笑うゲシュタルトのオバケ 4
「それでね、そのフォルミュル、今日はベーグルセットだったんだ。すごくおいしくて」
「サカリもそれを?」
「うん。事細かに味の感想を教えてくれたよ。ソムリエかなにかみたいに」
「なかなか気に入られたみたいね。よかったわ」
夕方になり部屋で談笑する。数日前に勇者と戦った時と違い魔腺の疲労はすぐに抜け、イーダは充実感のある時間をすごしていた。
今回が生まれてはじめての魔術行使、だったわけではない。勇者イズキとの戦いでスクロールを使っていたから。けれど、少なくとも自分ひとりの力で魔術を使ったのは今回がはじめてだ。人生における超重要な瞬間を体験したという満足感が、湧き水のようにいつまでも心からあふれてくる。
そんな歴史的瞬間に立ち会った潜水艦から、体調をおもんぱかる声がかけられた。「ねえイーダ、もう大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、ありがとう、アイノ。この前と違って、今日はよく眠れそうだから」
「うんうん、よかったよかった」
先日の疲労は寝られないほど強いものだった。今日はそうでもない。その事実から「慣れたんだ!」と安易な結論を導き出さないのは、イーダが自分の能力へ慎重だったからだ。「でもさ、ちょっと不思議。今回はすぐ回復できそうだよ。1回でこんなに変わるものなの? なにか理由があるのかな?」
「あの時イーダが使った巻物は、この世のもので最高の防御魔法だったからね」
シニッカの話では、最初にスクロールを使った時の魔腺疲労がおおきかった理由は、ふたつあるのだそうだ。
ひとつは「生まれてはじめての魔法行使」だったこと。普段使わない筋肉を使えば筋肉痛になるのと同じように、使ったことのない魔腺に魔力が流れれば同じことが起こる。これが事実だとしたら「慣れたんだ!」という安易に見えた結論は、正鵠を射るものだったといえる。
もうひとつはスクロールにこめられた魔力が非常におおきかったこと。本来ならそれは「魔力が充填され」「魔術の手順がこめられ」た、お手軽な魔法行使手段だ。手元にあれば「引き金を引く」だけで発動させられる。これは拳銃に似ているのだそう。
つまりこめられている火薬の量が多かったから、強い反動が体に返ってきてしまったのだ。
「あの『ベオーク』っていう魔法、やっぱすごい強いんだね」
「ええ。盾としてはあれが、矛としてはアイノの『魚雷』が、この世界では最強よ」
言葉にアイノがふんすっと鼻を鳴らす。コートに『鼻息の荒い雄牛』の絵を浮かべながら。
すごいじゃんアイノ、と笑顔をむけた。さすがは4大魔獣の一角だね、なんてつけくわえる。ほめろほめろとすりついてくるアイノをなでながら、誰しもが思う疑問をひとつ。
「じゃあ、その矛と盾をぶつけたらどうなるの?」
「なかなか奥が深くてね。通常、同じ魔力量なら『盾が勝つ』わ。神様の意志により『殺すよりも生かす』魔法のほうが優先されるの」
「おお、神様すごい!」
「ただし、同じ魔力量の攻撃と防御がぶつかることなんてめったにない。アイギスの盾とミョッルニルが激突した時、勝つのは魔力量の多いほうになる。忘れないように」
「わかった!」
とはいえ引き分けであれば防御側の勝ち。そんなところまで明確にルールまで決めているんだなぁと、いろいろと手厚く保障してくれる神様に感謝した。この世の神様は顔が見えないのに人間臭い。全知全能ではなさそうだけれど、とにかく心を砕いて人類にやさしい世界を創ったような気がしてくる。
と、ふと頭に不可逆の爪痕が浮かんだ。
(この世、か)
折に触れて出てくる言いまわし。「この世界の」という意味の言葉だが、つまり「この世界のものじゃない」ものが存在することをあらわしている言葉。
勇者が使う力は、せっかく慎重に創られた世界を、一瞬で傷つけてしまう。
(あれ?)
