笑うゲシュタルトのオバケ 3
――贈り物。
サカリいわく『プレゼント』という言葉の語源はラテン語とのこと。「前もって用意された」とか「前に差し出す」というようなことらしく、当然他者へ渡されることを意味するのだろうから、それがこの世に発生する場合には「贈る側」と「贈られる側」というふたりの登場人物が必要だ。
イーダの生前に縁のあったものではなかったから、その両者ともが遠い存在だと思っていた。友達もほとんどおらず、親にも関心を持ってもらえなかったのだから。
だから、プレゼントを差し出されたなら、彼女は相手のことを一生忘れなかっただろう。物心ついた後に渡された「はじめての」大切なものになるがゆえ。
(贈り物! 贈り物って!)
親しい間柄でプレゼント交換をする光景に「いいなぁ」と羨望の眼差しをむけていた彼女が、この世界ではじめて得たプレゼント。それが、シニッカがくれた「イーダ・ハルコ」の名前だった。嬉しかったし、誇らしかった。けれどもそれには言遊魔術がもたらした針によって、ちょっとした悪意のような、行きすぎたいたずらのような、タチの悪い意味が縫いつけられていて……。
『贈り物』が、なにをあらわす言遊魔術だったか。
答えは「我が名を刻め」。「これを贈った私の名前を忘れないでね」という、なんともいやらしいものだったのだ。
(たしかにそうかもしれないけどさ!)
どう斜に構えたら、どう斜めからものを見たら、どんな道徳の斜面に立っていたらその発想にいたるのか。やさしさの蒸気で満たされていた(と思っていた)あのサウナ室の光景――微笑むシニッカを思い出すと、無性に腹が立ってくる。
でも、これは命を奪うような罠ではないのだろう。
シニッカが使う「ルンペルスティルツヒェン」という偽装魔法は、彼女の所有物にしか効果をあらわさない。だから言遊魔術を使って「飯田春子」という野良転生者に首輪をつけ、飼い犬にする必要があった。つまりそれは殺すためではなく、生かすための行為だったのだ。
ともかくこれを自分にとっての深刻な問題にしたくない。人生初の贈り物を拒絶したくないし、いたずら(それも必要があってのこと)に過剰な反応をしたいわけでもない。
だから、たしなめるのでもなく、その行為に怒り狂うのでもなく、ましてや悲しむのでもなく。「こらー!」とおおげさな長音符と感嘆符をつけて、我が魔王様のところに殴りこみをかけるのだ。
「シニッカぁ!」
「あら、バレちゃった?」
「名前ぇ! というか『所有物』って!」、イーダは魔王を捕まえて、ぐわんぐわんとゆらす。
「しかたないじゃない。私のものにしたかったんだもの」、魔王は首振り人形のようになりながら、悪びれもせずに所有権を主張した。
「言遊魔術の『贈り物』の意味!『我が名を刻め』ってなに⁉︎」
「贈り物って、そういうものでしょ?」
「どんな皮肉⁉︎」
やいのやいのと魔王に詰めよるが、彼女は態度を変えてはくれない。「『ᚷ』――贈り物の次は、『ᚹ』――喜びでしょ? 喜びなさいな」「なにを言っているのかわからないよ!」「ルーンの文字列がそうなってるの」「解説されてもわからないよ!」、素知らぬ顔でのらりくらりと。なにを言っても効き目がない状況に、のれんを押す腕が疲れてきて、イーダは基本的人権の奪還をあきらめることにした。
「経験よ、経験。はじめてだまされたのが戦場だったというより、お風呂だったというほうが安全でしょう?」
「よくいうよ」、焦りと怒りをあきれに変えて。
実は少しだけ不安だったのだ。召喚で対になる勇者が死んだ今、自分の存在が用済みになってしまうのではないかと。もちろん普段の言動や行動から、そんなことがないことくらいは理解しているつもりだ。しかし、いざ悪魔の所有物などという名札に気づいてしまったら、確認せずにはいられなかった。
予想どおり大丈夫だろう。
もうっ、と一言吐きだし会話にピリオドを打つ。これからの話をするためだ。用済みでないのであれば、この世界で強く生きるためには技能が必要なのだから。
「そんなことより、今日は魔法を教えてくれるんでしょ?」
「ええ、もちろん」、すらりと立ち上がったシニッカは、指で「ついてきて」のゼスチャーをする。出がけに木のコップを手に持った彼女に、イーダは先ほどの怒りをすっかり忘れ、目を輝かせてついていった。
「なになに⁉︎ 私も行くよ!」、今の今まで寝ていた潜水艦が、突如意識を浮上させる。アイノを含め3人でむかった先は宿屋の裏庭。頂点をすぎてしばらく経った太陽が長めの影を土と草に落としていた。
3人でむかい合うと、シニッカが口を開く。「まずは一番便利な『水を呼び出す』魔法からどう?」
「うん!」
「よろしい」
午前のサカリ先生に続き、午後はシニッカ先生の授業がはじまるのだ。
