上から目線じゃないか」
「ものごとを俯瞰して見たいだけ。だから、その評価は甘んじて受け入れるよ」
彼女は一歩も引かない。強い視線は矢のようで、眉はピンと張った弓弦のよう。毅然とした態度で交渉に挑むさまは、小柄な彼女に反して迫力すら感じさせるものだった。
だから誰も気づかなかったのだ。
机の下へ移動した手に、魔力のこもった石を取り出したことも、その小石にローマ・アルファベットの「R」に似た赤い文字が刻まれていたことも。