気になることができた。
「勇者の力を防げる盾とか勇者の鎧を砕ける矛は、世界を傷つけないの?」、即座に聞いてみる。勇者の力が世界を傷つけるのなら、それに対抗する力だって世界を傷つけるはずなのに、と。
これは大切な話だ。もしかしたら、もっと慎重に聞くべきだったかもしれないくらいに。
「傷つけないわ。というより傷つけられないのよ」
「同じくらい強い力なのに?」
「ええ。この話、少し長くなるわよ?」
「聞いておきたい」
強めの決意を言葉に乗せる。「わかったわ」とシニッカはうなずき、聞き逃さないようにしてくれたのか、ゆっくりと話をはじめた。
そもそも世界の傷――バグモザイクは、「その場に存在する魔力を使い切ってしまった時」に発生するらしい。魔力が空気なら、空気を吸い尽くして真空ができてしまうような場合に、それを埋めるように発生するのだという。通常はそんなこと起こらない。1か所の空気が薄まれば、まわりの空気がそこに流れこみ同じ濃度をたもつのだから。
それでも「雑に発動された強力な魔法」や「空気をすべて吹き飛ばすような極大魔法」は、その場の魔力をなくしてしまう。結果、バグモザイクが産まれる。つまり魔力濃度を一気に下げるように発動したり、強すぎて周囲の魔力を吹き飛ばしてしまったりした時、黒水晶はかさぶたのように傷口をふさぐのだ。
「それってさ、もし強力な魔法を使う機会があったら、私たちも気をつけないといけないよね?」
「いいえ、それはあまり心配いらないわ。私たちこの世の人間は、そんなことできないようになっているから」
この星に生きる者には一種のリミッターが働いている。世界を傷つけるほど強い魔法が使えないように、世界によってしばられているのだ。自分やアイノのような転生者も、ゆっくり時間をかけてこの世界に顕現したおかげでリミッターを持っている。自分が世界にあらわれるまで3か月、アイノにいたっては7か月もかかったのだそうだ。でも――
勇者は違う。
一瞬で世界を渡った彼らはリミッターを持たない。雑な発動方法によって一瞬で必要以上の魔力を吸い尽くしたり、無遠慮で凶悪な魔法を放って魔力を吹き飛ばしたりできる。もちろん本人たちが望んでいるわけではないだろうが。
「勇者の中にも慎重に力を使う者や、この世界を愛して生活する者はいるわ。私たちに敵対する心は失われないことが多いけれど、彼らと災害を引き起こす勇者たちが一緒の目で見られることを、私は望んでいない」
この世界の魔王の言葉だ。前回倒したイズキという勇者の名前をあえて言葉に出し、大々的に街の人に知らせたのは、この想いがあったからだろう。「この勇者は世界を傷つけた。けれども他の勇者は無関係である」と暗に言っていたのだ。
「いい勇者も、私たちを敵視するの?」
「そうじゃないやつもいるのだけれどね。期待できるほどの数はいないわ」と言って、魔王は一息ついた。
イーダは口から、ふうっと息を漏らす。
(相いれないって、こういうことをいうんだろうな)
勇者と自分たちをへだてる世界の壁、それは思ったよりも分厚いようだ。彼らは転生時、魔界に対する敵意を持ってしまう。なかよくできたらいいのにな、という考えは、平和がタダじゃないこの世において、少々楽観的にすぎるのかも。
すでに今日は新しい知識で頭があふれそう。でももうひとつだけ質問を。
「勇者って、なんですぐに襲ってこないの? それだけ敵視しているのに」
「魔界には『対勇者結界』があるからよ。おそらく神様が用意してくれた、勇者がその先に進めなくなる見えない壁。彼らがその内側に入るには、なんらかの方法で結界を破壊するか、無視しなければならない」
「え? でも王宮を破壊したのは勇者でしょ?」
「爆弾を抱えて500キロの距離を往復できる、使い魔がいなきゃね」
「うへぇ、そんなのもいるんだ」
逆に言えば、かなり特殊な能力を持つ勇者がいなければ魔界は安全なのかもしれない。
(いや待てよ? 今、国外にいる私たちは、かなり危険なんじゃ……)
イーダは心配になって、みずから予防線を張ることにした。「ま、まあ。勇者があらわれちゃったら、またアイノの魚雷でなんとかするんだよね!」
「残弾ないよ!」
「ないの⁉︎」
「アイノの魚雷は4本だけよ? カールメヤルヴィに戻って補給しないとならないわ」
「ええ……。今、勇者来ちゃったらどうするの?」、心配は解消しない。そこへ――
ガチャリ。
「ひぃっ!」、いきなり開けられたドアに、イーダはすっとんきょうな声を上げてしまった。でも入口に立つのは、あきれた顔のサカリだった。
「怪談でも話していたのか?」
「ええ。勇者っていう化け物のお話を」
シニッカの軽口に「そうか」と無味な返答をして、彼は足音も立てずに部屋に入る。
「魔王、頼まれていた『ボーナス』だ」
「イーダに渡して」
少し考えたサカリは、手に持った分厚い本をイーダに手渡した。
「これは?」
「この前の勇者災害の特別報酬だ。開いてみろ」
「あ、ありがとう」、お礼を言って、パラパラと大量のページをめくる。しかし意外なことに、最初から最後まで全部真っ白な紙だ。索引もなければあとがきもない。学校で使っていたノートの中でも、罫線が引かれていないやつと同じ顔をしていた。ただし、表紙と背表紙はハードカバーだったけれど。
(ん? なんで?)
「日記だ。このようなものは、おおきな街でないと手に入らないからな」
「あ! そういうことなんだ!」、ぱあっと顔が明るくなる。
(そう! 欲しかったんだよ!)
それはちょうどイーダの求めていたものだった。転生して2週間ほど。忘れたくない大量の知識を書きためるものが、どうしても必要だった。雑紙をもらっては大切にペンを走らせていたが、限界がある。でもこれで心置きなく記録できるのだ。
「ありがとう! 欲しかったんだ! 本当に嬉しいよ!」
「なによりだ」
(~♪)
上機嫌な彼女は、ふたりの教師とひとりの友達に囲まれて、心で鼻歌を歌った。