「修辞技法としてのケニングは『複合語による単語の詩的な置き換え』だけれど、魔法としての言遊魔術はもう少し自由度が高い。詩人に言わせれば『いいかげん』であるとか、『それはケニングといわない』という評価をいただくほどに。つまり単語じゃなくて、複合語を詩的な言葉に置き換えることもできるわ」
教師はコップの上に片方の手のひらをかざした。
「――<水よあれ>」
ふわりと白樺の香りがして、指の垂氷が清水となって溶け落ちる。それは泡も立てず、すべるように杯を満たした。
あまりに自然な流れで行われた、不自然な現象。それが興味深くて、イーダは「おおっ!」っと声を上げてしまう。そんな少女へ、魔王はコップを差し出した。
「飲む?」
「飲む!」
口にふくむと、絹のようになめらかでやわらかい。王城の水風呂と同じ「いい水」だ。日本で飲んでいた水道水とは、和紙と雑紙ほどにも違う。
「今のは『水よあれ』を『昼のつらら』に置き換えた言遊魔術。これはね、別の言葉を使うこともできるの。それじゃあアイノ、よろしく」
シニッカは返されたコップをアイノに渡す。
「いくよ!<水よあれ>!」
こんどはザバァっと水があふれた。手の中に噴水でも持っているのかというくらいに。だから発生した水はコップとアイノを盛大に濡らし、地面を水浸しにしてしまう。
しかし潜水艦はドヤ顔をしていた。片手を腰に当て、逆の手で持ったコップを勢いよく差し出す。
「飲め!」
「……うん、飲む」
びしょびしょのコップをすべらないように両手で持ち、口に運んでひとくちごくり。けれどミネラル過多の硬水のような口当たり。「おいし……くはないな」なんてひそかに思う。
(言葉が違うと、効果も違うのかな?)
怪訝そうな顔をしていると、教師がちゃんと理由を伝えた。
「『ベント』っていうのは潜水艦が注水する時に開く装置らしいわ。艦内に水を入れて潜るためのね。さっきと味が違うのは『海水』にかかわる言葉を引用したから」
「最初は塩水になっちゃって大変だったんだよ?」と、ずぶ濡れのアイノは楽しそうにしている。潜水艦なのだから水浸しが嬉しいのかもしれないかぁとイーダは感じながらも、せっかくだから魔法に関する質問をすることに。「じゃあ狙った水の種類に近い言葉を選ぶことが重要なの? 清水を求めるならつららとか、海水が欲しいなら船にかかわるものとか」
「そのとおり。勢いよく出したいのなら滝という言葉を引用すべきだし、そっと杯を満たしたいなら水鏡を使うべきでしょうね」
教鞭を取る魔王は、その言葉の最後に生徒をほめた。「イーダは国語の授業が得意だったの? なかなかいい筋しているわね」
「えへへ」、生徒は照れ笑い。「得意かどうかはわからないけど、勉強は好きだったかな」と照れ隠ししながらコップを返す。
「それならどんどん進んでいきましょう。さっそく応用編よ。今のは代称を置き換えたけれど、そもそも置き換える言葉自体を変えてしまうこともできるの」
「どうするの?」
「ただの水じゃないもの、たとえば『聖水』を呼び出したりとかね。――<聖水よあれ>」
あきらかに輝きが違う、まさに聖なる水らしきものが一瞬で杯を満たした。水に黄金でも混じっていそうなきらめきが、安物のコップを王様にしている。ただ、その置き換えはどうにかならないものかとちょっととまどいもあった。「そ、その置き換えは、なかなか辛辣だね」
「でも通じるでしょ? 経験則だけど『相手やまわりの人に伝わる言葉』のほうが楽に使えるわ。それに自分に合った言葉も魔術を容易にするの」
「そうなんだ。でも悪魔なのに聖水って大丈夫なの?」、その質問を聞き終わる前に、シニッカはゆるゆると地面に座る。膝に手を置き一息ついて、なにやらちょっと疲れた様子で。
体育座りをした魔王は、あろうことか……聖水を雑に打ち捨てた。
「忌々しい」
「無理しないでよ……」
差し出されたコップを受け取る先に、不満げな顔の魔王様。「ともあれ」と口にして、そのままコロンと横倒しに。幾分かやる気が失せた目で、教師は話を続けるのだ。
「あなたにとってイメージしやすい言葉を選ぶといいわ」
見栄を張って聖水に触れ、横たわりながらそう言った。瞳に映る彼女に対し、イーダは転生後一番のジト目をむけた。が、魔王は気にせず寝るそぶりをみせる。これはなにを言っても回復しないだろうと思い、イーダは言葉を探すことにした。
(水かぁ。うーん、なんだろう。私にとってイメージしやすいもの……)
「どんな言葉でもいいの?」
「詩人が使う詞的な言いかえは一定の決まりごとがあるけれど、言遊魔術においては問題ないわ。古い物語なんかで使われた『由緒正しい』ものでもいいし、自分で作ってもいい。どちらも魔術としては正しいからね」
それなら自分にとって身近なもの、水が発生するなにかがいいだろうかと、生前の記憶をたどってみる。地球ですごしていた時、水はどこで手に入っただろうか?
「あ、蛇口!」
「さすが元地球人」
座学の次は、実技の時間。イーダはやる気に満ちた顔で、生まれてはじめて魔術へ挑む。むふんと鼻息を荒くして。
(よーし、やってみよう!)
シニッカいわく、まずは「心臓から手のひらの火傷あとにむけて」自分が魔力に持つイメージを流すのが重要とのこと。自分にとっては白樺の風と感じているそれを、彼女は強く意識した。
「魔力が流れる体内の道のことを『魔腺』と呼ぶわ。まずはその存在をちゃんと認識して」
魔力の存在はすぐに感じられた。そよぐ風のような感覚が、血管と同じ場所へさらさらと流れている。それを意識していると、すぐに明確な絵が浮かんできた。おおきな白樺の木があって、暖かい風が吹いていて、濃い匂いが流れて、枝先から水がしたたるような。
ドクン! 急に手のひらへ感じたことのない感触が。びっくりして、きゅっと両手を握ってしまう。心臓から流れたなにかが、手からこぼれ落ちそうに思えたのだ。
(びっくりした……。なんだろこれ。空気? 香り?)
2、3秒くらいそうしていると、感じたものが消えていく。
(消えちゃった)
アイノが「どうイーダ。なにか感じた?」と顔をのぞきこんだので、イーダは感じたことをそのまま伝える。
「なんか手から匂いを嗅いだような気分。変なこと言ってるかもだけど、本当にそう感じたんだ。これってなんだろ?」
その問いには、地面でもぞもぞと寝心地のいい場所を探している様子のシニッカから返答があった。「いい傾向よ? 普通の人間の感覚は5つ。でも10人にひとりくらいの割合で『魔覚』と呼ばれる6番目の感覚機能を持つ人がいる。その人たちが『魔術』を習得すれば『魔法』を使えるようになるの」
つまり、魔覚を使う方法論が魔術で、魔法はその結果だ、とのこと。
「そして最後のスイッチになるのが、言遊魔術における『言葉遊び』。手のひらに魔力をなるべく多くためて、コップが水で満たされるのをイメージして、遊んだ言葉を唱える。『言葉には不思議な力が宿る』っていうのを借りてしまおうというわけ」
「わかった、もう一度やってみる!」
次は魔力がこぼれないように、慎重に白樺の香りを両手に送る。目を閉じて頭の中にイメージしたのは、蛇口から出る水がコップを満たす光景。乱暴にひねるのではなくて、ゆっくり取っ手に手をかけていく。
心臓から動脈をとおり指先へ、さらさらと魔力を流していく。10秒ほど送りこむと、手のひらに風船が割れそうになるような感触があった。
(……今だ)
目を開け、唱える。「――<水よあれ>」
風船がしぼむと同時、手の中でジャババっという音。そしてコップをささえる左手に、たしかな重み。
(――できた!)
杯を3分の1くらい満たす水が手のひらから落ち、コップの底で光を反射してゆらめいていた。
「できたぁ!」、両手をかかげ、両脚を踏ん張り、笑顔で天を仰ぐ……ような姿で喜びを爆発させるはずが……。
ドサッ!
(痛い!)
おしりを地面に打ちつけてしまった。
「大丈夫? イーダ」
「痛いよぅ。……あ」、言った直後に四肢が弛緩する。バサバサと白樺の枝が落ちていく感覚も。これは知っている。勇者との戦いで味わった、魔力切れのしるしだ。
「魔腺疲労ね。最初はそんなもの」、魔王はついに体を丸め、とぐろを巻き、寝るような姿勢になる。しかし目を細めて嬉しそうだ。「さすが現代っ子。座学と実技の連動が半端じゃないわね。本当、あなたたちを見ているとずるいって思っちゃう」
「そうかな……そうかも」
地球での生活が、今回の魔法行使にどれくらいの影響をあたえてくれたかはわからない。でもちいさい頃から勉強できる環境にいられたことが、きっと関連している。
これは前世の学校の先生にも感謝をしたほうがよさそうだ。
体が火照り、全身に疲労感。しかしサウナと同じ白樺の香りが残滓となって、魔力の霧雨を降らせてくれる。
それが心地よくて心地よくて……。
(気持ちいいなぁ)
トロンと視界がぼやけ、口元に笑みを浮かべながら「このまま寝ちゃおうかな」とつぶやいた。
「アイノ、庭~部屋航路、曳航任務。対象2」、シニッカがなにか命令をする。
「Negative」、そしてそれは拒否された。しかし、お荷物となったふたりを見おろすアイノの顔は、喜びでニコニコしていた。




